プロローグ
富というのは簡単に得られるものではない。
世の中には『何の知識がなくても副業で月100万!』『AI×アフィで年収1億達成!!』といった少し考えればそんな都合のいいものはないとわかる情報商材に大金をはたく人間がゴロゴロ存在している。
それは大体、何の知識も経験もないのに自分が他の人間よりも優れているはずだと妄信している馬鹿か、何の努力もせずに大金を欲する馬鹿だ。そいつらは本気で自分でも簡単にできると考えている。いつの間にか捕食者の口の中にいる事も知らずに。
残酷なことに富を得ている有数の人間は誰よりも失敗を恐れず、誰よりもリスクを怖がっている。よく聞くはずだ。世界一の不動産王は3回破産しただの、世界一の大富豪は月300時間以上働いていたと。
彼らは富が選ばれた人間にしか降らないことを知っている。
そして、浅木弘道もそれを知っている。
-------------------------------------------------
「それをうちとやって、うちのメリットは何かあるのかい?」
黄色いネクタイをした小太りの中年は革製の椅子に深く腰掛け、高圧的な目線を向かいの男に向ける。
プロジェクターの前に立っていた七三分けの青年は臙脂色のネクタイを軽く締めると、一息置いて「もちろんです」と自信ありげに笑った。
整えられた黒髪に眉毛、細身だがスーツ越しでも筋肉がついているのがわかる。鋭い眼光は果て無い自信を感じさせた。
「このJVには弊社と御社、共通して3つのメリットが存在しています。資料の18ページをご覧ください。まずは収益の面から」
小太りの中年とその両隣がざわつく。
「支出は約20億を計画しております。そして予想される収益ですが約5倍。100億を予定しております。細かい収益の内訳は以下をご覧ください」
-------------------------------------------------
「うまくいきましたね」
ショートカットの丸眼鏡をつけた秘書が男を見る。
男はネクタイを緩めると、先程の好青年ぶりとはうって変わって「暑っ」と夏の日差しに悪態をつく。
「ここまでは予想通りだ。あとはあの人たちがどのくらい金を出してくれるかだね。社長直々とは言えど、大手だから判子押しに時間かかるだろうし。詐欺師じゃないんだ。気長に待つよ」
カバンの中に入れていたブラックコーヒーを取り出し、仰ぐ。
「コーヒー飲みすぎじゃないですか?」
「カフェインは脳の栄養だから。健康にいいんだよ。まだ僕、一回も引っかかってないから。健康診断」
「でもエナジードリンクはやめたんですね」
「レッドブルばっか飲んでた大林さんの口が臭かったから」
「あの人はたばこでしょ」
「たばこなのかねぇ。この前、レッドブル一日6本飲んで、一瞬目閉じたら13時間経ってたって自慢してたよ」
男は悪戯っぽく笑うと、目の前のトイレの表示を見て立ち止まる。エナジードリンクの話をしていると利尿作用が引き起こされてくる。
秘書に一言いれると、トイレに入る。大手企業だけあって流石の綺麗さだ。
小便器の前に立つと、チャックを下ろして小便をする。黄色い。秘書の言う通り、コーヒーの飲みすぎかもしれない。そんなことを思いながら、ふぅーと一息つく。
チャックをあげて、手を洗い、トイレを出る。
「トイレを出たはず、、、だよな」
振り返ってあるのはトイレの表示ではなく、鬱蒼と茂る森だった。
相当疲れているらしい。一度、指で鼻の付け根を強くつまんで瞼を閉じてみる。変わらない。
カバンの中のスマホをつけてみる。圏外だ。
プロジェクションマッピングとかVRとかそういうことでもないらしい。
スーツで森というのは非常に危険な精神状態なのかもしれない。プレゼンに行ったと思っていたが、実は人生に疲れて樹海に来ていたのかもしれない、と男は天を仰ぐ。
スマホに搭載されているコンパスは狂気的な動きをしている。磁場が狂っているらしい。
試しに頭を叩いてみる。ーーー現実だ。あのプレゼンもコーヒーの話もトイレも明瞭に覚えている。やはり夢ではないのだろう。
ならば、トイレから出た途端に現れたこの森は何なのだろうか。オフィスはどこに消えたのか。背中に冷たい汗が流れる。
「ーーここは、どこだ」
男、浅木弘道はどこかに飛ばされてしまったらしい。




