第五章:十七話 雑魚魔物にだって矜持はあるんだよ
『イッキがケガをしてるのよ、エスト!』
「分かっている!」
魔法士にどんな栄誉があるか知らないだけでなく、そもそも魔法士という職業自体への興味も持っていないエストたちにとっては、この試験自体がどうでもいいものだ。
あくまでも一騎がいるから参加しているに過ぎない。
だからこそ余計に腹立たしく感じる。高が人間の試験如きのせいで、一騎が傷を負うことが不愉快で仕方ない。試験前、学院内で繰り広げられたやり取りだけでも許せないのに、「高が人間如きが己の契約者を傷つける」など断じて許容できることではない。
一騎の言葉を無視して参戦しようと進む二人の前に、別の二つの人影が立ち塞がる。リズのチームメンバーだ。
「大精霊様方、申し訳ありませんが動かないでいただきたい」
「これも魔法士の名誉を守るためです」
前を塞ぐ彼らは共に真剣な顔付きに、エストの怒りは一気に沸点を越えた。
「どけ、人間っ!」
「「っっっ」」
これといった力を行使することもない。エストの気迫だけでリズの班員は道を開ける、いや、エストの眼前から逃げ出した。いとも容易く妨害を突破した二人が一騎に顔を向ける。
「お待――――」
それでもなんとか、リズの班員が縋りつくように手を伸ばそうと――――ギロリ。エストの一睨みで凍結した。
クレアの小さな手に風が集まる。魔法発動の準備だ。
リズの視線が一瞬だけエストたちに向く。整った顔に警戒と畏怖が強く現れ、しかし、視線が一騎に戻されたときには、軽蔑の色がもっとも濃くなっていた。
「契約者が魔法の一つも使えない亜人でも決して見捨てない。さすがは大精霊様と妖精様ね。翻って、お前は一体なんなの? 魔法も使えない醜い亜人。石を投げる? 地面を転がる? 魔法士の名を汚すな! お前なんかに大精霊様は相応しくない。大精霊様はカイン様にこそ相応しい! 吠えるだけ吠えて、結局、大精霊様に助けられるような奴など、この場に立つことすら許されない!」
「ぐ」
リスの言葉は一騎のプライドを傷つけるには十分な鋭さだ。
「分際が知れたでしょう。お前はいるだけで大精霊様に迷惑をかける。ううん、亜人種で雑魚のゴブリン種のお前は周囲の全てに迷惑をかける。だから、さっさと学院から去れ。帝国から消え失せろ。自分でできないほど無能だというのなら、仕方ない。ここで、あたしが、引導を渡してあげるわ」
一際大きな水塊がリズの頭上に出現する。本気の攻撃だ。
まずい、と一騎は判断する。リズの魔法を向けられている一騎自身もまずいが、リズに向けられるエストとクレアの気配のほうがよりまずい。エストの炎なら水塊ごとリズを蒸発させる。クレアの風もリズの命を奪えるだけの威力はある。
「何とかする!」
「『!』」
一騎の単純なそのセリフの効果はてきめんだった。どうなんとかするかはわからないのに、途端にエストとクレアから魔力の高まりが止む。全幅の信頼とはまさにこのことか。
「し、信頼が重い……」
一騎は水塊から目を逸らさずに呟いた。
「けどなぁっ!」
吠えた。迫り来る水塊に向かって。魔法を放ったリズに向かって。もちろん、自分自身に向かって。
一騎には夢がある。
魔法士になんてなりたいわけではない。
でも、誰かを助けることのできる自分になりたいとは思う。
同時に集落を発展させたいと思っている。スローライフ系のラノベみたいに、発展した集落でのんびり田舎生活を楽しんで過ごしたいのだ。隣にエストたちがいれば尚更いい。嫉妬仮面はいらないが。
「こんな俺を信じてくれるってんなら! 答えなきゃ嘘だろうが!」
リズ最大の攻撃魔法を一騎は睨み付けた。顔の前で右拳を握りこむ様は、まるで祈っているかに見える。はたまた、不甲斐ない自分を怒っているかにも見える。
並よりもはるかに多い一騎の魔力が拳に集中、燐光を発した。一騎は魔法を持っていない。常々思っていたこととして、魔法の使えない異世界転生なんてのはなんの冗談なのか。魔力を持っていても、魔法が使えなければ何の意味もない。
ゴブリンメイジにでも進化すれば魔法も使えるだろうが、一騎の『進化』は好きなときに好きなものになれるよう使い勝手のいい能力ではない。あるいは宗兵衛なら、頼めばたとえ遠隔でもリディルのサポートを寄こしてくれるだろうか。そんな状況でもないのに、尚も助力を期待する弱気の虫にイライラする。
「つくづく、我らを侮辱してくれる! 魔力を込めただけの拳でなにができる! 足掻くにしても最低限の力が必要だということ程度のこともわからないの!?」
生憎とわからねえんだよ。反論はもちろん、声を出す余裕がないので、心中でのみだ。
我ら、というのが魔法士や貴族を刺しているのだと察しはつく。ついたところで、だから何だというのか。魔法の講義は面白かったが、特権意識の滲んでいる魔法士の歴史については、睡魔との戦いに必死――概ね、敗北していたが――だった。貴族制度は知識として知っているだけ。
