10 意志なき来店者
扉の半開きになった入口から、つんとした冷たさのある風がゆったりと吹き込んでいた。徐々に陽が短くなり始め、少しずつ店じまいの時間が早くなっているように感じる。
タローは床に落ちる一日の名残の陽射しが薄くなり始めると、いつものようにカウンターを片付けてから、閉店のために店の出入り口へ向かった。
磨りガラスの入った扉を開いてから、ノブに引っかけてある開店の札をひっくり返し閉店へ変える。
通りを流れる風がひんやりと頬を撫でるのが気持ちよく、一瞬足を止めて、それから施錠し再び中へと戻る。
しんとした店内だったが、カウンター側に戻ったところで気配を感じ視線を移すと、カウンターの奥の母屋へ通じる扉の方から親方が入ってきたところだった。
「閉めたのか?」
「はい、頃合いですから」
タローはカウンターの横からカップを取り出すと、親方に差し出す。それから、親方の手に渡ったカップに水差しを傾けた。
「今日は業者が砂を持ってきましたよ。いつもの所に運んで貰いました。あとは特になにも。売り上げもいつもと変わらないくらいですね」
タローはカウンターに広げてあった伝票を繰りながら、親方に言った。
「そいつは上々だな」
「上々……ですか?」
「少ないと思うか?」
オウム返しに訊ねたタローに、親方は首を傾げながら、特に咎める風もなく言った。
少し考えるタローを見ながら、親方はにやりと笑う。
「何事も程々がいいんだよ。まあ、売り上げはあった方がいいんだろうがな……けど、無理をしてまでってところはあるからな」
親方はそう言ってから、カップに口を付けた。
「今のところは、お前に給金を払った上で生活できるからな。いい仕事をすることの方を大事にするさ」
「いい仕事……ですか?」
タローは親方に顔を向けて言った。
親方はタローの顔を見返してから、嬉しそうに頷ずく。それから、言葉を続けようと、口を開いたと同時だった。
突然、店の入口を叩く音が店内に響いた。
「誰かおらぬか?」
ドンドンと、少し乱暴に扉が叩かれる。
「開けてくれ。用がある」
タローは親方と顔を見合わせた。厚みのある入口の扉が激しくノックされ、不快な音を立てた。
親方はタローに目で合図を送ると、顎を入口の方へしゃくった。
タローは小さく頷いて、小走りに入口へ向かう。
「はーい。少しお待ちください」
タローの声が聞こえたのか、連打するようなノックはピタリと止まった。窓に嵌まった色ガラス越しに外を覗いてみるが、人影がわずかに動くだけで、相手の様子までは覗えない。
仕方なく、タローは声を絞って訊ねた。
「……どちらさまですか?」
「先程から用があると申しておる。客だぞ、私は」
少し荒げた男性の声がする。それも少し年配……といっても親方くらいかそれより若いのだろうか。四十歳くらいの声が言葉を繋げる。
タローは親方に目配せをしてから、扉の掛け金を外して小さな閂を抜いた。
そっと扉を開くと、薄暗くなった街を背に、二人の男が立っていた。
二人とも大きめの外套を纏っていたが、とても煌びやかな飾りが付いていて、一見してそこらの市民ではないことが分かった。
「申し訳ないんですが、もう営業は終わって……」
「用があると申しておる。入るぞ」
「ちょっと……」
一歩ほど前に立つ、先程の声の男が強引に扉に手をかけた。
タローは身体を押し返そうとしたが、意外にも頑強な身体にぶつかり、容易には押し返せそうになかった。
「タロー。構わない。とりあえず入れてやれ」
店の中から、親方の野太い声がした。
タローはそこで抵抗を諦め、身体を斜めにして入口を開けた。男が二人連れだって入ってくる。
一人は四十代と思しき頑強な体つきので、先程からずっとタローと言葉を交わしていた男だった。後ろから続いて入ってくるのは、身体の線の細い、若い男性だ。といっても、年の頃は二十代の真ん中くらいで、タローよりは年上だろう。
タローは観察しながらも、先程の親方の声が耳に残っていて、身体を駆け巡るたびに震えそうになった。
仮にも親方と弟子である。さっきの声色が決して、お客に対する敬意や同情ではなく、何か嫌悪にも似た毒が含まれていることはすぐに分かった。
「まったく素直に入れればよいものを」
