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第五章:一話 雑魚魔物の目覚めは騒がしい

 鐘の音が響く。


 このコンディート市においてはいつもなら起床を知らせるだけの、いわば無味乾燥とした印象でしかないはずの音も、今日に限っては別だ。


 普段なら夢の中にいるはずの時間、昨日なら驚いて目を覚まして二度寝をするはずの時間に、常盤平一騎はしっかりと覚醒した。


「……ど、どうしよう……まったく寝れなかったぞ……」


 正確には覚醒していたのである。


 今日という日を待ち望――んではいなかったのだが、結果として完全に徹夜で過ごしてしまっていた。充血した目は爛々と輝き、ゴブリンのただでさえ人相の悪い顔付きが更に悪化している。眠れない中で寝返りばかりうったベッドは見るも無残な有様だ。


 とりあえずどうするべきか。


 少しだけ考えて、せめて顔を洗って意識をはっきりさせようと、一騎はベッドから降りた。


 洗面所に向かう前に、窓に顔を向ける。日光を遮るカーテンは学園から支給されている備品でありながら、ゴブ生において目にした事のない高級品だ。さすがに貴族の子弟が通う学園だけあって費用は潤沢だとうかがい知れる。


 高校の制服はもとより、集落で用意できる質の悪く、穴が開き、破れ、所々が汚れている生地とは大違いだ。


 持って帰ると喜んでくれるだろうか。そんな考えが頭に浮かび、あまりのさもしさに気分がほんのちょっぴり落ち込んだ。


「へ、それも今日までだ!」


 不敵な笑みと共にカーテンを一気に開ける。陽光をまとって飛び込んできたのは、打ち上げられた花火の閃光と爆音だ。あまりの派手派手しさに一部の住民からは苦情が寄せられることもあるそうだが、一騎にとっては違う。


 魔法士なんてものになりたいわけではないにしろ、この国、いやこの世界に来てようやく得られた真っ当かもしれない一歩、それを踏み出す自分への祝砲と聞こえてしまう。開け放たれた窓から入る朝の風は、そのまま一騎の心を表しているかのようだ。


 大きく息を吸い込んで、さあ吐き出そうとしたタイミングで、ドアが叩かれた。


「ぐえっほぐぉほけひ!」


 祝砲を受けた身としては実に珍妙な声だ。


「ちょ、ちょっとどうしたのイッキ?」

『なななにがあった、我が下僕?』


 部屋の主の許可なくドアは開けられ、エストとクレアが慌てて入ってきた。エストは買ったばかりのオレンジ色に花柄をあしらったエプロンがよく似合っていて、クレアはゴーレムのボディが妖精仕様の小型タイプに作られたことを悔しがっていた。


「な、なんでもない。人生の成功を考えていただけだ」


 二人の少女はよくわからないといった顔付きになり、すぐに得心がいったかのように頷いた。


「大丈夫よ。イッキならなんの問題もないわ」

『ふ、我が闇の祝福が下僕の行く末を問題なく照らし出すわ』

「……」


 一騎は生まれてこの方感じたことのない全幅の信頼に、表現し難い重さを感じる。


 もし部屋のドアを開けたのが宗兵衛だったらどうだったろうか。


 朝の爽やかな気分を台無しにしてくること間違いなしの、無気力で堕落した光を放つ瞳、真っ白で空虚さを醸し出す骨体、こちらをまず気遣うことのないセリフの数々。一騎の奇妙に上がったテンションを駄々下がりにすること請け合いだろう。挙句、「僕の顔には無駄なハイテンションを戒める効果がありますから、今日の君には丁度いいでしょう」とでものたまいそうだ。


「さあ、イッキ、そんなことより、顔を洗ってきなさい。朝ご飯よ」

「うおっと、朝の身だしなみの紳士の嗜み。ちょっとだけ待っててくれ」


 ドアの向こうにエストとクレアを出して、大慌てで身支度を整える。


 寝間着を脱ぎ投げ、学園の制服にではなく訓練服に袖を通す。部屋を出、共用の洗面台で勢いよく顔を洗う。タオルを持っていなかったのを思い出したタイミングで、クレアが差し入れてくれたタオルで顔を拭く。最後に寝間着とタオルを洗濯籠に放り込んで部屋の外に出して終了だ。


「うっし! 準備完了!」


 一分以内の早業に、クレアは思わず拍手を送っていた。彼女の中では、身支度というのはもっと時間がかかるものであるらしい。一騎の記憶においても、女性の身支度というのは男のそれよりも圧倒的に時間を要するものだ。


