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時の花束

今回は、およそ2万字の長編となっております。

お時間はかかりますが、どうか楽しんでいってください。

ルークは、悩んでいた。


「……買えない」


小瓶に入った飲み薬ひとつと、明日の分の食料。

どちらも、長旅には欠かせないものである。

しかし。


「買えない!」


商品を前に頭を抱え、うなだれるルーク。

がしがしと頭を掻くと、短い茶色の髪は簡単に乱れてしまった。


「……どうする?」


彼の横で、美しい艶をたたえた深緑の髪が、さらりと揺れる。

紅い瞳で覗き込んできたリラは、考えあぐねているルークを心配そうに見つめた。


その後きっちり20分、彼らは店の前で悩むことになる。

店番が、困り果てた様子でやってくることでようやく、ルークはそっと、飲み薬の瓶を棚に戻した。




ステラに別れを告げ、サランの町を去ったふたりは、ファロン王国にたどり着いた。


ここは軍事国家だと聞いていたが、城下町は賑やかな雰囲気に包まれていた。

町の中央に置かれた噴水のそばでは子供たちが元気よく駆け回り、主婦たちが談笑している。


あちこちに置かれた店にも、様々な商品が取り揃えられ、買い物客が大勢訪れていた。


「ところでさ、ルーク。どうして、今あたしたちはお金に困ってるんだろうね。無駄遣いとか、全然してないのに」


道具屋を辞し、城下町の大通りに敷かれた石畳の道を歩きながら、リラはルークに問いかけた。


「うーん……な、なんでだろうな?」


彼女の質問は、なかなか答えにくいものであった。

特に、そう聞いてきた本人が原因である場合には。


自分では自覚がないようだが、この少女はそれなりの大食らいなのだ。

龍族(りゅうぞく)であることも関係しているのか、ルークの倍の量をぺろりと完食してしまう。

初めて彼女と出会った時も、荷物袋の食料が半分近く消え失せ、胃が痛んだものである。

もともと、ひとり分しか持っていなかったルークの手持ちのお金は、底をつきかけていた。


「……まあ、リラは心配しなくても大丈夫だよ」


とりあえず、そう答えておく。


やっぱり働いた方がいいのかなあ、とルークは独りごちた。








「ほう。ではお主らは、我が城の隣の塔を見学させてほしい、と」


要塞のような城の中、静まり返った玉座の間に、威厳のある声が響く。


今この場にいるのは、ルークとリラ、見張りの兵、そして、この国の王。

赤い絨毯の上にしつらえられた、豪奢(ごうしゃ)な玉座に腰掛けているのが、ファロン王その人である。彼は、戦装束に身を包んだ壮年の男性だった。


「はい。研究の資料にさせていただきたいのです」


うやうやしく頭を下げながら、ルークは王に告げた。

彼らは、公の場では考古学者を名乗ることにしている。

これは、ルークたちが『純魔石』を探していることを隠すための策だ。『純魔石』は、人々の間ではもはやおとぎ話とされている。ステラのように、ルークたちの話を信じてくれる人は、ごくわずかしかいないのだ。


「……しかし、あいにく塔は、取り壊す予定になっておってな。今は立ち入り禁止なのだ。それに__ 」


「取り壊しなど、絶対に、ならん!」


王の言葉を遮るように、張りのある大声が響き渡った。


何事かと後ろを振り返ると、いつの間に入ってきたのか、そこにはひとりの男が立っていた。

長い銀髪を首の後ろで束ね、しわが刻まれたその顔は、鼻筋の通った顔立ちをしている。王を睨む少し細めの目は、透き通った緑色だ。


先ほどの大声の主は、驚いたことに老爺ろうやだったのである。


「ラディオス殿……人の話に横槍を入れるとは、感心しませんな」


「王。今、塔は取り壊す予定になっていると申したな。まだ、その考えを改めてくださらんのか」


ラディオスと呼ばれた老爺の口調は、一国の王に対するものとは思えないほど、砕けたものだった。

しかし、それを気にする様子もなく、ファロン王は苦笑しながら答える。


「そなたこそ、いい加減こちらの考えを認めはてくれまいか。そなたも聞いたであろう、あの塔の噂を」


「噂? 不思議な宝玉のこと?」


リラが尋ねると、ファロン王は目を伏せ、額に手を当てた。


左様さよう。近頃、城の隣の塔で行方不明者が出始めたのだ。実は、塔の最上層には、黄色に光り輝くという宝玉があるらしくてな。おそらくそれのせいではないかと言われておる」