年配の方の男がぼやきながら外套のフードを外す。すると、ひげ面の四角く精悍な顔が現れた。外套の合わせ目の膨らみから、腰に大きな剣を帯びているのが見て取れる。
部屋の灯りの下で見ると、外套に大きな獅子の紋章が入っているのが見て取れたが、それが何の紋章かまではタローには判断が付かない。若い方の男は、やはり煌びやかな外套に幾何学的な紋が入っていた。フードは最初から被っていなかった。
「それで、御用というのは?」
タローは二人が入店したところで、扉を閉めながら訊ねた。
「愚か者。ここは武器屋であろう?」
「はあ、まあ、武器屋というか……」
「武器屋に用事など、買い物以外に何がある?」
相変わらず年配の方の男が喋り続け、若い方の男は、ただにこにこと笑顔を浮かべている。
「失礼ですが、どなたさまで……」
「なんと、儂を知らぬのか?」
男は素っ頓狂な声を挙げた。
「ええ……恐れ入りますが……」
タローは驚いてから、小声で詫びた。すると、男は大きくため息をついてから言葉を続けた。
「……では、こちらに居られる方のことはさすがに分かるであろう……」
心なしか、若い方の男が少し胸を張ったようだ。
「……いえ?どちらさまで?」
男は、今度は盛大に息を吐いた。
「なんと……ものを知らぬとは……殿下、このような下賤な者の相手をすることはありませぬぞ」
男は若い方の男に、機嫌を伺うように言った。それから、カウンターの側にあった椅子を勝手に掴むと、若い男の方に差し出した。
「このような物ですが……」
「よい、わたしは気にはせぬ」
初めて若い方の男が口を開き、そのまま背もたれの付いた木製の椅子に腰を下ろした。
「殿下……?」
「……おまえ、もう少しいろいろと知った方がいいな」
タローの呟きに、親方が答えた。
「……さっきから腹も立つだろうが、ものを知らぬという件は、確かに言えてるかも知れん」
「……親方ぁ……」
タローは多少演技っぽく、親方に言った。
「ほほう、そちらの店主はさすがにわきまえて居るようだな」
「ああ、あんた確か……宰相弟で、騎士団長の兄貴だろう?」
「言葉に気をつけろ」
「ああ、……弟君であり兄上にあらせられますな」
親方がひどくわざとらしく、皮肉のように言った。
「そのとおりである」
だが、男は皮肉は通じなかったのか、嬉しそうに胸を張って答えた。
「確か……国王の第二殿下の教育係の……マヌリス……殿……だったかな?」
「いかにも」
「宮廷の偉い人ですか?」
タローは下がって親方に並ぶと、少しだけ背伸びをしてから、腕組みをしたまま仁王立ちする親方に耳打ちした。
親方は小さく頷いた。
「教育係って事は……そっちの若い人は……」
「そうだな。多分、お前さんの考えが当たってるよ」
「ええい、なにをこそこそと話しておる。こちらにおわすはイビオス王国第二王子、パトリウス様であるぞ。お忍び中とはいえ、無礼な奴らめ」
「大変失礼しました」
タローは慌てて頭を下げたが、親方は悠々と腕組みをしたまま、カウンターの中にある椅子に腰を下ろしている。
「それで、どういった御用で?」
親方はカップに口を運びながら言った。
「な、まったくもって……」
「よいよい」
若い方の男、第二王子と呼ばれたパトリウスは優雅に手を振りながら、マヌリスを宥める。
「はあ……よろしいのですか?……まったく……それでだ、用件だが王子のための剣を買い求めに来た」
「ああ、ご購入ですか?」
タローは外しかけていた前掛けを締め直すと、店内を指しながらいつもの説明を始める。
「申し訳ありませんが、当店の在庫はご覧の通りナイフや包丁がほとんどでして……」
「たわけたことを申すな。ほれ、そこに剣が飾ってあるではないか」
マヌリスが、カウンターの後ろの壁に飾られた剣を、顎で指しながら言った。
が、これだけはタローも慣れたものである。
外は暗くなり、室内のランプに鈍い輝きを煌めかせる剣を背に、いつもの言葉を繰り返す。
「これは非売品です」
「ここは武器屋ではないのか?」
足を組み替えながら、パトリウスが訊ねた。
「武器屋ではなく、鍛冶屋です。正確には工房ですが……」
「武器を作れると聞いたぞ?」