『それじゃ、行くわよ。ついてきなさい、我が下僕』


 エストは手伝いもあって、早々に下に降りている。


「今日はモーニングが始まるの、早くねえか?」

『魔法士試験って市民にとってはお祭りみたいな要素もあるらしいから、仕方ないんじゃない?』

「宗兵衛なら間違いなくいい迷惑だと言いそうだ」

『あー、確かに』


 二人はこの場にいないスケルトンの姿を、同時に思い浮かべることに成功してしまった。


 一騎は階段を下りる。


 人間仕様の階段は、ゴブリンの短い脚だと少し昇降がし難いことを知ったのは、この下宿に来た当日のことだ。クレアはふわふわと一騎の右肩を掴んで浮いていた。


 一階からは肌で感じるほどの賑わいが溢れている。酒場として供されている一階ではモーニングの時間だ。美人店主が振舞い、質と量と値段が高い次元で融合した料理の数々に加え、最近では店主以上の美貌を持つエストまでいる。流行らないわけがない。


 一騎たちが逗留――という表現は不的確だろうが――している場所は、魔法士候補生向けの寮ではない。魔法士になれるだけの魔力を持つのは貴族の子弟に多いのだが、彼らは特権意識が強く、差別感情も同様に強く持っている。


 ホブゴブリンやドワーフのような、友好的なはずの亜人もしくは妖精種とよばれる種族への隔意も隠そうとせず、「学園の寮は貴様のような醜い亜人への門を開いてはいない」と入寮を拒否してきたのだ。


 学生の親である有力貴族らからも同じ主張が出るに至り、学園側も配慮せざるを得なくなった結果、この住居兼酒場に間借りする形になったのである。


 帝国は亜人に対する差別感情が薄いとされているが、上流階級ともなるとその限りではないらしい。


「おっそいよ、イッキ!」


 一階に下りると同時に大声が飛んできた。寮監にして、この店〈黄金の草原亭〉のオーナー兼料理長のラッカ・ダブリッジだ。まだ二十代後半の若さながら、自分の店舗を出した実力者として雑誌の取材を受けることも多い。


「おはよう、ラッカさん。それで、俺の朝飯は?」

「すっとぼけた言ってんじゃないよ! そこの皿、玄関横のテーブルに持ってきな! イッキがだよ。クレアは盛り付け。急いで!」

『「はい?」』


 思わず目が点になる二人。


 今日は一騎にとって大事な日である。なにしろ魔法士になるための試験が開催されるのだ。一騎もしがらみから参加することになっている。試験開始までにはまだ時間があるとはいえ、こんな日になにを言っているのかこの人は。


「ほら、クレアはあんまり人目につくとまずいんだから、さっさと厨房に行く!」

『え? え? え?』

「いや、あの、ラッカさ」


 抗議をしようと声を上げた瞬間、一本の包丁が空気を引き裂いた。一騎の頬をかすめ、深々と壁に突き刺さる。


「急げ、つってんのが分っかんないのかねえ、アンタらは……」

『「サー、イエス、マム!」』


 もちろん不満や抗議などあるはずもなく、二人は迅速かつ丁寧に動き出す。実に訓練された動きだ。〈黄金の草原亭〉は情報誌などのおかげもあって、新規の客が途絶えることはない。同時に熱心な固定客もいて、彼らの中には座る席さえも決めている者もいる。


 一騎がモーニングのBセットを運んだ相手もそうだ。中年の小太りで身なりのいいこの人物は、いつも決まってカウンター席に座る。


「オルタスさん、おはようございます」

「おー、なんでえなんでえ、イッキかよ。エストちゃんにチェンジで」

「ぶっ殺すぞ、エロボケじじい」


 エプロン姿で厨房から客席まで忙しく走り回るエストは、既にしてこの店の看板娘の地位を確固たるものにしている。


「よっし、じゃあこうしよう。チェンジしてくれたら、わしの娘をやる」

「オルタスさんところは結構、裕福な家でしょう。ゴブリン口説いてどうすんですか」

「最近の若い連中は覇気っつうもんがなくてな。その点、イッキ君はいい。努力家だし向上心もあるし辛抱強い。種族は違うが、そこはまあ愛の力とかでなんとかしてもらうとして、是非にも娘の婿に来て欲しいんだよ」

「悪いね、オルタスさん。俺は立派な魔法士になるんだ。それまでは色恋沙汰には手を出さねえのさ」


 君は魔法士になるために人界にきたわけじゃないでしょうが。


 遥か彼方から宗兵衛のツッコミが届いたような気がした一騎である。


「魔法士だったら、婿としても箔がつくな。気長に待た」


 ズガガガガ!


 とんでもない速度で、とんでもない数のフォークやナイフやスプーンや包丁が飛来し、深々とテーブルに突き刺さった。


 喧騒に包まれていた店内が一瞬で沈黙にとってかわられる。霜の降りた双眸を向けながら、エストは絶対零度の口唇を開く。


「イッキ、仕事、しようか?」

「お、おう」


 妖精――正しくはゴーストが働いていることは秘密にされているので、包丁を飛ばしたのが厨房にいるクレアだとは気付かれなかった。

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