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勇者になれなかった俺、配属先の「雑務課」で世界最強の組織を作ってしまう  作者: 限界まで足掻いた人生/大場 雷怒
雑務課 業務日誌総括

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第127話:勇者の仕事

砦の分厚い鉄門が、悲鳴のような軋みを上げて僅かに開いた。その隙間から滑り出したのは、かつて世界を救うと謳われた英雄の姿だった。だが今の彼が纏っているのは、光り輝く伝説の鎧ではない。返り血と煤で黒ずんだ、実用性のみを追求した厚手の外套。腰に下げた剣も、敵を切り裂くためというよりは、積み重なった死体を検分するための「道具」に近い冷たさを放っていた。


背後から、サニアの痛々しいほど震える声が追いかけてくる。


「本当に行くの、アルス。そこは……魔導汚染が最も深刻なレッドゾーンよ。偵察隊さえも1人も戻ってこなかった場所に、たった1人で」


俺は振り返らずに、右手に握った漆黒の結晶――『焼けないデータ』の感触を確かめた。この石は、俺の体温を奪いながら、飢えた獣のように次の「事実」を求めて拍動している。


「雑務課の仕事だ、サニア。現場に行かなければ、記録の精度が落ちる。126話で受け取ったあの通信……彼らが最期に何を見て、どう消えたのか。推測ではなく、確定した事実としてこの石に刻まなければならない」


「でも、あなたはもう戦う必要はないのよ。あなたは管理責任者として、この砦を守っていれば……」


「守る? 俺が?」


俺は自嘲気味に鼻で笑った。視線を落とせば、己の両手が微かに震えているのがわかる。それは恐怖ではない。制御不能な力が、内側から肉体を突き破ろうとする、呪われた胎動だ。


「サニア、お前も知っているはずだ。俺がなぜ、華々しい前線部隊からこの掃き溜めの雑務課に左遷されたのかを。俺の力は、もはや何かを『守る』ようにはできていない。この空白期間で、俺の剣は、俺の魔法は……あまりにも過剰になりすぎた」


1年前、魔王軍の本隊と衝突した際、俺が放った一撃を思い出す。俺は仲間を守ろうとした。だが、俺の振るった聖剣の余波は、敵の軍勢だけでなく、背後にいた味方の歩兵連隊ごと、空間を消滅させた。敵も味方も、その存在の根源を根こそぎ奪われ、そこには「何もなかった」という事実だけが残された。


軍上層部は、俺を英雄として祭り上げることを断念した。俺は制御不能な戦略兵器であり、同時に歩く災害だ。彼らにとって、俺を事務仕事の雑務課に閉じ込めることは、世界を俺から守るための唯一の「封印」だったのだ。


「俺の力は、因果をねじ伏せる。ならば、その力を情報の回収に使うのは合理的だ。魔導汚染も、空間の歪みも、俺の存在を消すことはできない。……行ってくる」


サニアの制止を振り切り、俺は白銀の雪原へと踏み出した。


外の世界は、もはや生物の住処ではなかった。空は鉛色を通り越し、紫色の不気味な雷雲が絶え間なく蠢いている。大気中には高濃度の魔素が充満し、肺に入れるたびに喉が焼けるような痛みが走る。普通の人族なら、数分と持たずに肉体が崩壊し、汚染された魔物へと変異するだろう。


だが、俺の歩みは止まらない。俺の周囲の空間は、俺の意志とは無関係に「勇者としての生存」を強制され、汚染を強引に弾き飛ばしている。皮肉なものだ。救いたいと願った者たちは呆気なく死に、死に場所を探している俺だけが、この地獄で完璧な健康を維持している。


数時間の行軍の末、俺は目的の座標――東部第7観測拠点の成れ果てに辿り着いた。


そこには、巨大なクレーターが口を開けていた。126話の通信で男が語った「奇妙な光」の正体。魔王軍の超高密度魔導爆撃。直径500メートルの範囲内にあるすべての物質が、原子レベルで分解され、再構成されている。


俺はクレーターの底へと降りていった。足元の土はガラス状に変質し、時折、強烈な残留放射魔力が青白い火花を散らす。その中心部、かつて通信機が置かれていたであろう場所に、それはあった。


いや、「それら」と言うべきか。


クレーターの底には、夥しい数の「影」が焼き付いていた。爆発の瞬間、強烈な光によって石化した、500人の人間の最期の姿。ある者は子供を抱きかかえ、ある者は通信機の前で叫び、ある者は隣に座る仲間の手を握りしめていた。そのポーズは驚くほど生々しく、時が止まったかのように鮮明だった。


