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第3話 信じなかった代償

 レオンが追放されてから、三か月が経とうとしていた。


 ガレスは、焚き火に薪を一本くべた。


 向かいではミレイが毛布にくるまり、うとうとしている。エリシアは少し離れた倒木に腰掛け、膝の上に広げた地図を眺めていた。


「おい、エリシア」


「……何?」


「もう休め。明日も歩くんだろ」


「うん。もう少ししたら」


 ガレスは返事をせず、火の中で崩れていく薪を見つめた。


 以前なら、こういうときはレオンがエリシアの地図を取り上げていた。


『続きは明日。寝不足の神官に治療される身にもなってくれ』


 そう言って笑うと、エリシアは決まって不満そうな顔をする。


 それでも最後には地図を畳み、レオンの隣に座っていた。


 ガレスは手元の枝を折った。


「……あいつなら、そう言ったんだろうな」


「え?」


「いや、何でもねえ」


 エリシアは地図を畳んだ。


 しばらくの沈黙のあと、彼女が口を開いた。


「ねえ、ガレス」


「何だ」


「レオンのこと、考える?」


 ガレスの手が止まった。


「……考えねえ日の方が少ねえよ」


「そう」


「お前は?」


「私も」


 エリシアは自分の左手を見た。


 薬指には、何もない。


 以前はそこに、小さな銀の指輪があった。


 レオンが初めて大きな報酬を手にした日に買ってくれたものだ。


 高価な宝石も、凝った細工もない指輪だった。


 それでも、嬉しかった。


『もっといいものを買えたらよかったんだけど』


 そう言って申し訳なさそうに笑う彼に、エリシアは何度も首を振った。


『これがいいの。これが一番いい』


 あのときは、本当にそう思っていた。


 今でも、そう思っている。


「……私、ひどいことを言った」


 エリシアが呟いた。


 ガレスは何も言わなかった。


「信じられないって。もう一緒にはいられないって」


「……あの状況じゃ、仕方なかっただろ」


「そうかな」


「証拠もあった。本人だって否定しきれなかった」


「うん」


 エリシアは頷いた。


「でも、レオンは一度も、自分が魔王軍に協力したって認めてない」


 ガレスは顔を上げた。


「……何が言いたい?」


「分からない。ただ、ずっと気になってるの」


 エリシアは両手を握った。


「どうして、あの人は何も話してくれなかったんだろう」


 ガレスは答えられなかった。


 自分がレオンを殴ったときの感触が、まだ拳に残っている気がした。


 あいつは殴り返さなかった。


 ただ、驚いたような顔で自分を見ていた。


 ガレスはその顔を思い出すたびに、腹の底が重くなった。


「……寝ろよ」


 結局、それしか言えなかった。


 エリシアは小さく頷き、毛布を取りに立ち上がった。


     ◇


 翌朝、ヴァルドは一行に新たな任務を告げた。


「魔王軍の幹部が、東の峡谷にある旧砦へ向かっているとの情報が入った」


 地図の一点を指差す。


「少数の護衛しか連れていない。ここで討てば、魔王軍に大きな打撃を与えられる」


「情報源は?」


 ガレスが尋ねた。


「騎士団の斥候だ」


「……そうか」


 ガレスは地図を覗き込んだ。


 峡谷の奥にある砦。


 周囲は切り立った岩壁に囲まれ、逃げ道が少ない。


 待ち伏せには向いているが、こちらが囲まれれば厄介な場所でもある。


「罠だったら面倒だな」


「だからこそ、少数で動く」


 ヴァルドは即座に答えた。


「大軍を動かせば敵に察知される。君たち三人なら十分に対処できるはずだ」


 ミレイが頷いた。


「分かりました。頑張ります!」


 エリシアも異論は唱えなかった。


 ガレスはもう一度、地図を見た。


 何かが引っかかっていた。


 だが、具体的な理由は見つからなかった。


「……分かった」


 そう答え、地図を畳んだ。


     ◇


 峡谷へ到着したのは、その日の夕方だった。


 旧砦は長い間使われていなかったらしく、外壁の一部が崩れていた。


