大切な人の誕生日
彼女はたしか、ワインが好きだった。
「誕生日おめでとう。今夜はワインで乾杯してね」
シンプルなメッセージを送信し、日常に戻る。
彼女がメッセージを読むのは昼過ぎだろうか。何しろ忙しい人だ。数日内に返事でも貰えれば僥倖だとさえ思う。
本当は、すぐにでも返事が欲しいけれど。
学生の頃のように時間を忘れて駄弁っていたいと思うけれど。
如何せん、大人の時間はなかなか思うように使えないのだ。
時候の挨拶でやっと繋がっている彼女との、数少ない接点を大切にしていたい、なんてのは表向きの綺麗事だろう。
本音を言うと、寂しいだけなんだと思う。
気の向くままに繋がれる相手が欲しいという、子供じみた我儘。
その我儘が許されるチャンスが今日なのだ。
重すぎる愛を載せたシンプルなメッセージに、やりきった感を覚える。今日の気遣いはすべて使い切った。
要は、自己満足だ。
だから、夕方にはメッセージを贈ったことも忘れていた。
終業後、スマホを開いてメッセージに気付く。
彼女からの返事が届いていた。
「ありがとう。乾杯は、家族が寝た後にするね」
知らずと口元が緩み、目を細めていた。
そうだよね。主婦は忙しいものね。ゆっくり乾杯なんて、
、、、
、、、、、
いやいやいや、
私はするけどね。
いやむしろ、私が代わりに乾杯するけどね。今から。
自分のことでもないのに乾杯スイッチが入ってしまった私は、浮かれた気分のまま車を発進させる。向かうは…
専門店の入ったモールか。地酒の直売所か。
いや、その前にお迎えだな。
保育園 → 買い出し → 勝手にセルフパーティー
これだな!
「今夜は宴にするよ!さあ、帰ろう!」
「うたげやったあ!ちーたらがいい!」
宴という魅惑ワードで3歳児を釣り、次は近所のスーパーへ。
「ちーたらちーたら♪もっとからいー」
謎の替え歌を口ずさむ3歳児と共にドリンクコーナーへ。
保育園を経由して少し頭が冷えてきた。いくら浮かれていても今日は平日。ついでに、明日も平日。流石に、羽目を外すわけにはいかない。
「まして、私のお祝いじゃないからね」
乾杯は700円のデイリーワイン。3歳児には香りつき無糖炭酸水。
おつまみは、3個パックのハムとクリームチーズ。3歳児にはリクエスト通り、チータラを。
ついでに、夕飯の買い出しを。
「明日は夕方遅いから、大量に作り置いちゃうよ」
牛こま肉、たまねぎ、マッシュルーム、ホールトマト。
ハヤシライスは赤ワインに合うんだよね。
膨らんだエコバッグを抱えて帰宅し、さっぱり身支度を整える。
ワイングラスを並べ、赤ワインと炭酸水のボトルを置く。
白い平皿にはハムとクリームチーズをカナッペ風に盛りつけて。
「ちーたらは?」
チータラもおしゃれに、ミニグラスに挿してあげましょう。
よし、完成。
新幹線の絵がついたプラスチックコップに炭酸水を注いで。
ワイングラスにはもちろん、赤ワインを。
「おつかれかんぱーい」
かこん、と軽い乾杯の音。
まずは駆けつけ1杯、これが晩酌の醍醐味であり、至福の時間。
…だと、私は思っている。
ワイングラスを置き、カナッペを摘む。
3歳児も、チータラを1本ずつ、大事そうに食べている。
「あ、そうだ」
2杯目のワイングラスにスマホを向ける。
「おめでとう、はなちゃん」
しつこい奴だよな、と自虐気味に呟きながら画像を送信する。
だって酔ってるしね、と言い訳もしながら。
めでたいじゃん。なんか嬉しいじゃん。友達の誕生日なんて。
浮かれたっていいじゃん。祝いたいんだもの。
既読はつかない。
夕飯時はね。忙しいんだよ。主婦はね。致し方ない。
さて、私も夕飯作りますかね。
グラスに半分残ったワインを置いて、私はたまねぎを手に取る。
「寂しいのかなあ…うん、寂しい」
それは、独りよがりのお祝いで自己満足している自分が、なのか。
それとも、ただ単に旧友に気安く会えない距離感が、なのか。
はたまた、たまねぎを切ったくらいでは緩まない涙腺が、なのか。
寂しいというか、切ないというか、やるせないというか。
形容し難い蟠りを飲み込むように、またひとくちワインを含む。
夕飯が完成する前に、今日の晩酌は終わりそうだった。