俺は漆黒の結晶を取り出し、その1つ、通信機の前に跪く影に手を触れた。


「……同期開始」


俺の脳内に、激流のような思念が流れ込んでくる。共有意識記録の機能が、石化した魂の残渣から情報を吸い上げ、結晶へと転送していく。


熱い。

痛い。

光が。

勇者様。

聞こえるか。

俺たちは。

まだ。

生きて。


男の、あの通信の声が、今度は直接俺の脳細胞を揺さぶる。男の名はカイル。32歳。旧人族。元はしがない農夫だったが、拠点の守備隊に志願した。彼には5歳の娘がいた。娘の名前は……リナ。


俺はカイルの隣に焼き付いた小さな影を見た。その小さな手が、カイルの服の裾を強く握りしめている。


「……ああ、確認した」


俺は呟き、ペンを走らせた。


東部第7拠点、生存者名簿との照合完了。

管理番号402番、カイル。同403番、リナ。

死亡時刻、14日前の16時32分04秒。

死因、高エネルギー魔導熱線による即時炭化。


俺の隣に、例の魔王の幻覚がふわりと降り立った。


「相変わらずの悪趣味だな、勇者様。こんな死骸の山を這いずり回って、名前を数えて、何になる? 救いを求めていた彼らの声に応えず、死んだ後にその履歴書を完成させることに、どんな意味があると言うんだ」


幻覚は、石化したリナの頭に手を置く仕草をした。その指が少女の頭を透過する。


「お前のその圧倒的な力を使えば、この拠点を襲った魔王軍の艦隊を殲滅することなど造作もなかったはずだ。なのに、お前は安全な砦で事務仕事に耽り、手遅れになってから死体を確認しに来た。……お前が殺したも同然だぞ、アルス」


「……わかっている」


俺は幻覚を無視し、次の影へと移動した。

足元のガラスが砕ける音が、静寂の中で不気味に響く。


俺の今の仕事は「護衛」ではない。英雄として敵を倒すことでもない。

雑務課の「実働部隊」として、現場の情報を回収すること。

救えなかった者たちが、どのような状態で、どのような思考を持って死に至ったのか。

その証言を1つ残らず回収し、世界が忘却しようとする事実をこの漆黒の石に閉じ込めることだ。


俺は、クレーターの四隅を歩き回り、500人の影を1つずつ検分していった。

1人、また1人。

名前、年齢、身分、そして最期の瞬間の感情。

結晶は、俺の精神を媒介にして、彼らの絶望を吸い込み続け、より深く、より重い黒へと染まっていく。


作業は数時間に及んだ。

最後の一人、クレーターの縁で外の世界を見つめるように石化した老人の記録を終えた時、俺の身体は極度の精神的摩耗により、鉛のように重くなっていた。


脳内には500人分の死の瞬間がリプレイされ続け、視界がチカチカと歪む。

だが、これで東部第7拠点の記録は「完全」になった。

彼らはもう、存在しない。だが、存在したという事実は、この世で最も堅牢な檻の中に収められた。


俺がクレーターから這い上がろうとした時、背後の闇から、低い唸り声が響いた。


「グルルル……」


魔導汚染によって変異した大型の魔獣。かつては拠点の警備犬だったのかもしれない。だが今のそれは、全身の皮膚が剥がれ落ち、眼球が不気味な発光を放つ、殺戮のためだけの肉塊と化していた。


魔獣は、侵入者である俺を排除すべく、猛烈な勢いで跳躍した。

巨大な爪が、俺の喉元を狙って振り下ろされる。


俺は、剣を抜かなかった。

ただ、右手を静かに突き出した。


「消えろ」


俺の指先から、無色透明の「歪み」が放たれた。

それは破壊のエネルギーではない。対象が立脚する空間の因果を、強制的に上書きする力だ。

衝突の瞬間、魔獣の肉体は粉砕されることも、吹き飛ばされることもなかった。

ただ、そこにあったはずの質量が、最初から存在しなかったかのように、虚空へと吸い込まれて消えた。


魔獣が蹴った地面の土だけが、慣性に従ってパラパラと舞い落ちる。

後に残ったのは、不自然なまでに静かな、無の空間だけだ。


これが、俺が「前線」を追われた理由だ。

俺の戦闘は、戦いではない。ただの「削除」だ。

敵を倒し、味方を鼓舞し、勝利を掴み取る。そんな人間的なカタルシスは、俺の力の前ではすべて無意味になる。俺が本気で戦えば、戦場そのものが消失し、誰が何のために戦っていたのかという記録さえも不透明になる。