転生からこっち、殺し合いのど真ん中に立ちっぱなしだったのだ。足掻くための最低限の力だと? そんなものを得るまで待っていたら、待つなんて悠長なことを言っていたら、今頃、一騎は他の魔物に蹂躙されて死んでいる。森の外に出ることなく、いや、洞窟の外に出ることすらできなかったろう。
実力差はあって当然。分際を弁えるなんて、お上品な礼節は多分、ゴブリンに生まれ変わったときに捨てたのだ。貴族も身分も実力も関係なく、やるべきことをやり抜くだけだ。
「行くぞぉっ!」
と声に出して叫ぶ代わりに、渾身の魔力を込めた右拳を勢いよく突き出す。
巨大な水塊と一騎の拳が激突する。激突は拮抗するはずもなく、拳の骨が砕ける音が一騎の耳に届く。指がひしゃげる。前腕の骨が折れ、内側から肉を突き破った。一騎を襲うはずの痛みは、あまりの衝撃の大きさに飲み込まれている。
「んぎぃっ!」
瞬間、意地が、あるいは誇りが届く。一騎の右手に、初めて見る魔力光が生まれていた。魔法士学院で何度も他人が出すのを見た、光でも風でも火でも水でもない魔力光。意識の空隙の中、これがなにかの魔法かなど確かめる術などあるはずもなく、
「ま」
足に力を入れる。強かに踏まれた大地が不満の声を上げた。
「け」
歯を食いしばる。圧力に晒される体は悲鳴を漏らす。
「る」
水塊に左腕も突き入れる。水中の鮮血は水量に飲まれて色を残せない。
「かああああああぁぁぁっ!」
一際激しい轟音と共に、リズの放った魔法は砕け散った。リズも、もちろん一騎自身も、目の前の光景をにわかに信じることができず、最大限に目を見開いている。
と、嫌な音が響いた。それが足元からの、地面が裂ける音だと気付いたときには手遅れだった。
「「な!?」」
驚愕と愕然は手を携えて一騎とリズを襲う。水塊を破壊した衝撃で、二人を乗せる山道が崩壊の不協和音を奏でる。転落注意と落石注意の看板が崖下に落下していく。
「こ、これは……っ?」
魔法を砕かれた自失に加えて起きた突然の事態に、リズの体は動かない。バランスを保つことすらできず、このままだと確実に落ちる。
「イッキ、こっちへ!」
エストの急く声が聞こえる。成績だけを優先するなら、エストの言葉に従うのが正解なのは間違いない。
「くっ!」
たとえ不正解であったとしても。
考えるよりも早く、咄嗟に左腕を伸ばし、リズの腕を掴む。目を丸くしたリズを勢いよく引き寄せる。反動を利用してリズを投げ、彼女は無事に安全な足場に転がった。
逆に一騎は大きくバランスを崩す。瓦礫と化した山道と共に宙に投げ出される。気色悪い浮遊感が一騎の全身を包む。もはやこれは手遅れだ、などと思う間もなく落下する一騎。
「うわわあああぁあぁあああぁぁっ!?」
「そんな!?」
リズの驚愕を引き裂いて、飛び込んだ大小の人影があった。エストとクレアだ。崩落を気にもせず一直線に一騎に迫る。二人が手を伸ばし、応じて一騎も手を伸ばす。一騎の右手をエストが、左手をクレアが掴む。
無数の瓦礫が風に叩かれながら落下していくのを眼下にしながら、
「た、助かった……サンキュ、二人とも」
「わたしが一騎を助けるのは当然のことよ。なんたって契約精霊なんだから」
『我が闇の眷属のために手を差し出すのも当然のことだ。当然、理解しているわね、イッキ?』
一騎が引き上げられる。そのままへたり込んでしまいそうになったところを、エストに肩を借りて安全な場所にまで移動する。
一騎が太い幹に背中を預け座り込むと、クレアが回復魔法をかけてくれた。クレアの魔法適性は一騎よりもはるかに高く、その回復魔法はぐしゃぐしゃになった両腕を短い時間で回復させていく。
魔力で覆っていたとはいえ、攻性魔力の中に素手を突っ込んだのだから、腕が消し飛ばなかっただけ御の字と評価すべきだろう。中途半端に魔物としての頑丈さが働くのだから、この異世界転生は本当に始末が悪い、と一騎は何度目かの実感をするのである。
「クレア、イッキのケガはもう大丈夫? 後遺症とかは?」
『神の使者によりもたらされ、我が身の内において闇の祝福を受けた術よ。傷一つだって残しはしないわ』
ようするにルージュから習った強力な回復魔法ということである。回復よりも修復の要素が強い魔法で、飛び出た骨が時計の逆戻りのように体の中に戻り、破損した血管や皮膚が元の形を取り戻していく。
「ぉお」
クレアの魔法の光が治まると、すっかり元の形を取り戻したゴブリンの腕があった。
「お、お前……」
呆然としたリズの小さな声。リズは腰でも抜けたのか、地面に転がったままだ。一騎を見る目は信じられないものを見るといった感じで、学校や試験会場で見せた嫌悪や侮蔑の感情は根こそぎ吹き飛んでいた。
タイムアップの鐘が響いたのは、魔法に感心している一騎の横で、ゆらり、剣呑な空気を立ち昇らせるエストが立ち上がるのとほぼ同時だった。




