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原罪者の聖痕〜正義の組織に捨てられた俺は、敵組織に拾われて家族と呼ばれました〜  作者: 幻翠仁
第四章

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// 0036 - 三位一体



「レノ……拠点を汚す気か」


 低い声が、横合いから差し込んだ。

 いつからそこにいたのか分からない。黒いスーツを着た銀髪の男が、カウンターに寄りかかったままグラスを傾けている。長い指が琥珀色を揺らし、照明を受けた液面が、緩やかに波を立てた。鋭い眼光に当てられ、レノは真紅の唇を震わせる。


「……アルフェ……」


 その声の主は、アルフェだった。

 僅かに身体が強張りを見せるが、それでもレノの銃口は下がらない。瑞希を撃てる角度のまま、微動だにしない。アルフェはカウンターから身体を離し、歩き出した。その足音は静かだった。ただ、床を叩く規則性だけが、音楽を押しのける。


「見るに耐えねぇな……幹部ともあろう者が、感情に振り回されるなんざ……」


 レノの眉が僅かに動く。

 引き金にかかった指が、僅かに強張る。


「当たり前じゃない……貴方達が異常なのよ。家族を亡くしても平気みたいに……」

「いずれ同じところに落ちるんだ。今生の別れでもねぇだろうよ」


 アルフェは鼻を鳴らし、呆れたように顎を持ち上げる。

 僅かに持ち上がった灰色の瞳に、感情の欠片はない。


「銃を下ろせ」

「……まだ説明を聞いてない」


 レノの声が、僅かに擦れる。怒りか、迷いか、それとも縋りか。

 アルフェは、初めてレノを正面から見た。


「説明? これは決定事項だ。異論なんざ認めねぇ」


 その瞬間、空気が変わる。

 ラウンジにいる全員が理解する。これは議論ではない。確認でもない。ただ淡々と序列の提示がなされている。レノの指が、僅かに震えた。


宮原賢壱(みやはらけんいち)を殺したのは、彼の判断。でもそれは……私たち家族を守るためでもあった……なのに、その息子(・・)を迎え入れようだなんてね……」


 一瞬、空気が止まった。

 瑞希の背筋が、僅かに強張る。言葉が、理解できない。


「それ……どういう、ことですか。俺の父が、一体何を……」


 声は震えなかった。だが、この場で父の名前が出たことに驚きは混じる。

 レノは目を細め、アルフェは呆れた様子で肩を竦めた。


「宮原賢壱は、警視庁公安部外事第三課所属の内偵だった」

「公安……? ですが、父さんは警察を退職したと……」

「そりゃ、方便だ。公安の仕事は家族にも秘匿されるだろうからな……」


 公安。その二文字が、やけに硬質な音を伴って瑞希の耳の奥に落ちた。

 退職したと聞かされていた。理由も曖昧に濁された。書斎の段ボールと、制服のないクローゼット。穏やかな食卓。秘匿されていた日常。


 記憶が、音を立てて裏返る。

 夜中の電話。母の曖昧な笑み。父の帰宅が遅い理由。書斎の鍵。「仕事は仕事だ。お前は気にするな」そう言って、背中を向けた声。


 瑞希は、瞬きを忘れていた。

 銃口よりも、アルフェの言葉の方が現実味を帯びる。胸の奥で、冷えたものがゆっくりと沈んでいく。それは怒りではない。悲しみでもない。ただの、空白だった。


 父の背中が、遠ざかる。

 瑞希の知っていた宮原賢壱が、音もなく剥がれていく。


「ただ、問題はそこじゃねぇ」


 アルフェの声は低い。嘲りでも、哀れみでもない。

 ただ事実を告げる調子だった。


 アルフェは歩みを止めない。

 レノの銃口の横を、何事もないように通り過ぎる。

 銃口は瑞希から逸れない。


「奴は管理局の上層部(・・・)が知らねぇ情報を掴んだ。奴に嗅ぎ付けられたのはオレ達の落ち度だが……情報が漏れた以上、潰すしかねぇ」


 瑞希の目の前まで来たアルフェに、見下される。

 冷えた眼光からは、感情を感じない。代わりに、結果が落とされる。


「彼は離間者。外部組織の不和を招くと同時に、折衝もしていたのよ」

