第十三話 婚約発表
王城の一室で目を覚まし状況の報告を受けたアルベルトは、自身の目覚めを王へ知らせる遣いを出した。
『謁見の間にて待つ』との返事を受け、手早く支度を整える。遣いの話ではレナードも無事目を覚まし、アレクシアと共にいるとのことだった。
アルベルトが意識を失っている間に、リストニア家の従者たちが彼の新しい礼服を用意していた。おそらく傷を慮ったのだろう、略式でありながらも最上級の生地が使われているそれに袖を通す。
「半日も眠っていたとは…不甲斐ないな」
「魔力切れの症状は、普通の者なら数日は起き上がれません。閣下の鍛錬の賜物かと」
「であれば良いのだが」
さりげないフォローに微笑んだアルベルトの足元が、わずかにふらついた。
(おっと、まだちゃんと回復できてないってことか、…っ、わっ!)
ヴォルフガングが即座に腕を差し出し、腰に手を回して支える。
「……す、すまない」
「いえ……」 触れていた手がそっと離れる。
アルベルトは軽く深呼吸をして息を整えると、謁見の間に向かうため部屋を出た。
舞踏会の夜から一夜明け、謁見の間には朝の光がステンドグラスを通して柔らかく差し込んでいた。 入室すると、玉座に腰を下ろす王の姿がまず目に入った。その隣に第一王子クリストフと第二王子レナードが並び、さらにその隣にはアレクシアが立っていた。
王は疲労を残す様子を見せながらも、大きく安堵の息を吐いた。
「侯爵、目覚めたか。まずは礼を言わせてくれ。そなたの力がなければ、今頃王国は崩壊していたであろう」
声は重く、しかし温かかった。 クリストフとレナードが静かに頷き、アレクシアが小さく微笑む。
王はゆっくりと、語り始めた。
アルベルトが倒れた後に判明した、王妃についての話だ。
まず彼女の自室が、徹底的に調べられた。壁紙を剥がし新しく替えられたばかりの絨毯を剥いだ。
そして、その結果。
「絨毯の下から、おびただしい量の血痕が現れた。魔力の残滓から、血痕が王妃のものであると断定された。……彼女の亡骸は汚れた布に包まれ、今は使われていない地下牢から見つかった。ドレスも何も身につけていない腐敗した身体だったが、間違いないだろう……」
思わず、と言ったように王が手のひらで自らの目元を覆った。
「だが、だからと言ってあれも全くの被害者ではない。二重底になった引き出しからは、呪の末裔と交わしたと思われる契約書が出てきた。どうやら元々は、クリストフを狙うつもりでいたらしい。呪いで体内の魔力を操り、魔法を発動しにくくするという、何とも子供じみた計画が記されていた。……いったいどこで、あのような怪しき輩と関わりを持ったのか」
「……母上は、日頃から私と兄上の年齢差に悩んでいたようでした」
続けるのが辛そうな王に代わり、レナードが口を開く。
「兄上は既に次期王としての地位を確立しておられた。……もはや尋ねる事は叶いませんが、母上は呪いを利用して兄上の評価を下げることで、第二王子である私への周囲の関心を少しでも高めようとしていたのかもしれません」
「侯、そなたが気付いてくれた毒茶が死に至るものでなかった理由も、おそらくそれだ。命まで取る気はなかったのだ。そしてそこを悪しき者につけ込まれ、いつからか存在ごととって替わられていた。クリストフへの謀、決して許されることではないが……気の毒なことだ……冷たい地下牢で、さぞ寂しかっただろう」
王は先の王妃を病で喪っている。まさか二人目も、こんなかたちで喪うとは思ってもみなかったはずだ。
「法に従うのであれば…レナードを含め、王妃の血縁者全てを処刑にするのが正しい。……しかし、侯よ。そなたは余を暗君だと言うだろう。失望もするであろう。愚かな親だと嗤ってくれ。……それでも余は、レナードをこの手にかけたくは、ない……」
国を背負う王ではなく、一人の子の親としての声が響く。
「先の妃を亡くし、失意の底にあった余が再び愛したの今の妃だ。明るく屈託のない女だった。少しばかり考えが浅き点もあったが、それもまた可愛いものだった。……レナードが幼き頃は、クリストフも誘い皆で庭で過ごしたものよ。信じられるか?土の上に布を敷き、民の如くそこに座るのだ」
かつての日を思い出したのか、王の目が優しく揺らぐ。しかしそれも緩く首を振る仕草と共に消えた。
「此度の一件、本来なら妃を禍難を招いた毒婦として国民の前に晒さねばならぬ。そしてそなたは国を救った英雄として、ファンケンラート家に継ぐ地位を得る事が出来るだろう。……だが、侯よ」
玉座から立ち上がった王が、壇上を下りアルベルトの前に立つ。
その頭が、深く、下げられた。
「願わくば、呪の末裔によるおぞましき罠が全てであった、と。妃の愚かな……子供の癇癪のような謀に、蓋をしてはもらえまいか……」
(ちょっ!王様!?ダメだよ、そんな簡単に頭を下げたら!)
