第五章:十六話 対リズ・ヘンドリクソン
魔の森を真似ているとは言っても、試験会場であることには変わりない事実だ。生徒たちのレベルでクリアできるように仕掛けられているはず。聞いた話だと、稀に「罠にかかるような間抜けは出直して来い」とばかりに極悪な難易度の試験年度も存在するらしく、一騎は今回がそうでないことを祈りつつ、慎重に歩き続けた。
これが普通のチームなら、役割分担があるだろう。他の生徒の気配を捉える担当、周辺の地形を把握して安全な道を確保する担当などだ。
ただしエストは感知系の能力が低いし、飛行を移動手段とするクレアは安全な道という考え方が乏しい。そもそも生徒として試験に参加するのは一騎であり、エストとクレアは協力者的な立ち位置だ。
やむを得ず、一騎が漢探知――チームの先頭を歩き、あえて罠にひっかかって全員の血路を開く役目――を担当することになった。
「……遠隔で漢探知用のスケルトンを生成してくれないか?」
『試験にアンデッドを介入させてどうするんですか』
さすがに森の攻略は手間取る。道は歩きにくいわ、罠はあるわ、エネミーとして設置された魔法生物もいるわ、迷い込んでからの時間経過は恐ろしく早く感じる。
制限時間のことが頭をよぎったタイミングで、ようやく木々の切れ目が見つかった。
『イッキ、出口よ』
「ぃよしっ!」
一騎が弾けるようにして迷宮の出口に向かう。バランスを崩したのはお約束だ。「と、と、と」なんて口にしながら、バランスを取ろうと片足跳びをする一騎を、
「イッキ、そこは崖っ!」
エストの大声が叩く。大慌てで手をバタバタとさせる一騎。転落間近になって、ようやくなんとか体勢を立て直すが、踏ん張った拍子に足元の石を蹴り飛ばした。石はどこか不吉な音を立ててはるか崖下に落ち、思わず一騎は唾を飲み込む。
「サ、サンキュー、エスト……でも次からはもっと早く言ってくれよ?」
「平気よ。地面にぶつかる前にわたしが助けるから」
『空を飛ぶのは我のほうが得意だぞ。それよりもイッキ、あれを見るがよい』
クレアの小さな指が示す先には、ゴールに設定されている建物の尖塔が見えた。ここまで来れば時間内にゴールできるだろう。
迷宮の中で散々に歩き回った疲労からだろうか、一騎は周囲への警戒を一瞬、忘れてしまった。
「「「!?」」」
不意打ちを受けたのはまさにそのタイミングだ。
魔法士試験では他チームへの妨害や攻撃は禁止されていない。試験中の衝突は少なくなく、過去には試験中に決闘が行なわれた例まである。
ただ、観客たちが試験を見ているとあって、基本的には正面から、互いに名乗りを挙げてからぶつかることが多い。奇襲などは、下手をすれば家名を傷つける行為であるため、試験中に行なわれることは滅多にない。
だからこそ油断していたのである。
もうもうと立ち昇る砂煙を突き破って一騎たちは着地する。
「げっほ、げほ、いっ痛、っ」
「イッキ、大丈夫!?」
『どこからの攻撃っ?』
打撲程度ではあるが、ダメージらしいダメージを負っているのは一騎だけだ。エストとクレアは砂埃で汚れた程度で、完全に無傷である。それもそのはず、不意打ちで仕掛けられた三発の攻撃は、全て一騎一人だけに向けられていたのだから。
「いくら無能といえど、あの距離からの攻撃ではそうそう当たらないわね」
崖近くの山道に風が吹く。吹き散らかされた砂埃の向こうから現われたのは、伯爵家の令嬢、リズ・ヘンドリクソンだった。堂々とした態度で姿を現したかと思いきや、リズはエストとクレアに向かって深々と頭を下げる。
「申し訳ありません、エスト様、クレア様!」
「お前が……今の攻撃の……」
「誤解なのです、大精霊様方」
「ほう?」
敵意に満ちた視線と気配を叩きつけてくるエストに、リズの顔は青ざめ、早口で弁解する。彼女にしてみても大精霊に不意打ちを仕掛けるつもりなど毛頭なかっただろう。
「こちらからは大精霊様方は見えなかったのです」
リズが指し示した先の山道はカーブになっていて、確かに位置関係によってはエストや、小さな妖精でしかないクレアが見えなくとも不思議はない。それでも普段のリズなら、自分の見えない範囲にエストたちがいることを容易に想像できたはずだ。つまり、想像しなかった、あるいは、した上で無視したのである。
理由は明白、一騎だ。試験前の諍いもあり、リズは一騎の姿を視界に収めた瞬間、他の可能性の全てを無視し、一騎目掛けて攻撃を仕掛けてきたのである。
なるほど、と一騎は納得した。
たしかに信仰の対象にもなる大精霊に、リズが攻撃を向けるとは考えにくい。一騎を見た瞬間に頭に血が上って攻撃してしまったというのは、事実なのだろう。攻撃を受けた一騎をして信じてしまうくらいには、納得できる理由だ。
