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【ファンタジー】網の中の暮らし

挿絵(By みてみん)

「ふるぁぁああぁぁ!!!!」



 振太刀ふるたち雄助ゆうすけは未来を切り開きたかった。

 しかし、得物がスコップでは無力であった。

 ビリビリ電流が容赦なく雄助ゆうすけに注ぎ込まれた。



「あはぁん……しびれるぅ……」



 雄助ゆうすけは、くたっと地面に座り込んだ。

 彼は貧弱な男子高校生。

 相手は強大な網。



 ここは網に覆われた村。



「よぉ~し、それなら!」



 雄助ゆうすけはスコップを構えて、えっさほいさと穴を掘り始めた。



「越えられないハードルなら、潜ればいいじゃない!」



 ところが、網は球形なのだった。

 地上に露出している半球形の網は、地下でも同じように半球形を描いていた。



「ふるぁぁあ……」



 雄助ゆうすけは大の字になって寝っ転がり、網に覆われた空をにらみ、呟いた。



「網の向こうに行きたいのに……」



 鐘の音が響いた。

 これは食事の時間の合図。

 網目が大きく開き、そこから電車が入ってきた。



 村の真ん中で停まった電車は、瞬く間に、村人達に囲まれた。

 雄助ゆうすけも同じく。

 腹が減ってはいくさはできぬ。



 パン。

 カップ麺。

 炭酸飲料。

 牛乳。

 多用な食糧が電車の中から、ぽいぽい飛ばされると、村人達による争奪戦が始まる。

 我先にと手を伸ばし、掴み合い、時に殴り合う。

 無事、餌を獲得した者達は手を合わせて、感謝する。



「業者さん、ありがとうございます」



 雄助ゆうすけは食事に手を出さず、業者さんをにらんだ。

 電車の中であくせく働く姿は異形。



 赤黒いびらびらが頭。

 濃緑の茎が胴体。

 枝のような腕に、花のような手。

 例えれば、歩く食虫植物。



 雄助ゆうすけは蠱惑の生物から、線路へと視線を動かした。



 電車は網の外から内側へと物資を運び込む。

 内側の人が電車に乗って外に出ることは、生涯で一度しか許されない。

 それは出荷の時。

 今この時だけは、網に電車が通れるだけの穴が開いている。

 しかし、仮にその穴を突破しようものなら、その周辺で警戒に当たっている業者さん達に「処理」されてしまうらしい。

 試した者は今までにいない。



「これがほしいんだろ?」



 不意に、黒い棒が雄助ゆうすけの頬をぶった。



「ゴールデンチョコパンだ!」

「お前のめーっちゃ好きなやつ」



 イタズラの犯人は佐屋さやおさむ

 雄助ゆうすけの同級生だが、比較にならないほど背が高かった。



「ほーれ」

「ふるぁぁあ!! ふるぁあぁ!!」

「ほしけりゃ奪ってみろ」

「ふるぁぁああぁ!!!!」



 高いところにゴールデンチョコパンを掲げて、雄助ゆうすけをおちょくることが得意だった。

 優しいので、すぐに手渡すが。



 川のほとりに並んで座って、雄助ゆうすけおさむは食事をする。



「ほむむむむむむ」

「ゴールデンチョコパン、めーっちゃ美味いか?」

「最高だぞ!」

「感謝しろよ。お前のために取ってやったんだからな」

「ほいほい」

「あっ」



 おさむが顔を上げた。

 視線の先には、一人の女性。



「誰、あの人?」

「クラスメイトだろ! なぁ、知ってるか? あいつ、雄助ゆうすけのこと、めーっちゃ好きらしいぜ」



 意外な暴露話ではあるものの、それは雄助ゆうすけにとって、ゴールデンチョコパン以上にそそる話題ではなかった。



「それって、いつ頃から?」

「いつ頃からって……さぁな。俺が噂を聞いたのは2か月前くらいだけど」

「じゃあ、そういうことでしょ」



 雄助ゆうすけの含むところを理解して、おさむは呆れた。

 お前ってめーっちゃドライだな、と。

 だが、雄助ゆうすけにはむしろドライになれない理由がわからなかった。

 2か月前と言えば、食事に発情剤が混入されていた時期と被る。



 ちなみに、おさむの体が人一倍大きいのは、成長促進剤の影響を強く受けやすい体質だったからである。



 すべては単純明快。



「だって、ここは養殖場なんだもん」



     *     *     *



 昼食直後の教室には気だるい空気がただよう。

 中には居眠りしている生徒もいるが、見逃されることはなく、教師の怒りをきっちり食らった。



「起きろ、振太刀ふるたち

「はっ。ゴールデンチョコパン!」

「それは先生の腕だ」



 教師と雄助ゆうすけのやりとりが教室をなごませた。

 だが、ただ一人、おさむだけは笑わない。



「では、授業を続けるぞ」



 白髪の歴史教師の語りを、おさむはぼんやり見つめた。



「今からほんの20年ほど前、業者さんが地球を訪れた。彼らの母星では、ちょいとした困り事があった。それは食糧難だ。増え続ける人口と、減り続ける資源という難題を解決する手段が、移住だった。お見事、彼らはこの地球という豊かな星を探し当て、そして、私達という食糧を楽しんだ」



 それは乱獲だった。

 故郷での行ないを省みない姿勢が、彼らの悲劇を、地球人類の人口減少という形で再現した。

 あっと言う間に、地球人類はレッドリストに名を連ねた。

 業者さんにとって、地球人類はあまりに美味であった。

 それ故の暴食であり、そして、それ故の保護運動が起こった。



「その結果、私達にはこの養殖場が与えられた。業者さんにとっては、私達を計画的に製造・消費できる。一方、私達は楽して生きられる。WIN-WINの関係ができあがったんだ」



