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覚醒

快晴の空の下、平らに整えられた道を歩く、ふたつの人影。

跳ねるように歩く小柄な少女の後ろに、長身の青年が続いている。


「ねえ、ルーク! どこにあるのさ、その『サランの町』って」


リラが、縦長の瞳孔をたずさえた目を、こちらに向けてきた。


「ここから、もう少し北に歩いたところだよ。そんなに、人間の住む村が楽しみなのか?」


手に持った地図を彼女に見せながら、ルークは言う。


「あったりまえじゃない! あたし、人間の暮らしって、小さい頃から憧れてたんだ」


「なんで?」


「なんで、って……そりゃあ、毎日が楽しそうだからさ!」


その紅玉の瞳に、星のような光を宿しながら、リラは答える。


「きっと町には美味しい食べ物がいっぱいあって、お城では毎日ダンスパーティが開かれてて……あたしも綺麗に着飾って、格好いい王子様と踊るんだ」


(いや、それはおとぎ話の世界だろ)


夢見心地で語る少女に、ルークは思わず、苦笑してしまう。


「結構ロマンチストなんだな、リラって」


「ろ、ロマンチスト⁉︎ そんなんじゃないしっ! 絵本にだって、そうやって書いてあったんだから!」


「え、絵本?」


龍族の少女の口から、思わぬ言葉が零れたことに、ルークは驚く。


「龍族の里にも、絵本ってあるのか」


何気なく聞いてみると、リラは少しだけ、表情を曇らせた。


「……ないよ、そんなものは。村のはずれに落ちていた人間の絵本を、時々拾って、読んでたの」


彼女の瞳は、炎のように揺らめく。


「でもね、ある日、父さんに見つかって燃やされちゃった。『穢れた人間の書物なんて読むな』って」


リラは、悲しそうに笑った。

無理矢理作ったような、ぎこちない笑顔だった。


「……そうなのか」


「うん。龍族の掟ってすごく厳しくてね、毎日毎日修行しろ、強くなれ、贅沢をするなってうるさく言われてた。……今考えてみれば、贅沢な暮らしをしている人間を、うらやんでたのかもね」