 門の前には、魔物の姿がない。


「静かですね」


 ミレイが囁いた。


「ああ」


 ガレスは大剣の柄に手を置いた。


 ヴァルドが先頭に立つ。


「敵は奥にいる。音を立てるな」


 四人は砦へ入った。


 崩れた回廊を抜け、中庭へ出る。


 そこでガレスは、ヴァルドが突然足を止めたことに気づいた。


「どうした?」


「……物音がした」


 ヴァルドは右手の通路を指差した。


「私はそちらを確認する。君たちはここで待機してくれ」


「一人でか?」


「すぐ戻る」


 そう言い残し、ヴァルドは通路の奥へ消えた。


 ガレスは眉をひそめた。


「……妙だな」


「何が?」


 エリシアが尋ねる。


「敵の幹部を討つ任務だってのに、あいつはずいぶん落ち着いてる」


「ヴァルドさんは、いつも冷静じゃないですか?」


 ミレイが言った。


「そうなんだけどよ……」


 ガレスは通路を見た。


 ヴァルドの足音は、すでに聞こえなくなっていた。


「少し見てくる」


「ガレス?」


「お前らも来い。離れるなよ」


 三人は慎重に通路へ進んだ。


 奥には、扉の外れた小部屋があった。


 その向こうから、話し声が聞こえてきた。


「……予定どおり、三人を連れてきた」


 ヴァルドの声だった。


 ガレスは足を止めた。


 別の声が答える。


「随分と時間がかかったな、人間」


 低く、耳障りな声。


 魔物のものだった。


「勇者を追放するのに手間取った。だが、これで問題はない」


 ヴァルドが答えた。


 エリシアの顔から血の気が引いた。


 ガレスは彼女を制し、壁際からそっと室内を覗いた。


 ヴァルドの向かいには、黒い鎧を着た魔族が立っていた。


 額から伸びた二本の角。


 背には、折り畳まれた翼。


 どう見ても魔王軍の将校だった。


「レオンの件は、確実だったのだろうな?」


 魔族が尋ねた。


「ああ。偽の密書も、取引記録も、王国は疑わなかった。あの男はもう勇者ではない」


 ガレスの心臓が大きく脈打った。


 偽の密書。


 取引記録。


 王城で見せられた、あの証拠。


「……嘘、でしょ」


 ミレイが震える声で呟いた。


 エリシアは口元を押さえた。


 ガレスは歯を食いしばった。


 まだだ。


 聞き間違いかもしれない。


 そう思いたかった。


 だが、ヴァルドは続けた。


「レオンがいなければ、残りの三人を始末するのは容易い。王国の主力が消えれば、約束どおり私に領地を与えてもらう」


「魔王様への忠誠が続く限りはな」


「分かっている」


 ガレスの指が、大剣の柄に食い込んだ。


 そのとき、足元で小石が転がった。


 かすかな音だった。


 だが、室内の会話が止まった。


「……誰だ?」


 ヴァルドの声。


 ガレスは剣を抜いた。


「俺だよ」


 部屋へ踏み込む。


「説明してもらおうか、ヴァルド」


     ◇


 ヴァルドは一瞬だけ目を見開いた。


 しかし、すぐに表情を戻した。


「……聞いていたのか」


「ああ。最初からな」


 ガレスは剣先を向けた。


「レオンを陥れたのは、お前か」


「そうだ」


 あまりにも簡単な返答だった。


 ガレスは言葉を失った。


「……何?」


「私がやった。あの男が邪魔だったからな」


 ヴァルドは肩をすくめた。


「二十四歳の若造が勇者と呼ばれ、国王からも民衆からも持て囃される。騎士団で何年も働いてきた私より、あの男の方が評価される」


「そんな理由で……?」


 エリシアが呟いた。


「そんな理由?」


 ヴァルドの声が低くなった。


「君たちには分からんだろう。どれほど功績を上げても、勇者の仲間というだけで君たちの方が注目される。私がどれだけ働いても、レオン一人の名声には届かない」


「だから魔王軍に国を売ったのかよ」


 ガレスが吐き捨てた。


「国など、私を正当に評価しなかった連中の集まりだ」


 ヴァルドは剣を抜いた。


「だが、あの男を追放したのは私一人の力ではない」


 三人が息を呑んだ。


「君たちも、随分と協力してくれた」


