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第五章:四十一話 怒りの矛先

 答えたショーマは一騎たちを見下ろしたまま、更に口を歪ませた。笑い声を上げるのだろうという一騎の予想は半分が外れた。笑うより先にショーマは腹を、


「ゲギャ」


 いや、全身を大きく捩り、


「ゲギャギャギャギャギャギャ!」


 それから大きく笑いだした。凄まじい大声だ。響く声だけで大気が激しく揺らされ、木々が泣き叫び、一騎は腹の中を引っ掻き回されているかに感じる。


 一騎はショーマというのが誰なのかさっぱりわからない。迷惑なくらい大声で笑う奴には何人か心当たりはあっても、同級生の中にこんな笑い方をするような奴はいなかった。


 異世界に来て本性あたりが解放されたのか、あるいは魔物化により暴力や加虐といった衝動に飲み込まれた結果か。もしくは衝動を受け入れた結果なのか。


「宗兵衛、この転生者のこと知ってるか?」

『僕が知るわけないでしょう』

「だよな。聞くだけ無駄だった」


 同級生のことを宗兵衛に聞くこと自体が間違いだった。隣の席の奴のことだって覚えているかも怪しいレベルだ。とはいえ、一騎も知らないのだから宗兵衛を責めることはできない。人間はたとえ隣人であっても、興味や関心がなければ記憶に残せない。


 ひとしきり笑ったショーマは、ぬぅ、と一騎に顔を近付けてきた。


「お前、常盤平なんだって? 出来の悪いほうの」

「人を傷つけるためだけに言葉を吐くのは止めたほうがいい。宗兵衛みたいになるぞ」

『え? 僕が一度でも君を傷つけたことがありましたか? いや、ない』

「白々しくとぼけた上に勝手に完結すんな!?」

「うるせえぞ!」


 ショーマと呼ばれた転生者が吠える。


「出来が悪くてもやはり常盤平、腹の立つことには変わりねえな」

『なんだか豪く怒っていませんか。また君が原因じゃないでしょうね?』

「いや、話の流れ的に天馬の奴が原因だろ」


 はっきりと姿を確認したわけではないが、天馬は人間側の勇者だ。勇者と魔物は敵対関係にあるのだから、状況次第では激しく憎み合うこともあり得るだろう。


 このショーマは魔物として天馬と相対したのだろうか。あるいは日本にいたときに因縁でもできたのか。


「天馬となにがあったのか、聞いてみたいが、教えてくれそうにねえな」

『仲直りを提案してみては?』


 せっかくの宗兵衛の提案も、まずもって、一騎にはショーマと仲が良かった記憶がない。親しい中を構築したことはなく、当然のこと仲たがいをしたこともない。これでどうやって仲直りしろと言うのか。


「俺の仲のいいリストにこいつはいねえんだけど。どうやって和解する?」

『友達のいない君は知らないでしょうけど、世の中には握手をして仲直りをする文化があるのですよ』

「お前もその文化とは縁がねえはずだよな!?」

「うるせえってんだろうがっ!」


 黒く巨大な蛇体が鞭のようにしなり、地面に振り下ろされる。反射的に一騎は骨刀を立て、黒い鞭を受け止め、受け流す。轟音と土砂が巻き上がった。森の中を通り過ぎた風が砂塵を吹き払い、変わらず立っていた一騎は大きく息を吐き出した。


「そういや、お前は蛇みたいだから手はねえな。握手は最初から無理か」

「ゲギャギャ! 生意気に防ぎやがる。常盤平ぁっ!」


 宗兵衛の「常盤平」は一騎個人に向けられた呼び方であると、一騎自身が理解している。ショーマの「常盤平」は違う。ショーマは一騎と天馬を一括りにし、尚且つ一騎ではなく天馬を見ている。


 一騎としては不愉快なことだ。試験を邪魔されただけでなく、邪魔した相手は一騎を視界に入れていないのだから。


 一騎は上空のショーマを向いたまま、ベルカンプを問いただす。


「こいつがお前の切り札ってわけか、ベルカンプ」

「ひゃっは! そうだ! 神がもたらしてくださった最強のカードだ! いや、最強になったカードだ! 出会ったときは弱かった。だが契約を交わした! 殺戮と、無数の命を捧げるとな!」


 時期的には一騎たちが森でどうにかこうにか拠点を手に入れた頃か。洞窟崩壊から生き延びたにしても、当時のショーマは一騎同様に大した力は持っていなかったろう。そのショーマに成長の機会を与え、ベルカンプ自身は精霊の力を自由に使う権利を得たのだ。


 なるほど、十分な理解を得る時間や教材のない封印獣などより、遥かに頼りになる戦力だ。教義に基づく狂信者どうしの連帯感とまではいかなくとも、利益に基づいたわかりやすい協力関係。利益を確実に担保できている間に限定の。


「殺戮ね」


 一騎の顔に苦みが走る。契約の内容が金銭というのならまだしも、殺戮や命ということは、このショーマは一騎たちとは違う。


 仲間を大事にするような感覚があるかも疑わしく、集落の発展のためにここに来るような苦労には見向きもしない。


 転生後の時間を、暴力を拠り所にして過ごしてきたのだろう。傍にいた人間も悪かった。一騎には宗兵衛がいたが、ショーマにはベルカンプだ。怒りと憎しみに彩られた、一方的な教義を延々と聞かされたことも、ショーマに大きな影響を与えたと思われる。