「そんな宝玉など、聞いたことがないわ。所詮ただの噂話だ、その行方不明者とやらは床に空いた穴から地下牢にでも落ちたんじゃろう」


ラディオスの不機嫌そうな物言いに、ルークはふと違和感を覚える。

もしも彼が最近塔に入ったのならば、宝玉のことを「見たことがない」と言うはずではないだろうか。


「とにかく、そんな気味の悪いものを放っておくわけにもいかん。今は立ち入り禁止という措置をとっておるし、私も近いうちに、塔に赴き噂の真相を確かめるつもりだ」


「では、わしも同行させていただこう。もし、何もなかったら、その時は塔の取り壊しを中止してくださるのだろう?」


ラディオスは、ファロン王に問いかけた。

しかし王は、首を横に振る。


「どにらにしろ、塔の取り壊しは中止せん。そなたもわかっておろう、この塔がどれだけ忌まわしいものであるのか」


王がそう言うと、ラディオスはその顔を憎々しげに歪めた。

しわの深い顔の中心、彼の眉間に、新たな皺が刻まれる。


ルークとリラも、その場のただならぬ雰囲気に、黙っているしかなかった。

しばしの沈黙の後、ファロン王は静かに口を開く。


「話は終わりだ。ラディオス殿、どうか考えを改めてくれ。……旅の者、すまないが、そういうわけなのだ。塔への見学は諦めて、ここはお引き取り願えるか」


ラディオスは小さく舌打ちをすると、ずんずんと大股で、玉座の間を出ていく。

ルークとリラのふたりも、そんな彼を見送った後、王に頭を下げ、その場を後にした。








「どう思う? ルーク」


「どうって?」


顎に手を添わせ、リラが尋ねる。

ふたりは城の隣、噂の塔の前に立っていた。


「だから、その塔の石が『純魔石』だと思うか、ってこと」


「どうだろうなあ。でも、『不思議な力をもった宝玉』だなんて、そうそうあるものでもないだろ」


「……そうだね。さ、それを確かめるためにも、乗り込もうか」


リラは、右手を胸の前に持ってくると、むん、と構えた。

そんな彼女の目の前には、支柱に何重にもかけられた縄と、『立入禁止』と大きく書かれた札が、まるで門番のように立ちはだかっている。

それらを指差し、ルークは呆れたように笑った。


「これでもか?」


「これでもさ」


鱗が浮かび上がった細い足は、軽々と縄を超えた。ルークも、それに続く。


塔の入り口をくぐると、辺りはひんやりとした空気に包まれていた。

白い石造りの塔は、相当古いものであるらしく、石材が削れて積もったちりが、あちらこちらに見られる。

立ち入り禁止になってどれくらい経つのかはわからないが、壁に設置された油灯(カンテラ)はすべて消えていた。


「気をつけろよ、落とし穴とかがあるかもしれない」


「わかってる」


ふたりは、薄暗い塔の中を慎重に進んでいく。

しかし、内部の構造は簡素で、すぐに上の階層へと続く階段を見つけた。


ルークとリラは、互いに顔を見合わせると、ほとんど同時に頷く。それは、「行こう」という合図だ。

ふたりの足音が、かつん、かつん、と静寂の中に響き渡った。




民家にして五階層分の高さをもつその塔だが、最上層にたどり着くのに、そんなに時間はかからなかった。


最後の階段を上ると、仕切りも何もない空間が、目の前に広がる。

下の階層のように部屋には分かれておらず、ただ白い石材が一面に敷き詰められていた。


そして、その部屋の中央に浮かんでいるものは。


黄色い、宝玉。


「あれが……」


それは、幾重(いくえ)にも花弁を重ねた花の形をしており、淡い光を放っている。

透き通るような美しさに、ルークは思わず、感嘆の声を漏らした。


リラも、我を忘れたかのように、その宝玉に見とれている。


「綺麗……」


彼女はゆっくりと歩み寄り、自分よりも頭一つ分高い位置にあるそれに、手を伸ばした。

ルークは、その光景をぼんやりと見ていたが、その宝玉にリラが触れる瞬間、ふと思い出す。

この宝玉にまつわる、不気味な噂を。


「だめだ、リラ!」


ルークはとっさに、リラの左腕を掴み、自分の方へと引き寄せた。

しかし、時はすでに遅く、宝玉は黄色の光を強める。

リラが触れてから数秒と経たないうちに、あたりには目がくらむほどの輝きに包まれた。


「!!」


唐突に、足元の感覚が消失した。

身体中を、むずがゆくなるような無重力感が駆け抜ける。


「……っ」


思わず悲鳴をあげようとしたルークの喉は、息を吐き出すことも叶わず、喉仏が虚しく動く。

慌ててリラの方を見ようとするが、ルークの身体は壊れた絡繰人形(からくりにんぎょう)のように、言うことを聞いてくれなかった。


はちみつ色の輝きの中、ふたりの意識は途切れた。








「……ルーク……起きて、ルーク」


少し高めの、太陽の光のように温かな声は、微睡(まどろ)みの中にいるルークの意識を、優しく目覚めさせていく。


(ああ、母さんの声がする……)


母の看病のために寝台に付きっきりだったルークは、よく母の枕元で眠ってしまったものだ。

それでも母は、うたた寝してしまったルークを無理に起こすことはしなかった。太陽が東の空に登る頃、そっと身体を揺すり、優しい声をかけて起こしてくれた。


そう、ちょうどこんなふうに……。


「……もう少しだけ寝かせてよ、母さん」


寝ぼけた口調でルークがそう言うと、すぱあん、という音とともに、いきなり後頭部に強い衝撃が走る。


「いって」


「誰が母さんよ、寝ぼけてないでさっさと起きなっ!」


夢見心地でいたところに突然の痛みがやってきては、たまらない。ルークは目を白黒させ、勢いよく身を起こした。

ようやくめてきた目に映ったのは、腰に手を当て、仁王立ちでこちらを見下ろすリラの姿。


「え、あ、リ……リラ?」


「まったく……ただでさえ大変な状況だっていうのに、ルークってば呑気(のんき)なんだから」


リラの言葉に、ルークは辺りを見回す。

地面には草が生い茂り、少し先には茶色の土がのぞいている道が見えた。

建物などは全く見当たらず、空を飛ぶ鳥たちの鳴き声くらいしか聞こえてこない。


「ここは……?」


ルークは、額に冷や汗を浮かべて呟いた。

彼らは、先刻までたしかに塔の中にいた。それなのに、彼らは今、見たこともないような場所にいるのだ。

その事実を自分の目で確認し、ルークはしばし、黙り込む。


「……ど、どうしようリラ」


「なんであたしに聞くのさ」


おずおずと発した言葉は、ぴしゃりとリラに一蹴されてしまう。

ふたりして、ため息をついた。


「……とりあえず、適当に歩いてみよう。どこかに着くかもしれないし」


ふた呼吸ほど置いた後、ルークは立ち上がりながらそう言った。

つられてリラも立ち上がるが、可愛らしい顔は呆れたように歪んでいる。


「て、適当って、あんたねえ」


「だって仕方ないだろ」


突然の出来事に混乱しているふたりは、だんだんいらだちをつのらせていく。


と、そこに割り入ったのは。


「大丈夫ですか?」


高く澄んだ、小鳥のさえずりのような声。

振り返ると、少し遠くから、桃色の髪の少女がこちらに向かって呼びかけていた。

彼女はそのまま、小走りでこちらに向かって駆けてくる。よく見ると、少女の後ろには、銀色の鎧をまとった少年が続いていた。


「ひょっとしてあんたら、行き倒れてんのか? 食いもんなら、やらねーからな」


腰に剣をいた少年は、ずいぶんと生意気な口ぶりだ。ルークと同い年か、ひとつ年下だと思われる。

彼は長い銀髪を首の後ろで束ね、鼻筋の通った顔立ちをしている。少し細めの目は、透き通った緑色だ。


「こら、その口調は失礼でしょう! ごめんなさい、気を悪くしないでね」


紫水晶のような瞳をこちらに向け、少女は優しく話しかけてきた。先ほどの少年と、年はそう変わらないように見える。

右手にはロッドを握っており、白地に金色の刺繍を施した魔導師の服を、身にまとっている。彼女は、自らをミランと名乗った。


華奢きゃしゃで、美しい少女だ。その美貌は、ルークだけでなく、同性のリラでさえも魅了する。

ルークとリラはしばらくミランの美しさに見とれていたが、リラはすぐに我に返ったようにミランに歩み寄る。


「……あたしたち、道に迷ってるの。よければ、ファロンまで案内してくれないかな?」


リラがそう言うと、ミランは胸元に手を当て、にっこりと笑う。


「実は、私たちもファロンに向かっているの。だから、一緒に行きましょう。いいわよね、ラディオス?」


ラディオスと呼ばれた、銀髪に緑眼の少年は、しょうがねえなあ、と頭をいた。








「……つまり、あたしたちは過去に飛ばされたってこと?」


リラがこっそりと、隣を歩くルークに耳打ちをした。


「……た、たぶん」


ルークは、自分の前を歩く少年__ラディオスへと視線を向けながら、眉をひそめる。


この場所に来る前、ファロン城で見かけた老爺も、名をラディオスといった。

それだけではなく、髪や目の色など、老爺の外見的な特徴が目の前の少年と酷似している。


さらに、ミランから聞いた話では、ファロン城の隣にある塔は、先日完成したばかりらしい。

ここに来る以前、ファロン城で見た塔は相当古いものであったはずだ。


「あんまり、確証はないけど……そう考えるのが、自然なんじゃないかな」


「そうだとしても、できれば信じたくないかも……」


リラは額に手を当て、ため息をつく。

しかし、嘆いたところで現状がどうにもなるわけではない。そう考え、ふたりは流れに身を任せることにした。


ルークの目の前では、ラディオスが束ねた髪を揺らし、ミランに話しかけていた。

楽しくおしゃべり……というよりは、ラディオスがからかい、ミランがそれに対して頬を膨らませる、といった様子である。


「……ひょっとしてあたしたち、お邪魔虫?」


「え、なんで?」


とぼけたような声を出すルークに、リラは二度目のため息をついた。


(なんでそういうところだけ、鈍いのかなあ)