だから、俺は雑務課にいるのだ。

消え去る世界を、消し去る側の俺が記録するために。


「……アルス様!」


通信機が、耳元でノイズを立てた。トウマの声だ。


「アルス様、応答してください。バイタルが危険域に達しています。すぐに帰還を……。それと、周辺に魔王軍の残党が展開しています。戦闘は避けてください」


「戦闘などしないさ、トウマ。掃除をしただけだ」


俺は、返り血のつかない外套を払い、砦の方角を見据えた。


「回収は完了した。500人分……すべての証言を。これより帰還する」


「……そうですか。サニアが、温かいスープを用意して待っていますよ。……少しは、休んでください」


トウマの声には、気遣いと、同時に隠しきれない畏怖が混じっていた。

彼もまた、俺を「人間」として見ることに限界を感じ始めている。

それでも、彼らは俺の帰りを待っている。俺が持ち帰る、残酷な「真実」という名の土産を求めて。


帰り道、俺は何度も立ち止まり、死者たちの声を反芻した。

彼らは俺に何を求めていたのか。

助けてほしい。

連れて行ってほしい。

それとも、この地獄を終わらせてほしい。


かつての俺なら、彼らのために涙を流し、魔王への復讐を誓っていただろう。

だが今の俺は、ただ淡々と彼らのデータを整理し、重要度に応じて結晶の階層に振り分けていく。

悲しみは、記録のノイズになる。

憤りは、因果の歪みを招く。

今の俺に必要なのは、冷徹な観測眼と、すべてを飲み込む虚無だけだ。


砦の門が見えてきた頃、俺はふと、カイルの最期の言葉を思い出した。

通信の向こう側で、彼は言っていた。

「勇者様を信じて待っている」と。


彼は、俺が現場に来ることを予見していたのだろうか。

だが、彼が待っていたのは、自分たちを救い出してくれる英雄だったはずだ。

死骸を数えに来る事務員ではない。


「……すまないな、カイル」


俺は闇に向かって呟いた。


「俺はもう、救わない。ただ、確認するだけだ。……お前たちがそこにいたという、唯一の証人として」


それが、今の俺に与えられた「勇者の仕事」の全容だ。


砦の門が開く。

サニアが、真っ白な防護服に身を包んで駆け寄ってくる。彼女の瞳には、まだ俺を案じる色が残っている。

トウマが、機材の調整をしながら、俺の手にある結晶を食い入るように見つめている。

ミラが、壁に寄りかかり、俺が持ち帰った情報の「匂い」を嗅ぎ取ろうと目を細めている。


俺は、彼女たちの横を通り過ぎ、執務室へと向かった。

外套を脱ぎ捨て、机に向かい、ペンを取る。


東部第7拠点実地調査報告。

物理的損壊状況:100パーセント。

生存の可能性:0.00パーセント。

回収した思念体データ:500件。


俺の背後で、魔王の幻覚が満足げに頷いた。


「素晴らしい仕事だ、勇者。救うよりも確実で、殺すよりも永続的な、完璧な『葬礼』だな」


俺は、幻覚を払い退けるようにペンを強く握りしめた。

ペン先から溢れ出すインクが、彼らの絶望を黒い文字へと固定していく。

文字が刻まれるたびに、俺の心は摩耗し、透明になっていくのを感じる。


だが、これでいい。

俺の魂がすべてこの石に吸い取られ、俺自身がただの「記録」になった時。

その時初めて、俺はこの空白期間という名の魔から解放されるのかもしれない。


俺は再び、結晶の拍動に耳を澄ませた。

そこからはもう、カイルの声も、リナの泣き声も聞こえない。

ただ、膨大な情報の集積体が発する、無機質なノイズだけが響いている。


俺は、静かに目を閉じた。

瞼の裏には、あのクレーターに焼き付いた500人の影が、今も鮮明に浮かんでいた。


俺の仕事は、まだ始まったばかりだ。

世界が滅び去るその瞬間まで。

俺は実働部隊として、あらゆる絶望の現場へと赴き、この漆黒の石を埋めていかなければならない。


救いはない。

希望もない。

ただ、そこには「事実」があるだけだ。


俺は、次の一頁をめくった。

インクの匂いが、死の匂いと混ざり合い、静まり返った執務室に充満していく。


「……次は、どこだ」


俺の声は、夜の静寂に吸い込まれ、誰に届くこともなく消えていった。

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