 おさむにとって、嫌というほどわかりきった現実よりも、気になることがあった。

 ただ、彼自身がそれを尋ねる必要はなかった。



「じゃあ、先生はどうして先生なの?」



 幼馴染みが軽率だと知っているからだ。

 雄助ゆうすけはいつも通り、思ったことを、臆面もなく口にした。



「だって、網の中じゃ、大人は勉強もお仕事もしなくていいんでしょ? なんで先生は働いてんの? 罰ゲームか何か?」

「……そうだね。この村では、ほとんどの大人がいわゆる『職業』には就いてない」



 ただし、大人達には、とある「お仕事」が託されている。

 ここは養殖場。

 繁殖だけが人生だ。



「でもね、私はそれだけの人生に満足できなかったんだよ」

「どゆこと?」

「わからないなら、それでいいんだよ」



 教師は微笑んで、会話を終わらせた。

 それと同時に、生徒の表情から強張こわばりが消えた。

 彼らは中学生。

 子供ではあるが、既にある程度、世の中というものを心得ていた。



おさむにはわかった?」



 雄助ゆうすけの思案は体育の時間になっても続いていた。



「いや、さっぱりわからねぇな。俺なら義務教育が終わったらすぐに結婚して、お気楽極楽快楽の人生を送るぜ。もちろん、働きやしない」

「ぼくはわかったよ」

「あぁ!? それってどういうこt━━あぶねぇ!」



 今日の体育はドッジボール。

 敵側のコートから放たれた鋭い投球が会話を邪魔した。

 おさむは体格が大きいため、格好の標的となりやすいが、抜群の運動神経でボールをかわした。



「網の中の暮らしはめーっちゃ平和だし、楽だ。何が不満なんだ?」

「ここにいたら、手に入らない物があるんだぞ」

「意味わかんねぇな」

「ふるぁっ!」



 ボールが当たって、雄助ゆうすけは外野に。



「あいたたー」



 わざとらしくボールに当たって、おさむも外野に。



「なんで手を抜いたの?」



 ここでも素朴な疑問を口にする雄助ゆうすけに、思わずおさむは微笑んだ。



 ━━めーっちゃ変なやつ。



おさむ、スポーツが得意だから、あんなヘナチョコボール、簡単に避けれたでしょ? 体調不良? 風邪でも引いてんの?」

「テキトーに生きてたいんだよ」

「……」

「わからねぇか? わからねぇんだろうな。この網の中で、お前だけは常識に染まらないから」



 出る杭は打たれる。

 それは昔のことわざ。

 今なら、出る杭は引っこ抜かれる。



 滅多にないことではあるが、勉強にしろ、スポーツにしろ、特異な成績をあげた者は研究施設に連行され、一生を生体資料として捧げることになる。

 目的は品種改良。

 網の中の人々にとって、フラスコの中より網の中の方が楽園だというのは常識である。



「目立たずに生きるのが賢いんだよ」



 おさむは笑った。



     *     *     *



 君が代は

 千代に八千代に

 さざれ石の

 いわおとなりて

 苔のむすまで



 それが養殖場に用意された住居の外観。

 内部は空洞になっている。

 夏はひんやり。

 冬はぽかぽか。

 その素材や建造方法は業者さんのみぞ知るところ。



「もう2ヶ月になるのぉ」



 男性の手が女性の腹部にそっと置かれた。



「この子はどうしますか? うちで育てますか?」

「いや、子供を2人以上も持つのは好まれんよ」

「じゃあ、出荷ですか」

「悲しむなよ」

「平気です」



 妻の頼もしさに口元をほころばせるも束の間、夫は眉間にしわを寄せた。



「あいつはまだ寝とんのか?」

「体育で走り回って疲れたそうですよ」