「……黙れ」


「ガレス。君はレオンを殴ったそうだな」


「黙れって言ってんだ!」


「ミレイ。君はあの男に何と言った? エリシア、君は婚約指輪を返したのだったか」


 エリシアの肩が震えた。


 ヴァルドは薄く笑った。


「実に助かったよ。君たちがあの男を信じなかったおかげで、すべてが簡単に進んだ」


 ガレスが踏み込んだ。


 大剣が唸りを上げる。


 ヴァルドは後ろへ飛び退いた。


「やれ!」


 魔族が叫んだ。


 直後、通路の両側から魔物が押し寄せてきた。


     ◇


「ミレイ! 後ろを頼む!」


「は、はい!」


 ミレイが杖を振る。


 炎が通路を走り、魔物たちを焼いた。


 ガレスは正面から迫る敵を斬り伏せる。


 エリシアが防護魔法を展開し、三人を守った。


 だが、敵は次々と現れた。


「くそっ、何体いるんだ!」


 ガレスが叫ぶ。


 ヴァルドは魔族とともに、部屋の奥へ退いていた。


「無駄だ。ここは最初から君たちの墓場として用意した場所だ」


 床に刻まれた魔法陣が光り始めた。


 エリシアが目を見開く。


「まずい! 封鎖術式よ!」


 次の瞬間、砦の出入口が黒い障壁で塞がれた。


 天井から石片が落ちる。


 通路が激しく揺れた。


「逃げ道が……!」


 ミレイの声が震えた。


 ガレスは歯を食いしばった。


 正面には魔物の群れ。


 背後には崩れた通路。


 ヴァルドは、最初から三人をここで殺すつもりだったのだ。


「エリシア、ミレイを守れ!」


「ガレスは?」


「俺が道を開く!」


 大剣を構える。


 だが、そのとき。


 壁の向こうから、鈍い音が響いた。


 一度。


 二度。


 そして、石壁の一部が崩れ落ちた。


「こっちだ!」


 見知らぬ男が叫んだ。


 灰色の外套をまとった、痩せた男だった。


「早く! この通路なら外へ出られる!」


「誰だ、お前!」


 ガレスが叫ぶ。


「説明はあとだ! 死にたくなければ来い!」


 男は壁の向こうにある狭い通路を指差した。


 エリシアがガレスを見た。


 迷っている時間はなかった。


「……行くぞ!」


 三人は男の後を追った。


 背後で魔物たちの怒号が響く。


 通路は暗く、足場も悪かった。


 何度も曲がり、急な階段を上る。


 やがて、冷たい外気が頬に触れた。


 砦の裏手にある、岩場へ出たのだった。


「……助かったのか」


 ガレスは膝に手をつき、息を整えた。


 男は周囲を確認し、静かに言った。


「まだ安心するな。ここから少し離れるぞ」


     ◇


 砦から十分に距離を取ったところで、男はようやく足を止めた。


「……改めて名乗ろう。私はセディスだ」


 ガレスは警戒を解かなかった。


「セディス? 聞いたことねえ名前だな」


「元は魔王軍で呪術の研究をしていた」


 ミレイが杖を握り直した。


「魔王軍の……?」


「ああ。今は違う」


「どうして俺たちを助けた?」


 ガレスが尋ねる。


 セディスは少し黙ってから答えた。


「ある男に、借りがあるからだ」


「ある男?」


「レオンだ」


 三人の表情が変わった。


 エリシアが一歩近づく。


「……レオンを知っているんですか?」


「ああ」


「今、どこにいるんですか?」


「居場所は分からない。だが、二か月ほど前に会った」


 エリシアは息を呑んだ。


「……生きているんですね」


「そのときはな」


 セディスは答えた。


 ガレスが眉をひそめる。


「そのときは、ってどういう意味だ?」


 セディスは三人を見渡した。


「君たちは、レオンがなぜ魔王軍の関係者と接触していたのか、知っているか?」


「……知らねえ」


 ガレスが答える。


「本人は何も話さなかった」


「そうか」


 セディスは目を伏せた。


「私が口止めしたからだ」


 エリシアが顔を上げた。


「……口止め?」


「私には妻と娘がいる。二人は魔王軍に捕らえられていた。私が人間側に情報を流したと知られれば、殺される可能性があった」


