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第五章:三話 コンディート市、某所にて

 コンディート市は魔法士を養成する学院が置かれている一点のみを取り上げても、十分な知名度を持つ。同時に帝国内においては、帝都に次ぐ経済規模を誇る商業都市としての側面も併せ持っている。


 これらを華やかな表層とするなら、当然のように汚い裏面もまた存在した。


 殉教の土地。


 ある人々からは、コンディート市はそう呼ばれていた。


 その店のかつての名残がそこかしこに見て取れる。店舗のスペースも十分なものだし、遂に運び出されることのなかったテーブルなどの道具類も立派なものだ。


 彼らは利用した事はなく、彼らの正面に立つ男は利用したことがあったらしい。


「ここも随分と繁盛していたんだがね……再開発で向こうの通りが整備されてからは客足が急速に遠のいたそうだ。五年ばかり営業をしていたが、最後の一年は店主の意地が目立つばかりだったな。その店主も結局は金策が回らなくなって逃げ出してしまって……惜しくはないが、もう一度くらいは利用してみたかったかな」


 男は陰鬱そのものの声を吐き出した。抑揚も欠ける喋り方は、ここが教室で、彼らが生徒なら居眠りを避けることはできなかっただろう。


 男の本名を知るものはこの場にはいない。男自身も教義に準じるために本名を捨て、思い出すこともなかった。ここ最近で用いている名前は「ダガー」だ。神の懐刀を自任しての名で、ここ、帝国内に潜って以後は、他の名を用いたことは一度もない。


 ダガーはこの場に集まったものたちのことを、ほとんどなにも知らない。逆もまた然り、ダガーのことを詳細に知るものは、この場には一人もいなかった。


 必要がないからだ。


 ダガーが、この場にいるものたちが知っておけばいいことは限られている。成し遂げることができるだけの力があるかどうか、だ。そしてダガーには、実行力があると知られていた。


 法にも道徳にも縛られない、いや、これらを唾棄してのける心根と共に。


 彼らの一人が窓の外を覗く。押し寄せてくるかの青空は、彼らにとって憎悪の対象である少年少女らへの声援のように感じ、下品に大きな舌打ちをした。


 舌打ちにもダガーは気分を害した様子はなかった。この都市の、否、この国の全てが憎悪と破壊の対象であることは、この場にいる全員の共通認識だ。


 ダガーの神経は張り詰め、体内を縦横に巡る血管の中にはアドレナリンが駆け回っている。反して暗がりに隠れた表情は少しも揺らいでいない。石でできているかの冷静さは、だが多大な努力の結果だとダガー自身は知っていた。


 日の光があるとはいえホールは暗い。明かりらしきものは使われておらず、恐らくは経営の末期についたものだろうか、床や壁のキズが些かでも印象に残ればと影に小さな濃淡をつけている。ダガーの靴は床のキズを潰すように踏み出された。


 踏み出した先に立つ一つの影は少しだけ身震いしたようだ。ダガーの手が鷹揚な仕草で伸ばされ、身震いした影の両肩を掴む。骨ばった手は力強く、影は――サゲスは驚いた。


「これまで、よく準備をしてくれた。君の献身と功労には頭が下がるよ、サゲス」

「我が同志にそう言っていただけるとは……これほどの光栄は……」

「違うぞ」


 ダガーはゆっくりと頭を振った。振りつつも、細い目はサゲスから逸れない。


「こちらこそが光栄なのだ」


 サゲスの緊張をほぐすには十分なほどにダガーの声は優しい。


「お父上のことはさぞ無念であったろう。彼には私も何度も世話になったものだ。彼と知り合えた事実は私にとって生涯の誇りでもあった」

「同志……そんな」

「先年にはお母上も失われたと聞いた。暴力によって押し付けられた、これは許し難い蛮行だ」


 ダガーの抑揚のない言葉にサゲスは両拳を握り締めた。心中に燃え上がる憤怒と憎悪の炎はいずれ、体の内では納まらなくなり、サゲス自身を焼き尽くす日が来るかもしれない。


 両目に燃え盛るサゲスの感情にダガーは満足そうに頷いた。


「我々は全てを取り戻す。そして奴らに教えてやらねばならないのだ。我らから奪ったお前たちは、今度はすべてを奪われる番だと」

「はい、同志。父も母もそれを常に望み続けておりました。しかし、父母共に望みは遂に叶うことなく無念と失意のうちに亡くなりました。父母の無念も、一族の怒りも、同胞の願いも、すべてを結実させることこそがこの身の全てです。そのためならば命ですら惜しむものではありません」