「……だから、父さんは殺されたんですね。シスマに」


 瑞希は、肯定を待たなかった。

 答えはもう、出ている。


 瑞希の父、宮原賢壱は知っていた。

 警察としてではなく、一人の人間として、越えてはならない線を。

 だが、それでも踏み込んだ。


『人様に迷惑はかけるな』

『やるなら徹底的やれ』


 幼い頃、何度も聞かされた言葉。

 喧嘩をすれば叱られ、嘘を吐けば背中を向けられた。正しくあれと、静かに教えられてきた。中途半端が一番卑怯だ。覚悟もなく踏み出すな。あれは、中途半端にやるなという意味ではなかった。心構えの話だ。踏み込むなら、最後まで責任を取れ。引き返せない場所へ行くなら、命を差し出す覚悟で行け――ただ、そういう意味だった。


 その教え通り、父は徹底した。

 だから、命を刈り取られた。


 瑞希は、徹底しなかった。

 南雲を撃ち切れなかった。

 結果として、肆已を失った。


 胸の奥で、何かが噛み合う。

 父の教えは、正義の話ではない。覚悟の話だった。


 瑞希の視線が、ゆっくりと上がる。

 目を伏せたまま、小さく息を吐く。僅かに震えた指先を、握り込む。父の教えを理解したからと言って、すぐに覚悟が出来るわけじゃない。だが、それでも、心構えとしては、その教えを実行する。それが、今出来る最善だった。


「……俺は、父の覚悟を継ぐつもりはない。だが、徹底しなかった俺はもういない」


 言葉を敬語で取り繕うのは、優しさだと思っていた。

 だが、それは単に、責任から逃げていただけだった。瑞希が、他人から責任感が強いと評価されていたのは、ただ、見てくれが良いだけだった。


「ふぅん。それで?」


 レノが真紅の唇を歪ませ、笑みを浮かべる。

 撃鉄を持ち上げる音。次の言葉次第で、引き金が引かれる。


「俺を家族として扱わなくていい。ただ、利用しろ。それだけの力はある」


 瑞希は銃口を見なかった。

 レノの瞳だけを、まっすぐに見返した。


 レノの指が、まだ引き金に掛かっているのが見える。

 距離は変わらない。三メートル。息を吸えば届きそうな距離。

 撃てる。それでも、撃たれない可能性が、ほんの僅かに生まれたことを、瑞希は理解していた。銃口の揺れで分かる。怒りの震えとは違う。迷いだった。


 鼓動は速くない。

 速くなっていないことを、他人事のように認識する。


「……随分と、便利なことを言うのね」


 レノの声は低い。先ほどまでの熱が、少しだけ削がれている。

 瑞希は目を逸らさない。銃口ではなく、レノの瞳を見る。


「便利でいい。利用すれば、少なくとも、損失は回収出来る」


 喉は乾いていない。不思議なくらい、落ち着いている。

 父の背中が過ぎる。徹底しろ。踏み込むなら、最後までやれ。

 今ここで怯むなら、何も変わらない。また誰かを失う。


「シスマの代わりにはなれない。だが、俺は同じように合理で動く」


 言葉が、自分のものとは思えないほど滑らかに出る。

 整理されている。父がやったこと。自分がやれなかったこと。その差分。


 レノの銃口が、ほんの僅かに下がる。

 完全ではない。だが、殺意の直線が少しだけ鈍る。アルフェが何かを言った気がする。声は聞こえているのに、意味は拾わない。今、重要なのは銃口だけだった。


 数秒。やがて、金属音がした。撃鉄が戻る、乾いた音。

 引き金から、指が離れる。銃口が、完全に下がったわけではない。だが、撃たれない未来が、初めて現実味を持つ。


「分かったわ。今は、撃たないであげる」


 瑞希は、息を吐かなかった。

 安堵しない。喜ばない。ただ、理解する。


 自分は、家族ではない。だが、処理対象でもない。

 今は、それで充分だった。


 ラウンジの音が戻ってくる。ジャズ。氷の触れる音。誰かの小さな咳払い。

 世界は、何事もなかったかのように動き出す。

 瑞希だけが、少しだけ変わったまま立っていた。



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