 セディスは続けた。


「レオンは、それを知っていた。だから私の存在を明かさなかった」


 ガレスは黙って聞いていた。


 ミレイが不安そうに尋ねる。


「……でも、レオンさんは、どうしてあなたに会ったんですか?」


 セディスの視線が、ミレイに向いた。


「君の呪いを解くためだ」


 ミレイの手から、杖が滑り落ちた。


「……え?」


「君は魔王軍の砦で、蝕命の呪印を受けただろう」


「……はい」


「その呪いは、自然に消えるものではない」


 ミレイは動けなかった。


「……でも、私、治ったんです」


「ああ。レオンが治した」


 セディスは静かに答えた。


「正確には、君に刻まれた呪いを、自分の身体へ移したんだ」


 風が吹いた。


 誰も、何も言わなかった。


 しばらくして、ミレイが口を開いた。


「……どういう、ことですか?」


「呪いを他人に移す術がある。私はその方法をレオンに教えた」


「……移す?」


「君の命を奪うはずだった呪いを、レオンが引き受けた」


 ミレイは首を横に振った。


「……そんな」


 セディスは言葉を続けた。


「呪いは、受けた者の生命力を少しずつ奪う。今のところ、治療法は見つかっていない」


 エリシアの顔が青ざめた。


「……待ってください」


 声が震えていた。


「それじゃあ、レオンは……」


「今も、呪いに蝕まれているはずだ」


「……嘘」


 エリシアは口元を押さえた。


「だって、あの人……何も……」


「君たちには知らせないようにと言っていた。特にミレイには」


 セディスはミレイを見た。


「自分のせいだと思ってほしくなかったんだろう」


 ミレイの唇が震えた。


「……私」


 あの夜の記憶が蘇った。


 熱に浮かされ、何度も目を覚ました。


 誰かが、手を握ってくれていた。


 苦しそうな声が聞こえた気がする。


 そして翌朝、身体が軽くなっていた。


 自分は喜んだ。


 呪いが消えたと聞いて、嬉しくて泣いた。


 その翌日。


 王城で、レオンを責めた。


『信じてたのに!』


 泣きながら、そう叫んだ。


「……私、レオンさんに……」


 ミレイは両手で顔を覆った。


「……ひどいこと、言っちゃった……」


 声が崩れた。


「助けてもらったのに……私……」


 膝から力が抜け、その場に座り込む。


「……知らなかった……」


 涙が地面に落ちた。


「知らなかったんです……」


 セディスは何も言わなかった。


 エリシアも動けなかった。


 ガレスは、ただ立ち尽くしていた。


 あの日、レオンを殴った。


 何も話さないあいつに腹を立てて。


 裏切られたと思って。


 自分の拳で、親友を殴った。


「……くそっ」


 ガレスは拳を握った。


「……くそ……!」


 地面を殴る。


 鈍い音がした。


 もう一度、拳を振り下ろそうとしたところで、エリシアが腕を掴んだ。


「……やめて」


 ガレスは顔を上げなかった。


「……俺、あいつに……」


 それ以上、言葉が出なかった。


     ◇


 エリシアは、自分の左手を見つめていた。


 薬指には何もない。


 あの日、レオンの前で指輪を外した。


 自分から、彼に返した。


『今のあなたを、信じられない』


 そう言った。


 レオンは、指輪を受け取った。


 何も言わずに。


 あのときの彼の顔を、エリシアは思い出した。


 驚いたような、悲しそうな顔だった。


 けれど、自分は目を逸らした。


 あの人が何を言おうとしていたのか、聞かなかった。


「……私、何をしたの……」


 声が震えた。


 エリシアはその場にしゃがみ込んだ。


「……あの人、死ぬかもしれないのに……」


 セディスは静かに答えた。


「まだ死ぬと決まったわけではない」


 エリシアが顔を上げる。


「……本当ですか?」


「呪いの進行には個人差がある。レオンが今どこまで蝕まれているかは、私にも分からない」


「治す方法は?」


「探している。だが、まだ見つかっていない」


 エリシアは唇を噛んだ。


「……私、神官なのに」