はは、と力なく笑うリラに、ふいにルークの胸は締め付けられる。

初めて見る彼女の悲しそうな顔が、烙印のようにルークの胸に焼きついた。


その感情が一体なんなのか、わからないまま。








「うわあー! おっきい町!」


あれから歩くこと十数分、ルークとリラは、サランの町に到着した。

初めて目にする人間の営みに、さっきの悲しげな顔など嘘のように、リラはその目を輝かせた。


ルークが辺りを見回すと、町の人々は、彼女の白い肌に浮いた鱗と、頭に生える角に奇異の目を向けていた。

自分に突き刺さる視線を気にもとめず、リラはきょろきょろと、好奇心に満ちた目を動かす。


「ねえルーク、ここにはいろんなものが売ってるんだね! あっちも見てみようよ」


「あ、ああ」


半ば彼女に引っ張られるように、ルークは町の中を進んでいった。





ルークが育ったモークルほどではないが、それなりに大きな町である。

山の近くに位置しているからか、木造の建物が多い。

町の中心では、商人による様々な店が、軒を連ねていた。


「……あ」


周りをきょろきょろと見回しながら、町の中を散策していたリラが、ふいに声を上げた。

そしてそのまま、とある店の前で立ち止まる。


木の棚に所狭しと並べられた、たくさんの書物。どうやら書店のようだ。


「どうした?」


「この本……」


リラが指差したのは、女児向けの児童書だった。

舞踏会で出会った王女と王子が、互いに恋に落ち、様々な苦難を乗り越えながらも結ばれる。誰でも知っているような、おとぎ話だ。


「小さい頃、よく読んでた。大好きだったんだ」


「……さっき、言ってた本か? 親父さんに、焼かれたっていう……」


彼女の心の傷をえぐってしまわないよう、ルークは慎重に、リラに問いかけた。


「……うん」


パラパラとページをめくるリラ、その目は、児童書に描かれている、舞踏会をする人々の絵に釘づけだ。


ずっとずっと憧れ続けた、綺麗なお姫様。

素敵な王子様、舞踏会、美味しい食べ物。

小さい頃に自分をときめかせたものが、次々と全身を駆け巡る。

長い間忘れていた、きらきらとした感情が、リラの胸をふくらませた。


ほう、と恍惚としたため息を漏らし、リラは本を閉じる。

その本は、いまだにその胸に抱えたままだ。


「買ってやろうか?」


「……え」


「欲しいんだろ、それ」


きょとん、とした顔でルークを見つめるリラ。

まさか、そんなことを言われるとは思っていなかったようだ。


「いいの?」


「ああ、もちろん」


ルークはそう言うと、荷物袋から財布を取り出し、すいません、と店番を呼んだ。

店番に硬貨を支払うと、ルークは照れながらも、リラに微笑んだ。


「……もう、リラは龍族の掟に縛られることはないんだ。一緒に楽しいことをいっぱいしよう。一緒に美味しいものをいっぱい食べよう。一緒に、さ」


そこまで口にして、彼の顔は林檎(りんご)のように朱く染まる。


「ルーク……」


つられて朱くなりながら、リラが感謝の言葉を紡ごうとした、その時。


「お願いします、町長さま! おやめください!」


唐突に響き渡る、甲高い叫び声。

どうやら、若い女性のもののようだ。


「ええい、うるさい。この町がどうなっても良いのか! 生贄は、町の安寧を守るために捧げるのだ、無駄にはせん」


対してこちらは、壮年の男性の声である。

男性にしては少々高めで、どことなく胡散臭(うさんくさ)さが漂っていた。


何事かと振り返ると、そこには、ひざまずくように小太りの男性にすがる、弱々しい女性の姿があった。


「町長さま! どうか、どうか息子は、クリフだけは……!」


よく見ると、町長と呼ばれている男性の腕の中には、男の子が抱えられている。

7、8歳ほどだろうか。眠ったように、ぐったりとして動かない。


「お願いです、町長さま……あっ」


町長は、女性の話をこれ以上聞くのは無駄だと判断したのか、なおもすがりついてきた彼女を、思い切り振り払った。

その反動で、女性は大きく尻餅をついてしまう。

そんな彼女を振り返りもせず、町長は男の子を抱えたまま、足早に歩み去っていった。


「お姉さん、大丈夫?」


一部始終を見ていたルークとリラだが、真っ先に女性の元へと駆け寄ったのは、リラだった。続いて、ルークも後を追う。


「え、ええ……ありがとう」


女性は、リラの鱗や角に驚きながらも、彼女の手を借りて立ち上がる。

そして、町長が消えていった方向を、悲しげな眼差しで見つめた。


「なにが、あったんですか」


ルークがそう問いかけた時にはすでに、女性の頬は涙で濡れていた。








「生贄……じゃあ、ステラさんの息子さんは、生贄として連れて行かれたってことですか?」


芳しい香りを漂わせる紅茶を注いでもらいながら、ルークは尋ねた。


ステラと名乗った女性は、こんなところで話すのもなんだから、とルークたちを自宅に招き入れ、先ほどの一件の事情を話した。

ステラの話によると、このサランの町の町長ガントは、数年前から町の人間を、「生贄」と称して連れ去るようになったらしい。

そして、今回の生贄として連れ去られたのが、ステラの息子のクリフだった。


「ええ……私たちがこの町に住み始めた頃は、町長さまはあんなお方じゃなかったわ。誰にでも優しくて、私たち住民の話をよく聞いてくれる、素敵なお方だった。一体、なにが町長さまを変えてしまったのか……」


ステラはそう言って、深いため息をつく。

その瞳には、まだ涙の粒が残っていた。


「じゃあ、そのガントって奴の家に行けば、連れ去られた人たちがいるんじゃないかな? 」


リラは、温かい紅茶に砂糖を溶かしながら言った。

カップに添えてあったスプーンでくるくると撹拌(かくはん)すると、一口、それを口に含む。だが、目線はステラに向いたままだ。


「……いいえ。以前、確かめに行った人たちがいたらしいんだけど、生贄として捕まっている人は見つからなかったそうよ。その上、その中のひとりが、町長さまの家に無断で踏み込んだ罰として、牢屋に入れられてしまったらしいの。だから、どうすることもできなくて」


