第8話 街への一歩
森を抜け、街から少し離れた場所で一行は足を止める。
目の前には高い城壁と、その中央にそびえる大きな門。
行き交う人々の姿を見て、生徒たちの間から安堵の息が漏れた。
「……本当に街だ」
「やっと着いたんだ……」
そんな声が聞こえる中、アニスは門の前に立つ兵士たちへ視線を向ける。
「アルト、一つ気になることがあるんだけど」
「ん?」
「私たち、身分証みたいなものって持ってないよね?」
アルトも門へ目を向ける。
「……確かに」
「もしかしたら、あの門で確認されるかもしれない。」
アルトは一瞬だけ考え込むと、小さく頷いた。
「あぁ、そうかもしれない。でも、ここで立ち止まっていても何も変わらない」
アルトは街へ視線を向けたまま静かに続ける。
「向かうしかない」
「……そうかもしれないけど」
思わず視線は城門へ向く。
もし身分を証明するものを求められたら。
事情を信じてもらえなかったら。
最悪の場合、不審者として捕らえられてしまうかもしれない。
そんな不安が胸をよぎり、素直に「うん」と頷くことができなかった。
それでも、アルトの言うことも間違ってはいない。
ここで足を止めていても、状況は何一つ変わらない。
この世界で生きていくためには、一歩踏み出すしかないのだから。
アニスは小さく息を吐くと、ゆっくりと頷いた。
「……行こう」
私たちは街の大門へと向かった。
「止まれ!」
鋭い制止の声が城門前に響き渡る。
突然の声に、一行は反射的に足を止めた。
生徒たちの間に緊張が走る。
「やっぱり止められた……」
「ど、どうしよう……」
不安そうな声が小さく漏れる中、門番は三十人もの集団をゆっくりと見回し、隣に立つ兵士へ小さく呟いた。
「……ずいぶんな人数だな」
「商隊……というわけでもなさそうですね」
「荷馬車もない。それに、あの服装も見たことがない」
門の内側から、武装した兵士が五、六人ほど姿を現した。
槍を手にした兵士たちは私たちを囲むように立ち、その鋭い視線を向けてくる。
どうやら、私たちを賊か何かだと警戒しているようだ。
「そこで止まれ。お前たちは何者だ?」
低く響く声に、生徒たちの間へ緊張が走る。
アルトは一歩前へ出ると、兵士の目を見て静かに口を開いた。
「旅の者です」
兵士はアルトを見据えたまま、小さく頷く。
「旅の者か。では、身分証を見せてもらおう」
その言葉に、アルトは一瞬だけ言葉を詰まらせた。
「……すみません、身分証は持っていません」
兵士たちの表情がわずかに険しくなる。
「持っていない、だと?」
門の前に張り詰めた空気が流れ、生徒たちは思わず息を呑んだ。
「隊長が詰め所にいるはずだ、呼んできてくれ」
「はっ!了解であります!」
一人の兵士が門の中へ駆けていく。
残った兵士たちは槍を下ろさず、三十人を警戒したまま動きを見守る。
誰も口を開かない。
張り詰めた空気だけが流れていく。
後ろでは、
「やっぱりダメだったのかな……」
「捕まったりしないよね……?」
そんな小さな不安の声が漏れる。
アニスも思わず拳を握りしめた。
やがて、門の奥から重い鎧の音が静かに近づいてくる。
一人の男を先頭に、数名の兵士がこちらへ歩いてきた。
四十代ほどの壮年の男。
無駄のない体つきに、幾度もの戦場を潜り抜けてきたことを思わせる鋭い眼差しをしている。
「隊長、お連れしました」
先ほど報告へ向かった兵士が敬礼し、一歩下がる。
隊長は軽く頷くと、私たち三十人をゆっくりと見渡した。
一人ひとりを値踏みするような視線。
その眼差しに敵意はない。
だが、僅かな異変も見逃さないという職務への厳しさが感じられた。
「私がこの街の衛兵隊長だ」
低く落ち着いた声が響く。
「話は聞いた。身分証を所持していないそうだな」
「はい。」
アルトは臆することなく頷く。
男はしばらく考え込むように沈黙する。
「……事情を聞かせてもらおう。」
その瞬間だった。
「待て。」
低く通る声が城門前に響いた。
「ゼイン殿! それに領主様まで……。どうされましたか?」
隊長が驚いたように頭を下げる。
ゼインは城門の外にいる私たちへ視線を向けながら答えた。
「門の前に、身元不明の集団が現れたと聞いてな。それで確認に来たというわけだ。」
隣にいた領主が静かに続ける。
「偶然近くで視察をしていたところだった。報告を受けた以上、見過ごすわけにもいかないからな。」
ゼインはそう言うと、ゆっくりと私たちへ視線を向けた。
その目は、ただ珍しいものを見るようなものではなかった。
一人ひとりの表情。
身につけている服。
手にしている武器。
まるで、何かを見極めようとしているようだった。
「……ふむ」
小さく呟く。
「三十人。全員が同じような服装。そして、身分証を持っていない」
ゼインはアルトへ視線を移す。
「君が代表者か?」
「はい」
アルトは迷わず頷いた。
「名前を聞こう」
「アルトです」
「では聞かせてもらおう。君たちは一体、どこから来た?」
落ち着いた声で問いかけられ、アルトはゆっくりと口を開く。
「俺たちは……目を覚ましたら、森の中にいました」
「森の中?」
ゼインの眉がわずかに動く。
「全員がか?」
「はい」
アルトは頷いた。
「気が付いた時には、周囲には誰もいませんでした。そして……」
一瞬だけ言葉を選ぶ。
「昨日、魔物にも襲われました」
