8.
ジェントリー王国。
王都郊外に建てられた研究施設。
その扉が開いた瞬間だった。
「わあ!」
リディアの目が輝く。
「ミリア見て!」
返事も待たずに駆け出した。
広い研究室。
大型魔石の保管庫。
最新設備。
希少素材専用の倉庫。
どれも王国ではなかなか見られないものばかりだ。
「すごい!」
リディアは目を輝かせた。
「この加工設備初めて見た!」
次の瞬間には別の場所へ。
「待って、この魔石の純度高くない!?」
さらに移動。
「えっ、素材庫まであるの!?」
忙しい。
とにかく忙しい。
目に入るもの全てが気になるらしい。
ミリアは小さくため息を吐いた。
「落ち着いてください」
「無理!」
即答だった。
予想通りである。
少し離れた場所ではルークも苦笑していた。
「想像以上ですね」
「いつもこんな感じよ」
ミリアは慣れた様子で答える。
「研究絡みだと特に」
ルークは納得したように頷いた。
確かにその通りだった。
その時。
「気に入ってもらえたようで何よりだよ」
穏やかな声が聞こえた。
振り返るとアランが立っている。
リディアは勢いよく頷いた。
「最高!」
迷いのない返事だった。
アランは小さく笑う。
「それは良かった」
そして一枚の新聞を差し出した。
「ところで」
「ん?」
「これはもう見たか」
リディアは受け取る。
一面には大きな見出し。
王太子ルイス廃嫡。
聖女エミリア王都追放。
王宮改革開始。
そんな文字が並んでいた。
リディアはざっと目を通す。
「へえ」
反応はそれだけだった。
数秒後には新聞を畳む。
ルークが思わず聞いた。
「驚かないんですか」
「まあ予想通りだし」
リディアは肩をすくめる。
「それより」
くるりと振り返った。
目はもう研究室へ向いている。
「ミリア!」
「何ですか」
「早速始めよう!」
ミリアは呆れたように息を吐いた。
「荷物の整理も終わってないんですけど」
「後で!」
「絶対後じゃないですよね」
「後で!」
同じ返事だった。
アランとルークは顔を見合わせる。
そして。
どちらからともなく小さく笑った。
研究室の奥へ駆けていくリディア。
その後ろ姿は夜会の日よりもずっと楽しそうだった。
きっと彼女はこれからも変わらない。
面白い魔道具を作り。
周囲を振り回し。
そして誰よりも楽しそうに笑うのだろう。
「相変わらずですね」
ルークが呟く。
アランは穏やかに目を細めた。
「それでいいんだよ」
窓から差し込む陽光が研究室を照らす。
新しい研究の始まりだった。
◇◇◇
それからの日々は、あっという間に過ぎていった。
研究費を気にする必要はない。
素材もある。
設備もある。
邪魔をする王子もいない。
リディアは再び研究に没頭した。
朝から研究室に籠もり。
気付けば夜になり。
ミリアに追い出される。
そんな毎日だった。
「また昼食を忘れていましたね」
「忘れてないわ」
「机の上にそのまま残っていました」
「……忘れてた」
「やっぱり」
ミリアは慣れた様子でため息を吐く。
ルークはそんな二人を見て苦笑していた。
ジェントリーへ来てから数か月。
彼もすっかりこの光景に慣れてしまっていた。
そして。
アランも時折研究室へ顔を出していた。
最初は様子を見に来るだけだった。
だが次第に研究の話をする機会が増えていく。
「移動ゲートの進捗はどうだ」
ある日。
アランがそう尋ねた。
リディアは途端に目を輝かせる。
「聞く?」
その一言でルークはそっと席を立った。
長くなる。
経験上分かっていた。
案の定。
一時間後も話は続いていた。
「つまり魔力損失が問題なのよ」
机いっぱいに広げられた設計図。
複雑な魔法陣。
数え切れない計算式。
リディアは熱心に説明する。
「距離が長くなるほど効率が落ちるの」
「循環では解決できないのか」
「試した」
即答だった。
「失敗」
「蓄積は」
「それも駄目」
アランは少し考える。
そして。
何気ないように口を開いた。
「循環させるのではなく、戻してみてはどうだ」
リディアが固まった。
「……え?」
「魔力を一方通行で流すのではなく」
アランは設計図を見ながら続ける。
「起点へ還元する形だな」
沈黙。
数秒。
十数秒。
突然。
リディアが立ち上がった。
「そうか!」
椅子が倒れる。
ミリアが驚いて振り返る。
「リディア様?」
「還元!」
リディアは設計図を掴んだ。
「その発想はなかった!」
「え?」
「そうよ!」
次の瞬間には研究室の奥へ駆け出していた。
「ミリア!」
「はい!?」
「徹夜する!」
「駄目です!」
いつものやり取りが聞こえる。
その姿を見ながらルークは呟いた。
「殿下」
「何だ」
「今の一言で何か分かったみたいですが」
「そうだな」
「私は全く分かりませんでした」
アランは小さく笑った。
「私も半分ほどしか分かっていない」
それでも。
リディアの目が輝いた理由だけは分かっていた。
研究者が求めていた答えを見つけた時の顔だった。
そして。
数か月後。
研究施設の地下。
巨大な魔法陣が輝いていた。
無数の魔石。
複雑な術式。
長い年月をかけて積み上げてきた研究の結晶。
リディアは深く息を吸う。
「始めるわ」
魔力が流れた。
魔法陣が光る。
空間が歪む。
誰も言葉を発しない。
そして。
目の前に光の門が現れた。
沈黙。
数秒後。
ミリアが震える声で言った。
「成功……ですか?」
ルークが慎重に確認する。
向こう側には別の部屋が映っていた。
事前に用意していた接続先。
間違いない。
「成功ですね」
リディアは呆然としていた。
信じられない。
何年も追い続けた夢。
前世を思い出したあの日から作りたかったもの。
ついに完成した。
その瞬間。
「アラン殿下!」
リディアは振り返った。
満面の笑みだった。
「できた!」
子供のような笑顔。
純粋な喜び。
アランはそんな姿を見つめる。
そして穏やかに微笑んだ。
「ああ」
静かな声。
「見てたよ」
ミリアが小さく瞬きをする。
ルークも何となく察したような顔になった。
だが。
当の本人は全く気付いていない。
リディアの頭の中は完成した移動ゲートでいっぱいだった。
「次は改良ね!」
「今ですか」
「今でしょ!」
「休んでください」
「嫌!」
研究室に笑い声が響く。
新たな研究。
新たな発見。
そして。
もしかしたら新しい物語も。
それはまだ誰にも分からない。
ただ一つ確かなのは。
リディア・ローゼンの研究者としての日々は、これからも続いていくということだった。