「そんな……」


それきり、ステラは黙り込んでしまう。

なんと声をかけて良いのかわからず、ルークとリラは、互いに顔を見合わせることしかできなかった。








「なんとか、してあげたいよね」


「ああ」


足元でざくざくと音を立てるのは、目の荒い、小石混じりの黒い土。

ふたりは、町の北東にある洞窟を目指していた。


__山のふもとにある洞窟で、生贄を監禁してるらしいぜ。なんでも、宿屋の女将さんが、町長が生贄を抱えてその洞窟に入っていくのを、見たっていうんでさあ。


町の大通りで露店を出していた道具屋の商人は、そう言った。

ステラの家をした後、町にいる人々に手当たり次第に話を聞いた結果、唯一仕入れた情報である。


「でも、とりあえず手がかりはつかめたんだ。……行くしか、ない」


赤い衣の胸元を掴み、服の中に空気を取り込んで身体を冷やしながら、ルークが言った。

彼の頬を流れ落ちた汗が、首筋へと伝う。


「わかってる。でも、その前に」


リラも額に浮かんだ汗を腕で拭い、腰から短剣を抜いた。

ほとんど同時に、ルークも剣を抜く。


耳に飛び込んでくる不快な雑音は、魔物の唸り声。


「あんまり、体力を無駄に消費するなよ? この洞窟で何があるか、わからないんだ」


「これからって時に身体中汗まみれにしておいて、何言ってんのさ。そっちこそ、途中でくたばらないでよね。……頼りに、してるんだから」


リラの言葉に、少しだけ口元を綻ばせると、ルークは地を蹴った。








静寂の中に、かつん、かつん、と足音が響く。

山の麓の洞窟は、油灯(カンテラ)がなければ、一歩先も判然としないほど暗かった。


あれから魔物を斬り伏せ、洞窟へと潜入したルークとリラ。

しかし、洞窟の中で何度も魔物の襲撃に遭ったため、彼らは肉体的にも精神的にも、疲れ果ててしまっていた。


「この辺でちょっと休もうか、リラ」


「う、うん」


これ以上歩き続けるのは、自分はともかくリラが危険だと判断し、ルークはその場に彼女を座らせた。

自分も、その隣に座る。


足を投げ出し、きつく目を閉じる彼女を、ルークはじっと見つめた。


龍族の力を持っているとはいえ、やはりリラは女の子だ。

もともと剣術で鍛えていたルークよりも、その体力ははるかに少ない。

その小柄な体に無理をさせてしまったことに、ルークは罪悪感を覚えた。


(……そうだ)