「成長促進剤が効いとらんのかな?」

「もし失敗作だったら、どうしましょう」



 夫は鼻で笑った。

 義務教育を修了するまでの間、子供の出荷をするか否かの権利は両親に与えられている。

 今の子供に不満があれば出荷して、代わりに、今、妻の腹の中にいる子供を育てればいいだけのこと。



 ━━お前もそれをわかっとるくせに。



 妻は無言で微笑んだ。



 ━━娘を育てるのも楽しそうですね。



 夫婦生活に不満はなかった。



「ふるぁぁああぁぁ!!!!!!」



 2階で寝ていた息子が大声を張り上げながら、階段を駆け下りてきた。



「網の向こうに行きたいぞ!!!!!」



 雄助ゆうすけの突然の主張は一家団欒を破壊した。

 途端に凍りつく両親。

 だが、ひるむことを知らない子供だった。



「どうやったら、お外に出られると思う!!?!?!?」

「黙れ」



 問答無用で息子を殴り飛ばした父親。

 妻は金切り声をあげる。



「あなた、もう一発やってください!」

「おらぁ!」



 仲良し夫婦だった。



雄助ゆうすけ、二度とそんなことを言っちゃいけませんよ。もうお父さんに殴られたくないでしょ?」

「網は硬くて、スコップじゃ破れなかったぞ!」

「あなた、もう一発やってください」

「おらぁ!」



 運動不足の中年男性に長時間の折檻は不可能だったため、父親はやがて椅子に座り、ものわかりのいい親を演じる方針に切り替えた。



「どうして外に出たいんじゃ?」

「ここにいたら手に入らない物があるの」

「曖昧じゃの。お前、もしかして外の世界に幻想を抱いとるんじゃないか? 網の外の暮らしなんて、ろくなもんじゃないぞ」

「どうして言い切れるの!!?!?!?」

「外の世界にいたからのぉ」



 網の中の人間が網の外に出られることは、出荷の際を除けば、決してない。

 だが、逆はある。

 時折、網の外から網の中へと移住する者がいる。

 それは業者さんによる強制ではなく、むしろ個人の自己決定権の行使の結果である。



 移住を決意する動機は大体同じだ。



「ここは楽なんじゃ。網の外は頑張らんと生きていけん。いや、頑張ったところで、まともな暮らしができるか怪しいのぉ」

「そんな生き方、家畜と変わんないじゃんか」

「網の外では奴隷。網の中では家畜。家畜の方がましじゃよ」

「バカァ!!!」



 想いが通じなければ、苛立ちが募る。

 雄助ゆうすけは机を乱暴に叩いた。



「トーチャンとカーチャンがずっとお外で暮らしてれば、ぼくもお外で生まれてたのに!」

「食って、寝て、結婚して、子供を儲けて、最後は死ぬ。同じことなら、より効率的な方がいいに決まっとる。お前もそうしろ」



 雄助ゆうすけは察した。

 それは無気力。

 彼の両親は、おさむのように、手を抜いて生きる選択をしているのだった。



「ふるぁあぁあああ!!!」



 喚き散らしながら家を飛び出た息子の背中を見送りながら、父親は溜め息をついた。



「お前、悲しむなよ」

「平気です」



     *     *     *



 ━━食べて、寝て、結婚して、子供を生んで、そして死ぬ。人生、つまんな過ぎじゃない?



 網の中において、女性の権利は著しく制限されている。



 ━━じゃあ、死んじゃう?



 ここが地球人類の養殖を目的としている場所である以上、女性に休みない出産が求められるのは当然と言えば当然であった。



 ━━無理無理! 死ぬの怖いもん! 無難に生きるのが一番賢い。ま、そりゃそーよね?



 だから、桃籠ももかごつぼみは決意した。



 ━━とびっきりの恋をするしかなくない!?



