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幕間:その三十 とある勇者(妹)と魔物(兄)の話 ~第十話~

 如何に用意周到な商人であっても、想定していないことはある。


 町長の悪事が露見することは想定できても、まさか勇者が介入してくるなど思いつくことすらできない。


 町長を切り捨てる準備はしていても、自分が夜逃げをする準備などしているはずがなかった。


 商人はまず家に戻り、かさばらず、軽く、高価で、現金化が容易な品を次々にカバンに捻じ込んでいく。町長とのコネを作って経済的に成功し、自分よりも二回りも若い美女を妻にしたばかりなのに、その妻を連れていくことはできそうにない。


 今日の妻は友人に会うとかで留守にしているため、説明に要する時間を省けてかえって良かったと考えるべきか。


 詰め込められる限りの財産を持って家を出、次いで自分の店に急ぐ。金に換えられる証書の類も、貴重な魔道具も、用心のために自宅とわけて置いてあることを、心から後悔した。


 短期間のうちに急成長を遂げた店も、この時間だと人一人いない。支配人室に飛び込み、額縁を外し、隠し金庫を開け、隠しておいた最高級の魔道具を取り出し、余裕の少ないカバンに詰め込み、ドアに向き直ったところで


「っひ、ぁあああんたは!?」


 商人の動きは固まった。


「行動は慌ただしいですけど、慌ただしいだけですね」

「真っ先に逃げ出して、なんでまだ町にいるんだか」

「な、な、な」


 なんでここがわかったんだ、とでも言いたいのだろうか。兄妹にもはっきり言うとわかったわけではない。


 町長たちを叩いた後、二人はすぐにランタンの火を使って町に戻り、ギルドに再び乗り込んだ。当直男から逃げた商人の顔や特徴を伝えて情報を入手、店に直行した。最悪、町長と親しくしている商人を聞き出し、虱潰しに当たっていくことも覚悟していたが、簡単に済んだことは嬉しい誤算だ。


「由宇、お前の手際がかなり良すぎな気がして怖いんだが?」

「勇者として色々な経験を重ねてきましたから」


 穏やかな由宇の口調に、逃げ回っていた自分が言外に責められているような気がした夏樹である。被害妄想も甚だしい。


「く、くそ」

「はぁ……」


 商人がナイフを抜いたのを視界に収め、由宇も宝装の長剣を抜いた。商人は飾りの多い、実用性を捨てて資産価値だけを高めたナイフ。一方の由宇は、一度の斬撃で複数の斬撃を発生させる攻撃性能の高い宝装。


「武器を捨ててください。抗戦の意思を示すのならこちらも容赦はしません。それに、一対一にもなりません」


 由宇の言葉に応えて、夏樹は懐から小さなカボチャ型の爆弾を取り出した。取り出してから、火の魔法でも見せたほうが威嚇効果があるんじゃないか、と思い直したことは秘密だ。


 勝敗は明らか過ぎるほどに明らか。商人は一合を斬り結ぶこともせずにナイフを地面に置き、両手を上げ、その場に跪いた。最初から抵抗なんてしなければいいのに、と由宇はため息をつき長剣を鞘に納める。


 瞬間、ギッと商人が顔を上げ、走り出した。由宇に向けてだ。右拳を握りしめていて、握った指と指の間から鋭い針がある。暗器だ。


「え?」


 由宇は既に納剣し、この件は片付いたと判断してしまった。微かな油断を、商人は見逃さなかった。勇者を傷つけてタダで済むはずがない。だがこのままでも捕まって破滅だ。このあたりの判断が商人を狂わせたのだろうか。


 反応が遅れた由宇は咄嗟に動くこともできず、商人の捨て身の突進を受けてしま――――


「兄さん!?」


 ――――割って入った影があった。



 ジャック・オー・ランタンが商人の突進を受け止める。カバーリングは別に無敵の防御法ではない。カバーに入った側が傷を負う。だが針を受け止めたのは夏樹の体ではなく、盾代わりに構えたカボチャ爆弾だった。鋭い針はカボチャ爆弾の外装を一ミリも突破できない。


「なん!?」

「っっこんのぉっ!」


 バチ、とカボチャ爆弾の導火線に火が付き、導火線は瞬く間に短くなり、弾けた。さすがなのか、曲がりなりにもなのか、魔族の勇者が使うカボチャ爆弾は、普通の爆弾のように周辺を吹き飛ばすタイプの爆弾ではない。指向性を持って特定の範囲やモノを選択して吹き飛ばす。


