第五章:二話 それはまるで旅立ちの朝のように
店内はいつもより早い時間だというのに混雑の極みだ。とてもではないがラッカ一人でどうにかできるものではない。かといって一騎が入ればなんとかなるものでもなく、人手が増えた分だけ回転が上がり、忙しさに拍車がかかっていく。
店から客の姿が消えたのは八時前。モーニングが売り切れてからだった。
「死ぬ……試験前に死んでしまう……」
「ダメよイッキ、せっかくの朝食が無駄になっちゃうじゃない」
そういう問題ではないと思う。
『パアァァァァ』
「ちょ、クレア、戻ってきなさい!」
クレアは天から差し込んできた光に引っ張られて逝ってしまいそうだ。この日に向けて体調を管理してきたはずの一騎は、マラソン直後のように消耗している。
「まったくもう、ほらイッキ、これ食べてって。〈黄金の草原亭〉特製、合格確実メニューのレシピをせっかく教わったんだから」
「へ?」
手際よくテーブルの上に料理を並べるエスト。人使いが荒く、なにかと理不尽なラッカはしかし、嘘は言わない。ラッカが合格確実メニューと口にするのなら、そこにはなにがしかの曰くがあるはずだ。
「合格確実って……なんなのそれ、ラッカさん」
「ふっふっふ。この朝食メニューはね、昔、母さんが父さんに作ったものなのさ。昇級試験のときも、もちろん魔法士試験のときもね」
「クレインさんの?」
ラッカの父クレインは平民出身の魔法士として、帝国でも名が知られている。立てた武勲も多く、現在も一線の魔法士として活躍中だ。一騎はまだ会ったことがないが、ラッカに世話になっている身としては一度は礼を言わねば、と考えている。
一騎の目がテーブルの上に釘付けになる。野菜がたっぷり入ったスープと、焼きたてのパン、作りたてのバター、果物を絞ったジュース、それとエストとクレアによるお手製のクッキーが添えられている。
配膳を終えたエストは一騎の隣に腰掛けて笑いかけた。
「手作りクッキーまで含めての必勝メニューなんだから。今日はイッキにとって大事な日だからね。お腹がはち切れるまで詰め込むように」
『我が下僕としてあんな奴らに負けることなど、ありえないと信じているから』
「ありがとう、エスト、クレア。こいつで合格は確実だぜ」
「ちなみにアタシは別に不合格になっても構わないよ?」
「ちょっ、ラッカさん!?」
合格確実メニューなどを供しておきながら、叩き落す。持ち上げてから落とすのは基本とはいえ、いくらなんでも落とすのが早すぎる。
一騎たちの向かいに座るラッカは豪快に笑い、大ジョッキに注いだ牛乳を一気に飲み干した。
「いっやあ、けどね、合格するってことはうちから出て行くってことだろ? アンタらがいなくなっちまうと、畑仕事とか色々手伝ってくれる人がね」
「おいこら」
思わずツッコむ一騎だ。〈黄金の草原亭〉は飲食店としての評価は高いが、魔法士養成学校の寮としては落ちこぼれ専門という扱いだ。
正式な寮でないのだから仕方のない面はあるのだが、それにしても扱いは悪い。一騎が有力貴族から悪感情を向けられていることもあって、本来の予定では学院から支給される諸費用も必要最低限を下回ってもおかしくなかった。
あの金額で生活しようものなら、食事はせいぜい水に塩味がついただけのスープと、作られてから日数を経て硬くなったパンだけ。それも一日二食あれば贅沢と喜べるだろう。
それがこうして健康的で文化的な食卓を手にすることができているのは、偏にエストのおかげだ。
大精霊の存在は帝国でも非常に珍しく、一騎のことは見下していても、エストには気を遣ったり、あるいはへつらったりする人間は多い。中には、「亜人などと一緒にいるのは大精霊様のためにならない」と親切心とか功名心とか義侠心とかに突き動かされて、露骨にエストを手に入れようとする動きもあったほどだ。
まあ、それらの動きは怒れる大精霊に悉く粉砕され、これ以上エストと敵対するわけにはいかない、と貴族や有力者たちが大慌てで十分な補償をするに至ったのであるが。