洞察力はそれなりに鋭い彼だが、色恋に対してはやや鈍感らしい。

リラは、先が思いやられるなぁ、とぽつりと呟いた。




それから30分ほど歩き続け、一行はファロン王国へと到着した。

ルークが何気なく上を見ると、頭上には大きな門がそびえ立っている。それは、元の世界で見たものと変わらず、静かな威圧感をもってそこに立っていた。


「なあ、あんたらもやっぱ傭兵になりに来たの?」


ラディオスがくるりと振り返って、相変わらずの生意気な口調で言った。


初めて耳にする言葉に、リラは首を傾げる。


「ヨウヘイ?」


「なんだ、知らねーのかよ。ファロンではさ、もうすぐ魔物との戦が始まるんだ。その雇われ兵として、俺たちはここに来たってわけ」


ラディオスの話によれば、一週間ほど前、魔物軍の将と名乗る男が、ファロン王国に宣戦布告したらしい。

そのためファロン王は、魔物に対抗しうる能力を持つ人物を、各国から2名以上、傭兵として徴収したという。


そこまで説明したところで、ラディオスはルークの腰にかれた剣をちらりと見る。


「見たところ、あんたも剣士みたいだし、傭兵に志願してみたらどうだ? 金もたんまり、もらえるぜ〜」


ラディオスは、にやりと笑みを浮かべ、自身の人差し指と親指で輪を作った。


(お金、か……)


その言葉を耳にしてルークは、自分のふところが凍りつきそうなほど寒い事を思い出す。

これからも旅を続けることを考えれば、なんとかして手持ち金を増やさなければならない。


あれこれと考えを巡らせたルークは、やがて大きく頷いた。


「……うん。やるよ」


彼の、迷いのない声を聞き、リラが声を上げる。


「ちょ、ちょっとルーク!」


「心配しなくても大丈夫だよ。たぶん、しばらくこの国に滞在することになるから、リラは先に宿に……」


「ひとりだけで行くなんてずるいじゃない。あたしもヨウヘイ、やりたい!」


「……え」


突然の申し出に、ルークは目を丸くする。

しばらくの沈黙の後、彼は慌てて首を横に振った。


「だ、だめだよ、危険な仕事なんだぞ。それに魔物の数だって、いつも相手にしているのより何倍も……」


「あたしがあてにならないっていうの?」


もっともな言葉で遮られ、ルークはぐっ、と口をつぐんだ。

確かに、リラの強さはルークにも引けをとらない。そればかりか、リラがいなければ切り抜けられなかった状況だって、何度も経験した。


しかし、魔物が相手といえども戦場である。

ルークとしては、わざわざ戦場に赴くなど、リラに必要以上に危険な目にって欲しくなかった。だから、彼女が傭兵なることを拒んだのだ。


「傭兵になるなら、その刺青(いれずみ)と頭の角は隠さないとまずいわね。魔物軍からのスパイだって思われちゃうかもしれないわ」


どうするべきか考えあぐねていたルークの耳に飛び込んだのは、ミランの声だった。


(い、刺青(いれずみ)?)


どうやら、ミランたちはリラの肌に浮かび上がった鱗を、刺青(いれずみ)だと思っているらしい。

そうじゃなくて、とルークが言うより先に、ミランが言葉を続ける。


「そうだ、リラちゃん、ちょっとこっちにいらっしゃい。刺青(いれずみ)と角を隠してあげるから」


「……うん、 そうするよ。ありがとう」


リラは話を合わせることにしたのか、素直に頷き、ミランとともに歩き始めた。

ラディオスとルークも、ふたりの後に続く。


「お、なんだなんだ? こいつに何する気なんだよミラン」


「男子禁制っ!」


興味津々、といった様子のラディオスに、ぴしゃり、とミランの声が叩きつけられた。

ラディオスだけでなくルークまで、思わず背筋を伸ばし、立ち止まる。


「さ、行きましょうリラちゃん」


そう言いながらリラの手を取るミランは、心なしか胸を躍らせているように見える。

未だに硬直したままのルークとラディオスをそのままに、女子ふたりは木陰に消えていった。




「なあ、ルーク……だっけ。あんたもさ、大変だな」


「なにがですか」


「気の強い女が一緒だと」


「……はい」


ミランたちを待って、どれくらい経つだろうか。

手近な建物に背中を預け、ラディオスは退屈そうだ。それはルークも同じで、欠伸(あくび)を繰り返している。


「てかさ、なんで敬語なの? 俺とほとんど年が変わらないじゃん、ためぐちでいいよ」


「あ……うん」


年老いたラディオスを知っているためか、この少年と歳が近いといっても、礼儀正しいルークはどうしても敬語で話してしまう。

やりにくいなあ、とルークが首をひねったところで、木陰からミランが姿を現した。


「うふふ、お待たせ」


「おっせーよ。 なにしてたんだよ」


にっこりと笑うミランに、ラディオスは不満げな声をかける。


「さ、出てきてリラちゃん。みんなびっくりするわよ〜」


ミランがそう言うと、茶色と緑の景色の向こうで、赤く揺れる何かが見えた。


おずおずと木陰から出てきたリラは、膝まで届く真っ赤な外套(がいとう)に身を包んでいたのである。


さらに、黒く長い靴下が、彼女の白くほっそりとした脚を太ももまで覆っていた。それだけではなく、左の頰には絆創膏(ばんそうこう)が貼られており、体に浮かび上がった鱗はすべて隠されている。


リラの頭に生えた角は、赤い外套(がいとう)と一続きになった帽子のおかげで見えなくなった。そのかわり、角が帽子の布を押し上げ、ぴょこん、とまるで猫の耳のように張り出している。


