9 石畳を滑る影
しばらく降っていた雨も上がり、麗らかな午後の昼下がり、タローは大きな紙袋を抱えながら商店街を歩いていた。
朝食の準備をしていたおかみさんが調味料を切らしていることに気が付き、そのまま食料品や雑貨類も含めての買い出しが必要となったのだ。そこで、タローに白羽の矢が立った。
街中の大通りは午前中の内に足元が乾き、とても歩きやすくなっていた。埋められた大石は泥に汚れていたが、滑るでもなく埃が上がるわけでもない。雨上がりの湿気を含んだ空気は澄んでいてとても気持ちがよかった。
タローはちょうど食料品を買い終わったところで、そのままいくつかの小物や消耗品を買うために、街の西ブロックへ向かうところだった。今いる東ブロックの城門前から南の橋へ向かって伸びる、通称「王宮通り」を横断するために西へ向かって歩く。
頂点よりも少しだけ西に傾いた陽射しが、タローの足元に分身を浮かび上がらせていて、すれ違う人の影が重なっては離れる。込み合うほどではないが人通りは多い。
しばらく歩いていると、ちょうど王宮通りの角が見えたところで、喚声とともにガラガラと大きな音がした。なに事かとあたりにざわめきが広がるのと同時に、王宮のある北側から、一台の車が二頭の馬に曳かれて風のように走り抜けていく。
タローは慌てて後ろに飛び退いた。
よく手入れされた白と黒の馬が赤い綱を引き、黒く塗られた車を曳きながら目の前を通り過ぎた。馬車には大きな王国の紋章が描かれ、中を覗おうにも窓にはビロード生地のカーテンが引かれ遮られている。。
「気をつけろ!」
老人の罵声が馬車を追うが、むなしく消えていく。
すると、いくつかの蹄の音が聞こえ、今度は馬車を追いかけるように数騎の騎兵が軽装のまま駆け抜けていく。
普段は閑静な通りだったが、今は埃と罵声に満ちていた。
タローは買い物袋を庇うように身体をひねっていたが、やがて、喧騒が離れていったとわかると、左右を見回すようにしてから、通りを早足で横切った。そのまま反対側に延びる少し細くなった通りに入る。
しばらくの間、影と陽射しを交互に受けながら、建物の間を縫うように歩くと目的の雑貨屋「ルルーディア」が見えた。
綺麗に磨かれた白い石壁が美しい店で、この辺りでは小さ目な店構えだが、取扱いの種類が多く人気の雑貨屋だ。タロー自身はおかみさんのお使いで何回か来たことはあるが。自分の買い物はしたことがない。近づくにつれてお店から溢れるように並べられたファンシーな器や家具などが見て取れる。
大きなクマのぬいぐるみに、デフォルメされた可愛らしい猫の描かれたマグカップと陶器の壺。オレンジやピンクに染められた色鮮やかなカーテン。もっとも、このお店の真価は品ぞろえですべてではない。たったひとりの店長こそ、この店の存在価値ですらある。
「よぉ、いらっしゃい」
開かれたままの入口から出てきたのは、きれいに禿げ上がった初老の男性だった。黒いチュニック姿の店のおやじは、ファンシーとは対極の存在だった。何度か訪れているタローでも、未だにこの店を切り盛りしているおやじのギャップに絶句する。
「珍しいな、ひとりかい?」
「ええ、お使いなんですよ」
タローは愛想よく返す。どこから見てもむさくるしいおやじなのだが、驚くなかれ仕入れから販売まですべてひとりでこなしている店長なのだ。ファンシーな品物からは本当に想像できない。
「ティーカップと香炉に……ええと、真光石を五百グラムばかりと、なんだろ、これ……薔薇石を一掴み?」
タローは悩みながらおかみさんの書いたメモを読み上げる。
「ここって雑貨屋ですよね?」
「雑貨屋だよ。表だってはいってないが、正確には魔法雑貨店な。真光石とか薔薇石ってのは魔法に使う石だな」
「はい?魔法?」
「そう、陶器なんかの雑貨はあくまでおまけというかな。そっちの方がよく売れてるが……知らなかったのか?」
知らないのは当たり前だろう。魔法を使える人間などほとんどいないのだ。
タローはてっきり普通の雑貨屋だと勘違いしていたわけだ。そういえば、いつもは生活雑貨しか買ったためしがない。
ひとつため息をつく。
「で、そのさっきの石はあります?」
「おう、大丈夫だ。ちょいとまってくれよ」
おやじがそういって店の中に入っていったので、タローも後に続く。
