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練兵場での訓練を終えて外にでようとすると、出口のほうでなにやらざわついていた。外で異変が起きているようだ。
「なにかあったのか?」
俺は出口の脇に立っていた顔見知りの男に声を掛ける。
「あ、レオンさん。それが、ついさっき妙な雨が降り出したみたいなんです」
「なにが妙なんだ?」
「それが、熱い雨が降っていると・・・」
誰も詳しいことを知らないようだった。
試しに通りに出て雨に手のひらを翳してみる。すると、雨滴が落ちた箇所を焼けるような痛みが襲った。
「・・・アシッドレインか!」
雨に打たれた手の甲はまだらに赤く腫れていた。
もう一度、通りに目を向けると雨宿り場所を探すため、何人かのプレイヤーが雨宿りする場所を求めて苦しげに駆けていく姿が見えた。
だが、どうして急に雨が降り出した?
Bテストでは、天気はいつも快晴だった。
仮想現実の世界なのだから、天気など自由自在だ。むしろ雨を再現するのに、余計な手間がかかる。
考える俺の脳裏に中学時代に教わった雑学の知識が浮かんできた。
ダーウィンの進化論が世に送り出されるよりも以前、十八世紀の神学者ペイリーによって神の存在証明が試みられたことがある。
理論はこうだ。
この世は複雑な機械時計のように精緻に形作られているが、時計は造り手がいなければ自然に組みあがったりしない。
すなわち、この精緻な世界も同じように造り手なしには生まれえない。
この世に神がいるなんて理屈は俺には笑い話でしかないが、もしも世界が機械時計と同じなら、意味のない部品なんておそらく存在しないだろう。
そして、この世界には明確に創造主が存在している。開発者、あるいはゲームマスターという名の神が。
逆に言えば、ここで起きるすべての現象には意味があるはず。
その意味について考えていたとき、俺の耳にコールが届いた。イーガンからだ。
『レオン。外は見たか?』
「たった今、確認したところだ。この雨の影響は?」
『あまり表を歩かないほうがいいね。どうも雨に当たるとちょっとずつHPが削られていくらしい。ただでさえ回復アイテムの希少なこの時期にこの雨はかなり厄介だな』
俺はイーガンと言葉を交わしながら、曇った空を見上げた。
月明かりが雲に遮られ、いっそう深い闇の帳が街を包んでいる。
今夜中にこの雨が止まない限り、フィールドに出ることもままならない。かといって魔導書庫の攻略も時期尚早だろう。
『それと、これはフックスからの忠告だ。PTメンバーにも伝えておいてほしい。この雨はHPだけでなく触れたものの耐久度も下げてしまうみたいだから、外を歩くときは装備品をアイテムボックスにしまってからにしろとのことだ』
「物質を溶かす酸の雨か、運営側の単なる嫌がらせか?」
しとしとと小雨でけぶる通りを眺め続けていた俺の目に、枝の折れた街路樹が映った。耐久度が下がり続け、重さに耐えきれなくなったのだろう。この分だと、そのうち建物の屋根だって崩れかねない。
ふと、脳裏に閃くものがあった。
今一番、耐久度が下がるとヤバイものはなんなのか、その答えは街の外側にある。
「イーガン、大至急、フィールドの様子を確認しろ! 外壁が崩れる!」
ヴァネサリアの街は周囲を石積の高い壁でぐるりと覆っている。
今までフィールドMOBが外壁を越えて襲ってきたことはないが、もし外壁が崩れたら外を徘徊するMOBが街のなかまで侵入してくる可能性がある。そうなった場合、たくさんの死者が出るのは確実だ。
イーガンも事の重大さを把握して、すぐさまギルドメンバーに召集をかけたようだ。
MOBの強さの変更といい、急に降り出した雨といい、本来なら起こり得ないことが、いくつも重なっている。
この先にはいったいなにが待ちかまえているのだろう。
俺は心配そうに空を見上げる兄妹をその場に残し、強酸性の雨のなかに飛び込む。必要なのは情報、それとなにかあった場合の対抗手段だ。
ギルドハウスに向かって駆け走る俺の肌を降り止まぬ雨が灼く。
◇◇◇
情報が判明したのは、雨が降り始めてからほぼ丸一日が経過した頃だった。
夜間はMOBの湧出率、強さが跳ね上がり、ハイド&エスケープが得意なハンターといえども、危険が大きすぎてフィールドに出られないためだ。加えてこの雨で遠くまでいけなかったこともある。
判明したのは最悪を通り越した絶望的状況だ。
【GOE】の一階ホールに集まり、同じく情報を受け取ったオレアリアが呆然自失の声をあげる。
「ゴブリンの大量発生だと・・・」
報告の限りでは何千という数のゴブリンが谷から溢れ出すように出現しているという。
