第四章:二十五話 森の騒乱 ~その八~
信号はあっち向いてこっち向いて、
瓦は飛ぶわ、カーポートの屋根は剥がれるわ、
柵は曲がって、アンテナは折れて、
修理もいつになるかわからない、と。
あちこちで信号も止まっているので、
出掛けるのも怖い一日でした。
自分の集中力が極限にまで引き上げられたのだと、一騎は悟った。
魔物だからなのか、場数を踏んだからなのか。一騎の思考は冷めていた。
このままでは確実に死ぬ。打開するための手を考えなければならない。いや、手は持っている。この手しか残っていない。
魔法だ。
一騎個人の身体能力だけでは手も足も出ない。
骨刀では状況を覆すことはできない。
『進化』はもう使えない。
残されたものは魔法だけ。
だがその魔法すらも、岩石嵐を前に飲み込まれて大した戦果を残せていないのが現実だ。
巨大に広がる岩石嵐は、同時に大量の岩を使うことで物量としても凄まじい。一騎の残魔力を考えると、物量や範囲で張り合うことは不可能。すぐに一騎が魔力切れとなり、岩石嵐に飲まれて跡形も残らないだろう。
残った魔力で練り上げた魔法、これで岩石魔物を打ち倒すしか生き残る方法がない。
刹那ですらが余る瞬間の只中、一騎の両目が覚悟の光を発した。
一騎の両前腕の紋様が光を帯びる。エストとの契約の証が、ここにきて強く輝きだす。一騎はまるで自分のすぐ隣に、いや、自分の手にエストの手が添えられているかの感覚を覚える。
「――――!」
貧弱極まりないレッサーゴブリンの肉体に急速に魔力が巡るのがわかった。
これと比べると、さっきまでの一騎が行使していた魔法は、それこそ子供だましのようなものだ。溢れる力を単に垂れ流していただけに等しい。
認めるのは非常に不愉快だが、一騎は所詮ゴブリン。如何に魔族の勇者として、またここまで成長を経て並のゴブリンよりも多くの魔力を持っていても、単体で行使できる魔力量には自ずと限界がある。
魔法のない世界に生まれ、生きてきた。魔法のある世界に来ても、最下層の魔物になり、魔法を使うこともできなかった。
初めて得た魔法という力を、十全に使えるわけもない。ましてや、この魔法は一騎だけの魔法ではなく、精霊契約という特殊な事情を経て使用できるようになったものなのだから。
一騎の魔法、というより精霊契約による真の力は、エストの力添えがあって初めて本来の威力になる。如何に精霊契約を交わしたとはいえ、一騎単独で行使できるのは威力の低い低位魔法程度。
「っ、エスト!」
――――イッキ!
契約の証を通じてエストとの繋がりを、エストそのものを感じ取る。これまでとはまるで違うと感じるだけの力を感じ、一騎の内側を巡る魔力量が急激に増加した。
「おおおぉぉおぉぉおおっ!」
一騎は人生において間違いなく初めてとなる雄叫びを上げ、岩石魔物を見据える。
その両前腕に刻み付けられた契約の紋様が鮮烈な輝きを放つ。
まったく、これが少年漫画の主人公なら、習っていなくとも格好いい文言を並べて精霊の力を引き出せるだろうに、一騎にとっては難しい注文だ。中二病の再発と寛解――決して完全治癒ではない――を繰り返しては恥ずかしさに身悶えている身には、精霊契約の文言でも内心は恥ずかしさがあった。
けど今は。
この、今という時間の中では話は別。
――――偉大なる大精霊、眼前一切を焼き払い打ち砕く、至高の力! 何人とたりとも抗えぬ絶対の力、今ここに、我が手にこそその力を!
火と土の大精霊、エストの力を受けて一騎の右前腕が赤熱する。
どれだけの魔力供給を受けているのか。魔法とは縁のない人生を送ってきた一騎には到底理解できず、理解できないなりに凄まじい力だということだけははっきりとわかる。
右腕の赤い輝きがより強くなり、より広がる。まるで右腕が赤く巨大な翼になり、大きく広げたかのようだ。
威力は十分、だがこれではダメだと一騎にはわかっている。このままでは、岩石嵐同様に周辺すべてを破壊する攻撃になってしまう。
術者である一騎本人はともかく、傷ついたゴブ吉たちは蒸発する。これが只の炎なら、ミスリルの鎧が蒸発するだけでゴーストであるゴブ吉たちに直接的な被害は乏しかったかもしれないが、精霊の力による炎がゴーストに無害とは言い切れない。
であれば、無秩序な破壊をもたらす力は不適当。
「頼む! 力を貸してくれ、エスト!」
――――わかってる。わたしのすべてで、イッキに応える!