ふと思いつき、がさごそと荷物袋の中を探る。


「ルーク?」


「リラ、これを飲んで」


ルークが手渡したのは、小さな瓶に入った透明の液体。


「なに、これ」


「さっき、道具屋のおじさんにもらったんだ。 失った体力を、回復してくれるんだってさ」


リラは小瓶をおずおずと受け取ると、栓を開け、口に含む。

こくん、とそれを飲み込むと、あれほどだるかった身体が、嘘のように軽くなっていく。


「……どう?」


半分ほど飲み干したところで、ルークが尋ねてきた。

返事のかわりに、リラはにっこりと笑い、大きく頷く。

そして、はたと気づいた。


「ご、ごめん! こんなに飲んじゃった」


「別にいいよ。俺は大丈夫だから」


「大丈夫じゃないっ! ルークも疲れてるんでしょ? とにかく、残りはあんたにあげる」


リラは、ずいっ、と目の前に小瓶を差し出してくる。どうやら、何を言っても聞かなそうだ。

小瓶を受け取ったルークは、まあいいか、と自分もそれに口をつけた。

ほのかな甘みが喉を通り抜けた、その時。


「‼︎」


胸が悪くなるような絶叫が、聞こえた。

ふたりは、跳ねるように立ち上がる。


「ルーク、今の」


「ああ、下の方からだな。行こう!」


言うが早いが、リラは体に満ち溢れた力をもてあそぶように、全速力で駆け出す。

その速度に驚きながらも、ルークは彼女の後に続いた。








「あ……ああ……」


目の前で、祭壇に張り付けられた人間が燃えていく。

断末魔の残響と、肉の焦げる嫌な臭いが、その場を支配する。

幼いクリフには、衝撃が強すぎる光景だった。


引きつった声を上げることしかできない少年を、彼の前に立つ小太りの男が舐めるように見回す。


「さあ、次はお前の番だ。こっちへ来い」


男性にしては少々高めで、どことなく胡散臭(うさんくさ)さが漂う声だ。


「町長さん……。どうして、こんなことをするの」


「貴様のような小童(こわっぱ)が知ることではないわ。さっさと来るんだ」


小太りの男、町長ガントは、ゆっくりとクリフに近づいていく。

逃げようにも、小さな身体には縄がかけられており、満足に動くことができない。


「い、いや……だ。たす、け」


絞り出すように発した声は、ガントの靴音に吸い込まれて消えた。


あの真っ赤な炎に、その身をかれたら、どうなるのか。

それがわからないほど、クリフは子供ではない。

その先にあるのは__


死。


クリフの顔は、恐怖に歪んだ。


ガントの冷たい手が、クリフの腕をつかもうとしたその瞬間、突然ふたつの足音が辺りに響き渡った。


「そうはさせないよ、ガント!」


深緑の髪が踊り、ガントの胸部に、強烈な回し蹴りが炸裂する。


「がはっ……な、なんだ貴様は」


「ふん、あの世で神様にでも聞きなっ」


ちゃり、と首飾りを鳴らしたリラは、ふわりと軽やかに着地する。

先ほどの一撃でガントが咳き込んでいる間に、彼女は腰の短剣で、素早くクリフの縄を切った。


「さ、逃げて。ここを上った先にある脇道で、待ってて。そこなら、安全だから」


紅いの瞳の中、縦長の瞳孔に見つめられ、クリフは身を固まらせた。

しかし、リラが優しく微笑むと、彼は頷いて走り出す。


「やっぱりここにいたのか、ガント」


遅れてルークも到着し、眼前に鋼の剣を構えた。


「町の人から話は聞いた。生贄を捧げる理由は、なんだ」


彼は単刀直入に、そう尋ねる。

やがてガントは、呼吸が乱れてしまった胸を押さえながら、よろよろと立ち上がった。


「お、おのれ……今に見ていろ。私に逆らったことを後悔させてやる」


彼は、ルークの問いかけには答えず、声と同じく胡散臭(うさんくさ)さが張りつけられたような顔に、にやついた笑みを浮かべる。


「__様! 届いたでありましょう、先ほどの贄が。どうか私に、新たな力をお与えください!」


ガントは声高に、まるで演説をするかのように叫んだ。

すると、突然辺りの空気が、禍々(まがまが)しいものに変わる。

何事かと身構えるルークとリラの頭上で、声が響いた。


『ガントよ……先刻の贄、確かに受け取った。三年(みとせ)の間、ご苦労であった。そなたの捧げた生贄は、すでに百を超えている……よかろう、そなたの願い、引き受けようぞ』


頭の中に直接響いてくるような、重々しい声。

残念なことに、名前はよく聞き取れなかったが、この声の主が、ガントが口にした「__ 」なのだろうか。


「おお……では、お与えくださるのですね、不死の術を」


ガントの声は、喜びに震えた。

そんな彼とは裏腹に、ルークは眉をひそめる。


「不死の術、だって?」


「ああ、そうとも! 生贄を捧げ続ければ不死の術を与えてくださると、この方は私におっしゃったのだ。これで……これで、私は永遠にこの町を支配することができる。いいや、ゆくゆくは世界をも……!」