窓のない店内は、いくつかのランプの灯りでぼんやりと商品を浮かび上がらせていた。それほど広くない店内はこぎれいに整頓されていて、棚には上品な陶器やファンシーなお皿が飾り付けられている。その棚の合間を縫うように店の奥へ進むと、壁際に置かれた古い机があって、その上にはこれまた古びた錠のかかった鉄の箱が置かれていた。
おやじはズボンのポケットから小さな鍵を取り出すと鍵穴に突っ込み開錠する。ガチャリと小さな音を立てて箱の蓋が持ち上げられると、中にはいくつかの麻の袋と小さなつづらが収められていた。
少し小さめの袋を取り出したおやじは、中身を一掴み取り出して、同じく中に納まっていた陶器の鉢に移す。青みがかった白い鉢にいっぱい、黄味の強い透明な石がガチャリと音を立てて納まった。
「これが真光石な。名前の通り光のエネルギーが閉じ込められてる。それからこっちが薔薇石」
新しく取り出した麻袋に真光石を流し込み、再び別の袋から鉢に掴み出したのは、深い真っ赤な色の小さな丸い石だった。先ほどとは違い、そっと鉢に転がす。
「こいつは気をつけろよ。少々は平気だが、あんまり強い衝撃を与えると、えらいことになるぞ」おやじがにやりと笑う。
「割れるんですか?」
「割れて爆発する」
「……そんな危険物、買って来いとは聞いてませんが?」
「薔薇石を頼まれたんだろ?間違いないな。まあ、ハンマーで思い切り殴りつけるくらいしなけりゃ大丈夫だな」
そういってカカカと笑いながら石を袋に詰める。
「からかわないで下さいよ」
タローは差し出された二つの袋を受け取ると、おかみさんから預かった代金の入った包みを渡した。おやじは袋の中を改めるでもなく、そのまま鉄の箱中にそのまま仕舞い込んだ。
「いいんですか?見なくて」
「かまわんよ、取り決めがあるから。いつもどおりだ」
タローが受け取った袋を腰に巻いた黒いポーチに納めると、おやじはそう言った。
と、突然、外で激しいノック音がして、黒い外套に身を包んだ男が文字通り飛び込んできた。昨日のうちに雨は上がり、麗らかな陽光に包まれているというのに、黒いフードをすっぽり被った男は、一種異様だった。
「おじゃまをしますよ」
タローは思わず警戒気味に、石の袋を懐に仕舞い込む。おやじも慌てて箱を閉じたが、すぐに相手が分かると眉をひそめた。
「なんだ、あんたか。脅かすなよ」
おやじの言葉に男はフードを取ってきれいに剃りあげた頭をさらす。おやじは男を指さしながらタローに言った。
「王宮の祈祷師だよ。医者というか治療師というか……うちの常連なんだが……どうした?」
「どうしたもなにも……石を分けてください。陽光石をできるだけたくさん」
男は焦っているのか息をつきながら早口で言葉を並べた。おやじは何かを察したようだった。
「そりゃ、在庫の限り構わんが……穏やかじゃないな。治癒師のあんたが大慌てで、しかも陽光石を探してると?」
「ええ、急いで持って帰らないと……」
「……何があった?」
「あの……」
タローがたまりかねて口をはさむ。おやじがタローの方を向き、外套の男も視線をタローに移した。
「……陽光石って?」
「ああ、まあ、人体の治癒術に使う石だ。エネルギーを封じ込めてある」
おやじは先ほどの鉄の箱を開けて、引っ掻き回し始めた。視線は手元のままに、男に尋ねる。
「うちの在庫が足りなかったら?」
「大丈夫です、同時に何人かが街中をまわってます」
おやじの手が止まった。視線が男の顔へ移る。
「ますます穏やかじゃねえな。何事だ?こいつはずいぶん値も張るが、エネルギーもかなりのものだ。これをかき集める?」
「……おそらく、すぐに噂が出ると思うので、秘密にすることはないとは思いますが……」
男は懐から白い生地を取り出すと、玉のような汗の浮かぶ頭をひと撫でした。
声のトーンが一段下がる。
「さきほど、街の有力者との会合の場で、国王陛下が倒れられました。詳細は不明ですが念のため、我々が走っています」
「……大変だ、そりゃ!」
おやじの呟きが悲鳴にも似た声に変わる。
「わかった、すぐに用意する」
「お代なんですが……」
男は外套のポケットから巻物を一つ取り出すと、おやじに差し出した。
「わかってる。後で王宮に貰うさ。いつも通りだ」
おやじはありったけの陽光石を詰めた袋を男に渡すと、朱印で封緘された巻物を受け取る。男はひとつ深々と頭を下げると踵を返して飛び出していった。
「おお、すまなかったな」
ぽかんとして立ち尽くすタローに、おやじは思い出したように言った。タローは慌てて首を振る。