当初は補償対象もエストだけに絞る方針であったようだが、明らかに機嫌を害した様子のエストを目の当たりにして、ようやく一騎――と、〈黄金の草原亭〉にも――まともな金額が支給されるようになったのである。
ただ、根が貧乏性の一騎は、養われるだけの立場にいることが落ち着かなかった。日本にいたときは学生で親の脛をかじるだけの身分だったのが、こっちの世界に来て以降、色々と自分が動く習慣がついてしまったことが影響している。
ついでに、勉強や試験対策だけに意識を集中させ続けることができない、という特性も大きく影響しているのは言うまでもない。
一騎が始めたことが近所の手伝いだ。慣れてくると商店の手伝いもするようになり、牛やブタや鳥の世話も経験している。真面目に仕事に励んでいたので、近所からの評判はかなり高い。
市場で売れないような野菜を分けてもらったり、卵や牛乳を貰ったりすることができるようになったのも、そういった経過からだ。
今では一騎は近隣住人にとっては貴重な働き手である。
「大丈夫だ。俺の知り合いがスケルトンを大量召喚してこき使う術を持っている。繁忙期にはそいつを引っ張ってこよう」
「下らない冗談を言ってんじゃないよ」
ラッカの、下らない、には二重の意味がある。アンデッドを召喚して意のままに使役するのは真っ当な世界の住人ではないし、そもそもアンデッドに手伝いなどさせるわけにはいかない。
ピク、と反応したクレアが高速で厨房の奥に引っ込む。
「あれ、もしかしてモーニングは終わっちまった?」
店の入り口を開けたのは、オーソン通信社のオーソン記者だ。
「なんだい、オーソンさんじゃないかい。モーニングはとっくに売り切れたよ。売り切れの札をかけておいたろう?」
「すまん、見えてなかった……て、イッキにエストちゃん? あ!」
食事中の様子を見てようやく思い至ったかのようにオーソンが声を上げる。
「そういや、今日は魔法士試験の日だったな」
「忘れてたのは多分、オーソンのオジサンぐらいだと思うぞ」
「くら、イッキ、オジサン言うな。けどなぁ、うおぉぉ、徹夜で入稿したってのに、ラッカちゃんのモーニングが食べられないなんて……こんな無慈悲無情なことが人生にあっていいのか」
「はいはい。さっさと席に着きな。簡単なものでよければ出してやるさ」
「ひゃっほう!」
オーソンの徹夜明けでクマのできた顔に喜色が満ち、一騎たちの向かいの席、詳しく描写すると、ラッカがいつも座っている席の隣に座る。
「いやあ、ラッカちゃんのモーニングを食べると食べないでは、一日の取材力に差が出るからね。毎日でも食べたいよ、ほんと」
「アンタは結構、毎日食べに来てるだろ」
厨房からのラッカの言葉にオーソンは露骨に肩を落とした。
「そんな遠回しな表現が通用するくらいなら、ラッカはとうの昔に結婚してるんじゃない?」
「うっせえですよ、エストちゃん。こっちゃ純情派なんだよ」
「ところでオジサン、徹夜って言ってたけど、なんか面白いネタでもあったのか?」
「オジサン言うなっての。これだよこれ。そこそこ話題になってるだろ」
テーブルの上にいくつかの資料が放り出される。「黒い獣が夜の街を闊歩する!?」「伝説の魔獣、遂に復活か!」「封印獣に効く十七のおまじない」などなど。
エストの反応は冷たかった。
「なによ。話題と言うから期待したのに、つまるところは封印獣の与太話なの?」
「与太話じゃねえよ! これには信憑性があるんだよ。ちゃんと裏付けもしてんだ!」
オーソンが力説する封印獣の話は、確かに根も葉もないゴシップとして話題にはなっている。なんでも帝国のどこかには魔法で封印されている魔獣がいるらしい。姿形などは伝承にも残っていないが、最近になって黒い獣を見たという人たちが増え、人々はこの黒い獣こそが封印獣ではないかと噂しているのだった。
「目撃者にも話を聞いてきた。表通りのブティック〈昼の蝶〉の店長さんも間違いないと証言している。どうだ、これでも与太話か?」
自信満々に胸を張るオーソンに、一騎はため息交じりに返した。
