第六章:九話 ゴブリンは頑張っているようだ
仮にも熱烈歓迎などと書いているのなら、掃除くらいはきちんとしておけて言いたい。難しいだろうけど、と宗兵衛は嘆息した。
宗兵衛も集落でかなり苦労した点として、ゴブリンのような下級の魔物には清潔不潔という考え方がなかったことがある。
ようするに、そこら中に排泄をするのだ。
日本という文化的で文明的な場所から来た一騎や宗兵衛は、ゴブリンを傘下に収めた後、大きな衝撃を受けた。自分が綺麗にしている教会を汚されたエストが激怒したことは、集落のゴブリンたちに決して拭い落とせない恐怖を与えもした。
怒りの矛先を向けられた一騎たちも同様である。排泄場所を固定し、手洗いなどの基本的な保清を叩きこむ。リーダーに対しては従順である魔物の性質は、こういうときには便利であった。清潔の概念や必要性を理解せずとも、忠実に守ってくれる。
引き換え、こちらのゴブリンたちはどうだろうか。排泄場所の近くで食事をしても平気な顔をしている。洞窟の奥には地下水路からか水が湧いているのに、どうにも不衛生な感じがしてならない。
換気の悪い洞窟の奥には、悪臭と異臭が強力なタッグを組んでいて、ルージュとアーニャの秀麗な顔には嫌悪が露わになっている。嗅覚のない宗兵衛は気付かなかったのだ。
気付かないなりに、宗兵衛は抱きかかえたままだった二人を下ろすのを止めた。
強くしがみつかれたこともあるが、宗兵衛としてもこんな不潔で不衛生な場所に二人を下ろす気にはなれなかった。洞窟の奥にも連れてくるべきではなかったと激しく後悔する。
「ソウベエ、話は外で聞きましょう」
「……一刻も早く外へ。出ないと洞窟ごとゴブリンたちも叩っ斬ります」
「そうですね」
嗅覚のない宗兵衛だが、地面に転がっている排泄物は不愉快極まりない。どうせ演出するなら、細部にまでこだわれと言うのだ。
『ギ、外ですか。かしこまりました。では、料理も外に用意させましょう』
「料理があるのですか」
『ギギ、はい。なにやらご気分を害されたようで、お詫びとして心は込めた料理をご用意させていただきます』
心は、とはどういう意味だ。言葉遣いが間違っているのか、教え込みが甘かったのか。なんにせよ、ツッコミよりも加速度的に機嫌が悪くなっていく美少女二人の意に沿うことのほうが遥かに大事だ。
なんというか、ゴブリン程度の雑魚魔物にかかわっただけなのに、宗兵衛にのしかかってきた疲労感が半端じゃない。
これでまだ、救援要請の中身を少しも知らないのだから、宗兵衛は思わず天を仰ぎたくなった。
洞窟の外に飛び出ると、ルージュとアーニャは宗兵衛から飛び降り、深呼吸を何回もする。肺の中に入った異臭を残さず外に絞り出そうとしている。
たっぷり七回の深呼吸を終えたアーニャが、抜く手も見せずに木を斬り飛ばす。輪切りにして椅子を、縦切りにして料理を乗せるテーブルを、一瞬で作ってしまう。
宗兵衛たち三人が木製の即製椅子に腰かけて待つことしばし、運ばれてきた食事は、魔物の肉を焼いただけの、ゴブリンにしては手の込んだ、しかしルージュたちのように宗兵衛の料理を食べ慣れている身からすると、とても食べられるような水準のものではなかった。
「これは?」
『ギギ、皆様は焼き肉が好きだと思いまして、こちらで頑張って用意させていただきました。是非、ご堪能下さい』
堪能できる代物ではない。肉を少し触っただけの宗兵衛の結論だ。肉の味を引き出すような焼き方ではないし、筋を切っているわけでもなく、生臭さを消すための処置も施しておらず、せめて誤魔化すための調味料もない。しかも量は、子供向けだとしても少ないほうだ。
「こちらの肉を僕たちでいただくわけにはいきません」
『ギ、それはどういう?』
「見れば君たちも大変に痩せている。僕たちを遇してくれる気持ちはありがたいですが、これは君たちこそが食べるべきものでしょう」
『ギギ、な、なんとお優しい! かぁーっ、さっすがは盟主様、器が大きゅうございますなぁ! ありがとうございます、ありがとうございます!』