「ね、あたしとデートしよ?」

「きみ誰?」

「……」



 意を決して打ち明けた想いは粉砕された。

 どうやら演技でも冗談でもなく、つぼみという存在さえ認知してもらえていないようだった。

 雄助ゆうすけはそういう人間だ。

 常に、興味のあることしか頭にない。

 これをつぼみは前向きに考えた。



 ━━恋に鈍感なのは恋に疎いってこと。つまり、誰も雄助ゆうすけくんに唾をつけてないってことじゃない?



「それじゃ、デートしよ!」

「しないぞ!」

「まずはどこに行く?」

「ぼくは調べ事があるから、図書館に行くもんね」

「いいね、図書館デートって! なぁんか知的じゃない??」



 およそ2ヶ月前から、感情を制御するのが苦手なつぼみだった。



 図書館に到着してから、雄助ゆうすけは夢中で本をむさぼり、つぼみは夢中で雄助ゆうすけを見つめた。

 実のところ、当のつぼみにさえ、正しいデートのあり方などわかっていなかった。

 ここは網の中。

 デートスポットなどなく、よって、デートをするカップルもそうそういない。



 だから、つぼみはただ黙って微笑んでいた。

 どこの家庭でも、女は黙ってにこにこしているものだと教えられていた。



「わっかんないぞぉ」



 とうとう音をあげた雄助ゆうすけに、つぼみは優しく寄り添った。



「大丈夫? 無理はしないでね。体にさわるといけないから」

「きみ誰?」

桃籠ももかごつぼみよ! あんたのクラスメイトでしょうが!! も・も・か・ご・つ・ぼ・み!! 覚えた!!?」

「忘れた」

「きぃーっ」



 ぎゃあぎゃあ騒いだ結果、2人は図書館から追放された。



「調べ事があるんなら、ネットを使えばいいんじゃない?」

「ネットは情報が制限されてるからダメだぞ」

「ふぅん。ところで、デートの続きはどうする?」

「デートなんてしてないぞ! あ、お店に行ーこうっと」

「お店デート! いいね!」



 網の中の唯一の商業施設が「お店」。

 その名に反して、そこでは貨幣が一切必要とされず、好きな時に好きな物を好きなだけ持ち去っていいことになっており、実態は物置場であった。

 衣料品、食糧品、生活必需品など、「何でも揃う」がキャッチコピーのお店だが、雄助ゆうすけは落胆した。



「ここにもぼくのほしい物がないぞ……」



 お店を出て、雄助ゆうすけはふらふらと田舎道を歩いた。

 見慣れた景色がどこまでも続いている。



 雄助ゆうすけが何を欲しているのか?

 何を調べていたのか?

 つぼみにはわからないし、興味もなかった。

 彼女はただデートを成功させたい一心だった。



「ねぇ、いいとこ行かない?」

「どこ?」

「ついてくればわかるよ。ほしい物が手に入らなくても楽しめちゃうんだから」



 やや顔を赤らめながら、つぼみは思いきって雄助ゆうすけの手を握った。



 道なき道を進めば、人気のない森が現れる。

 鬱蒼と繁った草木の中では、視界が効かない。



「えいっ」



 足に足を絡めて、つぼみ雄助ゆうすけを押し倒した。

 そのまま寝技に持ち込むのが彼女の狙い。



「やめろぉ。ぼくはこんなことしてる場合じゃないんだぞ」

雄助ゆうすけくんって子供ね?」

「そうだけど?」

「じゃあ、大人にならなきゃ。大人になるためにはね、練習が必要なの」

「意味わかんないし帰りたいし暑苦しいし!」

「ほら、見て」



 つぼみが誘導した視線の先には、どこぞの女子と戯れるおさむの姿があった。



「みんな同じだよ」

おさむ……どうして……」



 つぼみはそれ以上、雄助ゆうすけに喋らせなかった。



 ━━あたしがあんたの「ほしい物」になってあげる。



     *     *     *



 荷を集めて、仕分けして、積み込んで、運んで、下ろして、運んで、ようやく仕事が一段落した。

 束の間の休憩時間。

 楽しく会話できる間柄の同僚はおらず、彼はいつものように、森まで歩いて来た。



 ━━今日も疲れた。



 ここに一人の業者さんがいた。

 溜め息に混じるのは安堵か不満か。



 網の中では地球人類から畏怖されているが、彼個人の実態を明らかにすれば、低賃金労働者に過ぎなかった。



 ━━機械化すればよくねーか?