リラのあまりの可愛らしさに、ルークは思わず吹き出した。

その途端、彼女の右の頬は、自身が身につけた外套(がいとう)のように紅く染まる。


「な、なに笑ってんのさ!」


「くくっ……ごめんごめん」


謝りながらも、くくくっ、と喉を鳴らして笑うルークに、リラの頬はますます紅くなる。

そして、ずかずかと大股で歩き出した。


「ほら、早く行くよっ! ミラン、傭兵志望者の受付はお城だったよね?」


「そ、そうだけど……お城の場所、わかるの?」


リラはそれ以上なにも言わず、ただ外套(がいとう)の裾をひらひらとなびかせ、歩き続ける。

待ってよー、と小走りでリラを追いかけるミランを横目に、ルークも歩き出した。


結局、ルークの反対も虚しく、リラも一緒に傭兵をすることになった。

ルークは一度ため息をつき、まぁいいか、と嘆息する。


(心配するだけ、無駄だったのかな)


地響きを起こしそうなほど力を込めて歩くリラを見ながら、ルークは微笑んだ。








「そなたらの仕事は、城の隣に建てられた塔の入口付近を守ることだ。あの塔は物見櫓(ものみやぐら)としての役割を果たしておってな、攻められたが最後、上手く指示が通らなくなってしまうのだ。しっかり頼むぞ」


