第二百五十二話 周囲の視線なんて関係ない
門田と話を終えて、ひめのところに戻る途中。
ふと視線を感じて目を向けると、聖さんと目が合った。
「…………」
だが、何も言わない。
彼女はまっすぐ口を結んでいる。それでも視線はそらさないのは、何かを目で訴えかけているからだろうか。
普段は緩い聖さんにしては珍しい、重々しい表情である。
彼女は何を思っているのだろうか。
ひめが転んで、あるいは俺以上に心配しているのも聖さんだろう。
そして、このリレーにおいては所属クラスのアンカーという順番を任されていて、勝敗を決する立場にいるのも、彼女だ。
(ひめのために負けよう――なんてことは、思ってないと思うけど)
それはただの甘やかしにしかならない。
ひめのためを思うなら、全力を尽くして勝負に挑むべきだ。
それが、ひめの情操的な成長にも繋がる。
そのことを聖さんもよく分かっているはずだ。誰よりも妹のことを愛し、見守ってきた彼女なのである。俺が考えていることなんてちゃんと思いつくに決まっている。
だから何も言わないのだろう。
聖さんは手加減をしてはいけない。仮に、このリレーで俺たちのクラスに勝ったとしても……敗因がひめの転倒だと明確になろうとも、彼女は手を抜くことが許される立場にいない。
それこそ、ひめが納得できないだろう。
自分の転倒でクラスを負けそうになったところで、聖さんが手を抜いて関係のない彼女のクラスを敗北に導いたとしたら――そのことでまた大きな罪悪感を覚えるはずだ。
ひめは敏い。甘い考えはすぐに見抜かれる。
(……かける言葉はないか)
俺が何かを言うべきではないと、直感した。
彼女を惑わすことを言うべきではないだろう。
と、そんなことを考えて、早々に視線を切った。
まだ聖さんの視線を感じるが……彼女のことは、彼女自身に任せよう。
今は、ひめの隣にいることが最優先だ。
「……っ」
レーンから少し離れた位置。
走者の待機場所からもちょっと離れた位置で、ひめは走っている面々を食い入るように見つめていた。瞬き一つせず、まるで念を放つかのように凝視している。
そんなに力が入っていたら、声もうまく出ないだろう。
そう感じたので、彼女をほぐすためにも軽く肩に手を置いた。
「……あ。陽平くん」
触れると同時に、ふにゃっとひめから力が抜ける。
先程よりも大分落ち着いているように見えた。さすが天才少女。思考の切り替えも早い。
合理的に、自分がやるべきことを判断して、実行しているのだろうか。
「ひめ。門田たちが『勝つ』って言ってたよ」
「……信じています」
「うん。だから、俺たちも応援しよう」
「はいっ」
そう言いながらも、ひめは走者から視線をそらさない。
つられて俺もそちらを見た。今は対角線上に近い位置を走っているので、かなり遠い。
あと……ひめがちょっと、見えにくそうにしていることにも気付いた。
(あ。そうか……身長か!)
なぜ、ひめがクラスメイトから離れた位置にいるのか。
一緒にいることが気まずいとか、そういう理由でない。単純に身長が低く、集団に紛れると他者の体で視野が塞がり、走者を見ることができなくなるからだと気付いた。
だったら、こうしてあげよう。
「よいしょっと」
ひめの両脇に手を入れて、そのままひょいっと抱え上げた。
「え? あ、陽平くん……?」
突然の出来事にひめも戸惑いの声を上げている。
ただ、すぐに俺の意図を把握したのか。
「ふむ……さすがです。わたしが見えやすいように、ですか?」
「ご名答。こうしたら、ちょっとは見えやすくなるかなって」
「……えへへ。ありがとうございます」
そう言って、ひめは俺に身を預けてくれた。
腕に座るように体重をかけつつ、首元に手を回してうまくバランスを取ってくれている。
おかげで、抱えやすい。抱っこするには少し年齢が高い気もするが、まぁいいだろう。
周囲の視線が一気にこちらに集まった気もするが、それも関係ない。
この僅かな高さの確保があまり大きな効果をもたらさないとしても、いいのだ。
気休めでも十分。ひめのためになるのなら、それでいい。
とにかく、彼女が今日を楽しい思い出と認識してくれるために。
「ひめ。ゴールの方に行く? そっちなら最後まで見届けられる」
「はい。ぜひ、お願いします」
ひめを抱き上げたまま、俺たちはゴールの方へと向かうのだった――。