 毎日、そう思っていた。

 実際、彼らの文明をもってすれば、それは容易たやすいことであった。

 しかし、この地球という星に、競合相手など存在しないのだ。

 今のままで、生活は成り立つ。

 だから、変わる必要がない。

 上級民の意思が下級民の苦しみを決定していた。



 底辺労働の報酬は小さい。

 物理的には、彼が地球人類に触れることは可能だ。

 だが、地球人類は高級食材。

 彼のような貧乏人に手出しができる代物ではない。



 毎日、運ぶ。

 食糧や、雑貨、本などなど。

 出世の道はない。

 この業者さんの人生もまた網の中に囚われている。



 ━━考えすぎはよくない。つらくなるだけだ。



 蒸気を吸って心を落ち着かせるのが彼のルーティンだ。

 誰にも邪魔されないまったりとした時間が好きだった。



 ところが、この日はいつもと違っていた。



「あぁん。ん……ふん」



 そう遠く離れていないところから、地球人類の声がした。



 ━━こんなところにやつらが来るのは珍しいな。



 興味本意で覗いてみると、成人していない年齢の地球人類がまぐわう姿があった。

 業者さんはそれを無視しようかとも思ったが、到底無視できるほどの騒音ではなく、彼は苛立ちを抑えきれなくなり、荒々しく立ち上がった。



 業者さんの容姿は色も形も植物そっくりである。

 彼がじっとしている間は、その存在にまったく気づいていなかった地球人類のカップル2組が、慌てて身繕いをした。



 心の奥底から沸き上がる優越感。

 それを濁す想定外の行動。



「ふるぁぁ……」



 1名の地球人がふらふらと業者さんに近寄って来た。



雄助ゆうすけくん、何してんの!?」

「あっ。隣でヤッてたの、お前だったのかよ! めーっちゃ驚いた!」

「食べられちゃうよ!」



 ━━食べるもんかよ。



雄助ゆうすけくん、しっかりしなさいよ! 業者さんより、あたしのそばにいたいと思わないの!?」



 女性地球人の問いかけを受け、不審者はくるりと振り返った。



「きみはあんまり美味しくなかったぞ」

「……な、な、な、何ですってぇ!??!?」

「それよりさ……」



 再び、雄助ゆうすけは業者さんに向かって進み始めた。



「ぼくは業者さんと仲良ししたいですぅ♡」



 業者さんは何も答えなかった。

 いや、答えられなかった。

 目である。

 雄助ゆうすけの視線が彼を石像の如く固まらせたのだ。



「業者さんって、いい匂いがしますぞ♡」



 ━━俺はこの目をどこかで見たことがある。いつ、どこで見たのかは思い出せない。今、俺は自分を押さえつけるので精一杯だ。



「お手々が花びらになってるの、綺麗です♡ それにそれにぃ、全身に血管が浮かび上がってるのも、そそられるしぃ、お顔がびらびらぬめぬめなのも素敵って感じ♡ はぁん、ぼく、もう我慢できないぞ♡」



 ━━俺は……こいつを……



「いっただきまぁす♡♡♡♡♡♡♡♡♡」



 ━━!?!?!??



 たかが食糧という油断。

 突然、襲いかかった雄助ゆうすけに対して、業者さんはしばらく為されるがままとなった。



 がぶっ。

 がじがじ。

 ぐいー。

 はむはむ。

 ちゅうちゅう。

 ぺろっ……ぺろろ。



 ━━食われてる!?



 状況を理解するとともに、業者さんは行動を開始した。

 花のような形をした手から、粉を噴出。

 この粉には、目眩ましの効果がある。

 それでも雄助ゆうすけは業者さんにしがみついて離れなかった。



 次に、業者さんは腕や胴体を伸縮させて、大暴れ。

 木々は薙ぎ倒され、獣は叩き潰された。

 それでも雄助ゆうすけは業者さんにしがみついて離れなかった。



 そして、打つ手なし。



 要するに、業者さんは雄助ゆうすけを自分の体から振り落とすことしか考えていなかったわけである。

 業者さんは捕食者の立場。

 食物連鎖の頂点。



 ━━俺がその気になりゃ、てめぇなんか一瞬で消化できちまうんだぞ!!



 心の中の威勢が実行に移される気配はなかった。

 彼には自分の人生を賭ける覚悟がなかったからだ。



     *     *     *



 雄助ゆうすけは物心がつく前から、ある夢を持っていた。

 物心がついた頃、その夢が網の中では叶わないと知った。

 食事の中に含まれる成長促進剤は彼の体ではなく、脳に作用した。

 いつしか、彼の世界は逆転した。



 ━━ぼくが網の中にいるんじゃない。ぼくはこの宇宙のすべてを網で捕まえてるんだぞ!