「は。かしこまりました」


兵士長の命令に、一行を代表してラディオスが返事をした。

普段は生意気な口調が目立つ彼だが、かしこまった場面での礼儀は、しっかりとわきまえているらしい。


「採用してもらえてよかったわね、ふたりとも。私も、ふたりと一緒なら心強いわ」


城の大広間を辞し、塔へと向かう道すがら、ミランがルークとリラに声をかけた。


「へへっ、それはこっちだって同じだよ。ミランもラディオスさんも、強そうなんだもの」


「……どうしてラディオスだけ、『さん』づけなの?」


「あ、いや、その……なんとなく」


リラの曖昧な返答に、ミランは小首を傾げる。

しかし彼女は、リラちゃんって面白い子ね、などと言って、朗らかに笑った。


ルークたちが塔に着く頃には、すでにたくさんの傭兵たちが集まっていた。

斧をかついだ筋骨隆々(きんこつりゅうりゅう)の大男や、小柄な狩人(かりうど)の女性など、集まった者たちの職種や出で立ちは様々である。


「……なんか、すごい人たちが集まってるんだな。大丈夫なのかな、僕」


ルークがぽつりと言うと、リラが彼の背中を強く叩く。

彼が突然の衝撃にき込む中、深緑の髪がルークの前にさらりと踊った。


「あんたも、それなりに『すごい人』だよ。見た目は、ぱっとしないけどさ。……自信持ちなって」


「……どーも」


急に照れくさくなって、ルークは視線をあらぬ方向へと向けた。

少しだけ頬を染めた彼が、なんだかとても可愛らしく見えてきて、自然とリラの表情も緩む。


そんなふたりの様子を見て、ラディオスはちらりとミランを見る。


幼い頃から見慣れてはいるが、ミランの華奢きゃしゃ体躯たいくは、もろく儚げだ。

彼女は魔法の能力を認められて徴兵されたが、体力はあまりないのだ。

深手を負ったら、命の灯火はすぐに消えてしまうだろう。


「……なあに? ラディオス。じーっと見つめちゃって」


だから、自分がミランを。


「……厳しい戦いに、なると思う。その……お前のことは、俺が」


まもってやりたいと、そう思った。


ラディオスの言葉を最後まで聞いたミランは、頬を桜色に染め、ゆっくりと頷く。

そして、ありがとう、と小さく呟いた。


ラディオスが、ルークたちには決して見せない柔らかな表情を浮かべた瞬間、敵襲を告げる鐘が鳴り響いた。








自身の右手に掴んだ鋼の剣から、人間のものではない青黒い血が流れ落ちる。

それは、右腕から流れる赤い血と混ざり、ルークの手のひらを濡らした。

血まみれになり、ぬるりとした剣の柄を、落とさないようにしっかりと握る。そこへ、ミランの呪文が聞こえてきた。


ミランの杖から、白く神聖な光がふわりと舞い、ルークの傷口を撫でる。

その光は瞬く間に彼の傷口を塞ぎ、出血を止めた。


「ありがとう。助かった」


「いいえ」


短く交わす言葉は、もう何度目だろうか。

そうしているうちに、また新しい魔物の軍が攻めてくる。


ラディオスの唇から呪文が紡がれると、彼の左手から、拳ほどの大きさの火の玉が飛び出した。

それは、魔物たちを紅く照らしたかと思うと、その身体の隅々まで焼き尽くし、半分以上を壊滅させる。


ラディオスの魔法を受けてもなお生命力を失わない魔物が、リラの前へと迫る。

リラは素早い身のこなしで魔物の攻撃をかわすと、回し蹴りをお見舞いした。そうして魔物がひるんだところへ、右手に握った短剣を叩き込む。

白銀の切っ先は魔物の分厚い皮膚を切り裂き、息の根を止めた。


「はあ……はあ……」


乱れた息は、誰が漏らしたものだろうか。いや、もしかしたらルークたちのものではないのかもしれない。


剣のぶつかり合う音や、魔法の爆音が次々と耳に飛び込んでくる。その中で、背後にそびえ立つ塔だけが、不気味なほど静けさを放っていた。


魔物軍との戦いは、想像を絶するほど過酷なものであった。

もう戦い始めてどのくらい経つのか、これまで何体の魔物をほふってきたのかわからない。

ルークたちの疲労も限界を見せ始めており、時折ミランがかけてくれる回復魔法がなければ、そろってたおれてしまうのも時間の問題だろう。


「………大丈夫か、ミラン」


「ええ……なんとか」


ラディオスが心配そうに声をかけると、ミランは笑って答えた。

とはいえ、彼女自身も体力と魔力の消耗が激しく、顔は血の気をなくしている。気丈な態度を見せたのは、ラディオスに心配をかけたくないからだろう。


無理するなよ、と声をかける暇もなく、新たな魔物の軍がやってくる。


「ちっ、新手かよ」


憎々しげに放たれたラディオスの声は、魔物たちの聞き苦しい雄叫びで吸い込まれていった。


だが、ルークたちが各々《おのおの》の武器を構えた、その時。


上方から、どおおおん、という凄まじい音が聞こえ、地面が揺れた。

それに紛れて、人間のものと思われる断末魔が、辺りに響き渡る。


振り返ると、白い塔の最上部から、白い土煙が上がっていた。

衝撃で削れた璧材が、ぱらぱらと宙を舞う。


「ルーク、今の……」


リラが、絞り出すようにして言葉を発した。


「ああ、行こう!」


言うが早いが、ルークは地を蹴って走り出す。リラは何も言わず、それに続いた。

彼らは、それまでの疲弊を忘れたかのような軽やかさで、まっすぐ塔へと向かっていく。


「あ、待って!」


ミランも、鉛のように重い身体を動かし、ルークたちのあとを追う。


「おい、持ち場を離れちゃ……」


次々と走り出す3人を見て、ラディオスはとっさに叫ぶ。

しかし、戦場に響き渡る轟音は、ラディオスの言葉をかき消した。


「あーもう、仕方ねえな」


眉間にしわを寄せ、ラディオスは少々いらだった声を出す。

そして、右手に剣を握りしめたまま、ミランの背中を追った。








くすみひとつない石の床を、4対の足が休みなく叩いていく。

彼らは疲れきったはずの身体を気にすることなく、迷わず階段を駆け上がって行った。


最後の階段を上ると、仕切りも何もない空間が、目の前に広がる。

下の階層のように部屋には分かれておらず、ただ白い石材が一面に敷き詰められていた。元の時代で見た部屋と、なんら変わりはなかった。


違ったのは、足元に黒い物体が転がっていたこと。

そして、全身に黒衣を身に纏った人物が、部屋の中央に立っていたことだった。


足元の黒い物体は、2本の腕と脚を持っていたが、どれも無惨にひしゃげていた。あたりに充満するのは、肉の焦げる嫌な臭い。

それは、この物体が本来、焼かれてはいけないはずのものだったということを意味していた。


「あ……ああ……」


あまりの凄惨さに、ミランは震えた声を出す。

ルークも思わず言葉を失ったが、すぐに黒衣の人物に鋭い視線を向けた。


「くっくっく……また、俺様を楽しませてくれる奴らが来たな。わざわざそちらから出向いてくれるとは、光栄だ」


頭の中に直接響いてくるような、重々しい声。

その声に、ルークとリラは聞き覚えがあった。


「あんた、あのときの……!」


サランの町の長であったガントを魔物に変えた、あの男だった。


黒衣の男は、ゆっくりとこちらを振り向く。

リラと同じように、ころもと一続きになった帽子を目深にかぶっており、顔ははっきりとは見えない。

しかし、長い八重歯の覗く口元をにやりと歪ませたその姿は、限りなく禍々(まがまが)しいものであった。


「なんの話だ。俺様は、貴様ら人間のような、なんの能力も持たない下賤な生き物と話した覚えはない」


男の言葉を耳にして、ルークは違和感を覚える。

その声こそ、ガントが崇めていた主に似ているが、この男の声はどことなく若々しい。それだけではなく、口調も微妙に違っていた。


(どういうことだ……?)


ルークの頭の中を、様々な疑問が駆け巡る。

しかし、黒衣の男は自らの手を高く差し上げると、こちらに向かって振り下ろしてきた。


「!!」


「危ねえっ!」


考え事をしていたルークは、反応が遅れてしまう。

ラディオスはとっさにルークの腕をつかみ、後方へと引き寄せた。


男が放った魔法は、先程までルークが立っていたちょうどその場所に炸裂する。

それは青白い稲妻となり、石の床を跳ね返って蛇のように空中に踊った。


あれがもし、自分に当たっていたら。最悪の事態が脳内を走り、ルークは思わず生唾を飲み込んだ。


「……すまない」


「おう」


ラディオスは、短く返事をすると、ルークの腕を離した。

そして、それぞれの剣が、黒衣の男に向けられた。


「それにしても……まずいな。あいつ、これまで戦ってきた魔物とはわけが違いそうだぜ」


「……ああ、わかってる」


ルークがちらりと後方を見ると、リラとミランも、各々の武器を構えていた。


ミランが短く集中すると、彼女の杖の先から青緑色の光が吹きあがる。

ほのかに神聖な香りを纏うそれは、ルークたちを瞬く間に包み込み、清爽な冷たさをもって彼らの身体を優しく撫でていく。

その光が消えると、ルークたちの身体は力に満ち溢れた。


それを弄ぶように、ラディオスが全速力で駆け出す。


「うおおおおっ!」


雄叫びをあげ、ラディオスが黒衣の男に突っ込んだ。

振り上げられた刀身は紅蓮の炎を吹き上げ、火の粉を散らす。

ラディオスは地を蹴り、中空高く飛び上がると、灼熱の刀身を男に向かって振り下ろした。


しかし、男はラディオスの渾身の一撃を、あっさりと素手で受け止めた。


「なっ!?」


そしてそのまま、男は隙の生まれたラディオスの腕を鷲掴みにすると、己のてのひらから衝撃波を放つ。


「がはっ」


ラディオスは勢い良く吹っ飛ばされ、そして床へと叩きつけられる。

金属の鎧が石の床とぶつかり、ガシャンと音を立てた。


「ラディオスっ!」


ミランが慌ててラディオスに駆け寄る。


「ちく、しょう……なんて力だ……くっ!」


ラディオスは起き上がろうとするが、支えにした右腕に激痛が走る。

そのまま、彼の身体は後方に崩れてしまった。


「折れてるかもしれないわ……ちょっと待って」


ミランは、ラディオスに治癒の魔法をかける。

癒しの風が吹き抜け、ラディオスの腕はすぐに元通りになった。


彼が立ち上がるかたわら、ルークが剣を構え、黒衣の男に立ち向かう。

男は、素早い剣先の動きを正確に読み取り、それを受け止めるべく右手を出す。


が、その時。


男の背後から、業火が吹きつけた。


それは、リラが吐いた炎。ラディオスが吹っ飛ばされた際に、彼女は素早く男の死角に回り込んだのだ。


男がわずかに呻き声を上げた。

その隙に、ルークは剣を高く振り上げ、渾身の一撃を叩き込む。


ところが、それよりも早く、男の指先から巨大な氷が生み出され、ルークに殺到する。

氷は鋭利な刃となり、彼の身体に数多の裂傷と凍傷を残していった。


「ルーク! ……あっ」


男は、リラの首もとを飾る、牙と珠で作られた白い首飾りを思い切り掴んだ。

その拍子に、彼女の頭を覆っていた帽子がするりと滑り落ちる。

さらに、これまでの戦いによる汗で剥がれかけていた頰の絆創膏も、とうとう完全に剥がれてしまった。


「……ほう、面白い。おまえ、龍族(りゅうぞく)か」


「……え」


男の口から零れ落ちた五つの文字は、リラの心臓をひとつ、大きく揺れ動かした。


(こいつ、なんで龍族のこと……)