「よく言ってくれた。さすがはあの人の血を引くだけのことはある。その気概があればこそ、我らは本懐を遂げることができよう。奴らは我らから父母も兄弟も同胞も歴史も国も奪ったが、信仰と教義を奪うことはできなかった。唯一つ、真実の教えさえあれば、我らは道を誤ることなく、侵略者共と戦うことができる……我々は断じて、引き下がりはしない。屈したりはしないのだ」


 ダガーはサゲスを力強く、かつ長々と抱擁する。


 サゲスの目には涙が浮かんでいた。その涙は熱く、まるで体内の熱に毒されたかのようだった。この後、体内で暴れまわるだけだった炎を存分に外で使うことができると思うと、顔全面に好戦的な笑みが浮かび上がる。


「同志よ……この身は髄までが戦士です。我らから奪うだけの大神の手先共を打ち滅ぼすまで動きを止めることはありません。連中に思い知らせてやりたいのです。我らの怒りを、我らの憎しみを、我らの」

「だがそれは君がする必要のないことだ」


 抱擁を続けていたダガーの声は、背筋に氷を落とされたと錯覚させるほどに冷たく、サゲスの思考と肉体の動きは一瞬だけ停止した。


 次の瞬間に感じたのは、唐突に首筋を襲う灼熱感だった。ダガーの手にナイフが握られており、サゲスの命を容易く奪い取ったのだ。


 自分自身に何が起きたのかわからないまま、サゲスは二度と覚めることのない眠りへと叩き落される。


「君の動きは連中に察知されつつあった。今までの献身には深く感謝しているが、だからと言って見逃す理由にはならない。計画がここまで進んだ以上、不安要素は除去しておかねばならないのだ。勇敢なる信仰の戦士たる君だ。我らの事情も理解してくれるものと確信しているよ」


 生者の体温を失いつつあるサゲスを見下ろすダガーの目には熱が篭っていない。


 彼らは邪神教の名で知られる宗教を信奉しているものたちだ。


 彼ら自身は聖戦教徒を自称していて、古くから真正聖教会を敵視し、教皇を頂点とする体制打倒を最終目標としている。そのための活動として各国で破壊活動を展開しているのだ。


 以前にはレメディオス王国内の小さな村を占拠して領土を主張したこともあったが、投入された王国軍によって叩き潰された。


 どこからどう捉えても自業自得なのだが、彼らは信仰を失うことはなく、同時に大神と教会と各国に対する深い怒りと憎悪を得たのである。


「同志サゲスよ。君の無念は我々が必ずや晴らそう。安らかに眠っておくれ」


 ダガーはナイフの血を丁寧に拭き取り、懐に収めた。使い勝手のいいこのナイフに対しては奇妙な信頼を抱いている。なにしろ、ダガーが初めて人を殺したときに用いたものだ。


 いつだったか、どこだったか、四人組が下らないお喋りをしていたことがあった。今となってはお喋りの内容すらも思い出せないが、どうせ大したことではなかったのだろう。


 四人組の一人が、共通の知り合いらしき誰かのことを罵っていた。他の三人は面白がり、悪口を流しながら笑い声を上げていたのだ。


 近くをダガーが通りかかっても、いや、本当に気付いていなかったのかもしれない。とにかく、ダガーが通ろうとした場所を遮るように四人組はいて、ダガーも道を変えようとはしなかった。


 悪口を流し続けていた男に無造作に近寄り、その頭髪を掴んで力任せに後ろに引いたのだ。


 思いもよらなかった展開に、引っ張られた男ができた反応は、苦痛に顔を歪めることぐらいだった。


 ダガーの手が閃き、ナイフが男の喉に抵抗なく食い込み、引き抜く。男の命が破裂した。ダガーの最初の殺人は、何の感慨も浮かぶことなく終わる。


 時間を経、ダガーは幾度このナイフを振るったかを数えていない。奪った命の数も覚えていない。


 重要なのは、このナイフを振るうことで得られる「なにか」だった。

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