いやらしく顔を歪め、ガントは大仰に手を広げる。

まるで、この場にはいない自身の主を、たたえているようだった。


「さあ、私にお与えください、さらなる力を。悠久の時を生きる力を!」


瞬間、ガントの身体が光に包まれる。

それは、神聖さなど微塵も感じさせない、邪悪な光。


「させるかっ」


途端にルークは、駆け出した。

この禍々しい儀式を止めるべく、光をまとったガントに向かって剣を振り下ろす。

しかし、その鋭い刃先は、見えない壁が邪魔をしたかのように、大きく弾かれてしまった。


「うわあっ」


「ルーク!」


反動で大きくよろけたルークは、その場に手をついた。

リラが、とっさに彼に駆け寄る。


やがて、ガントを包んでいた光は、その輝きを弱めていく。

邪悪な光が、辺りに散るようにして消えた。


そこに、立っていたのは。


「ド、ドウ……シテ」


醜い猪の姿をした、魔物だった。


「ワタシ……ハ、ふしノちからヲ、テニいレタイ、ト」


『思い上がるでないわ、人間風情が。もとより、不死を授けるつもりなどない。そなたには、その醜い姿が似合いだ』


嘲笑うように投げかけられた主の言葉を、魔物と化したガントは薄れゆく自我の中で聞いた。


「ソン……ナ……ウ、ウソダ、ウソダアアアアア!」


「こんな、ことって」


リラの身体は、かたかたと震える。


『世界をも支配する力、だと? 笑わせるな。この世界の支配者はただひとり、我のみぞ』


最後に冷たく一瞥(いちべつ)を投げ、主はその気配を消した。


後に残されたのは、悲しい末路を辿った魔物と、衝撃に身を震わせるふたり。


(に、人間を魔物に変えるなんて)


目の前で起こった、にわかには信じがたい光景が、ルークの脳内を侵していく。


ふーっ、ふーっ、と生臭い息を吐き出す魔物のガントは、すでに自身を失っていた。

理性もなく、ただ本能のままに、その鋭い爪を振り上げる。

その標的となったのは、祭壇の前に立ちすくんでいた、リラだった。


「くっ」


ルークはリラの腰に手を伸ばし、思い切り自分の方に引き寄せた。

その拍子にバランスを崩し、彼女共々後方へと倒れこむ。

身体を地に打ち付ける瞬間、ルークはリラの頭を自身の胸に押し付け、彼女の衝撃を減らした。


「なにボーっとしてるんだ、リラ! 相手はもう人間じゃない、凶暴な魔物なんだ!」


「うん、ご、ごめん」


弱々しい声で答えたのとは裏腹に、リラはルークの上から素早くその身を起こし、立ち上がる。

続いて、ルークも立ち上がった。


ルークは、ガントに向かって走り出すと、すれ違いざまに鋼の刀身を叩きつける。

しかし、肥え太った体躯からは想像もできないほど、その皮膚は硬く分厚い。

渾身の一撃は、あっさりと弾かれてしまった。


「ちっ」


「ルーク、離れてっ」


リラの言葉に、ルークはその場を飛び退いた。

その瞬間、彼が立っていたまさにその場所に、灼熱の炎が吹きつけた。

リラが吐いた、紅の炎だ。


「ぐおおお!」


「いいぞ、効いてる!」


だが、叫び声をあげたのも束の間、ガントはいとも簡単にその炎を振り払う。

そして、お返しとばかりに、大きな牙が覗く口から冷気を吐き出した。

それは鋭い氷の粒となり、ルークとリラに殺到する。

ふたりの身体にまといついた氷は、その肌にいくつもの小さな裂傷を刻むだけでなく、身体を芯から冷やしていく。

裂氷を真正面から受けたリラが倒れ、後を追うようにルークも膝をついた。


リラが崩れ落ちる瞬間、ガントは、太く長い尻尾で彼女を縛り上げた。

全身に傷を負ったリラに、鋭い痛みが襲いかかる。


「あああああっ!」


「リラ!」


ルークはなんとか立ち上がろうとするが、ひどい凍傷に苛まれた体は、思うように動かない。


「くそっ……リラを、リラを離せ!」


ありったけの力を込め、白い息とともに吐き出したその声は、哀れなほどにれていた。


ガントは、刃のように鋭利な爪を、リラの眼前に構えた。

その先端は、彼女の無防備な胸元の奥、早鐘(はやがね)のように脈打つ心臓を目指す。


(身体が、身体が……熱い)