「そのような注文を承る場合もありますが……」
タローはそこでちらりと親方に目を遣るが、親方は目も合わさずに、つまらなさそうな表情で伝票を繰っていた。
「……お断りをしております」
「な、貴様……ふざけるなよ。殿下が所望してらっしゃるのだ。売らぬということがあるか!」
「在庫がありませ……」
「だったら、作ればよかろう!そのほうが工房と申したのであろうが!」
ヒートアップしたマヌリスが、怒鳴るように声を挙げた。パトリウスは少しだけ眉を曇らせる。
「余は剣が欲しいのだが?」
「ですから……」
「お前さん方、剣が欲しいと?」
タローが反論しかけたところで、親方が口を開いた。伝票から顔を上げ、ゆっくりと立ち上がる。
「……そうだ」
少しだけ気圧されたようだったが、踏みとどまったマヌリスが辛うじて答え、その横でパトリウスか何度か頷いた。
「なぜに必要だ?そっちの王子様は腰になにも携えていない。必要とは思えんが?」
「王子の今日の護衛は私が務めておる」
マヌリスが答える。
「……王子は剣を?」
「もちろん、昔、習ったさ。当王家の筆数であるしな」
パトリウスは肩を竦めた。
「だが、余は音楽や詩の方がよい」
「……でしょうな。腕も細いし、日々、訓練をしている様子ではなさそうだ」
「その通りだ」
「では、剣も必要なさそうだ。必要になったとしても、城にはいくらでも剣などあるでしょう」
親方はにべも無くいうと、再び腰を下ろした。
「貴様の店がこの都市で一番だと聞いたから、剣を所望したのだ。一国の王子ともなれば、そこらのなまくらを使うわけにもいかん。殿下の為にも、つべこべ言わずに剣を用意せぬか!」
それはもう、ほとんど恫喝に近かったが、親方には全く堪えた様子はなかった。それどころか、カップを口に運び、伝票を見ながら棒読みのように言葉を並べる。
「それはどうも、お褒めにあずかり光栄ですな。だが、俺はその人のために真剣に物を作るんだ。特に剣ともなれば命を預かるも当然なんだ。半端な気持ちのために、腕は振るわない」
マヌリスはとうとう苦虫を噛み潰した上に、無理矢理飲み込んだような顔をした。
「無礼な下賤の者めが!後悔しても知らぬぞ!」
マヌリスは、たまたま側にあったテーブルを力一杯叩いた。
乾いた音と共に、載っていたランプが小さく跳ねて、四人の影を揺らした。くっきりとした陰影が、突然、境界を失ってぼやけたようだった。
「マヌリス、もうよい」
「はっ……必ず後悔をさせてやる……王子、参りましょう」
マヌリスが力一杯に扉を開くと、言葉少なだったパトリウスが優雅な所作で立ち上がり、扉をくぐって外に出た。
外はすでに真っ暗で、顔を見せ始めたまん丸な月が、扉の上の看板の影を路面にくっきりと描き出していた。
叩きつけられるように扉が閉まり、一瞬の大音量の後に静けさが戻った。
タローは片付けを再開しながら、恐る恐る訊ねた。
「親方……よかったんですか?」
「ん……まあ、いいんだよ、あれで。いつも通りだろう?」
「そりゃあ、まあ、いつも通りですが……」
タローは手を止めてから、親方の方へ視線を向けた。
「でもお客の身分はいつもと違いましたよ?」
「おいおい、お客の身分は関係ないだろう?ろくに使えもしない輩に、剣なんぞ打てるかよ」
親方はそこまで言ってから、言葉を止めて静かに息を吐いた。
「……とは言え……あんまり評判良くないからな、あの二人は……」
「ああ、そういえば、ルルーディアでそんな話を聞いたことがあるような……?」
「ふむ、少しは世間に目を向け始めたか?いいことだな……」
しばらく表情の強ばっていた親方だったが、ようやくにやりと笑う。
「まあ、そういう輩だしな……しばらく戸締まりと身の回りには用心しろよ?」
親方は言った。
「……?そういう可能性があるのに断って……大丈夫だったんですか?」
「大丈夫だよ。あいつらが言ったとおり、うちはそれなりに有名な店なんだ。下手なことはできんだろうよ」
「本当ですかね……?」
タローはいまいち納得できないような様子だったが、黙ってしまった親方に反論するでもなく、仕事に集中を始めた。
やがて、おかみさんが二人を呼ぶ声で、バルカンの焔亭は一日の営業を終えたのだった。