「ま、本人の資質がもっとも大きいにしろ、な」

「っっ!? あ゛あ゛!?」

「待てっ、ショーマ!?」


 ショーマが弾ける。比喩でもなんでもない。宙に浮かぶ黒い蛇体が一瞬で膨らみ、爆発したのだ。


 黒く鋭い矢弾が爆風に混じって襲ってくるが一騎、とベルカンプの行動は更に素早かった。ショーマが膨らんだのを確認した瞬間、二人は別々に近くの木の陰に飛び込んでいた。頭を抱えた体を小さくする。


「「ひえぇぇっぇぇぇえぇっぇえぇぇぇぇえええぇええっ!?」」


 一騎とベルカンプは離れた場所でユニゾンしていた。一騎の耳朶を叩く音はまるでバルカン砲だ。


 二十秒近くに及ぶ殺意の嵐が通り過ぎ、一騎は恐々と顔を出す。身を隠していた木も含め、ショーマを中心に数十メートルの範囲で木々が放射状に薙ぎ倒されている。上空に目をやると、幾分かサイズが小さくなったショーマが息を切らせていた。


「ぜぇ、ふぅ、っ、ぅ……し、しぃ、資質だとぉぉおおっ!?」


 小さくなった体躯、しかし先程以上に大きくうねらせ、一騎目掛けて落下してくる。目付きはわからない。あまりにも大きく開かれた巨大な口で隠されていたからだ。


「常盤平ぁぁっぁぁぁあああぁぁぁっっっ!」


 大気を裂いているのではない。大気を飲み込み、大気諸共に一騎を食い千切らんと一直線に落ちてくる。さながら黒い落雷だ。巨大な口はゴブリンはおろか、大の大人でも余裕をもって一呑みにできる。


 一騎は骨刀を構え、同時に自身の身長の二倍以上にまで伸ばす。


 激突。巨大で真っ黒な口と、真っ白な刀。見るものの背筋を寒からしめる双方が火花を散らす。


 質量と落下速度を上乗せしたショーマの突進力は、受け止める一騎の踏ん張りなどで対抗できるものではない。


 一騎は一秒で数十メートルを押し切られ、悲鳴すら生ぬるい甲高い音と共に上空に弾き飛ばされる。


 下方に向けた視線、一騎が見たのは骨刀を真正面から受け、口が縦に裂けたショーマの姿だ――――ゴォッ、とショーマが垂直に急上昇した。縦に裂けたことで、巨大な口は上下だけでなく左右にも広がる。


 怒りと殺意をなりふり構わない攻撃に転化させる様に、一騎は骨刀を肩に乗せた。


「禁句だったか」


 一騎からすれば、どうしてここまでブチ切れられたのか、見当もつかない。資質という言葉がショーマの逆鱗を強かに逆撫でしたことまではわかっても、奥にある事情などさっぱりだ。


 だが怒らせてしまったことはわかる。一騎にだって言われたくない言葉はいくらでもあり、デブやオタクがそうだ。相手に悪気がなくとも、言われた側は傷つくし、一騎も何度となく傷ついた。傷つきすぎて、心を意図的に麻痺させる技能だって習得済みだ。


 悪いことをしたな。紛うことなき敵であるショーマに、そんな場合でもないのに罪悪感を覚えてしまう。


 弾かれ飛ばされた上昇と、重力が釣り合う。眼下、猛烈な速度で上昇してくるショーマを見据える。肩に置いた骨刀の柄を両手で持ち、立てる。偶然に過ぎないが、示現流でいうトンボの構えと同じ形。


 上昇力と重力の均衡が崩れ、今度はこっちの番だ、とばかりに一騎は落下の助けを借りて骨刀を振り下ろした。


 最初の激突はショーマの判定優勢。再度の激突は一騎に分があった。ショーマの巨大な口の一部を斬り落とす。


 勝利の余韻、などに浸る余裕は一騎にはなく、ショーマもまた敗北の衝撃に呑まれる時間はなかった。二人は共にバランスを崩し、地上に落ちていく。


 地響きと砂埃。黒く太い尾が全周に払われ、小さな緑色の体躯は大きく後方に跳んで避ける。一騎は着地に数瞬遅れて、声を張り上げた。


「天馬になにを言われたか知らねえけどな! 俺にぶつけんじゃねえよ!」

「うるせえぇぇっ!」


 ショーマも激しく吠える。斬り裂かれた口は既に七割方は再生していた。


「あの常盤平は! おれをバカにしやがったんだぞ! 資質がない? 才能がないだと? ふざけやがって。てめえはちょっと運と機会に恵まれただけのくせに。奴はおれを役立たず扱いしやがった! てめえの立場を奪われるのが怖かったから、おれをバスケ部から追い出しやがったんだ!」


 ちょっと待てよ、おい。一騎は脊髄反射的に反発した。


 天馬が学生生活を送る上でどんな人間だったかなんて、ほとんど一騎は知らない。一騎にとっての天馬は、血が繋がっているだけの他人だ。互いに隔意を抱いているし、趣味や関心事がまったく違う。時々、視界や耳に入ってくることはあっても、それは表面上のことでしかなく、深く探ろうとも、知りたいとも思わなかった。


 だから天馬についての不満をぶつけられても、そうですか、としか反応のしようがない。


「あいつに文句があるんだったら、直接、あいつに言えよ」


 俺にじゃなくて、とは言わなかった。実のところ、学生時代にこのやり取りは何度かあった。


 好きな女の子が天馬のことを好きだった、天馬に痛い目に遭わされた、などの理由で、一騎にとばっちりが来たのだ。教師や生徒からの人気も高い天馬に噛みつくことはできないので、与しやすい一騎がターゲットにされるのである。逆恨みも、見当違いも甚だしい。

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