だがわからないこともあった。貴族というのは体面や名誉を重んじる生き物だ。魔法士を目指す学生としてもプライドの高いリズが、名乗りもせずにいきなり攻撃したことが腑に落ちない。聞いてくれという一騎からのアイコンタクトを受けてエストが質問すると、リズは目を丸くした。質問の意味が分からない、あるいは、なぜそんな質問をされるのか分からない、といった感じの表情。
「なぜもなにも……これは貴族どうしが名誉と誇りをかけて行なう決闘ではありません。貴族の私がどうして平民などに名乗りを挙げねばならないのですか?」
恐らく、いや間違いなくリズは本心から口にしている。リズに差別の意識があるかどうかはともかく、貴族とそれ以外を明確に区別していることは明らかだ。エストは開いた口が塞がらないといった表情を、クレアは早々に反論を諦めた。
二人とも怒りを通り越していたのだが、リズは反論がないことを是と受け取ったのか、むしろ機嫌よく二人に謝罪し、ゆっくりと一騎に向き直る。
「てめえ、リズ」
「……気安く貴族の名を呼ぶな、下郎。無能で平民、いや魔物の分際で……どれをとっても不愉快極まりない。この試験は由緒正しいもの。お前のように下賎な魔物如きが立ち入っていいものではない」
嫌悪と侮蔑が強く入り混じった言葉と共に掌を一騎に受けるリズ。魔力の高まりと共に水が現われる。ヘンドリクソン家は水の派閥として名高く、優秀な魔法士を何人も輩出している武闘派の家系だ。
「早々に消えて失せなさい!」
風を切り裂く音、風を貫く音。二種類の音が一騎の耳朶を叩く。水刃と水弾を織り交ぜたリズの攻撃だ。
ベルカンプは「素質のない者は落ちる」と口にした。一騎一人だけならあるいは言葉の通りになったかもしれない。スペックの低いゴブリン種。魔法士としての知識や心構えもない。だが協力者に大精霊がいる。大精霊より力は劣るが妖精までついているとあっては、十分に合格の芽はある。
――――そんなことは許してはならない。
試験開始前、必ず一騎を叩き潰すことを誓うリズに、カインが直々にかけた言葉だ。別れ際、期待していると告げられたとき、リズはより強く決意を固めた。
伝統と格式ある魔法士に亜人がなるなど、リズには許せない。リズだけでなく、多くの貴族生徒たちの共通した認識だ。
過去に平民が魔法士になったことはある。そのときも貴族社会は大騒ぎになった。帝国の大部分を占める平民たちはお祭り騒ぎだったのとは対照的だ。試験結果に難癖をつけて結果を覆そうと試み、結局は失敗し、今では平民の魔法士は毎年のように誕生するようになっていた。守旧派の貴族たちの中には、今も尚、平民出の魔法士を毛嫌いして、試験の枠組みを変えようと運動しているものまでいる始末だ。
だが亜人の魔法士となると、平民のときとは比べ物にならないほどの騒ぎになるだろう。狂騒とも表現しうるかもしれない。国防を担う魔法士の立場に加えて、名誉と誇りに加えて、前例や慣例を重んじる貴族の立場からも、リズは一騎を許容できないでいた。
水刃が唸りをあげて振り下ろされる。辛うじて避けた一騎は地面を転がり、起き上がると同時に、拾っておいた石を投げつける。石は水弾に打ち砕かれた。
「情けない! それが魔法士を志す者の戦い方なの!」
痛烈な罵倒が響く。
一騎は眉根を寄せ、奥歯で噛み締める。両者の間に横たわる、歴然とした実力差を。魔法士の戦闘力は、軍の一個中隊に匹敵するとされる。候補に過ぎずとも、魔法に対抗するには魔法が必要なのだ。
一騎は魔力こそあれど魔法適性が低い。エストとの契約で魔法を行使できるが、練習不足と実力不足の双方のせいでどれだけの威力になるのか自分でも判断できないとあっては、使用することには躊躇いがある。
水弾が連続して撃ち放たれ、無数の水刃が縦横に振るわれる。一騎の頬をかすめ、肩を裂き、大腿を削っていく。
「『イッキ!』」
エストとクレアからは、悲鳴と共に大気を振るわせるほどの殺気が迸る。
「手を出すな!」
「『っっ』」
一騎の指示がなければ試験会場の森は一瞬で炎に包まれていただろう。生徒たちにも無視できない規模の被害が出、それは集落と帝国との間に決定的な破局をもたらす。一騎はそこまで考えたわけではなく、単に被害を心配しただけだ。
矢継ぎ早に繰り出されるリズの攻撃。一騎の肩から血が噴き、足を叩き、皮膚を削いでいく。ダメージを受けこそすれ、攻撃を避け続ける一騎は褒められるべきかもしれない。
「しつこい!」
尚も攻撃を避ける一騎をリズの水弾が遮る。ダメージを狙った攻撃と、一騎の動きを止めることを狙った攻撃とを効果的に織り交ぜ、リズは確実に一騎を追い詰めていく。
「ちくしょう!」
声に出して一騎は自分を呪う。リズに抗しようと魔法を使おうと手に魔力を集中してみても、火も風も水も、なにも生み出されない。魔力があるだけでは大した役には立たない。魔法として発動して初めて価値があるのだ。