「陛下…!頭をお上げください」
平静を装おうとしたが、さすがに焦りが声に出た。
重ねて「どうか」と願い出て、ようやくファンケンラート王の姿勢が戻される。
これほど近くで姿を見るのは初めてだった。
白髪混じりの髪も、かつてはクリストフと同じ艶のある黒色だったのだろう。深く刻まれた皺の奥に見える目は、いつもなら覇気があり重みがある。だが今は、後悔の色に塗りつぶされているように見えた。
(……この人は、王妃を愛してるんだ。レナード殿下のことも、クリストフのことも。そして今、レナード殿下の助命をアルベルトに乞うている。彼が……、私が、この一件の功労者であり、そしておそらく……この国で最も多くの武力を抱えるリストニア家の当主だから)
「陛下……」
アルベルトは居住いを正した。
片膝をつき、臣下の礼を取る。
「陛下は一つ、勘違いをなさっておいでです」
(バカだなぁ、王様。アルベルトはね、自分の功績になんて興味ないんだよ。私がハマって、…尊敬して。こんなふうに生きたかった、って憧れていた人は)
「レナード殿下に呪いをかけたのは、王妃殿下に化けていた呪の末裔です。それはあの広間にいた貴族たち全員が証言することでしょう。無念なことに王妃殿下は呪の末裔の手にかかり、既にお亡くなりになられていましたが……。……ならば、私はこうも思うのです。レナード殿下が呪いにより命を落とさなかったのは、あの方の魂がレナード殿下を守っていたからではないか、と」
「……侯爵…、それはどういう……」
(ちょっと、そんな『何言ってんだコイツ』みたいな顔はやめてください。乗ってきてくださいよ〜。そうだ、レナード殿下にもフォローしてもらおう)
「レナード殿下。殿下にとって、お母君はどのようなお方でいらっしゃいましたか?」
「えっ…?」
不意に呼ばれたからか、少し戸惑った様子をレナードが見せる。だがやがて、ポツリポツリと話し始めた。
「僕から見ても、あまり思慮深い方ではなかった、…かな。怒りっぽくて我儘で……ドレスや宝石が大好きで。王国の未来よりも明日の茶会の席順を考える方が大事だと本気で思っているような…そんな方だった」
でも、と、レナードの口から溢れた声はわずかに震えていた。
「明るく笑う方だった。僕が豆のミルクの方が好きなことを覚えていてくださる方だった。……僕は、…僕はそんな母上が好きだった。敬愛する兄上を、疎んじるような方だったのに…」
涙を流せたら、きっと楽なのだろう。だがレナードはそれをせず、口元を引き結ぶとアルベルトをひたと見据え頭を下げた。
「侯爵、僕からもお願いします。母上は独り、忘れられた地下牢でボロ布に巻かれて腐り果てた。王家の女性としては、おそらく最も惨めな死と言えるでしょう。……どうか、これを彼女への罰として…もらえないでしょうか……」
アルベルトは無意識のうちに立ち上がっていた。「御前、失礼します」と短く王に告げ、頭を下げたままのレナードの前に再び跪く。
そっと覗き込んだレナードの瞳は潤みきり、それでも一滴もこぼすまいと唇を噛み締めていた。
アルベルトは、まだ少年らしいまろやかな線を残したレナードの頬を手のひらで包みこんだ。
「殿下、私とアレクシアの母は六年前に亡くなりました」
「……聞いている。侯の父、先代のリストニア侯爵と共に腐死竜と相討ちになった、と」
「ええ。…おそらく楽な最期ではなかったでしょう」
声量を落とし、レナードにだけ聞こえるように付け加える。「私が最後に見た棺の中の二人の顔は、決して安らかなものではありませんでした」と。
驚いたレナードが、目を瞬かせる。アルベルトは安心させるように微笑むと続けた。
「ですが、私の思い出の中にいる母は、いつも父と共に微笑んでくれています。殿下、あなたの中のお母君もそうなのではないですか?……あなたは確かに愛されていた。あなたが今こうして健やかに立っておられるのが、何よりの証拠です」
「……立っているのが、証拠……?」
揺れる声音が、疑問を滲ませる。優しく目を細めたアルベルトが、内緒話をするように少しだけ首を傾ける。
金の髪が煌めく水のように肩から流れ落ちた。
「魔力が強い騎士たちは、血の巡りに合わせて魔力を薄く身体に纏っています。傷を負っても早く回復するように。私は舞踏会の間で呪の末裔を退けた後、意識のない殿下に異常がないか、魔力の流れを見ることでお調べいたしました。……その時に」