「あそこの店長は噂をばら撒いて、話題になったところで、噂を元にしたデザインの服を売って儲けてる人だぞ」
「え?」
「そもそも封印されてるのに目撃ってどんなだよ。封印の壷とかから出入りしてるのか?」
「それって封印してないじゃない」
オーソンの口が開きっぱなしになっている。本人は真面目に取材しているにしろ、オーソン通信社と言えば妄想と空想を稚拙な文章で書き連ねる三流会社、というのが平均的市民の認識だ。
「ちくしょう、騙された! あの店長め、イカシてるなんて持ち上げるもんだから、封印獣Tシャツまで買ったってのに!」
「相変わらずの騙されっぷりだな。他になにか面白いネタはないのか?」
「他? 他ねえ……そういや、反帝国だか反亜人だかの活動家が潜り込んだかもしれないとかって、知り合いの兵士から聞いたな」
「なんでそっちを取材しないんだよ! 普通、そっちを取材するだろ、ジャーナリストとして!?」
「いや、だって……危険だろ?」
いっそ胸がすくようなヘタレようである。
「その危険な取材を成し遂げたんなら、顕彰もんじゃねえか。ラッカさんにもアピールできるぜ?」
「はっ! そうか、そういう手もあるな。ぃよし、いっちょやってみるか! うおおお、なんか燃えてきた。明るい未来をこぶほ!」
「うるさいよ」
口にしたのはエストだが、オーソンの後頭部に盆を命中させたのは、厨房の奥から見事なコントロールで盆を投擲したクレアだ。人間と見分けがつかないエストはともかく、見た目が妖精である彼女はおいそれと人前には出にくい。偏見なしに受け入れているラッカが少数派なのだ。
「ところで、イッキ、そろそろ時間だけど……準備はいいの?」
「おうよ。気力充実、問題なし。さくっと合格してやるぜ!」
エストの問いかけに一騎は自信満々に親指を立てる。厨房の中でクレアがコクコクと頷いているのが見えた。
「そ。だったら、あのいけ好かない人間如きに分際を思い知らせてやって!」
「如きとか分際とか言うなああぁぁぁあっ!」
真正聖教会のみならず、エストは人間という種全体に対する感情が悪い。特に一騎に対して失礼な態度をとった人間には、容赦とか情けとかいう単語は衛星軌道の向こう側にまで吹き飛んでいく。
勢いよく一騎が立ち上がると同時に鐘の音が鳴り響いた。魔法士試験日とあって、いつもより登校時間が早めに設定されていることを思い出しや一騎は、たっぷりのバターを塗ったパンを詰め込み、牛乳を流し込む。
「行ってくる!」
「行ってらっしゃい」
一騎は鞄を持って〈黄金の草原亭〉を飛び出る。走りながら玄関を出たところで、一騎は足を止め、振り返って店を仰ぎ見る。〈黄金の草原亭〉にして、一騎専用の寮。築何十年経っているかわからない古い建物だ。
見送りに出てきてくれたエストとラッカ、雑魚魔物を押し付けられる形になった店に対し、
「行ってきます!」
一騎は改めて頭を下げた。
「行っちゃいましたねえ、エストちゃん、ラッカちゃん。不安にならない?」
「イッキなら問題なく合格するわよ」
「そうね。特製メニューも食べたんだしね」
ラッカがメニューに自信を持っているのはともかく、エストの自身の根拠がオーソンにはさっぱり見当がつかない。
亜人扱いされるホブゴブリンは冒険者や店を構える例もあるが、それでも種族的にはゴブリン種だ。魔力は低く、一般に雑魚に分類されることには変わりない。
亜人差別の薄い帝国には冒険者業に就くホブゴブリンもいるが、大成したものは皆無だ。強い魔力を生まれ持つ貴族の子弟たちに混じれば、その貧相さは際立つだろうに。
「ふん。わたしのイッキは高が人間ごときに後れを取ったりなんかしないわよ」
自信満々に形の良い胸を逸らすエスト。聞き捨てならないセリフに、人前に出にくいクレアは厨房の中で悶えていた。
不意に乾いた音が響く。エストたちの視線の先では、テーブルに置かれた一騎のコップにヒビが入っていた。
「…………ラッカちゃん?」
「…………ダメかも、しれないね」
「ちょっと! 縁起でもないこと言わないで!」




