第二百五十話 他人に甘えるのが苦手な少女へ
「――ひめ」
声をかけると、まずは周囲を取り囲んでいた女子たちが俺に気付いた。
それから、安堵するように俺に笑いかけて、そっと道を開けてくれた。
クラスメイトは俺とひめの関係性を把握しているのだろう。後は任せた、という意思を感じる。
ひめのことを任されたのは嬉しい。ただ、ちょっとなんというか、視線が生ぬるい気もするのだが……いや、今は雑念は捨てよう。たぶん、ロリコンだと思われているんだろうなぁとか、そういうことはいいのだ。
どう思われていたって構わない。
とにかく、ひめと二人きりにするように距離をとってくれたので、話しやすくなった。
「……よ、ようへいくんっ。あの、あの、わたしが……わたしの、せいでっ」
やはり取り乱している。
視線の焦点が合っていない。俺がいることは察知しているが、目を合わせてくれない。
ただ、震える手をギュッと握りしめている。
転んで土だらけの体操着を、拭う余裕もないようだ。
しかも、ところどころ擦り傷があって、それが心配だった。
でも、その治療をしている時間はない。
今は、傷のことよりも、彼女の『心』の方が優先だ。
「ひめ」
「ごめんなさい。わたしのせいで……ごめんな、さい」
謝りながら、徐々に声が細くなっていく。
それなりに付き合いが深いから分かる。ひめは今、とても落ち込んでいる。
泣きそうな声だった。
その声を聞いて、思わず優しい言葉をかけそうになってしまう。
『大丈夫だよ。ひめは悪くないよ。よくがんばったね。転ぶくらい一生懸命だったってことだよ』
そう言ってあげたいのが本心だ。
でも、その言葉で癒えるほど、ひめは自分に優しくない。
この子はいつだって、自分を律している。
感情を押し殺し、人に迷惑をかけないよう、自分に厳しく生きている。
そこが子供らしくない、ひめの魅力の一つだ。
しかし、時にはそれがひめ自身を苦しめることもある。
だからこそ、俺が今やるべきことは慰めることではない。
ひめの心を守るためにも。
俺は、彼女を――奮い立たせてあげたい。
「ひめ。まだ、終わってないよ」
その背中を支えるように、手を回して。
それから、落ち着かせるようにさすりながら……小さな声で、こう囁いた。
「謝るのはまだ早い。だって、ほら」
そう言ってから、顔を上げるように促してみる。
そうしてようやく、ひめはゆっくりと視線を上げて……その瞬間、目の前をクラスの走者が駆け抜けていった。
「――あ」
ひめが小さく声を上げる。
走者は女子だった。たしか、俺と同じ帰宅部の子である。運動はそこまで得意じゃないのは、走り方を見ても分かる。
だけど、懸命に走っていた。
手を抜かずに、不格好な走り方でも、真剣に。
自分にできることを、我武者羅に。
「がんばれ!」
「走れー!」
「まだまだここからー!!」
「うぉおおおおおおおお!!」
次いで、背後から声援が聞こえた。
うちのクラスメイトの声だった。振り返ると、門田をはじめとした面々が叫んでいる。門田よ、その動物みたいな雄叫びはどうなんだろう……と、思わなくもないが、それくらい気合が入っていることでもあるか。
「ひめ。みんな、諦めてないんだよ」
だから、落ち込むのも、自分を責めるのも、まだ早い。
ミスをして落ち込んでいるのは分かる。責任を感じていることだって知っている。
だけど、いや。それでも……まだ、やれることはある。
「一緒に応援しよう」
そう伝えてから、小さく笑いかけた。
「ひめみたいな可愛い女の子に応援されたら、みんないつもより何倍も力を発揮するかもしれないよ?」
そう。だから、顔を上げてほしい。
君は何でも一人でこなせる。
天才だから、できないことはほとんどない。
だから、人に頼るのは苦手だろう。人に甘えることも苦手で、だから心を許してくれた俺に懐いてくれたと思っている。
でも、俺にだけ特別である必要はない。
苦しい時は、人に託してもいい。
確かに俺は凡人だ。ひめに比べたら、クラスメイトの誰も敵う者はいない。
でも、俺たちはたくさんいる。
みんなで団結すれば、できることが増える。
だから、ひめ……自分一人で背負う必要はない。
俺たちに背負わせたっていいんだ。
ひめ一人の力では、もう取り返しがつかない。
俺一人の力でも、ひめのミスを拭えない。
だが、みんなでなら……まだ、可能性はある。
「――っ」
一瞬、ひめの表情が歪んだ気がした。
まるで、涙が溢れだす寸前だ。しかしそれをこらえるようにギュッと目を閉じて、それから目元をごしごしと擦って……次に目を開けた時は、もう涙はなかった。
「……がんばれ」
最初は、小さな声で。
だけど、次の声は……みんなに聞こえるくらい、大きな声で。
「がんばれー!」
小さな少女の、絞りだすような大きな声援。
その思いは、クラスのみんなにもきっと届いているはずだった――。