年寄りゴブリンは何度も頭を下げるのを横目に、宗兵衛はテーブル上に並ぶ、焼いただけの肉塊を、遠巻きにこちらを見ていたゴブリンたちに配る。
ゴブリンたちは大喜びし、ルージュたちは安堵に胸を撫でおろした。放っておくと、飲み物として煮沸もしていない川の生水が出そうな勢いだったのだから、この世界で最も高度な文化圏で生活していた二人からすれば当然の反応だ。
「焼くだけなら魚のほうがまだ幾分かはマシなような気がしますね」
『そうですかー? わたくしは少しも期待できませんけどー』
「まったく同感だわ」
「……ソウベエ、師匠命令です。帰りますよ」
「いやいや、せめて魚にはもうちょっと期待しましょう」
『ギギ、魚、ですか……おおっ、思い出すだけで涙が。ホロリ』
宗兵衛の言葉に年寄りゴブリンの目には一筋の涙が光った。誰の指導を受けたかは知らないが、随分と芸達者である。
明らかに、話を聞いてほしいオーラを全身から溢れさせているので、話を振る形になってしまった宗兵衛も聞かないわけにはいかない。ラビニアたちも、自分で話を聞こうとしないくせに、さっさと話しを聞けと目線で訴えかけてくる。
「…………なにが起きているのですか?」
「ギ、よっくぞ聞いてくださいました!」
義務感に満ち満ちた宗兵衛の声に、むしろ喜色満面で年寄りゴブリンは話し出した。
自分たちは昔からこのあたりを縄張りとしていた。しかし少し前に貴重な水場である川にギルマンが住み着き、群れを維持することも難しくなってきたのだ。
別の場所に移ろうにも、トロウルの動きが活発なせいで、魔の森は安全な場所が少なくなっていて、移った先がより悪い場所である可能性を考えると動くに動けないのだと拳を振り上げて訴える。
ただでさえ最底辺の魔物であるゴブリン。このまま水場を失った状態が続くと、早晩、群れは崩壊する。しかし自分たちだけでは解決は無理。どうにかせねば、と考えているところに、集落の噂が飛び込んできた。
『ギギ、これぞまさに神の思し召し! 渡りに船、地獄に仏! 盟主様ならばきっと助けて下さるものとの大確信を持つに至ったわたくしめは、救援をお願いすることにしたのでございます!』
「「「……」」」
年寄りゴブリンの興奮とは裏腹に、宗兵衛たちの雰囲気は白けてしまっていた。仮にも魔物が神の思し召しとか地獄に仏とか、適当なことを口にするな。
この件の裏に転生者か転移者が絡んでいることは絶対だとして、少なくとも頭はあまりいいとは言えないようだ。
「アーニャ」
「……なんですか?」
「教皇が許可するわ。ここのゴブリン共、皆殺しにしなさい」
「……斬り甲斐はありませんけど、わかりました」
「わからないでください。いやまあ気持ちは本当によくわかりますが、まずは黒幕を探しませんと。彼らの処分はその後でもいいでしょう」
《死体から情報を集めることを推奨します》
仮にも助けを求めてきた相手を殺すという提案に、宗兵衛は反対を示す。
「それをしたら集落は信頼を失いますよ。今の体制にも支障が出ないとも言い切れません」
助けを求めるものを受け入れて大きくなってきた集団だ。救援要請を最悪の形で裏切ることは、集落全体の空気を一変させかねないリスクを孕む。
『助けが間に合わず既に全滅していた、と言えばいいのではー?』
「彼らの殲滅はあくまで最終手段。具体的な敵対行為を確認してからにしましょう。まずは水場のほうに行ってみますか」
宗兵衛が立ち上がると、「ん」とルージュが座ったまま両手を伸ばしてきた。流れるような自然な動作で抱っこをせがんで来たので、宗兵衛もごく自然にルージュを抱き抱えていた。
「ぁ、あれ?」
「どうしたのかしら?」
『ソウベエさん』
「……弟子のくせになにをしているんですか」
多くの呆れを受け止めながら、宗兵衛は森の中に入っていった。右腕にルージュ、左腕にアーニャ、頭にラビニア、骨腕を追加で四本生やしながら。




