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あらわれた六人

 坂東医院を出た足で、問題の傘岡市民会館へとむかった真樹は、駐車場にライトバンをとめると、近くの自販機でジュースを買ってから、件の祠の、あまり賑わっていない供え物の山へ露のついたそれを置き、軽く手を合わせるのだった。

「――別に君らをうたぐってやしないが、ちょいと調べさせてもらうぜ」

 ひとり呟き、そっと祠の四隅へ手をかけると、真樹はしばらく、ざらついた石をなでまわしていたが、やがて、左の薬指の上にうっすらとしたへこみがあるのに気づくと、今度はその表面へグイと顔を近づけ、彫り込まれた碑文を一文字ずつ読み取っていった。

「――ああ、やっぱりそうか」

 すべての碑文を読み終えると、真樹啓介は落ち着いて、その文面をポケットに入れた手帳へと書き写し、満足そうな表情を浮かべた。名刺判のメモに写し取られた碑文は、ざっとこのようなものであった。


 傘岡二重脱線事故犠牲児童慰霊の祠

 昭和四十七年 八月 日本国有鉄道傘岡管理局


「昭和四十七年じゃあ、ちっと新しすぎるなぁ」

 真樹は坂東医師の話に出ていた大沢の幼少時代と、この祠のできた時期に十年以上の開きがあるのを目の当たりにし、自分の記憶違いを軽く嘆いた。ちなみに、刻み込まれてある昭和四十七年の事故というのは、小学生を乗せた団体列車が機関車の故障で脱線、転覆。そこへ現れた下りの貨物列車が突っ込む形で被害が拡大したという、戦後何番目かの規模の鉄道事故として、いまだに語り継がれているしろものであった。

 ――しかし、なにがそんなに引っかかるんだろう。別に、けんか別れでもしたわけじゃああるまいし……。

 坂東医師の仮説の崩れたのを確かめてから家に戻ると、真樹は安物のインスタントコーヒーをマグカップへ淹れて、クーラーを効かせた書斎に閉じこもった。しかし、あまりにも手持ちの材料が少なすぎたために、とうとう三杯目のコーヒーで、真樹啓介はこの件について頭を使うことを一時休止にする羽目になった。

 というのは、やけになって叩いたカレンダーに、すっかり忘れかかっていた学術雑誌からの原稿の締め切りが載っているのに気づき、やむなくそちらへ専念しなければならなかったためなのだが……。


 さて、そんな一幕もあり、原稿に追われていた真樹啓介がどうにか締め切りに間に合い、ほっと一息、胸を撫で下ろしていたある日の午後のことである。

 アルバイトの女子大生・陰山蛍の帰ったあと、ろくに客入りもないのをよいことに、自分も寄稿している雑誌「民族研究」のバックナンバーを読み返していた真樹は、ふと、アルミサッシが開く音に頭をあげ、いらっしゃい、と相手の顔も見ぬままに返事をした。すると、

「あの、真樹啓介さんというのは、あなたのことでしょうか」

 見ると、五、六人はいる、定年などはとうに過ぎている男女の一団が、なにか弱ったような顔で控えている。どうもただならぬ雰囲気を察した真樹は、自分の名を尋ねた白髪頭の細身の紳士に、わたしが真樹ですが……と、おそるおそる声をかけた。

「ああ、よかった。実は、こちらの町内会長さんから、ゴルフクラブの交流会でお名前を伺いましてね。なんでも、いろいろな問題を解決することで有名なお方だとか……」

「なに、それは虚名が過ぎますよ。僕が出来るのは、出来る範囲のことだけです。──で、町内会長さんからのご紹介で見えたとなると、なにかお困りのことがおありのようですね」

 どうやら、先だって坂東医師に大見得を切ったトラブルシューターとしての仕事が回ってきたらしいと悟ると、真樹は一団に、ここじゃなんですから、と言って店を閉め、会見の場所を近場の雑居ビルの三階、「バッカス」という、深夜まで開いている喫茶店へ移した。

「──真樹さん、ご挨拶が遅れました。わたし、村瀬という者です。一緒に来ているのは、小学生時代からの友人たちで……」

「ほう、小学生のころからの……」

 六十過ぎの一団に、小学生のころからの付き合いの友達、というフレーズが、先ごろ坂東医師からもたらされた大沢というクランケのことと繋がり、真樹はアイスココアの入ったグラスを持ったまま、じっと彼らの顔を見つめた。

「して、その仲の良いみなさんがいったい、なんのご用件です。問題解決といっても、所詮ぼくはしがない古本屋です、果たしてどの程度お役に立てるか……」

 面倒なことだとまずい、と半ば顔に出しつつ尋ねる真樹だったが、そんなことなどお構いなしに、村瀬は必死の顔で事情を打ち明けた。

「実は我々は、ある人を探しておるのです。ただ、困ったことに、その人の詳しい名前や学校、住所がわからないままに、何十年と時間が流れてしまったのです」

「ちょ、ちょっと待ってください──村瀬さん、あなたもしかしてそれは、ジャリ畑でよく遊んでいた男の子のことじゃありませんか。おそらく最後に、かくれんぼのさなかに姿を消してしまったという……」

「真樹さん、あなたどうしてそれをご存じなのです」

 言い様のない動揺が六人の間を駆け回り、静かだったティールームのなかが騒々しくなる。その騒々しい彼らをどうにかなだめ、先だって自分の知人が受持ったある患者の話をして見せると、村瀬はようやっと落ち着きを戻し、どうやら自分達の探していた相手が大沢らしい、と納得するのだった。

