2話 青天の霹靂
「あなや?」
「気にしないで! いやもうほんと忘れて……」
できることなら今すぐ走って帰りたい。
しかし聞き間違いでなければ大事な場面。それは許されない。つらい。
「き、聞いたか今の?」
「オレの天使が死んだ……」
「アレだろ! 罰ゲーム的な!」
廊下でたむろっていた男子たちの反応が、聞き間違いではないと勝手に証明してくれた。
ありがとう。目が虚ろで俺と同じぐらい重傷だけど大丈夫かな。
「えっと……、俺は狂喜乱舞したらいいんでしょうか」
「先輩も罰ゲームだと思ってるんですか?」
「あるいはドッキリかと」
なにせ俺の外見はモブの一言に尽きる。もしくは眼鏡。
バカが眼鏡? と思った人、残念ながら俺の成績は学年二位だ。
発言の偏差値が低いとかでバカバカ言われる。誠に遺憾。
「違います……」
即答すれば佐藤さんの大きな瞳がうるりと揺らいだ。ふぉ!?
「な、泣いちゃう!?」
「だって……」
「ちょっと静かなところで話そうか!」
このまま廊下に居れば弾劾裁判(死刑一択)は免れない。
佐藤さんの腕を掴み、半強制的に移動することにした。
注目を集めながらも屋上へと続く階段まで来たところで足を止める。
うちの学校は屋上が立ち入り禁止の為、この辺りはひと気がなく安全だ。俺が。
「ごめんね。急に引っ張って」
「……い、いえ」
振り返れば少し息を切らせている佐藤さん。
歩くペースが速かったのかもしれない。モテない俺のエスコート力=皆無。
「本当にごめん! ゆっくり息して!」
「大丈夫、です。気にしないでください」
佐藤さんはふぅと一息つくと、ニコッと笑ってみせる。良い子……。
「じ、じゃあ改めて話するけど」
「はい」
「さっき言った事、本気?」
「勿論です! 冗談で告白なんてしませんから!」
「いやでも、なぜ俺っていうか……。ほら、話したこともないし」
イケメンならともかく、モブにそんなビッグチャンスがある訳ないことぐらい分かっている。あれば罠。
姉にもキツく言い聞かされているのだから間違いない。酷いよ姉さん。
「先輩って意外と有名人ですよ?」
「えっ」
「毒りんご先輩のフォロー、いつもしてるじゃないですか」
『姫』はどこ行った!?
何となく敵意を感じたのは気のせい、かな?
「最初は大変だなぁぐらいにしか思ってなかったんですけど、目にする度に一生懸命で」
「もはや脊髄反射だからね」
俺が拾わなかった時の空気といったら極寒地獄。
「凄く優しい人なんだって気付いたら、好きになっちゃってたんです」
ま じ か。
当たり前すぎて考えたこともなかった。
「いや随分と美化されてる気がする! 俺、別にそんな聖人君主じゃないよ……?」
「そんな事ないです! 普通の人なら毒りんご先輩なんか見放してます」
うん、今確信を持った。この子は林檎が嫌いだ。
「まぁ一応、幼なじみだしさ」
「ずっと一緒にいる方が珍しいと思いますよ」
そういうもんかな?
「……あの、名前も知らない後輩にいきなり告白されても困りますよね」
首を捻っていたら、佐藤さんがしょんぼりして素っ頓狂な事を言い出した。
「知ってる、知ってる! 佐藤さんこそ有名人!」
「! 私の名前……っ! 嬉しいです!」
「だから正直、実感が沸かないっていうか……ね」
モブの性か『そんな訳ねぇだろ』と脳内ツッコミがやまない。
「じゃあ嘘じゃないと分かってもらえるまで、アピールしてもいいですか?」
「は、い?」
「迷惑……でしょうか」
「滅相もない!」
「よかった! 好きになってもらえるよう頑張ります!」
無邪気に喜ぶ佐藤さん。
キラキラと輝く粒子を纏うこんな美少女が、俺を好き……?
