五十九年目の「もういいかい」
その日の傘岡市は、明日がいよいよ当日となった恒例の灯籠流しの支度で、街のあちこちで釘を打つ音、青竹を割る音が響きわたり、町全体が普請中のような、そんな活気をはらんでいた。
「――ああ、そうですか、わかりました。それじゃ、もうじき現地に向かいますので……では」
ほんのわずかに残った公衆電話の列の、今は通話用のスペースになっている一角から出ると、真樹啓介は市民会館の吹き抜けをみあげる、出入り口わきのカフェテリアに控えた村瀬たちに、大沢と坂東医師がいま出発した旨を告げるのだった。
「――先生の話では、あれ以来大人しくお過ごしだったそうですから、強い刺激で倒れるようなことはないそうです。跨線橋のあたりまで来たらまた電話をするそうですから、そうしたら迎えに行きましょう」
「やっと、彼に再会できるんですなぁ。真樹さん、あなたのおかげで、長年の憂鬱が晴れましたよ。ありがとう、ありがとう……」
しきりに謝辞を述べる村瀬に、照れ笑いをしながら応じる真樹だったが、内心、彼は不安でしかなかった。なにせあの日、地蔵院文庫である事実に気付いてしまった彼は、この現実をどう受け止めるか、採算坂東医師と相談したのである。
――しかし、これよりいい方法も他には思い当たらん。当たって砕けろ、の論法でいくしかあるまい……。
先に村瀬たちが買ってきた缶ジュースの中から、適当にとったトマトジュースをちびりとなめながら、真樹は目をぎょろつかせ、窓の外に燦燦と照り付ける、夏の日差しをにらむのだった。
交通事情がよくなかったのか、大沢と坂東医師の到着は予定を十分ばかりオーバーし、時計の針が午後二時を差そうというあたりで、ようやく待ちかねていた着信が真樹の電話へとあった。
「――さあみなさん、いよいよですよ。五十九年越しのかくれんぼを、ここでちゃんと終わらせることにしましょう」
「ハハハ、ずいぶん長い間かかったもんだなぁ」
「でも、そっちのほうが面白みがあるでしょう? いいじゃない、子供のころみたいで」
かつてやんちゃな小学生であったろう六十過ぎの彼ら、彼女らは、しきりに笑いあうと、真樹にくっついて、かつてジャリ畑、と呼ばれていた市民会館の駐車場裏、ちょうど、JRの線路をフェンス越しに眺めるような東向きの一角へと繰り出したのだった。折よく、雲の合間に傘岡市が隠れてしまい、日差しの方もいくらかやわらいでいる。真樹にとっても、お世辞にも若いとは言えない面々を引率する手前、こちらのほうが気楽なようだった。
「――見えたっ」
しばらく、六人の元・やんちゃ坊主たちとともに駐車場の隅にいた真樹は、遠目に見える門の中へ、地元のデパートの資本が入っているタクシー会社の車が入ったのを見て、声を上げた。それにつられて、六人もさらに活気づき、普段静かなフェンス前が、俄然にぎやかになるのだった。
「――真樹さぁん、お待たせしました。大沢さんをお連れしましたよ」
ソフト帽の中をこちらに向けて振る坂東医師のその背後、夏物の背広を着こんだ大沢の姿に気付くと、村瀬たちは感極まり、しきりに目元へ指を走らせながら、待ちに待った再会の時を迎えたのだった。
そしてついに、両者の距離がほんの一メートルほどになり、村瀬たちは待ち構えたようにこう叫ぶのだった。
「――もういいかい」
「――もういいよ! みんな、ごめんな。ごめんな……」
大の大人が、激しい感情の起伏にまみれ、肩を揺らしながら抱き合う姿というのは、傍から見ればひどく滑稽だったのかもしれない。しかし、ここには五十九年近い月日の流れをものともせずに、昨日別れたばかりのような熱い友情を保っているような例もあるのだ。それからしばらく、彼らは周りの目など気にせず、純真な子供の心に帰って、かつてここで遊んだこと、飛行機を飛ばしたことなどを話し合い、ある程度落ち着いてから、それぞれと固い握手を交わすのだった。
「――真樹さん、ありがとう。おかげで、長い間の胸のつかえがとれましたよ」
村瀬と握手をしていた大沢は、隣にいた真樹へと礼を述べた。ところが、その真樹の手に握られていたあるものを見た途端、大沢は青い顔をして、数歩後ろへとたじろいだのだった。
「……村瀬さん、僕は野暮なことはきらいな主義なんですがね。どうしても、みなさんにお伝えしないといけないことがあるんですよ」
そういいながら、真樹は半歩後ろへ下がって、手にしたあるものを、ジィジィと音を立てて回しだした。アブラゼミの声のような、ひどく耳につくその音に、訳も分からないまま村瀬たちは耳をそばだてていたが、そのうちに、
「――わ、わああっ」
と、大沢が白い目をむいて倒れ込んだので、坂東医師がすかさず、彼を後ろから支え、ほかの面々にも手伝いを頼むのだった。
「ま、真樹さん、あなたいったいなにをなさったんです、それに……おや……?」
詰め寄った村瀬は、真樹の手に握られたものの正体に気付いて、目を丸くした。それは、あちこち油じみなどで黒くなり、ほとんど元の色が分からなくなっていた、ライトプレーン用のゴム巻器、一般にワインダーと呼ばれる代物だった。
「みなさん、どうか落ち着いて真樹さんのお話を聞いてください。ちょっと、刺激が強いきらいはありますが……」
肩を貸したまま、首筋でそっと脈を診ていた坂東医師の声に、ほかの面々が注目を寄せると、真樹啓介は軽く咳払いをしてから、こう言い放つのだった。
「――みなさんがずっとお探しだった、かくれんぼの日にいなくなった大沢少年は、それから間もなくこのジャリ畑で起きた事故で亡くなっているのです。そして、ここにいる人物の正体というのは、その亡き兄が乗り移っていた実の兄弟、弟の大沢正文さんだったんです」
あっけにとられた村瀬たちの顔から、血の気が引いてゆく。横の線路を、長い貨物列車が徐々に速度を増し、東京の方へ向かって轟轟と走り去っていく、あるお盆の昼下がりのことである。