(……あれって、そういうことだったんだな)
「殿下の身体を守るように、殿下にとてもよく似た、私の感知能力でも誤差として認識してしまう程よく似た魔力が、殿下の身体を薄く覆っているのを確認いたしました」
「……、おぉ…!」
喉を震わせるような声を上げたのは、ファンケンラート王だった。
「呪いは、とても強力な力です。解呪されたと言え一度でも発現してしまえば、少なからず身体を蝕みます。失礼とは存じますが、殿下、今のあなたの力量では、本当なら歩くどころか立つことさえ難しいはず」
アルベルトが見つめるその先で、レナードの瞳から涙が一雫流れた。
「……は、はうえ、が…?」
「ええ。地下牢に打ち捨てられてなお、王妃殿下はあなたを守ろうとなされた。それは、誰にも覆せない事実です」
「……母上が…っ」
悲しみに表情を歪ませる少年王子を、アルベルトは跪いたままそっと抱き寄せた。
(人は誰でも過ちを犯す……。彼女の過ちの代償は、自分の命っていう取り返しのつかない事態を招いた。だけど、最期に残された力で一番大事な者を守ろうとしたことは間違いない)
「……アル、ベルト」
「はい」
鼻声で名を直接呼ばれ、柔らかく返す。
「どうか母上を王妃のまま…眠らせてやってほしい…」
「私に願わずとも、それが真実です。王妃殿下は悪しき存在に命を奪われようと、あなたを、王家の未来を守った。国母に相応しきお方でございます」
身を寄せてくるレナードの背を、優しく撫でる。
その手に、別の手が触れた。
「……アルベルト。私からも礼を言う。そなたには、救われてばかりだ」
熱を帯びたクリストフの眼差しが、真っ直ぐアルベルトを射抜く。片膝を立て、アルベルトの手に重ねるようにしてレナードを支えている。
その逞しい肩越しに、アレクシアが目に涙を浮かべて胸の前で祈るように手のひらを組んでいるのが見えた。
今後についての確認を終える頃には、王の目にはいつもの威厳が戻っていた。表情も、随分とすっきりしたものになっている。
王妃の生家への措置が決定した辺りで、コホンと咳払いをした。
「ところで、リストニア侯。そなたの妹君について、だな……。レナードを助けられるとは思わず、軽く頷いてしまった余も悪いのではあるが……」
視線がアレクシアとレナードに向けられる。レナードはアレクシアから差し出されたハンカチで、目元を押さえているところだった。
嫌な予感がした。
王の視線に気付いたアレクシアに促され、レナードが少しだけ前に出る。緊張した面持ちながらも、はっきりと口を開いた。
「リストニア侯、どうか私とリストニア侯爵令嬢との婚約を認めてほしい」
アルベルトの時間が止まった。
そして、一拍おいて。
次の瞬間。
今まで周囲の人間には見せたことがない、素の感情を乗せた声が彼の口から飛び出した。
「こ、婚約!!!???俺の可愛いアレクシアが!!??」
その声は普段の冷静さを完全に失い、素直な驚きと動揺があらわになっていた。 薄紫の瞳が大きく見開かれ、金の髪が動揺に合わせてわずかに揺れる。 未だかつて誰も聞いたことのない、十八という年齢に相応しい声が、謁見の間に響き渡った。
表情こそ変わらなかったが、控えていたヴォルフガングの目にも驚きの色が混ざる。だがそれはアレクシアの婚約に、というよりはそんなアルベルトを見て、という様子だった。 クリストフも同じように驚いた後、視線を柔らかく細めた。 アレクシアは兄の反応に頰を赤らめながらも、嬉しそうに微笑んでいる。
国王は苦笑を浮かべ、レナードは頰をさらに赤く染めて返事を待っていた。
アルベルトはまだ動揺を隠しきれず、瞳を大きく見開いたまま、妹とレナードを交互に見つめていた。 原作ファンとしての心が、頭の中で激しく回転していた。
(こ、婚約!?アレクシアちゃんが!?なんかちょっとヴォルフガング様が好きっぽい感じじゃなかったっけ!?あれ勘違い!?いや、めでたいけどさぁ!もう陰謀もないし、兄弟仲もさらに良くなってる感じだし!婚約なんて当人の気持ちが第一だから私が口を挟むことじゃないんだけど…。私が寝てる間に何があった!?)
アルベルトの混乱はなかなかおさまらない。
その様子を王は「そなたもそんな顔をするのだな」と楽しそうに眺め、アレクシアとレナードは「初めて見る反応ッ!尊い…ッ!」と周囲に聞こえないように叫んでいた。
Q 誰が絨毯を張り替えたの?
A ヒトガタから召喚された魔物が頑張りました。




