第二章:十九話 骨は取引をしない
粉々になった研究室を見回す、と自分の周りに骨の壁ができていることに気付く。ストラスの放った魔法を防いだ壁だ。あの咄嗟に宗兵衛が作ったことに驚きつつ、骨壁は砕ける。強度は高いが効果時間は短いらしい。抱いているブラウニーが無事なことにホッとしてから周囲を見るが、宗兵衛の姿が見当たらない。衝撃で砕けたのか、と宗兵衛の名残りらしきものを探すも見つからない。
「……宗兵衛の奴がいないってことは、どこに吹き飛んだのか。骨だから軽いし」
《そんなはずないでしょう》
頭に直接話しかけてくる宗兵衛の声。洞窟のとき以来の経験だ。
《僕はあのフクロウを追いかけます。ブラウニーさんの呪いは彼女の手によるもののようですからね。情報を聞き出さないことにはブラウニーさんを助けられません。常盤平、君の役目は》
「わかってる。なにがなんでもブラウニーさんを守り抜く」
《恐らく集まってくるだろうゴブリンたちへの説明と対応、解呪に必要になるだろう材料の調達、瓦礫の撤去、ケガをしたゴブリンたちを安静にできる場所へ移す、集落の食糧備蓄の状況の把握》
「もうちょっと情けとか容赦とかを覚えてもいいんじゃないかな!?」
◇ ◇ ◇
荒い呼吸を押し隠そうともせず、一つの影が森の中を歩いていた。杖を持ったフクロウの魔族ストラス、菫が必死の形相で歩いている。木の根や石に何度も躓き、杖の助けを借りてなんとか転倒はしていない。
研究で魔力を使い、戦闘では第三位魔法を一回と、第五位魔法の死霊創成でソウルイーターを作り、直後に同じく第五位魔法を使用した。消耗が激しいのに加えて、骨弾のダメージが重くのしかかっている。
魔法には一位から十位までがあり、数字が大きいほど難度は高く、強力になり、当然ながら消耗も大きくなる。いかに高い魔力を持つ転生者の菫でも、不慣れな魔法を立て続けに使えば疲労は避けられない。
左翼が鋭い痛みに襲われた。スケルトンの骨弾による傷は癒える様子がない。元から殺傷能力の高い弾丸を、魔力を込めてより強力にしていることを菫は知らなかった。
「くそ、くそくそ、あの役立たずたち」
口汚く罵る。実験材料としても大して使えなかったゴブリンと村人たち、あっさりと負けて逃げてきた赤木たち、思い通りに死んでくれない襲撃者たち。どれもこれもが不愉快で、恨み嘆きが止まることはなかった。
杖が輝きだす。ソウルイーターに仕掛けておいた術で、自爆したことを知らせる合図だ。ようやく片付いたか、と安堵に肩を下ろす。不意に思いついたことがあって、菫は地面に座り込んだ。
「第三位魔法、死霊召喚」
地面に泥のような文様が広がる。にじみ出るように紋様の中から浮かび上がってきたのは赤木の上半身、それも右側だけだ。ソウルイーターに作り変えた影響でグールの能力を失い、わずかに自我が残るだけとなった赤木が菫に怨嗟の眼光を向ける。
菫は赤木に応えなかった。幼馴染への愛情、などではなく、自分の道具にするために召喚したのだから。
「もう一つ、第三位魔法、死霊召喚」
「――――ぃぃぃいひいぃっ!?」
続けて召喚されたのは教会長ベートだ。戦闘において役立たずであることを自覚しているベートは、震えているだけで逃げることすらできていなかった。魔法に巻き込まれて全身傷だらけになりながらも生き残っているのは、運がよかったからか、生き汚いからか。
「す、菫様!? こ、これは……っ」
「うるさい。さっさと逃げるわよ」
「に、逃げる!?」
ベートにとって予想外のセリフだ。転生者は強大な力を持っていると知っているからこそ付き従っていたというのに、転生者を利用して自分の地位を高めようと考えていたのに、逃げなければならないとは予想外にもほどがある。
「菫様が逃げなければならないような力なのですか?」