 誰よりも近くで、レオンを見てきた。


 傷つけば治療してきた。


 疲れていれば休むように言ってきた。


 それなのに。


 あの人が一番苦しかったとき、自分は何もしなかった。


 それどころか、傷つけた。


「……会いたい」


 エリシアは呟いた。


「レオンに、会いたい……」


 ガレスが顔を上げた。


「……ああ」


 ミレイも涙を拭った。


「……私も」


 三人は、しばらく黙っていた。


     ◇


「……もう一つ、伝えておくことがある」


 セディスが口を開いた。


「私の妻と娘は、魔王軍に捕らえられていたと言ったな」


 ガレスが頷いた。


「ああ」


「二人は、今は無事だ」


「……助け出したのか?」


「レオンがな」


 三人が顔を上げた。


「追放されたあと、あの男は捕虜収容所に潜入し、妻と娘を救い出してくれた」


 セディスの声は落ち着いていた。


「呪いを引き受けた身体で、だ」


 エリシアは目を閉じた。


 ミレイは再び涙をこぼした。


 ガレスは唇を噛んだ。


「……あいつ、何やってんだよ」


 絞り出すような声だった。


「追放されたんだぞ。国からも、俺たちからも……」


 セディスは答えなかった。


「それなのに、まだ人助けしてんのかよ……」


 ガレスは顔を覆った。


 しばらくして、セディスが一枚の地図を取り出した。


「レオンの居場所は分からない。だが、手がかりはある」


 地図には、いくつもの印がつけられていた。


「ここ数か月、魔王軍の補給拠点が次々と襲撃されている。さらに、魔物に襲われるはずだった村が救われたという報告もある」


「……レオンさんが?」


 ミレイが尋ねた。


「断定はできない。だが、妻と娘を助けた剣士の特徴と一致する」


 ガレスは地図を受け取った。


「……追えるか?」


「可能性はある」


 セディスは北方の山地を指差した。


「最近の目撃情報は、この辺りに集中している」


 ガレスは地図を見つめた。


 エリシアが立ち上がった。


「行こう」


 ガレスが顔を上げる。


「エリシア」


「レオンを探そう」


 彼女の目は赤かった。


 けれど、声ははっきりしていた。


「今度は、ちゃんと話を聞きたい」


 ミレイも立ち上がった。


「……私も、謝りたいです」


 ガレスは二人を見た。


 それから、地図を握りしめた。


「……ああ」


 低い声で答える。


「俺もだ」


     ◇


 三人は北へ向かった。


 道中、いくつもの村を訪ねた。


 レオンの名前を出しても、知っている者は少なかった。


 だが、若い剣士の話をすると、何人かが頷いた。


「ああ、あの人か」


 ある村の老人が言った。


「魔物から村を守ってくれた若い男だろう?」


「その人は、今どこに?」


 エリシアが尋ねた。


「さあな。礼を言おうとしたら、もう出ていっちまってた」


「……そうですか」


「変わった男だったよ。報酬も受け取らねえで、食い物と傷薬だけ持っていった」


 老人は笑った。


「うちの孫が花を渡したら、えらく喜んでくれてな」


 エリシアは小さく微笑んだ。


 レオンらしいと思った。


 その笑顔が、すぐに消えた。


 傷薬。


 その言葉が引っかかった。


「……怪我をしていたんですか?」


「ああ。腕に傷があったな。大したことないって言ってたが」


 エリシアは俯いた。


 ガレスが代わりに礼を言い、村を出た。


 その後も、三人はレオンの足跡を追った。


 魔王軍の補給所を一人で壊滅させた剣士。


 山道で襲われていた商人を救った男。


 捕虜収容所から人々を助け出した、名も知らぬ旅人。


 どの話にも、レオンの名前はなかった。


 けれど、三人には分かった。


 あいつだ。


 間違いない。


 ガレスは何度もそう思った。


 そして、そのたびに胸が苦しくなった。


     ◇


 旅を続けて十日ほど経った頃。


 三人は、北方の街にたどり着いた。


 宿の主人にレオンの特徴を伝えると、すぐに反応があった。