 ここは網の外。

 せっかく網の中に蠱惑の生物を育てているのに、網の外に行けないのであれば、一生、美食を楽しむことができない。



 ━━こぉ~んなにいい匂いなのに。



 雄助ゆうすけはいつも悲しんでいた。

 業者さんの体臭がゴールデンチョコパンにそっくりだからだ。

 ゴールデンチョコパンは至高の一品。

 網の中には、この食品が大量にあるはずだが、決して雄助ゆうすけの手に届かない。



 欲望は日に日に心の中に降り積もり、とうとう、この日に溢れ出した。



「ふるぁあぁあぁぁぁぁ!!!!」



 暴れる業者さんに振り落とされないよう、雄助ゆうすけは必死になって奮闘していた。

 しかし、それにも飽きてきた。



「がぶぅ」



 ━━うんまぁ~~~い!!!



 それは想像を超える美味。

 これを独占したいという欲求は、友情によって克服された。



おさむ、おいでよ! すっごく美味しいぞ!!!!」

「いや、全然食べたかねーよ……」



 おさむはひたすら腰を振っていた。



「俺はめーっちゃ女を食いたいだけだから」



 他人を理解できないことにも、自分を理解されないことにも、雄助ゆうすけはとっくに慣れていた。

 だから、つぼみが無言でその場を離れたことも気にならないのであった。



《フヴォヴォヴォヴォヴォヴォォォォオオア》



 地球人類には理解できない言葉が業者さんの口から発せられた。

 それは反撃の嚆矢だった。

 業者さんは、あくまで雄助ゆうすけを殺さず、食さず、しかし傷つけることだけは決意して、彼を殴り始めた。



 ばさばさばっさばさ。

 花のような可憐なお手々のパンチはほぼ効果がなかった。

 ただし、その花から飛び散る花粉だけが、雄助ゆうすけにくしゃみや鼻水の激しい症状を起こすことに成功した。



「ぶえっくしょ。ばっくしょ。どっこいしょ」



 雄助ゆうすけは体力がなかった。

 だが、とっておきの得物があった。

 そして、人生を賭ける覚悟があった。



さばいてやる!!!!」



 ポケットから取り出されたのは、スコップ。



「おいおい、そりゃ無理だろ」

「無理じゃないもんね!!!」



 取り込み中のおさむにさえ心配される武器ではあるが、雄助ゆうすけには確信があった。



 雄助ゆうすけは毎日、スコップを網にぶつけていた。

 それはなにもヤケッパチだったからではない。



 この村には銃砲刀剣の類がない。

「平和」な世界だからだ。

 武器がないなら自分で造るしかなかった。



 この世界を包む網は砥石の代わりになる。



 その事実に気づいて以来、雄助ゆうすけは毎日、網と対峙した。

 スコップで網を突いた。

 そうして、武器を手に入れた。



「ふるぁあぁぁぁ!!!!」

《ギョベェエエフフヴェヴェエエコ!!!》



 雄助ゆうすけはスコップの切れ味の鋭さを証明した。

 業者さんの体からほとばしる血液。

 それはまさしく勝利の美酒であった。



「お肉も美味しいぞ!」



 やがて生命の幕を閉じた業者さんの上で、雄助ゆうすけはゆっくりと食事を楽しんだ。



 満腹。



 底無しの食欲。



 ━━さて、そろそろ出発しよっかな。



雄助ゆうすけ、どこに行くんだ?」



 ぱんぱんに膨らませたお腹の親友に、ぱんぱんと腰を打ち付けるおさむが尋ねた。



 雄助ゆうすけの次なる目標は電車の通り道を突破して、網の外に行くこと。

 雄助ゆうすけの現在の不安はそれを実現できるだけの体力がないこと。



おさむはまだ逝かないの?」

「俺はもうそろそろ……うううっ」

「抜いて!」

「言われなくても……」



 成長促進剤が驚異的なまでに作用し、急激な成長を遂げているおさむ

 ならば、その一部を取り込むことで、自身もまた急成長を遂げられるのではないかと雄助ゆうすけは考えた。



「あうっ」

「ぱくっ」



 これが本当に効果的であるかどうかは、彼にもわかっていなかった。

 間違いないのは、不思議と体に力がみなぎり始めたこと。



「待っててね、新しい世界」

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