迫り来る死の恐怖に、鼓動の音がうるさく全身に響く。

だが、身体を駆け巡る感覚は、それだけではなかった。


リラは、確かに感じていたのだ。

胸の奥から湧き上がる、得体のしれない力を。




リラの胸が貫かれる瞬間、ルークは思わず、目をそらした。

だが、彼の耳に飛び込んできたのは、魔物の悲鳴。


「……な」


視線を戻したルークが見たものは、尻尾を半分なくした魔物。

そして、緑色の鱗を持った、龍だった。


緑の龍は、痛みに喘ぐガントを静かに見据える。

その紅玉の瞳に、ルークは見覚えがあった。


「リラ……?」


ルークの声が届いたのか、龍は、長いひげをたたえた顔をこちらに向けた。

彼を見つめる熱い眼差しは、紛れもなくリラのものだ。


龍の姿をしたリラは、ガントの方へ、キッと視線を戻す。

そして、轟音とともに炎を吐き出した。

いつもリラが吐き出しているものとは違う、青い炎。

それはガントの全身を包み込み、神聖な輝きをって灼き尽くしていく。


(なんて……なんて、綺麗な炎なんだ)


ガントが断末魔をあげながら灼かれていく様子を、ルークはぼんやりと見つめていた。








ガントは、たおれた。

しかし、戦場となっていた洞窟の最奥には、灰やすすは微塵も残っていない。

まるで、リラの青い炎が、ガントを封滅させてしまったかのようだ。


「君は……」


ルークの呼びかけに、龍はゆっくりと振り返り、優しげな瞳で彼を見つめた。

瞳の中にたずさえた縦長の瞳孔は、ルークの姿を認めると、わずかに広がる。

そして、長い睫毛を伏せ、静かに目を閉じた。


龍と化していたリラの身体は、唐突にまばゆい光に包まれる。

光がおさまると、そこには、元の姿のリラが横たわっていた。


相変わらずリラは傷だらけで、苦しそうに目を閉じている。

その身体は、ぴくりとも動かない。


表しようのない不安に駆られたルークは、ようやく動くようになった身体で彼女に近づき、抱き起こした。


「……リラ、大丈夫か。リラ!」


やがて、リラは小さく呻くと、ゆっくりとその目を開く。


「ルーク、あたし……」


ルークの腕の中に、小柄なリラはすっぽりとおさまっている。

先ほどの龍と同じ存在だということなど、その弱々しい姿からは、にわかに信じがたい。

次々に、不思議なことが起きたのだ。心の整理が、つくはずがなかった。


だが、今は。


「よかった、無事で」


「ど……したの、ルーク」


「死んでしまうかと、思ったんだ。僕の目の前で」


リラが生きていたというその事実を、素直に喜びたかった。


彼女の体温を両腕に感じながら、ルークは、その細い肩に顔を埋めた。








「ルークさん、リラさん、本当にありがとうございました」


ステラは、その腕に愛しい我が子を抱きながら、何度も頭を下げる。

彼女の頬に流れるのは、ふたりが以前に見たものとは違う、嬉し涙だ。


ルークとリラは洞窟での戦いの後、リラの言いつけ通りに脇道で待っていたクリフを連れ、ステラのもとへと急いだ。

町に着く頃にはもう夜になってしまっていたが、彼女は家の前で心配そうに待っていた。

ステラはクリフの姿を見た瞬間、か細い声をあげながら泣き崩れ、何事かと集まってきた住民たちも、母子の様子に涙を誘われたものである。


「明日の夜には、この町に平和を取り戻しくれたあなたたちを讃えて、ささやかながら宴を開くことになったの。よければ、楽しんでいってね」


「宴、ですか」


「ええ、村のお役人さんが計画してくれたのよ」


ステラはそう言うと、口元に手を当てて笑った。

こうして彼女の笑顔を見ると、自分たちが成し遂げたことに、改めて感慨を覚える。


「でも、なんだか恥ずかしいなあ」


リラは、八重歯を覗かせて、照れたように笑った。


