23、深い意味はないんですけど、暇だからサブカル語りでも。
こんばんは、矢暮です。
なんていうか、別にこれと言って話題はないんですが、暇だから何かサブカル的な話題でもしてみようかと思います。
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実は僕は、そんなにアニメとかに詳しくないんです。だって、ここ何十年ってそんなに観てないし。
というか、僕が熱心にアニメを見ていた時期はいわゆる幼少時代からローティーンにかけてでして、それ以降、うーん、いわゆる中学生時代ぐらいまでしか観てないかったんですね。
でも僕らの世代はロボットアニメやSFアニメの最盛期でしたし、少女漫画系のものから名作劇場、それにまんが“はじめて物語”や“日本むかしばなし”とか“まんが偉人物語”とか“一休さん”だとかの教育系アニメーションもバリエーション豊かでしたからね、その時代を過ごしただけでもネタに事欠かないんですよ。
それで、小学校二年生か三年生ぐらいに【無敵超人ザンボット3】を学校から帰ってきて一人でテレビを見て、なんだかハマっちゃったんですね。
そして【ガンダム】でしょう?
僕は比較的みんなより早熟だったから、どうしようもなくああいうのが好みだったみたいです。
それで、小6のときにこっそり買い始めたのが、【月刊OUT】という、その筋では伝説になっているサブカル誌。
そう、僕は小6から中3の間までこっそり“隠れあうしたん”をやっていました。
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なぜ【月刊OUT】という雑誌が伝説なのかというと。
まだ無名のころの堀井雄二先生や、さくまあきら先生や、ゆうきまさみ先生などなどのレジェンドが、ライターや半プロでコーナーを持っていたり、パロディ漫画を寄稿していたからです。
かくいう僕は、堀井雄二先生の“ゆう坊のでたとこまかせ”というコーナーが背番号制になったときに(多分中2ぐらいの時)、一言ネタを投稿して載ったことで密かに大喜びしていた記憶があります。
でも、僕が“そういった系”の雑誌を買っていることは仲の良い友人にすら秘密にしていたので誰にも言えないというもどかしさはありましたね。
高校に入ったぐらいに堀井先生を始めとした方々がメジャーになり、時の人となったときは本当に驚きましたよ。
でも、確かに堀井先生はパソコンをいち早く入手して、自作のテニスゲームを抽選でプレゼントする企画なんかをしていたことがありましたから、そういう目のつけどころという意味では先駆けなんでしょうね。
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僕がこういう内容のエッセイもどきを書いているのも、多分あの雑誌の影響でしょう。
あの雑誌はとにかく無茶苦茶な企画とかもやりながら、当時のサブカルに関わる人たちの対談やら評論やら討論会やらインタビューやら、そういうのが大半を占めていましたからね。
購読層も大学生が中心でしたから、僕のような中学生はなかなか投稿ネタなどで太刀打ち出来ないというもどかしさもありましたしね。だから、“でたとこまかせ”に自分のペンネームが載った時は心臓がバクバクしてしまいましたよ。
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でも高校生ぐらいになると、実生活も楽しかったんですけど、サブカル……特にアニメ部門に関して不満が出てきてあまり見なくなってしまったんです。
どちらかというと映画とかに傾倒してしまったというか。
当時はアニメオタクと呼ばれる人たちが台頭してきた時代で、いかにも“そういう方たち向け”の設定や、世界観のマンネリなどが原因で下火になっていったりしたんです。
御多分に漏れず、僕もそういう設定に辟易していた一人なので、自然とアニメをあまり見なくなっていった経緯があります。
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といいながら再燃したのは二十代半ばごろ。
そう、僕のやじろべえ理論の証明と言うべきかなんというか、興味があるから好きとか嫌いとかという感情が生まれるように、某サンライズ等のアニメがTVK(※テレビ神奈川)の夜中に放送されるや否や、ついつい当時の熱が呼び起されてしまい(つまりマーケティング戦略にまんまと引っ掛かってしまい)、ちょくちょくアニメをチェックするようになっていったんです。
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このエッセイもどきの大タイトル、
『なぜパプテマス・シロッコは赤い彗星を“ニュータイプのなり損ない”と揶揄したのか?』
にしても、これは【機動戦士Zガンダム】のラストの一節を命題にしたものですが、僕が大人になってから全話を見直して、その頭の中にある映像データを読み解きながら、
「ああ、だからシロッコはこう言ったんだ」
みたいに思ったから書いてみたものなんです。
だから、こんなの僕の勝手な意見でしかなく正解であるわけでもないんです。
でも、こういうの遊びとして面白いじゃないですか。
だから書いてるんです。
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どう?
文化の日っぽいでしょう?