「同じ転生者でも、向こうのほうが力は上よ」
「!?」
菫の返答にベートは声も息も飲み込んだ。そこに、
――――ああ、ようやく追いつきましたよ。
「っが、は!」
菫が振り向くより早く、腹部を鋭い痛みと衝撃が貫く。撃ち抜かれたと気づけたのは、腹に広がる血が三センチ以上の大きさになってからだ。
森の闇の中にあって非常に目立つ白い骨体の魔物、スケルトンの姿があった。
「君があのグールたちにしたように、後ろから貫いてみたのですけど……信頼を裏切るという要素がない以上、大して衝撃はありませんかね」
真っ白い杖を持ち、頭の上にラビニアを乗せて、宗兵衛は話しかける。静かな調子、武道として洗練されて淀みのない動き、真っ白な骨体のおかげで、闇の中から白い不吉が滲み出てきたかのようだ。
「……ぅ、どうして……私の居場所が……」
腹を手で押さえながら、呻きながら、菫が睨みつけてくる。
「別に難解なトリックを使ったわけではありませんよ。君の体内には僕の骨片が潜り込んでいますから、その魔力を追いかけてきただけです」
菫が逃走を図った際に受けた骨弾の攻撃だ。骨弾は破裂して肉体に深刻な損傷を与えると同時に、発信機としての役割も担っているのだという。
「こちらからも一つ質問です。君の後ろで倒れて震えているアンデッドの神官は誰なのでしょうかね。同級生にも教員にも見かけない顔ですが、もしかしてブラウニーさんと関係のある方でしょうか? どうですか、『導き手』?」
《肯定。ブラウニーを縛る呪いに用いられている魔力と同一のものです》
「それはなによりです。教会に縛りつける呪いと魔力を奪う呪い、両方をどうにかする機会が目の前にあるわけですから」
宗兵衛の視線と声音からは温度が感じられない。まともに浴びる形の菫はたまったものではないだろう、大声を張り上げた。
「ま、待ちなさいよ! 取引をしましょう!」
「ほう? 内容は?」
「あのブラウニーにかけている呪いを解くわ。代わりに私は見逃してちょうだい。べ、別に悪くはないでしょ? 今回は偶々、敵対みたいな感じになっちゃったけど、私たちは元は同じクラスの仲間よ。魔物にされたどうし、被害者どうしの仲間じゃない。本来なら殺し殺される仲じゃないわ」
宗兵衛は返事をしない。相変わらず冷めた目と態度で、黙ったままフクロウの魔物の熱弁を聞いているだけだ。
「それに私を殺しちゃうと、妖精にかけた呪いを解く方法がわからなくなるわよ」
「おや、脅迫ですか?」
「違うわ。真っ当な取引よ。私は身の安全を、そっちは仲間を、それぞれ手に入れる。なんだったら私の実験データも渡していい。あんたたちだって人間に戻りたいんでしょ? そのための研究を私はしてきたの。そのデータを」
「僕は死体から知識や技術を回収することができるのですがね」
べらべらと回転を続けていた菫の舌に急ブレーキがかかる。
宗兵衛には取引をするつもりなどない。弁舌を弄するつもりも駆け引きを駆使するつもりもない。赤木たちは転生者を生け捕りにするなどと口にしていた。目的のためには手段を選ぼうとしない、精神まで魔物化しているような相手を、生かしておくつもりが宗兵衛にはない。宗兵衛の殺気が細く鋭く研ぎ澄まされていく。
「ちょ、ちょっとそこの妖精っ」
『わたくしですかー?』
「そうよ! あんたは魔族の勇者が欲しいんでしょ? ここで私を殺したりしたらわざわざ転生させた意味がなくなるんじゃないの。そこの骨を説得しなさいよ!」
ラビニアの笑みは無情と酷薄を絵に描いて色を塗って額縁に飾ったかのようだ。殺気を纏っているわけでもないのに、宗兵衛は気温が下がったかの感覚を覚える。ラビニアはふわりとした動きで、菫の目の前に浮く。
『言いましたよ、わたくしは。転生者どうし、殺せば殺すほど強くなる、と。貴女が死んでも、その分だけ宗兵衛さんが強くなるからなにも問題はありません。もし貴女が死にたくないと願うのなら、貴女が宗兵衛さんを殺すしかありませんよー?』