右腕が鋭い熱を帯びる。
両前腕に刻まれる紋様のうち、利き腕である右腕の、火の力を象徴する部分にのみ魔力を流し込む。一騎の意思よりも、契約を通じたエストの意思によるところが大きい。
溢れる魔力に晒されて、大気が軋みを上げる。
軋みはグニャリ、と視界をも歪ませた。
広がり続けていた赤光が弾けるギリギリのところで膨張をやめ、膨張の十倍する速度で右腕に収束する。
握り込む右拳から、一際以上に鋭く眩い赤光が放たれた。
同時に、右前腕の契約紋様から赤く輝く雷光にも似た魔力が迸る。エストからの膨大な魔力が一騎の全身に、神経という神経に、血管という血管に張り巡らされた。
あまりにも強大な負荷に耐えきれなかったのか、一騎の体がぐらつき、地面との距離を短くし――――倒れることなく一騎の姿勢が固定される。
陸上競技の単距離スプリンターのような前傾の、ネコ科の猛獣を思わせる低い姿勢。どんな間抜けでも、次の瞬間には攻撃だ、と悟る。
「っっ!」
一騎の、なにも握っていなかった右手には、いつの間にか真紅の長槍が握られていた。正確には槍状の、真っ赤な魔力の塊だ。
ゴブリンや人の体躯にはあまりにも巨大すぎる槍。桁違いの魔力が込められた、膨大な熱を発する、まさに文言の如く眼前一切を焼き尽くさんとの意思と覚悟が表されている。
『っ――――っっ!』
岩石魔物は己とは比較にならないほど小さな体躯が沈み込んだのを確認。即座に理解した。理解せざるを得なかった。
これから放たれるであろう攻撃は、この戦いにおける間違いなく最後にして必殺、決殺の一撃であると。岩石魔物が食いしばる歯の音など、空気中を五センチも進めずに霧散する。
「行くぞ」
一騎の両足に力が込められた。
緑色の、吹き荒れる魔力によって赤い輝きを帯びた影は、沈み込んだ姿勢から一転、それこそ強弓から発射された矢のように走り出す。土の属性を持つエストの影響だろう、大地は砕けることなく一騎の加速を助ける。
一瞬という時間にさえ満たぬ間に、両者の距離の半分が潰された。
疾駆する影。
腕には真っ赤に輝く長槍。
過剰ですらある魔力を操り、一騎の放つ攻撃は刺突ではなく、投擲。
ゴブリンの上体が反る。
長槍を握る手には一層の力。
全身のバネを精霊契約による膨大な魔力で強化した。
更に限界を超えて強化された左足が踏み出され、接地。
足指からスタートした力の流れが足首を、膝を、股関節を、腰を、背骨を、肩を、肘を、手首を伝わり、大量の呼気と共に最強の一撃を打ち出した。
断固として相手を貫くと思い定めた、狙撃なんて表現が生ぬるい一投だ。
『っっづ!』
対して巨大な岩石魔物は時間でも停止したかのように動けない。相手の動きがわかっているのに、思考が追い付かずにいる。
が、岩石魔物とて魔物は魔物。思考を置き去りにしても尚、自己を守るため、生き延びるために自然と体が動く。
空間ですら軋みを上げる攻撃。吹き荒れる魔力は膨大な熱を帯びていながら、相対するものの五感を容赦なく凍てつかせるという矛盾。
間違いなく全身全霊を込めた一撃がくる。
これを凌ぎきれば自分の勝ちだと本能が確信している。
だから、岩石魔物が採った手段は、あらん限りの魔力を込めた岩石嵐。
他者を踏みにじりつつ自己を守ることにおいて、全幅の信頼を置くその技を、余力など残さぬと力を注ぎ込んで放つ。
巨大な岩に守られたその中心、本体たる核が裂帛の気合でもって魔力を漲らせる。
極限にまで集中した岩石魔物は、岩が強い魔力を帯び、僅かな隙間から魔力が噴き上がり、発射される様をはっきりと知覚した。
相手を貫くと狙い定めた長槍の穂先。
なにがなんでも生き延びることを優先する岩石の弾頭。
双方の激突に先だって、長槍の帯びる灼熱と岩石が纏う風が衝突する。軋み続けていた大気は遂に耐え切れなくなって、断末魔にも似た悲鳴を上げた。
魔力と魔力。殺意と殺意。その他のあらゆる感情が力の限りを尽くして、相手を打ち破らんと激しくぶつかり合う。
極限にまで集中力の高められた双方にとって、熱と風の激突は永遠とはいかずともかなりの時間を要したかのように感じられる。
だが実際は一瞬。
互いが必殺を定めた攻撃は、衝突したと思った瞬間には勝敗が決していた。
長槍が巻き起こす熱の嵐。真紅の熱はあらゆる障害を苦も無く突破して直進する。
その様はさながら熱線。
一直線に放たれた長槍は、地面を沸騰させ、迫る一切を蒸発させる。
暴れまわる岩石嵐は、長槍に触れることすらできずに岩石としての形を失い消えていく。
岩石魔物の目には赤い閃光が走ったことすらわからなかった。
視認すら出来ぬ一撃。
僅かばかりとはいえ、攻撃を受けたと感じ取れたのは、己の核石が凄絶なまでの熱さを感じたからに他ならない。岩石魔物の命は、一瞬にして燃え尽きた。