どう考えても有り得ない。疲労のあまり白昼夢を見ているのだろうか。
林檎のアフターケアで疲れた心を癒す為に作り出した、都合の良い夢を……。
腕を掴む感覚があったのも明晰夢ってパターンで。
確かめる為にもう一度佐藤さんに触れてみる。
「ひゃっ!?」
ポンポンと頭を撫でてみたら可愛い声が返ってきた。
リアル過ぎる感触と反応、それに伴い発汗する俺の身体。これは間違いない。
「現実だ。ごめん!」
「い、いえ。ビックリしましたが、もっとやって欲しい……です」
頬を染め上目遣いでおねだりしてくる佐藤さんに理性が試される件。
「と、取り敢えず今日は帰ろう! 何がなんでも帰ろう!」
「先輩のお家どっち方面ですか? 一緒に帰りたいです」
歩き出した俺のブレザーの裾を、クンと引っ張ってくる佐藤さん。
可愛いが致死量ぉ……。
「……俺は寄るところがあるから一人で帰らせてください」
「そうですか……。残念です。じゃあ、明日も会いに行っていいですか?」
もう好きって言っちゃおうかな。
いやいや、待て落ち着け。近くで俺のことを見たら幻滅される可能性大だ。むしろそれしかない。
よし、明日一日静観しよう! それがいい! 傷が浅くて済む。
「佐藤さんなら大歓迎だよ」
「ありがとうございます! 今日は大人しく帰りますね。先輩、また明日です!」
佐藤さんは一方的に宣言して小走りに去って行く。
ほのかに甘い彼女の残り香と俺だけが、ポツンと廊下に取り残された。
「……俺、今日死ぬのかな」
嵐のような後輩を茫然と見送り、死亡フラグに戦々恐々しながら俺も校舎を後にした。
* * *
「渉ちゃん、ただいまぁ!」
夕飯の下準備を終え、ランドリールームで洗濯物をたたんでいたら姉さんが帰って来た。
帰宅早々ご機嫌で俺に抱きついてくるのは、いつものこと。
ちょっと――いや重度のブラコンを患っているのだ。もはや不治の域。
「おかえり、姉さん。ちょ、たためないから離れて」
「やだぁ。渉ちゃんが足りないから充電するのぉ」
背中にぐりぐりと頭を押し付け抗議する大学二年の姉、穂香。
家ではこんなだけどミスキャンパスの美女である。俺とは似てない。実の姉です。
「あれ?」
「? どうかした?」
この状況が既にどうかしているが、そこはスルーして欲しい。五分は離れないんだぜ……。
「――新たなメスガキの臭いがする」
「は?」
「ねぇ、渉ちゃん。学校で何かあったぁ?」
「何も!? 何もないであります!」
笑顔が怖い! 異常な嗅覚も怖い! メスガキって言い方が何より怖い。
「ね、姉さんこそ何もなかった?」
「うん? そうだ、聞いてよぉ。テラスで渉ちゃんの愛弟弁当食べてたら、『そんなのより俺が一流シェフの店に連れて行ってやる』とか言われたのぉ。酷くない?」
キャラ弁ならともかく生姜焼き弁当だしね。男飯しか作れないから俺。
愛弟弁当って何だ。
「いいじゃん。連れてってもらえば」
「渉ちゃんの愛情が詰まったお弁当をバカにされたんだよぉ? 絶対行かないもん」
「まあ、『そんなの』って言い方はちょっと複雑な気分になるけど」
「でしょぉ? だから言ってやったよ!」
「……何て? ちょっと実演してみて」
嫌な予感百二十パーセントしかしない。
案の定、姉さんは汚物でも見るような冷たい目で言い捨てた。
「はァ? 一人で食べてろ、お金の価値でしか測れないボンボンが」
すまぬ誰だか知らない金持ちっぽい人……!
姉さんも攻撃されると口が悪くなるのだ。林檎と良い勝負。もしくは格上。
相性は最悪の一言に尽きるよ。もう嫁姑ぐらい百年戦争。
「気持ちは嬉しいけど、ほどほどにね……」
「えぇー。また何か言ってきたら、渉ちゃん助けてくれる?」
「うん。代わりにサンドバッグになるから呼んで」
颯爽と助けられるモテスキルはないのだ。選択コマンドはいつだって逃げるか身代わり。俺は身の丈を知る男。
「え、そんなことしたらアイツ殺すわ」
「急にマジトーンで言わないで! こ、この話終わり。晩ご飯にしよ」
「はぁい。じゃあ着替えてくるねぇ」
満足したのかルンルンと二階にある自室へ向かう姉さん。
洗ったパンツ持ってくの忘れてるよ……。
――そうして無事迎えた翌日。
「先輩、会いに来ました!」
妙な空気になっている学校の雰囲気を疑問に思いつつ教室に辿り着けば、佐藤さんが待ち伏せしていた。
朝一、だと……?