「ああ、その人なら泊まってたよ」


 エリシアが身を乗り出す。


「本当ですか!」


「ああ。静かな若い男だった。よく地図を広げて、何か調べてたな」


「今はどこに?」


「三日前に出ていったよ」


 エリシアの表情が曇った。


「……三日前」


「どちらへ行ったか、分かりますか?」


 ミレイが尋ねた。


 主人は少し考えた。


「確か、北の街道だ。魔王軍の動きを調べてるとか言ってたな」


 ガレスが眉をひそめた。


「北の街道……?」


 地図を広げる。


 その先には、魔王軍の支配地域が広がっていた。


 さらに奥には、魔王城がある。


「……まさか」


 エリシアが呟いた。


 ガレスは地図を睨んだ。


「……あいつ、魔王城へ向かってんのか?」


 宿の主人が不思議そうに尋ねた。


「知り合いなのかい?」


 ガレスは少し黙った。


 それから答えた。


「……親友だ」


 その言葉を口にした瞬間、胸の奥が痛んだ。


 今でも、そう呼んでいいのだろうか。


 自分には、その資格があるのだろうか。


 ガレスは地図を畳んだ。


「……急ぐぞ」


     ◇


 その頃。


 レオンは、魔王城へ続く山道を歩いていた。


 胸の呪印は、さらに広がっていた。


 長く歩くと息が切れる。


 剣を振るうたび、身体が重くなる。


 それでも、足を止めるわけにはいかなかった。


 数日前、魔王軍の伝令を倒した際に、重要な文書を手に入れた。


 そこには、王国への大規模侵攻計画が記されていた。


 魔王軍は各地の兵を集め、間もなく王都へ向けて進軍する。


 その先頭に立つのは、魔王自身。


 レオンは文書を何度も読み返した。


 もし、この軍勢が王国へ到達すれば、多くの人が死ぬ。


 王都には、エリシアたちもいる。


 ガレスも。


 ミレイも。


 そして、何も知らずに暮らしている人々も。


 レオンは立ち止まり、遠くに見える黒い城を見上げた。


「……間に合うかな」


 独り言だった。


 魔王を倒すつもりで来たわけではない。


 少なくとも、最初から一人で戦うつもりではなかった。


 敵の進軍を遅らせ、王国へ情報を届ける。


 それができれば十分だった。


 だが、ここまで来て分かった。


 魔王軍の集結は、すでに最終段階に入っている。


 今から王都へ戻っても、援軍が間に合う保証はない。


 進軍を止めるには、魔王城の中枢を叩くしかなかった。


 レオンは鞄を開いた。


 中には、三つの包みがあった。


 エリシアの指輪。


 ガレスへの贈り物。


 ミレイの誕生日プレゼント。


 どれも、まだ持っている。


 レオンはしばらく、それらを見つめた。


「……帰らないとな」


 小さく呟く。


 生きて帰る。


 それができなければ、何も話せない。


 セディスが呪いを治す方法を見つけてくれるかもしれない。


 もう一度、三人と会えるかもしれない。


 可能性がある限り、諦めるつもりはなかった。


 レオンは包みをしまい、鞄を背負い直した。


 そして、魔王城へ向かって歩き出した。


     ◇


 その日の夕方。


 ガレスたちは、魔王城を望む山道へ到着した。


 空は赤く染まり、遠くの城壁が夕日に照らされていた。


 道端には、倒された魔物の死骸がいくつも転がっている。


 ガレスはその一体を調べた。


 剣による傷だった。


「……間違いねえ」


 エリシアが息を呑む。


「レオンが……?」


「ああ」


 ガレスは立ち上がった。


「あいつが通ったんだ」


 ミレイが城を見上げた。


「……まだ、間に合いますよね?」


 誰も、すぐには答えられなかった。


 やがて、ガレスが大剣を背負い直した。


「……間に合わせる」


 エリシアが頷く。


 ミレイも、強く頷いた。


 三人は走り出した。


 もう一度、レオンに会うために。


 あの日、聞かなかった言葉を聞くために。


 そして今度こそ、彼の隣で戦うために。

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