「いやはや、まさかこんなに早く解決を見るとは思いませんでしたな。さすが、会長さんが太鼓判を押すだけのことはある、お若いのにご立派だ」

 しきりにほめそやす村瀬に、真樹はレモンの浮かんだお冷やをなめながら、

「なに、商売熱心でないと、わりにそうしたことに頭を使えるもんなんです。ところで、みなさんはその彼──おそらく大沢さんとみて間違いないとは思いますが、彼とはどのくらいのペースで遊んでいたんですか」

 真樹の問いに、村瀬たちはしばらく話し合ってから、ほぼ毎日でしたな、と、遠い昔を思い起こし、実に和やかな表情を真樹へ見せるのだった。

「それこそ、最後に会った時期なんかは、かくれんぼやらなにやらしてたけど、最初に彼と会ったとき、彼はライトプレーンを飛ばして遊んでいたんですよ。それをひとしきり見てから、また鬼ごっこやら、かくれんぼやらに戻ったりしましてね……」

 村瀬の言葉に、ライトプレーンって、あのゴム動力の? と真樹が尋ねる。

「ええ、そうですそうです。あの頃、子供の間でえらいブームになりましてね。あれの格好の試験場が、あのジャリ畑だったんです。まだ本線の電化前で、邪魔な架線もありませんでしたからね」

「――しかし、入れ換えの機関車だってくるだろうし、危なくありませんか」

「それが、その子はとても器用でしてね。駄菓子屋で売ってるちいさな花火を翼につけて、ある時間まで飛んだら羽根がとれて、そのまままっすぐ落ちるような設計をしていたんです。とても手先の器用な子で、将来は航空機のエンジニアになるんだ、といってましたよ」

 連れ合いのほかの男が付け加えたので、真樹はなるほど、と相槌を打って、

「まぁもっとも、その彼はお父さんとおなじ、国鉄に入って定年まで仕事をなさったそうですがね。エンジニアかどうかは聞きそびれましたが、案外子供の頃の夢というのは無惨なふうに変わるものですよ」

「はぁ、なるほど……。そうか、それで急にいなくなってしまったのですな」

 国鉄、という言葉に、村瀬は大沢の急にいなくなった理由がわかったようだった。

「そうなんです。急に転勤が決まったとかで、お別れを言いにいったら、その日からしばらく天気が悪くて言えずじまい。そのことをかなり長い間、悔いていたようなんです。──まさかとは思いますか、みなさん、あなた方は彼のことを、恨んでいますか?」

 真樹の問いに、彼らは一人として首を縦にふらず、口々に、そんなことはない、むしろあって昔話をしたい、としきりに語るのだった。

「それじゃぁひとつ、この多いなる謎は無事解決、というわけですな。あ、ただ、念のためということもありますから、ひとつみなさんの卒業年度やらなにやら、伺ってもよろしいですか?」

 まさかここまで来てひと間違い、ということもないだろうが、念のためにと真樹は彼ら六人の名前とニックネーム、いまは合併して名前の変わった旧・傘岡第五小学校の昭和三十六年度卒業、というデータを手帳にかけ止めると、

「ひとまず、最後の確認をしてみますから、またあらためて面会の日取りを決めましょう」

「わかりました。何卒、よろしくお願いいたします」

 かくして、とんとんと話のまとまった彼らとビルの真下で別れると、真樹啓介はふらりと、話題にもあったライトプレーンのことが気になり、知人の実家である模型店のほうへ顔を出してみることにした。別段、興味を抱いて自分でも作ってみようかと思ったわけではなく、ただなんとなく、当時のブームのことを聞いてみたい、そんな欲求に駆られたのである。

「──ああ、そんなことあったなぁ。バカみたいに売れて、仕入れるのが大変だったんだよ。なぁ、ばあちゃん?」

「そうそう。まぁ、飛行機だけに飛ぶような売れ行きだったわね、へへへ」

 昼時でお茶をひいていた例の模型店で、当代の店主で、顔見知りではある知人の父親と、その母親である初代のおかみさんから話を聞きながら、真樹啓介は店の真ん中に鎮座した冷蔵庫ほどの大きさのクーラーの涼風を浴び、しきりに首をふるのだった。

「あ、でも、いっとき売れ行きの悪かった年があったねぇ。なんだったか、PTAまで出てきて騒ぎになったような気がしたけど……」

「えっ、PTA? なにかあったんですか」

 真樹がいぶかしがるのも無理はなかった。あの時代、子供に絡んでなにかあるごとに騒いでいたPTAが出てくる、というのはよほどのことなのだ。

「なんせ、もう何十年も前だから詳しくは忘れちゃったわよ。ああ、でも、倅の生まれた頃だから、だいたいいつ頃かは覚えてるよ。──高次、あんたいくつになったんだい」

「ひでぇなぁ、今年で六十四だよ。還暦祝いをしたの、何年前だと思ってるんだい」

 和気あいあいとした親子のやりとりをよそに、PTAという言葉がひっかかった真樹は、しばらく腕を組んで考えていたが、やがて身支度を済ませて、お礼がてら一番簡単なライトプレーンを買うと、往来へ飛び出すなり、大急ぎで市バスの停留所へ向かい、行き先表示に目当てのものがあるかを探すのだった。

 そして、記憶通りに行き先をあてた真樹はどこか落ち着かない顔をしてみせると、数分ほど経ってから現れた、市電の補完をかねているちいさな市バスの客となり、窓にもたれながら目的地への到着を今やおそしと待つのだった。

 真樹啓介の目的地、それは、学生の頃から原稿を書く折の資料探しで世話になっている市立図書館の分館、大学町の地蔵院文庫であった──。


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