「由宇に手を出すんじゃねえよっ!」

「に、兄さ」


 生じた爆風と熱は商人の右手に襲いかかり、右肩口までをずたずたに引き裂いた。


「ひぃぃいいいっ! ひぃ! ひぃぃいいっ!?」


 もう動くことのなくなった右腕を、左腕で抱き込むようにしながら商人がのたうち回る。いい気味だ、としか夏樹には思えなかった。


「平気か、由ぅっ!?」


 振り向いた夏樹の胸に衝撃があった。夏樹の胸に由宇が飛び込んできたのだ。


「ゆ、由宇?」

「兄さんはバカです! わたしは勇者ですよ。回復力も増しているし、避けることができたかもしれません。兄さんが庇って、それで兄さんがケガをしたらまた」

「また挫折するかもって?」

「ぅ」


 夏樹の胸の中で、由宇は顔を俯ける。


「バカ。せっかくお前に発破をかけてもらってようやく立ち直ったんだぞ? 挫折なんかしてられるかよ」

「でも……ですが」

「あのときは由宇に助けられたんだ。今日、お前を守られたんなら、良かったよ」

「バカです、兄さんは」


 夏樹の耳には、由宇の声が涙交じりになっていることが聞いて取れた。勇者となった由宇と再会してから、妹の後ろ姿はとても頼もしくなったような気がしていた。魔法を使いこなし、威力の高い宝装を所持し、いくつもの荒事を潜り抜けてきたのだろう。戦いになったら、夏樹はとてもじゃないが由宇に勝てる気がしない。あらゆる面で自分に勝る妹が唐突にとても頼りないものに感じた夏樹は、小さく震える肩を、頭を優しく撫でた。


 しばらく後、確保した商人を縛り上げ、駆け付けた官憲に引き渡す。右腕はボロボロのままだ。夏樹が由宇に回復魔法の使用を提案し、由宇が一蹴したのである。表情に大きな変化はないなりに、妹が相当、怒っていることが兄にはわかった。


「これで一件落着だな、お疲れ様、由宇」

「ありがとうございます。兄さんもお疲れ様でした。特に転移魔法では随分と助けてもらいました」

「助け合うのは当然だろ?」

「そう、ですね。それじゃあ兄さん、わたしたちもギルドに行って冒険者登録をしましょうか」

「何で!?」


 今現在も夏樹の討伐依頼は取り消されていない。呑気にギルドになど行ったら、滞在一分以内に討滅されること請け合いだ。


「ギルドに行ったら俺は殺されるだろ」

「使い魔登録するから大丈夫ですよ」

「その話、本当にするつもりなのか? マジ? 使い魔ってどういうことなのよ」

「わたしが兄さんを養うってことですが?」

「ホワッツ!?」


 夏樹はジャック・オー・ランタンからヒモにクラスチェンジした。


「してたまるかぁっ!」

「行きますよ、兄さん」

「ちょ、早い早い早い! 待って! 待ってくれ! あれ!? 力強い! 振りほどけないんだけど!?」


 由宇の魔法の腕は確かだ。魔法による身体強化は、自分よりも大柄な夏樹を有無を言わさず引きずっていくことを可能にする。夏樹の位置からでは見ないが、どうやら由宇は笑顔らしい。その証拠に由宇の声には浮かれた響きがあった。


「兄さん、スーリアさんとケビンさんは幸せそうでしたね」

「へ? ああ、めっちゃ幸せそうだったな。ずっと幸せでいて欲しいけど」

「本当に。でもスーリアさんたちのおかげで大事なことがわかりました」

「大事なことって?」

「血は無理でも種族の壁なら越えられる、ということです」

「意味がわからないんだが?」


 わからなくてもいいです、と由宇は言った。わからないままで置いてけぼりにされた夏樹は、消化不良そのままの顔をカボチャ頭の奥で傾ける。


 由宇の中からは王都に戻るという選択肢は消えていた。なぜなら、


「ここでスーリアさんとケビンさんに出会えたことは僥倖でした。種族の違いを越えられるという実例をこの目で確認することができたのですから」


 由宇は呟き、夏樹は気付かなかった。

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