「まるで水道管が破裂したみたいな勢いでポップしてやがった。しかも、街に向かっている。ここまで攻めてくるのは時間の問題だぞ」
命がけで情報を持ち帰ってきたガゼルが深刻な表情で告げる。
「具体的な時間は?」
「タイムリミットは約6時間ってとこだと思う」
残された時間のあまりの短さに皆が押し黙る。
仮にゴブリンの湧出が止まったとしても、現時点での戦力差がすでに絶望的だ。
この一日の間に集められた情報によれば、現在の街の人口はおよそ6800人。そのうちLv2以上のものは100人をわずかに越えた程度。しかもこれはカサンドラ・エクスの生き残りと、先のゴブリン谷攻略メンバーを足しての数だ。要するに内訳のほとんどは魔術師だ。
「フックス、外壁はどうだ? 崩れる心配はないのか?」
ヴァネサリアのように城壁で囲まれた都市は城郭都市と呼ばれ、高く厚い外壁によって外敵の侵入を阻んできた。現実に存在する城郭都市のなかで有名なのはドゥブロブニク旧市街だろう。
ヴァネサリアは360度壁に囲まれていて、外壁を通って街を一周することも可能だ。守備兵を展開し、外壁の上から一方的に攻撃を仕掛けることもできる。
だが、いくら壁の防御力が高くても、肝心の守備兵力が相手にダメージを与えることができなければジリ貧だ。
「調べてさせてみたが耐久度は徐々に減ってきてるみてぇだな。20時間は持ちそうだが、外側から攻撃を食らうと崩されるぜ」
「だが、修復はできるんだろ」
「もちろん。素材さえありゃな」
「素材か・・・」
回復アイテムもなく、表に出るだけでダメージを受けるこの状況でフィールドへ採取に出かけるのは、無駄なあがきでしかない。
だったら、残された道はひとつしかない。皆も同じ結論に達したか、揃って俺のほうを見つめる。魔導書庫に潜るしかない。
だが、たった一つの逃げ道にすがりつくのを拒否するように、イーガンが立ち上がった。
「ゴブリンが攻めて来るまで6時間しかない。魔導書庫の適正Lvは未知数だ。PTを送り出して全滅したらどうする。篭城戦のために少しでも戦力を残しておくべきだ。それにこの雨はむしろ俺たちの味方だ。ゴブリンの再生能力を押さえ込んでくれる。まず、ゴブリンを全力で迎え撃って、それから書庫の攻略に挑むべきだ」
「防衛の序盤では近接攻撃の出番はないはずだな、イーガン?」
外壁が機能するうちは、魔術師の遠距離攻撃で一方的に狙撃できるし、前回の谷で使用した弓がまだ残っている。
SOでは重量制限さえクリアできれば、どのジョブでも好きな武器を装備できる仕様になっている。
「アヤカは残って守備戦力に回ってくれ。4時間潜ってなにも見つからなければ戻ってくる」
「わかりました。私がほかの人たちに戦い方を教えればいいんですね」
「レオン、アンタは最強のプレイヤーとして率先して戦う義務があるとは思わないのか」
「敵の前に立ちはだかるのだけが戦いじゃない。魔導書庫が攻略の最前線だ。街から脱出できるルートがあるかもしれないし、アイテムが見つかるかもしれない」
反駁する俺の言葉を吟味するかのごとく、イーガンは掛けていた眼鏡を外し、弦を指でなぞる。
「いいだろう。アンタは実質、街の支配者だ。俺はアンタに従うよ」
おそらくイーガンも打開策は書庫攻略をおいて他にないとわかっていたのだろう。問題点を指摘するために反対意見を述べたに過ぎない。タイムリミットまでの間に魔導書庫を攻略する方針で会議はまとまった。
「イーガン、俺たちが潜っている間、街の連中には希望を持たせ続けろ。なにがあってもだ」
「俺たちもアンタの帰りを期待している。だから全滅だけはしないでくれ。一人になっても情報だけは必ず持ち帰ってくれ」
優先順位が決まると、ホールは一気に騒がしくなった。
もう余計な議論をしている暇はない。次々にやるべきことが浮かんでくる。
「レオンさんが戻ってくるまでの間に、私たちも打てる手は打っときましょう。まずは教導とサブを含めた部隊編成ですね。フックスさんところから魔術師に転向できる人を寄越してもらえませんか。戦力は少しでも多いほうがいいです」
「おう、まかしとけ。イーガンとこは引き続き、情報集めを頼む。緊急事態だ。アイテムの徴発も進めといてくれ」
「レオン、私たちもさっさと用意するぞ。時間がないんだ。初見タイムアタックをかけよう」
オレアリアが俺の肩に手をかけて言った。
Bテストの予備知識とルカの妖精視野があれば、まるっきり不可能というわけでもない。
修理が完了した装備品と書庫の鍵を旧魔術師ギルドの前で受け取り、俺たちは隠し通路へ向かうことになった。
参加メンバーは俺、ベル、ガゼル、ホセイ、オレアリア、ルカの六人だ。