戦いの後、動くことすらできなかったリラは、ルークが小瓶に入った不思議な液体の残りを飲ませてくれたおかげで、なんとか体力を取り戻した。

それでもなお満身創痍だった身体は、彼女のお手製の塗り薬で、すっかり治ってしまっている。

以前に、リラの炎でルークが火傷を負った際、つけてくれたものだ。


「うふふ。美味しいお料理を、たくさん作ってあげるわね」


ステラは両手で拳を作り、むん、と体の前に構える。

リラも彼女の真似をし、それから片方の拳を上空へ突き上げた。


「あたしもお手伝いしたい!」


「リラ、料理できるのか?」


「もっちろん! そうだ、ルークの好きなもの、作ってあげようか。なにがいい?」


「そうだなあ……」


盛り上がるふたりを、ステラは微笑みながら見つめる。

新婚さんみたいね、とリラに耳打ちすると、彼女は全身の血を顔中に集めたかのように、赤面した。










あちこちで聞こえる賑やかな声に、ぱちり、と焚き木のぜる音が混じった。


宴はまさにたけなわ、といった雰囲気で、幾つも並べられた卓には、新しい料理や酒が運ばれてくる。

飲み物を手にしたルークは、木陰にぽつんと佇むリラを見つけ、彼女に歩み寄った。


「もう、食べないのか?」


「さすがにもう食べられないよ、あんなに食べたんだもの」


リラの口ぶりに、思わずルークは苦笑する。


彼女は宴が始まるやいなや、大量の料理を皿に取り分け、さらにそれをぺろりと平らげた。

まるで底なし沼のような胃袋に、ルークや町の住民たちは、度肝を抜かれてしまった。


ルークはリラの横に腰掛けると、宴を楽しむ人々をぼんやりと眺める。


「町長を失って、この町はどうなるんだろう」


人々を苦しめていたとはいえ、町を治める役割の町長を失ったのだ。

そう簡単に、立ち直れるものものではないだろう。


「大丈夫だよ、きっと」


だが、リラは確信を持って言った。

どうして、と問いかけるように見つめると、彼女は優しげな瞳でルークを見返す。


「ガントの極悪っぷりをよ〜く知ってる男の子が、『ぼくは、みんなが仲よくくらせるような、へいわな町をつくるんだ!』って張り切ってるからね」


「……それもそうだな」


その『男の子』が誰のことを言っているのか、ルークは聞かずとも理解することができた。


町を治める者としての悪例を痛感した彼ならば、きっと大丈夫だろう。


ふたりは微笑みながらしばらく見つめ合っていたが、ほとんど同時に、視線を前方へと戻す。

宴は、未だに終わる気配を見せない。


「……なあ、リラ」


「ん?」


ルークは、遠慮がちに声をかけた。


「さっきの、洞窟でのこと。君って、あんなにすごい力を持っていたんだな」


その言葉に、リラはわずかに動揺する。


「べ……別に、すごくなんてないさ。あたしも、自分があんなふうになるなんて知らなかったし」


リラの声は、やけに濁った雰囲気を漂わせていた。彼女の動揺は、どうやら照れているためではないらしい。

ルークは、おや、と不思議に思いながらも、それ以上は聞かないことにした。


二人の間に、沈黙が流れる。


いつのまにか、辺りには軽快な音楽が流れ出していた。

町の住民たちは焚き火を囲み、その軽快なリズムに合わせて踊っている。


ちらりと横目でリラを見ると、彼女は視線を落とし、表情を曇らせていた。

その瞳には、焚き火の揺らめきだけを映している。


ルークは、ふいに立ち上がった。

そして、そのままリラの方へと、自身の右手を差し出す。


彼女には、笑っていて欲しかった。

どんな宝石よりも美しい瞳に、少しでも、自分を映して欲しかった。


「リラ、一緒に踊らないか」


「……え」


リラは、ぽかん、とした顔でルークを見上げる。


「夢だったんだろ、こういうの」


ルークは彼女から目をそらし、少々ぶっきらぼうに言葉を紡いだ。