言外に菫には宗兵衛を殺せないと告げている。大きな魔法を使い、宗兵衛の骨弾でダメージを受けている菫と、ほとんど消耗のない宗兵衛とでは勝負にならない。
「っく! このぉっ!」
追い詰められた菫は杖を振るう。魔法ではなく、グールへの攻撃命令だ。ほぼ自我を失っている赤木は、命じられるままに上半身だけで飛び上がり、毒爪を振るう。
ラビニアは驚いた様子もなく、表情も変えず、避けようともせず、毒爪の一撃を腹に受けた。赤木の目はもはやなにも映さず、菫の目は喜びが閃き、宗兵衛だけは微動だにしない。
バキン、と音がした。
『ダメですよー。わたくし、お腹にも口があるんですからー』
音はラビニアの腹からだった。ラビニアの腹が二つに裂け、凶悪な牙を何本も生やした口になっている。口はグールの爪をわけなく噛み砕き、咀嚼する。
「妖精ペットのデザインと似ていますね」
『わたくし自身を参考に改造しましたからねー。あ、でも、わたくしの胸に目はありませんから、見せたりはしませんよ?』
「はいはい、見ません見ません」
『むー、なんですか、その言い方。それはそうと、このグール、なんでしたらストラスの前に殺しませんかー? ほら、景気付けみたいな感じで。残りカスですけど、転生者には変わりありませんし』
「これからフクロウを殺す予定ですからね。立て続けに二人の転生者を殺すつもりはありませんよ。好ましくない事態に陥りそうですし」
『……わたくし、宗兵衛さんのことは好きですけど、そういう頭のいいところは嫌いです』
宗兵衛の返答にラビニアは面白くなさそうに頬を膨らませ、風の魔法で持ち上げた赤木を乱暴に投げ捨てた。菫に向かってだ。風の魔力を帯びた赤木は弾丸となり、目標を外れて岩壁に激突、断末魔の悲鳴もなく木っ端微塵となった。ラビニアは『外れちゃいました』と笑いながら宗兵衛の頭の上に戻る。
一片の情すら残っていないとはいえ、幼馴染の無残な最期を目の当たりにし、菫は自分の最期を幻視したのだろうか、宗兵衛の前に平伏していた。
正確には、平伏す形になっただけだ。恐怖と絶望により、手から杖が滑り落ち、膝から力は抜け、這いつくばるような形になっただけ。菫が自らの意志と力でしたのは、額を地面にこすりつけることだけだ。ゴブリンたちと同じ姿勢、だが決定的に違う。菫は自分だけを見逃してもらおうとしか考えていなかった。
「……お願いよ、見逃してちょうだい。お願い、お願いします! 私はまだ死にたくないの! こんなところで、こんな姿でなんか終わりたくない。あんな無残な、死んだ後には誰からも思い出してもらえないような赤木みたいに死ぬのは絶対に嫌よ! 人間に戻って、元の世界に戻って、夢を追いかけたいの! 夢があるの。やりたいことが、なりたい自分があるの! だからお願い! 私を一度だけ見逃して! 私にチャン」
菫が最後に見たものは、懇願のために顔を上げた瞬間に自分の頭に向けて振り下ろされる真っ白な杖だったのか、それとも自分に都合のいいバラ色の未来だったのか。いずれにしろ宗兵衛にわかるのは、彼女には一切の先がないことのみ。杖に付着した血と肉片を、杖を振った遠心力で飛ばす。
「常盤平とブラウニーさんが待っていますからね。さっさと呪いに関する情報を抜き取りますよ」
《提案。魔法に関する情報の取得も有益と判断します》
『それはいいですね、エルダーリッチ……死者の魔法使いに近付けますよー』
「僕が有効に魔法を使えるとは思えませんけど、まあ、持っていても損はなさそうですし、取得できるなら、しておきますか」
「ひうぇああぁぇぁぁああぇっ!?」
甲高い悲鳴を上げて逃げ出した影があった。神官姿のアンデッド、ベートだ。