いい知れぬ不安が、少女の胸の中を渦巻く。

黒衣の男は、リラの胸中など知らず、首飾りをつかんだまま彼女を放り投げた。

負荷に耐えられなくなった首飾りの糸が千切れ、連なっていた牙や珠が床に散らばって澄んだ音を立てる。


空中に投げ出されたリラは、なんとか体勢を整えると、衝撃を逃がすようにして着地した。


先ほどの攻撃で痛手を受けたルークは、ミランに治癒の魔法をかけてもらい、凍える身体に鞭を打って立ち上がる。

その横でミランも、キッと男を睨みつける。そして、己の両手を天高く振り上げたあと、一気に振り下ろした。


幾筋もの眩い光と、轟音。


光は、ひとつひとつが鋭い槍となり、黒衣の男を貫かんと石の床に突き立った。

邪悪なるものを貫く、神聖な刃。まともにこれを喰らえば、ひとたまりもないだろう。


崩れた床材が空気中を舞い、もうもうと煙をあげる。

その煙が消えていくにつれ、辺りの景色が判然としてくる。


しかし、そこに黒衣の男は立っていなかった。


「ちくしょう、どこに行きやがった!」


ラディオスは舌打ちをすると、粉々になった床材を踏みしめ、周りの様子を伺うように歩き回る。


先ほどの戦いが嘘のように静かで、視界に入るのは未だに残る白い土煙と、白い石材で作られた壁と床のみ。


しかしミランは、見てしまった。


わずかに灰色がかった景色の中に、不気味な赤い光が宿るのを。


その、赤い光が見つめる先は。


「ラディオスっ!」


ミランの悲鳴のような声があがると同時に、赤い光はラディオスに牙を剥いた。

弾かれたように顔を上げた彼の心臓めがけて、その光は真っ直ぐに放たれる。


音もなく一瞬で駆け抜けたそれは、容赦なく肉体を抉っていく。

華奢な身体は、一輪の紅い薔薇に彩られ、ゆっくりと崩れ落ちる。


背中まで伸びた美しい桃色の髪の毛が、自身の目の前で紅く染まっていくのを、ラディオスは呆然と眺めていた。




「ミラ……ン」


返事は、ない。


「ミラン……」


足元は、血だまりと化していく。


「ミラン!!」


哀れなほどに震えた声で、ラディオスは何度も名を呼んだ。


自分をかばって凶弾を受けた、世界でいちばん愛しい人の名を。


「貴様ぁっ……!」


ラディオスの悲痛な叫びを耳にしたルークは、身体を怒りに震わせ、掠れた声で叫ぶ。


「ふははははははは! その表情(かお)だ。それを待っていたのだよ、俺様は」


男は声高に、心底愉快そうな声で笑った。


「なん、だと?」


ルークは辺りを見回すが、男の姿はどこにも見当たらない。

脳髄を侵すような声だけが、ただ響き渡るのみだ。


「怒り、悲しみ、憎しみ、絶望。最高ではないか……負の感情に支配され、歪みに歪んだ表情は。わざわざこのファロン国に戦を仕掛けた甲斐があったというものだ」


「あんたは……それだけのために、わざわざ宣戦布告したっていうの? それだけのために、たくさんの人を戦に巻き込んだっていうの?」


半狂乱になってミランの身体にすがりつき、彼女の名を呼ぶラディオスをの横で、リラが静かに言い放った。


「ああそうだとも! すべては、俺様の欲望を満たすため! 特におまえたちは、いい働きをしてくれた。その、殺意に満ちた表情……なんと美しい!」


「うるせぇっ! 出てこい、悪魔め! ぶっ殺してやる……返せ。ミランを返せよぉ!」


血を吐くような声で、ラディオスが言った。

もはや自分が何を言っているのかも、彼は分かっていないのだろう。


「さて……今日の収穫はこれだけか。やはり、宣戦布告をしたのは間違いだったな……下賤な者どもの死に様が、あまり見られなくて残念だ」


ラディオスの言葉には答えず、男は独り言のようにぶつぶつとつぶやく。


「おまえたちはせいぜい、その女の死を嘆き悲しむがいい。ふはははは……」


そして、最後に不快な笑い声だけを残し、男の気配は完全に消えた。


その瞬間、塔の外で絶えず聞こえていた、剣や魔法の音がぴたりと止む。

それに続いて、傭兵たちの戸惑いの声、続いて快哉(かいさい)の声が聞こえてきた。


しかし、ルークたちはそれどころではない。

ルークが慌ててミランのもとに駆け寄ると、彼女ははうっすらと目を開く。

そして、紫水晶の美しい瞳で、ラディオスをしっかりと見つめた。


「ラディオス……よかっ、た……あなたが、無事で」


「しゃ、しゃべるな! しゃべったら、傷口が……!」


必死に叫ぶラディオスの瞳からは、涙が滂沱(ぼうだ)として流れ、ミランの新雪のような白い肌に滴り落ちる。

澄んだ雫は彼女の頬を伝い、頬に飛び散った血と混ざり合ってその色を変えた。


「ううん……私は、もういいの。自分の、身体のことは……自分がいちばん、よく、わかるもの……。でも……最期に、言わせて……」


「嫌だ!! 最期だなんて言うなよ、諦めるなよ……戦はもう終わったんだ、ふたりで帰ろう! 一緒に……」


後はもう、言葉にならなかった。


本当は、分かっているのだ。

彼女の命の灯火が、もうすぐ消えてしまうことは。


ラディオスは嗚咽を漏らしながら、それでも、涙に濡れた橄欖石(かんらんせき)の瞳は、ミランを捉えて離さない。


ミランは青白い顔でふわりと微笑むと、自分の右手をラディオスの左頬に添えた。


「いつも……素直になれなくて、ごめん、ね……。私、あなたのこと……」


ラディオスはただ頷き、続きの言葉を待つ。


ミランの唇から紡がれた最期の言葉は、弱々しく、それでいて華のように可憐に。

ルークの、リラの……そしてラディオスの心に、染み通っていった。








残された三人は、ミランの亡骸を抱えて塔を出た。

塔の外で突如上がった快哉の声は、魔物軍の突然の撤退によるものだったらしい。


とある傭兵の話によれば、いっせいに魔物たちが攻撃をやめ、直後に姿を消したそうだ。

おそらく、あの魔物たちは魔法か何かで操られていたものと思われた。黒衣の男は去ると同時に、魔物たちに撤退命令を出したのだろう。


その夜、戦を闘い抜いた傭兵たちは城に集められ、彼らを讃えるために祝宴が開かれた。

ルークたちも参加するように勧められたが、さすがに祝いの席につくことはできなかった。

そのため、傭兵たちのために割り当てられた部屋で、早々と眠ってしまった。


そして、現在は早朝、の刻。

ファロン王国を辞したルークたちは、帰るあてもなく、祖国への道を行くラディオスとともに歩いていた。


ルークが一歩、足を踏み出すたびに、鞄の中でちゃりちゃりと音がする。

報酬金が入った皮袋はずっしりと重く、傭兵の仕事がどれだけ厳しいものであったかを物語っていた。


しかし、こんな大金を手に入れても、ルークたちの、特にラディオスの表情は重く沈んでいる。


「……ごめんなさい、ラディオス。あたしが……あたしがちゃんと、周りを見ていたら、あんなことには……」


「あんたが気にすることじゃないさ」


リラの謝罪を短い言葉で遮り、ラディオスはこちらを振り向く。

彼は、切なくはにかんでいた。


しかし、ラディオスはすぐに目を見開き、怪物でも見るような表情でルークたちを見つめる。


「な、なんだ!? 透けてるぞ、あんたら」


「え」


そう言われ、ルークは慌てて自分の掌を目の前にかざした。

驚いたことに、その掌の向こう側には、うっすらとラディオスの姿が見える。


リラの方を見ると、彼女の身体も、ルークと同じように透き通っていた。


「ど、どうなってるんだ……?」


「なんなの、これ……!」


リラが愕然とした表情を浮かべ、自分の身体のあちこちを触っている。


突然の出来事に混乱する頭で、ルークは必死で考える。

その間にも、身体はだんだんと色を薄くしていく。


ふと、思い当たることがあった。


(……もしかして)


