第1話 自由の切符とガレージの約束
都会の喧騒が遠ざかり、代わりに青々とした田んぼと、のっそりと構える山々が視界を占めるようになる。
ここは、九州の山あいの町。
流行りのショップも娯楽施設もない、少し退屈で、でも穏やかな時間が流れる場所だ。
高校生になった僕たちが手に入れたのは、軽やかな自由への切符ではなく、錆びついた小さな鉄の塊だった。
父親から譲り受けたスズキの「GS50」。そして、親戚の家から引っ剥がしてきたヤマハの「ポッケ」。
ピカピカの新車でもなければ、華やかなバイクでもない。
オイルと埃にまみれ、赤錆をまとったスクラップ同然の相棒を、僕たちは古い古屋のなかに運び込んだ。
クーラーの効いた部屋でスマホを眺めているだけでは絶対に味わえない、泥臭くて、手荒くて、だけど最高に愛おしい時間が、この小さな秘密基地から始まる。
これは、不格好なバイクを二人の手で少しずつ蘇らせていく、僕たちの、とある青春の記録。
「……はあ、マジで遠い」
春の生ぬるい風の中、僕はサドルに体重を預けながら、重いペダルを踏み込んだ。
ここは九州の山あいの町。見渡せばどこまでも続く田園風景と、すぐ間近に迫る威容な山が、のっそりと僕らの頭上に陣取っている。
都会的な刺激なんて何一つない。休日に友達と遊ぶ場所といえば、イオンか、少し離れた山の中の道の駅くらいなものだ。
中学からの通学路は、そんな田舎道を自転車で片道四十分。
毎朝、冷たい風に吹かれながら汗だくでペダルを漕ぐのは、めんどくさがりな僕――橘 葵にとって、一日のうちで最も過酷な労働だった。
「おーい、葵、遅ーい! 置いていくよ!」
少し前を、軽やかなペダルの回転音とともに声が飛んできた。
振り返らなくてもわかる。幼馴染の桜井 楓だ。
彼女はサラサラの髪を風になびかせ、涼しい顔で緩やかな坂道をスイスイと登っていく。同じ距離を走っているはずなのに、あいつはいつだって元気だ。要領もよくて、勉強もスポーツもそつなくこなす。こんな何もない田舎の町じゃもったいないくらいの逸材なのに、どうして僕と幼馴染をやっているのか、本気で謎だった。
「待てよ……そんなに飛ばすなよ……山のふもとなめんな……」
「これくらい普通でしょ! ほら、ボーッとしてると遅刻するよ!」
自転車のチェーンがガチャガチャと乾いた音を立てる。
高校生になっても変わらない、憂鬱と気だるさに満ちた日々。僕らの世界は、せいぜい自転車で行ける隣町のコンビニが限界だった。
――だが、その退屈な日常に、突然の風穴が空いたのは放課後のことだ。
少し急な坂道に差し掛かったところで、僕たちは自然と自転車から降り、並んで押し歩きながら家路へと向かっていた。
「ねえ、葵」
ふと、隣を歩いていた楓が足を止め、ポケットからスマホを取り出した。画面には一枚の写真が映し出されている。
「いつまでもこんなチャリ通生活、まっぴらごめんじゃない?」
「そりゃあな。でも、校則で原付は禁止だし、他にどうしろってんだよ」
「甘いなあ。抜け道はちゃんと探せばあるのよ」
得意げにフンと鼻を鳴らすと、楓はその画面を見せてきた。
そこに映っていたのは、僕が父親から「もし本気で直して乗るならやるよ」と言われて実家の納屋の奥から引っ張り出したスズキのGS50と、楓が親戚のおじさんから「乗るなら勝手に持ってけ」と半ば押し付けられるように貰ってきたヤマハ・ポッケの写真だった。
さらにスマホの画面をスクロールさせると、学校側の例外規定を用いた「通学補助および車両使用許可に関する申請書」のフォーマットと、親を言いくるめるための完璧な論理武装がびっしりと書き込まれていた。流石は楓である。行動力が異常だ。
「……お前、本気かよ?」
「本気に決まってるでしょ!」
どちらの写真のバイクも、長年放置されていたせいであちこちに赤錆が浮き、タイヤの空気は完全に抜けきり、お世辞にも綺麗とは言えないスクラップ同然の代物だった。
「これ……本当に動くのかよ?」
あまりのボロさに、僕は思わず遠い目をしながら呟いた。
しかし、隣に立つ楓の目は、まるで宝物を見つけた子供のように爛々と輝いている。
「動かしてみせるのよ、私たちがね!」
僕たちは手始めに、実家の敷地のはずれにある、物置に使っていた古い古屋を片付けることにした。
蜘蛛の巣を払い、積もった埃を掃き出し、そこに父親からもらったGS50と、親戚から貰ってきたポッケを運び込む。オイルと錆と、どこか懐かしい古木の匂いが入り混じるその空間は、僕たちだけの秘密基地になった。
チャリ通の絶望に満ちた日常から抜け出すため、そしてこの動かない鉄くずを自分たちの手で蘇らせるため――。
古い古屋を舞台にした、僕たちの不格好で愛おしい共同作業が、ここから始まる。
初めての執筆になります!
頑張って書いていきたいと思いますので温かい目で読んでいただければありがたいです!