そんな彼の様子に、リラはつり上がった目を嬉しそうに細める。


そっと重ねた手は、自分より一回り大きく、温かかった。




舞踏会で綺麗に着飾った自分を見つめてくれるのは、背が高くて格好良い王子様。

自分は王子様の手を取り、踊り出す。

それは、ずっとずっと、幼い頃から憧れ続けた光景。


しかし、今のリラは薄汚れた格好で、綺麗に着飾ってなどいない。

おまけに目の前にいるのは、王子様でもなんでもない、ごく平凡な少年である。


思い描いてた夢とは、何もかもがかけ離れていた。


(……ねえ、ルーク。今、あんたと踊っているあたしの身体には、バケモノの魂が宿っているんだよ)


突如として覚醒した、未知の力。

あの時リラは、意識はあったものの自我を保つことができなかった。

ただ、本能に従い、炎を吐いただけ。

その炎は、一瞬にして相手を消滅させた。それほどの威力をもっていたのだ。


まるで、バケモノ。


自分のこんな姿を目の当たりにしたルークは、どう思っているだろう。


ふいに、彼と視線がぶつかった。

金色の瞳は、自分をまっすぐに映している。


「……あのさ。なんかあったら、いつでも僕を頼ってくれよ」


「なに、いきなり」


彼は、答えてくれなかった。

そのかわりに、繋いでいた手を、いっそう強く握る。


リラの心臓が大きな音を立てて跳ねた。

その音を合図にしたかのように、鼓動は高鳴りはじめる。


(あたしのこと……拒絶、しないんだ)


慣れないステップを踏みながら、彼女はもう一度、ルークをちらりと見た。

彼もまた、つまずきそうになりながら、必死に体を動かしていた。


ルークの姿は、お世辞にも格好良いとは言えないけれど。

今は、誰よりも温かく、優しい心を持った彼に、その身をゆだねていたかった。


(王子様って、案外近くにいるものなんだね。……そうでしょ? ルーク)


リラは、自然と染まる頬を隠すように、うつむいた。








「お世話になりました」


ルークとリラは声をそろえ、ステラに頭を下げる。


「いいえ、こちらこそ、本当にありがとう。またいつでも、この町に来てね」


宴の後、ふたりはステラの勧めにより、彼女の家に泊めてもらうことになった。

そうして賑やかな夜が明けた後、日が高く昇らないうちに、出発することにしたのである。


「ごめんなさいね、クリフも挨拶できたらよかったのだけれど」


「クリフくんは、まだ休んでいた方がいいよ。あたしも、さよならくらいは言っておきたかったけどさ」


隣の寝室では、クリフがぐっすりと眠っている。

彼ならいつかきっと、誰もが安心して暮らせるような、住みやすい町を作ることができるだろう。

穏やかな寝顔を見ながら、ルークとリラは、そう思った。


「ファロン王国は、ここから南に下ったところにあるわ。険しい道のりだから、気をつけて」


次の目的地、ファロン王国は、世界で随一の軍事国家だ。

城の隣に位置する塔には、不思議な力をもった宝玉があるという。

ステラからその話を聞いたふたりは、『純魔石』の手がかりを求め、ファロン王国を目指すことになった。


「ありがとうございます。ステラさんも、お元気で」


ルークは再び頭を下げ、扉を開けた。




ふたりは、宴の余韻がわずかに残る、静かな町を歩く。


「素敵だね、人間って」


静寂を破ったのは、リラだった。

ルークは黙って続きを促す。


「もっと、いろんな人に出会いたい。いろんなものを見たい。……一緒にね!」


にっこりと笑うリラに、ルークも微笑んだ。


「ああ、一緒にな」




雲ひとつない空に昇りはじめた太陽は、ふたりの旅立ちを、静かに見つめていた。

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