呆然とこちらを見ているラディオスに向かって、ルークは己の右手を差し出した。


「……短い間だったけど、ありがとう。あなたと一緒に戦うことができて、嬉しかった」


「……は?」


「ル、ルーク?」


ルークの言葉に、ラディオスだけでなくリラも怪訝な顔をする。

しかし、彼はそれを気にすることなく続けた。


「僕たちは……帰るんだ。もといた場所に。……元いた、時代に」


意識が朦朧としてきた。

ラディオスに差し出した右手は、もうほとんど形を残していない。


「……またいつか、必ず会える。だから……」


ラディオスは惚けたような、しかしどこか悲しそうな顔でルークたちを見ている。

力強い声で、ルークは告げた。


さようなら、と。


己の意識が闇に飲み込まれる瞬間、ルークは右手に、確かな暖かさを感じた。


そして……最後に聞こえたのは。


また会おう、という静かな声だった。








目覚めた時に感じたのは、いつか経験した、むずがゆくなるような浮遊感だった。


続いて、臀部に衝撃が走る。


「いったーーーい!」


ルークはなんとか声を抑えたが、リラの方は痛みに素直なようだ。


そっと目を開くと、ふたりの男性が視界に飛び込んだ。


「そなたらは、先日の……! いったい、どこから入ってきた!」


「おぬしら、まさか……あの宝玉から?」


それは、いくらか動きやすそうな服に身を包んだファロン国王と、幾筋もの皺を皮膚に刻んだラディオス老人。


彼の言葉に、ルークは背後を振り返る。

そこには、以前と同じように、黄色い宝玉が輝いていた。


「……やはり、噂は本当だったようだな。人を消したり出現させたりするなど、なんと気味の悪い……。約束どおり、やはりこの塔は取り壊して……ラディオス殿?」


ファロン王の言葉を気にもとめず、ラディオスはゆっくりと、ルークたちのもとへと近づいていく。

そして、リラの前まで来ると、震える手で彼女が身につけている赤い外套をつかんだ。


「これは……この外套は、まさか」


リラはラディオスの骨ばった手に、そっと自分の小さな手を重ねた。


「……そう。これは……ミランのものだよ」


彼女がそう告げると、ラディオスは勢いよく顔を上げ、リラとルークを熱い眼差しで見つめる。


「先日、お主らを城で見かけたときから、どこか似ていると思っていたが……。『いつか必ず会える』と言っておきながら、ずいぶんと会いに来るのが遅いではないか。のう、ルーク、リラ」


そう言ってはにかむ姿は、彼の昔の面影をはっきりと残していた。


「それにしても、お主らはなぜ、あのときのままなのだ? わしはこんなにも、年老いてしまったというのに……」


「わ、私のことを差し置いて話を進めるでない。そなたら、これはどういうことか説明してくれ」


ラディオスの後ろから、ファロン国王が駆け寄ってくる。


ふたりから一度に質問攻めにされ、ルークは戸惑った。

一度だけ深呼吸をして、信じてもらえるかはわかりませんが、と前置きをしてから、彼はぽつりぽつりと話し始める。


立ち入り禁止の塔に忍び込んだこと、そこの最上階で宝玉に触れてここではない時代に飛ばされたこと、そこで少年のラディオスと出会い、傭兵として戦ったこと。


「この若者たちが、60年前の戦に……その話は本当なのかね、ラディオス殿」


ファロン国王の問いかけに、ラディオスは何も言わず、頷く。


「触れた者を過去へと飛ばす宝玉、か……。にわかには信じがたいが、こうして証人もおるしな。近頃多発している行方不明者も、おおかた塔に忍び込んでこの宝玉に触れたのであろう。……しかし、この宝玉が、なぜラディオス殿の過去に繋がっておるのだ? それに、なぜこんな場所に……?」


「それは………」


ルークはそこで一度、言葉を切った。

そして、一呼吸置いてから、再び言葉を紡ぎ始める。


声を、震わせながら。


「幼い頃に、本で読んだことがあります。強すぎる記憶や感情は結晶となり、触れた人をその記憶の中に引き込んでしまうのだと……。

この宝玉は……おそらく、ラディオスの想いの結晶です。彼は、あのときの戦で、大切な人を失ってしまった。その悲しみが、彼女への想いが結晶となり、この塔にとどまったのではないでしょうか」


「想いの、結晶……? この宝玉が……儂の想いそのものだというのか」


ラディオスは、驚いたように目を見開いた。

しかしすぐに、はっとした表情を浮かべる。


その場に、しばしの沈黙が生まれる。


顎に手を当て、なにやらしばらく考え込んでいたラディオスだったが、やがてゆっくりと口を開いた。


「お主らと別れた後、儂は故郷へと戻った。ミランを失った瞬間はとてつもなく悲しかったが、本当に辛かったのは、その後なのだ……。いつも一緒にいてくれたミランは、もういない。心にぽっかりと穴があいてしまったようで、儂は毎日を泣き腫らして過ごした……」


ルークも、リラも、国王も。

誰も何も言わず、ただラディオスの言葉に耳を傾ける。


「戦で死んだ者の葬儀は、ファロン国で行われてな。彼女の遺骨は、他の戦死者の骨とともに、今でもこの国の城の地下に眠っておる。個別の墓を建ててやることも、できなかった。だから……」


ラディオスは鼻をすすり、言葉を詰まらせた。


突如として、彼の目からせきを切ったように涙が溢れ出す。

そして、押しとどめてきた想いを、掠れ声とともに吐き出した。


「だから、この塔が、この塔だけが……ミランが生きていた証なのだ! 彼女の最期を看取った、この場所が……! 儂はそれに縋りつくように、ファロン国に居を構えた……ここにいれば、彼女とずっと一緒にいられると!」