「いえ、こちらこそ。なんかお邪魔してしまって」
「邪魔ってことはないが……しかし、こりゃ、参ったなあ」
「参りましたねぇ。陛下がご無事だといいですけど……」
「そりゃそうだけどよ、これからのこと考えたら……参ったよなぁ」
「参った?……そりゃ国王陛下のことは心配ですけど、なにを参るんです?」
タローの言葉に、今度はおやじが呆気にとられた。目を丸くしたまま、珍獣でもみつけたかのような目をタローに向けた。
「……なんです?」
「お前、この街で職人やってるんだろう?」
「見習いですけどね」
「もっと街の情報を気にしないと商売できねえぞ。お前んとこの親方だって情報通って評判だぜ」
再びタローがぽかんとして言葉に詰まる。
「親方が?」
いつも大きな槌を振るって真っ黒に煤けている親方の姿を思い浮かべてみる。確かにお店への人の出入りは多いし、よくお客と雑談を死しているのも見かけるが、情報通という言葉からはかけ離れているイメージだ。情報通と聞けば、もっとインテリなイメージを浮かべてしまう。
「なんだ、あきれた奴だな……自分の師匠だろうに」
「うちにいるときは、金物叩いてるか、おかみさんに使われてるか……どちらかですからね。まあ、たまにお店にも出ますけど」
「この街で商売をしようというやつなら、アンテナは常に張ってるもんさ。でないと、やっていけないぜ」
「おやじさんもですか?」
おやじは当たり前だとばかりに肩をすくめると、「こりゃ少し荒れるかもな」とそっと呟いた。タローがその言葉を聞き咎め、口を開き掛けたが、おやじはすぐにそれを遮るように言った。
「帰ってからお前さんの親方に聞いてみるんだな」
「……ということなんですが、親方」
買い物を済ませ、雑貨屋ルルーディアから真っ直ぐ帰り着いたタローは、台所でおかみさんに荷物を渡しながら言った。親方はテーブルでくつろいだように背もたれにもたれ掛かるように椅子に座っている。
「ああ、さっき材の配達に来た業者に聞いたよ。街中大騒ぎみたいだな」
「それはわかります。国王陛下が倒れたとなれば、そりゃ大騒ぎですよ」
「そうなんだがな……お前、これからのことっておやじが言ってたんだろう?」
「ええ……そうでしたね」
「これからってことは、陛下が崩御したあとの話だろうがよ」
「さすがに不謹慎じゃないですか?」
タローは眉をひそめて言ったが、親方は首を振った。
「そりゃわかってるさ。俺だって敬意くらいは人並みにある。けど、それとは別だ。俺たちは明日のことを考えなくちゃならんしな」
「……なにかあるんですか?」
親方はまるでタローを哀れむかのように少し悲しそうな表情になった。タローは少しいたたまれなくなる。
「そりゃ、おやじに心配されるはずだ。おまえ、もう少し世事に強くならなきゃダメだぜ」
「親方まで……」
タローも悲しい表情になった。見かねた親方が言葉を続ける。
「端的に言うとな、陛下には王女が一人と、王子が一人いる。王女は正妃の娘で婿をもらって子供もいる。王子は独り身で文武に優れてらっしゃるが、母君は中級貴族の出なんだ」
「ああ、なるほど」
そこまで言われれば、世事に疎いタローでもううっすら察しが付いたが、親方は続ける。「この二人に、宮廷内の派閥が巻き付いていて、ちょっとした火種になってんのさ。下手すりゃ、街の有力者も絡んでる」
「ややこしいんですね」
タローは素直にそう言った。おかみさんは荷物をすべて受け取ると、何も言わずににこにこといつものように笑みを浮かべたまま、機嫌よさそうに台所を出て行った。
「まあ、明日すぐに何か起きることもないだろうが、そうは言ってもいずれ何かが起きるかも知れんな……」
「親方はどちらの派閥ですか?」
「おいおい……」
親方はあきれたような声を上げた。
「俺たちは職人だが、商人でもあるんだ。そういう所を泳ぎ切って初めて一人前だと思わないか?」
親方はそう言うと立ち上がり、工房へ向かうために部屋を出て行った。
つまりは、中立というか、どちらにも肩入れをしないというよりは、どちらにでも転べるための中間というかんじたろうか。まるでやじろべえのようだと感じたが、そういうものなのだろう。
職人としての修行はある程度積んだものの、商売人としてはまだまだ、スタートラインにも立っていないんだなと、タローはそう思いながら席を立つと、店番に戻るため台所を出ていった。