第1話 Ⅾ判定
国立房総大学の正門から歩いて数分。
学生時代から通っていた馴染みの喫茶店コンニチハカフェで、神無月弥生は、久しぶりに会う友人の水無純とおしゃべりを楽しんでいた。
二人とも、今は房総大学の卒業生である。
「懐かしいわねえ、このお店。学生のころと全然変わってないじゃない!」
「そうねえ。コーヒーの味も昔のままね」
他愛もない話に花を咲かせていた二人だったが、弥生がふと思い出したように口を開いた。
「そうそう。実はねえ、私、結婚することになっちゃって」
「えええっ!?」
純は思わず身を乗り出した。
「ちょ、ちょっと! そんな話、聞いてないわよ!」
「だって、今初めて話したんだもの」
「相手は!? どんな人なの!?」
「新米の司法書士よ」
「へえ! すごいじゃない! どこで知り合ったの?」
「それがねえ……」
弥生は少し困ったように微笑んだ。
「ちょっと長い話になるんだけど……」
「いいじゃない! 聞かせてよ!」
「そうねえ……あれは、私が大学3年生だったころの話よ……」
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「D判定ねえ……」
国立房総大学法学部3年生の神無月弥生は、模試の結果を見てため息をついた。
「D判定ねえ……」
国立房総大学法学部3年生の神無月弥生は、模試の結果を見てため息をついた。
隣には、色白で頼りなげな男の子が、ちょこんと椅子に座っている。
如月紫苑。19歳の浪人生である。
紫苑の父親は、地元ではちょっとした名士で、息子を国立房総大学に入れたがっていた。
残念ながら、現時点では、それは夢のまた夢と言ってよい。
紫苑は学力も並みで、何より覇気がない。英語が少し得意だが、その英語でさえ合格水準には届いていないのだ。
裕福な両親は、若い女子大生を家庭教師につければ、少しはやる気になるだろうと考え、弥生を雇い入れたのであった。
弥生は21歳。身長158センチ。すらりとした体形の、ちょっとした美人である。
難関国立大学の法学部に現役合格した才女なのだが、4月から紫苑の勉強を見始めて、はや1か月。英語が少し伸びた以外には、目立った成果が出ていない。
「ねえ、紫苑くん。房総大に行きたいんでしょ? もっとやる気を出さなきゃダメじゃない?」
「ぼ、僕なりには頑張ってるんだけどさあ……」
紫苑は気のない返事をした。
「なんかさ~、ガーーッてくるものがないんだよね」
「ガーーッて?」
「うん。こう、何が何でも頑張りたくなるような、何かがさあ……」
「例えば?」
「先生の着替えシーンとか見られたら、すっごくやる気が出るんだけどなあ~」
ぽこっ!
弥生は紫苑の頭に、軽くげんこつを落とした。
「こらっ! そんなことばっかり考えてないで、勉強しなさい!」
「あいてて……」
「もう! 今日は英単語をやるわよ。先週のところ、ちゃんと復習してきた?」
「は~い」
紫苑は渋々、単語帳を開いた。
(困った子ねえ……)
決して理解力がないわけではない。教えれば分かるのに、難しい問題にぶつかると、すぐに諦めてしまう。
(もっと本気になってくれれば、伸びると思うんだけど……)
弥生は、ふと先ほどの言葉を思い出した。
(私の着替えねえ……)
ちらりと紫苑を見る。
相変わらず、つまらなそうに単語帳を眺めていた。
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次の授業の日。
「紫苑くん、宿題は全部やった?」
「はいはい。やりましたよ~」
「はいは一回!」
「は~い」
宿題は確かに全部解いてある。しかし、間違いが多い。
「うーん……ちゃんとやっているのに、定着が悪いのよねえ……」
「僕、頑張ってるんだけどなあ」
「そうねえ……」
弥生はしばらく考え込んだ。
(何か、やる気になるものがあれば……)
そして、ふと思いついた。
(……そうだ!)
「ねえ、紫苑くん」
「なあに?」
「あなた、もっとやる気を出したいって言っていたわよね?」
「うん」
「仕方ないわねえ……。じゃあ、特別にご褒美を用意してあげるわ!」
「ご褒美?」
弥生は、にっこりと微笑んだ。
「これから模試でB判定以上を取ったら、服を一枚脱いであげるわ!」
「…………え?」
紫苑の動きが止まった。
「せ、先生……本当?」
「もちろんよ! ただし、最初の一枚だけ。二枚目からはA判定が条件よ!」
「A判定……」
「そう! それから、最後の一枚は、ちゃんと房総大学に合格するまでお預け!」
「……じゃあ、本当に合格したら……」
「ええ! 約束は守ってあげるわよ!」
弥生は自信満々に胸を張った。
「でも、そんなに簡単にはいかないわよ! 今のあなたはD判定なんだから!」
「…………」
紫苑は、じっと弥生を見つめていた。
「……先生、絶対?」
「絶対よ!」
その瞬間だった。
「よっしゃあああああっ!!」
「きゃっ!?」
突然の大声に、弥生は飛び上がった。
「僕、頑張るよ! 死ぬ気で頑張る!」
「え、ええ! その意気よ!」
「絶対に房総大に合格して、先生をすっぽんぽんにしてみせるよ!」
「こ、こらっ! 言い方!」
ぽこっ!
再び、紫苑の頭に軽いげんこつが落ちた。
しかし、紫苑はまったく気にしていなかった。
いつも気だるげで、何を考えているのか分からなかった男の子。
その目には、今まで見たこともないような闘志が宿っていた。
「先生! 今日は何をやるの?」
「えっ?」
「英語? 数学? 国語? 何でもやるよ!」
「そ、そうねえ……。まずは英数国の基礎力アップよ!」
「分かった! どんどん問題出して!」
弥生は驚きながらも、嬉しくなった。
「いい? それじゃ、まずこの英文を訳してちょうだい!」
「はいっ!」
紫苑は、ものすごい勢いで英文を読み始めた。
分からない単語が出てくると、すぐに辞書を引く。文の構造を確かめ、何とか自分の力で訳そうとしている。
(……やればできるじゃない!)
弥生は嬉しそうに微笑んだ。
(この調子なら、少しは成績が上がるかもしれないわね!)