ラディオスはそこまで言うと、嗚咽を漏らして涙を流す。

リラは寄り添うように、彼の背中にそっと触れる。


手の甲で強引に涙を拭うと、ラディオスは顔を上げた。


「しかし……儂は過去に縛られていただけだったのだな。結果として、このような結晶を生み出し、人々を巻き込んでいたとは……」


途端に、宙に浮かぶ宝玉が眩しく光り出す。

何事かと、その場にいた皆が見つめる先で、宝玉から5つの光が飛び出した。


その光は人の形をとり、一斉に大きく弾ける。


「あれ、ここは……」


「帰ってきたんだよ、お兄ちゃん!」


幼い兄妹が。


「ああ、どうなるかと思ったわ」


白髪を結い上げた老婆が。


「神様は、あたいを見放してなかったんだ!」


盗賊のような出で立ちの女性が。


「こ、ここは……はっ、お、王! ごごごご、ご心配をおかけしました!」


そして、鎖帷子(くさりかたびら)を身につけた兵士が。


次々と、喜びの声を上げた。


「ど、どうなっとるんだ……」


ラディオスはあの時と同じように、怪物を見るような表情で人々を見つめる。


からん、という乾いた音を立て、黄色い宝玉が床に転がった。

慌ててルークたちが駆け寄ると、その宝玉は、あたりを照らすはちみつ色の光を失っていた。


それはすなわち、この想いの結晶が力を失ったということだ。


しかし、琥珀のような澄んだ輝きは、ラディオスの想いを表すかのように、未だ結晶の内側に宿っている。


「……そうか。儂が、過去の想いを断ち切ったから……」


ラディオスは結晶を拾い上げると、皺の刻まれた両の手で、そっと包み込む。


彼の橄欖石(かんらんせき)の瞳から流れた涙は、過去の呪縛から解き放たれた己の分身に、ぽつりと滴り落ちた。








「お主らには、いろいろ世話になったな」


長い年月を経ても、なおその威厳を失わないファロン王国の門。

その下で、ラディオスはルークとリラに向かって右手を差し出した。


「こちらこそ。結晶、大事にするんだよ」


はじめにその手を握ったのはリラだ。

彼女は、両手でラディオスの手を握ると、数回上下に動かした。


ラディオスやミランとの出会い、共闘、そして別れ。

すべての始まりとなった、あの黄色い結晶は、ラディオスの手によって大切に保管されることとなった。


「うむ、そのつもりだ。それはそうとお主ら、もう立ち入り禁止の場所に忍び込んではならんぞ? また、厄介ごとに巻き込まれてはいかんからな」


その結晶によって絆を深めた張本人にこんなことを言われては、ルークは苦笑するしかない。


今回の件で行方不明になっていた者たちは、ルークとリラ同様に興味本位で塔に忍び込んだり、立ち入り禁止だと知らずに戦死者の弔いに行ったりしたために過去に飛ばされたらしい。

兵士の男性は、見張りをしていたところにあの結晶を見つけ、不審に思い触れてしまったと言っていた。

おそらく、彼がいちばん最初の行方不明者になったのだろう。


彼らの話を聞くと、戦の真っ最中に飛ばされたり、逆に戦が始まる二週間ほど前に飛ばされたりと、それぞれが体験した時間はばらばらだった。

ルークが、昔読んだ本のことを思い出しながら説明する。結晶を生み出したものの記憶のうち、どの記憶に触れるかはわからない、と。

ルークたちがラディオス少年に出会えたのは、奇跡とも言えるだろう。



「……またここに来た時は、あの塔に花を供えに行くよ。そのときまで、どうか元気で」


ルークがそう言うと、ラディオスは笑顔で頷いた。


あの塔は、ラディオスの事情を聞いたファロン国王の意向により、この国に残されることとなった。


『多くの血を吸いながらも、白く荘厳にそびえ立つあの塔が、私は子供の頃から嫌いであった。しかし、だからこそ……あの塔は美しいのであろうな』


塔を辞し、城へと戻る道すがら、ファロン国王は言った。

その表情から、彼の気持ちを読み取ることはできなかったが。


「きっと王様も、あの塔を大切にしてくれると思うから」


「……そうだといいがな」


ラディオスはそう言うと、肩をすぼめておどけた表情を作ってみせる。


「あ、そうだラディオス。これ……」


リラは、長い間身に纏っていた赤い外套を脱ぐと、ラディオスに差し出す。

しかし彼は、掌でそれを制した。


「それは、リラが持っていてくれ。その方が、ミランも喜ぶだろうからな」


ラディオスは、にっこりと笑う。

ルークたちがここを訪れなかったら。宝玉に触れなかったら。そこで、ラディオス少年に出会えなかったら。

この笑顔を取り戻すことは、なかったのだろうか。


「……ひょっとしたら儂は、助けを求めていたのかもしれん。ミランを失った悲しみを、誰かに癒されることをな」


ラディオスは自身の懐から、あの黄色い結晶を取り出した。

そして、それを優しい瞳で見つめる。

琥珀色の表面に、ふたつの緑色が写り込んだ。


「お主らは、こうして儂を救ってくれた。過去の呪縛から、解き放ってくれた。本当に、ありがとうな」


ルークとリラは何も言わず、ただ笑って頷いた。

そして、さようなら、と告げて歩き出す。




「……なあ、リラ」


ミランの赤い外套を綺麗に折りたたんで、荷物袋に詰め込んだリラに、ルークが声をかけた。

彼女はルークと視線を合わせ、続きの言葉を待つ。


「あの結晶、僕たちが来るのを待ってたんじゃないかな」


「待ってた? ……あたしたちを?」


小さく頷いて、ルークは言葉を紡ぐ。


「過去に飛ばされた人たちの中で、僕らだけがラディオスの記憶に触れた。他の人たちとは違って、僕らだけ先にこっちの時代に戻ってきただろ?」


「……言われてみれば、そうね」


「それはきっと、あの結晶が……ラディオス自身が、僕らに救われるのを待ってたんじゃないかなって思うんだ。どういう運命の巡り合わせか、わからないけど」


ルークがそう言うと、リラは細い指を顎に沿わせ、しばし考え込んだ。

やがて、口元を綻ばせて顔を上げる。


「……うん。そうだと、いいよね」


そして自分の胸元に手を当て、ふと空虚な感覚を覚える。

先の戦いで首飾りを千切られたことを思い出したリラは、途端に表情を険しくした。


(あの、黒服の男……龍族(りゅうぞく)のことを知ってた。人間から隠れて暮らしてるあたしたちのことを、どうして……)


牙と珠のなめらかな感触がないことに、彼女の胸はひどくざわついた。


リラの表情が曇ったのを見て、ルークは自分より低い位置にある彼女の顔を覗き込んだ。


「リラ?」


「えっ、あ、な、なんでもない! さあ、次の目的地を決めないとっ!」


リラは無理やり明るい表情を作ると、がさがさと地図を広げる。


「ここからだと……ベンガムの町が近いな。たしか、あそこは宝石の名産地だったはずだけど」


「ひょっとすると、そこに『純魔石』があるかもしれないね。さ、はやく行こう!」


言うが早いが、リラは軽やかに駆け出す。

出し抜けに元気になったリラに、ルークは怪訝な顔をする。


(……まあいいか。リラが元気なら、それで)


小石混じりの足音がふたつ、朝のひやりとした空気を震わせていく。


ふと空を見上げたルークが見たのは、ぽつりと現れた雲に輝きを奪われた、太陽の悲しい顔だった。

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