第103話:雑務課の調停
執務室の円卓を囲むのは、互いに目を合わせようともしない四人の代表たちだった。人族、エルフ、ドワーフ、獣人。彼らの間には、目に見えないが鉄壁よりも強固な「言葉の壁」がそびえ立っている。
スラムで広まる憎悪の連鎖を止めるため、俺が強引にセッティングした「多種族合同対話集会」。だが、開始から一時間が経過しても、そこにあるのは対話ではなく、沈黙という名の拒絶だった。
「……事務屋、いい加減にしろ。こんな茶番に付き合っている暇はない。俺たちの居住区では、人族の商人が不当な値上げをしている。その抗議文を書き直す方が先決だ」
ドワーフの長が、苛立たしげに机を叩いた。それに呼応するように、エルフの賢者が冷ややかな視線を向ける。
「不当なのは、そちらの採掘部隊が森の精霊路を汚していることでしょう。我々が対話を拒むのは、それが生存に関わる冒涜だからです」
「なんだと? 森の端っこを少し掘っただけで大げさな……!」
「やめろ」
俺の一言で、爆発しかけた怒号が止まる。俺は手元のペンを置き、彼らの前に一通の分厚い書類を提示した。
「ここにあるのは、各種族の不満を網羅した『不備リスト』だ。お前たちが互いを憎む理由も、その背景にある歴史的経緯も、すべて事務的にデータ化してある。だがな、お前たちがここで睨み合っている間にも、スラムの配給システムは麻痺し、昨夜だけで三人の子供が栄養失調で倒れた。これは種族の問題じゃない。雑務課が管理する『平和』というシステムにおける、致命的な稼働停止だ」
俺はあえて、彼らの感情には触れなかった。ただ、数字と事実という冷徹な「事務の正論」を叩きつける。
「今この場で、暫定的な『相互不可侵および共同作業合意書』にサインしろ。拒否する種族には、明日からの物資供給を五割削減する。これは交渉ではない。管理区域の治安を維持するための、事務的な命令だ」
俺の強引な進め方に、サニアが隣で小さく息を呑んだ。だが、今の彼らには、綺麗事の握手よりも、逆らえない強制力の方が「対話」のきっかけとして機能する。
代表たちは互いに忌々しげな視線を交わしながらも、最終的には無言でペンを取った。署名が重なるたびに、形式上の「平和」が書類の中に構築されていく。
「……これで満足か、事務屋。俺たちはサインした。だが忘れるなよ。これはあんたの書類の上だけの話だ。俺たちの腹の中にある火が消えたわけじゃない」
獣人の戦士が、吐き捨てるように言って部屋を去った。他のリーダーたちも、一言も交わすことなく、別々の出口から退出していく。
執務室に静寂が戻った。
「係長……お疲れ様でした。ひとまずは、最悪の衝突は回避できましたね」
カイルが安堵したように肩を落とした。だが、モニターに映し出されたミラの解析データは、その安堵を打ち砕くものだった。
「報告します。対話集会の終了後、スラム各所での暴力的語彙の出現率は低下。物理的な接触も一時的に抑制されています。しかし、各種族のクローズドな通信網における『憎悪の純度』は、むしろ集会前よりも上昇しています」
ミラが指し示したグラフの曲線は、表面上の静寂とは裏腹に、水面下でマグマのように熱を帯びていた。
「表面だけ、か」
俺は背もたれに深く体重を預け、天井を見上げた。
俺が作ったのは、対話の場ではない。単に、怒りを表に出すことを禁じた「抑圧の蓋」に過ぎない。
「制度で縛り、予算で脅し、無理やり席に座らせる。事務屋としてできる限界がこれだ。彼らは俺の前では大人しくサインするが、心の奥底では、隣の種族を『消すべき不備』だと思い続けている」
平和という名の薄氷。
俺たちがどれだけ分厚い書類で補強しても、その下で渦巻く感情の激流は、刻一刻と氷を削り取っていく。
「勇者にはなれなかったけど、世界最強の部署にはなった。だが……」
俺はデスクの上に置かれた、四つの署名が並ぶ合意書を見つめた。
そこには、平和を願う意志など一文字も含まれていない。あるのは、管理に従わざるを得ないという屈辱と、冷たい計算だけだ。
「この嘘を、いつまで維持できるんだろうな」