その言葉に、周囲の兵士たちが僅かに反応する。
「魔物に?」
ゼインが問い返す。
「はい。その証拠になるものがあります」
アルトは後ろへ視線を向ける。
「見せてくれ」
指示を受けた生徒たちは、解体して持ち帰った素材を取り出した。
最初に出されたオークの素材を見て、兵士たちがざわめく。
しかし、その次に現れたものを見た瞬間。
ゼインの表情が変わった。
「……待て」
そこにあったのは、巨大な角と分厚い皮。
一目で普通の獣ではないと分かるほどの大きさだった。
「これは……フォレストブルか?」
「はい」
アルトが答える。
ゼインは素材へ近づき、じっくりと確認する。
「……おかしいな」
「何がですか?」
衛兵隊長が問いかける。
「この大きさだ」
ゼインは低く呟いた。
「フォレストブルは個体差が大きい魔物だ。だが、この大きさは通常の範囲を大きく超えている。
以前、森の奥で確認された個体と同じ……いや、それ以上かもしれん」
その言葉に、周囲の空気が変わる。
「そんな個体が……」
「森の中にいたのか」
ゼインは素材から視線を上げる。
「君たちは、この魔物を倒したのか?」
「はい、そうです」
アルトは迷いなく答えた。
その返答を聞いても、ゼインはすぐには言葉を返さなかった。
フォレストブルの素材。
そして、目の前にいる三十人の少年少女。
何度も視線を往復させる。
「……おかしいな」
「何か問題でも……?」
隊長が問いかける。
ゼインは静かに首を傾げた。
「いや……この素材が偽物だと言っているわけではない」
そう言いながら、再びフォレストブルを見る。
「だが、本当に君たち全員で倒したのか?」
その言葉に、生徒たちの間に小さなどよめきが起こる。
「装備も、立ち振る舞いも……冒険者のものとは思えない」
ゼインは周囲を見渡す。
「失礼だが、君たちは素人に見える」
一瞬の沈黙。
「それなのに、あの森を抜けてきた。正直に言えば……どうやって生き残ったのか、そちらの方が気になるくらいだ。」
ゼインの視線が、ゆっくりと一人ひとりへ向けられる。
怯えた表情を浮かべる者。
不安そうに仲間の様子を伺う者。
やはり、冒険者とは程遠い。
そう思った時だった。
「……」
最後に視線が止まる。
一人の少女。
周囲の者たちとは違い、ただ静かにこちらを見ている。
不安や恐怖を浮かべる者たちの中で、その少女だけは違った。
まるで、状況を冷静に見極めているようだった。
「君」
突然声を掛けられ、アニスは少し驚く。
「……私?」
ゼインは目を細める。
「少し聞きたい」
ゆっくりとフォレストブルの素材へ視線を向ける。
「この魔物と戦ったのは……君か?」
アニスが答えるより先に、続ける。
「それも――君一人で」
その言葉に、周囲の空気が変わった。
アニスは少しだけ迷う。
ここで隠す必要があるのか。
それとも、正直に答えるべきなのか。
アルトを見る。
彼は小さく頷いた。
「はい」
アニスが答えた瞬間、兵士たちの間にざわめきが広がった。
「一人……?」
「あのフォレストブルを?」
ゼインは周囲の反応を気にすることなく、再び素材へ目を向ける。
「……なるほど。やはり、間違いではなさそうだ。」
ゼインは素材を見つめたまま、静かに考え込む。
長年、魔物を見てきた彼には分かる。
これはただ大きいだけの個体ではない。
「この個体は巨大だっただけではない。通常よりも遥かに強かったはずだ」
そして、静かにアニスを見る。
「それを、君はどうやって倒した?」
「この剣で倒しました」
一瞬、沈黙が落ちた。
「その剣一本で?」
「はい」
アニスは迷うことなく頷いた。
その返答に、周囲がざわめく。
しかし、ゼインは反応を返さなかった。
静かにフォレストブルの素材へ近づき、その傷跡を確認する。
「……なるほど」
「何か分かったのですか?」
衛兵隊長が尋ねる。
「この個体は、力任せに倒されたわけではない」
ゼインは傷跡へ視線を落とす。
「この巨体を相手にしたなら、本来はもっと多くの傷が残るはずだ」
「だが、こいつには必要以上の傷がない」
一度、アニスへ視線を向ける。
「最小限の動きで、最も効果的な場所を狙っている。相手の動きを読み、一瞬の隙を突いている」
「つまり……」
隊長が息を呑む。
「この少女は、フォレストブルを力で圧倒したわけではない。
急所を理解したうえで、倒したということだ」
その場に静寂が落ちる。
兵士たちは信じられないものを見るような目でアニスを見る。
しかし、当の本人は不思議そうに首を傾げた。
「……?」
なぜ皆が驚いているのか、アニスには分からなかった。
ゼインはそんな彼女の様子を見て、僅かに目を細める。
自分が何をしたのか、理解していないのか……?
それとも――。
それが彼女にとって、当たり前のことなのか。
「君」
ゼインが再び口を開く。
「名前を聞いてもいいか」
「アニスです」
「そうか……アニスか」
ゼインは短く呟くと、少し考えるように彼女を見る。
「この街のギルド、フェルナ支部に来てくれ」
突然の言葉に、アニスは少し目を瞬かせた。
「……私が?」
「あぁ。少し聞きたいことがある」
ゼインはそう言うと、隣に立つ人物へ視線を向ける。
「それと、この者たちを通しても構いませんね? セドリック・アルベルト公爵」
ゼインの言葉に、セドリックは私たちへ視線を向ける。
見慣れない服装。
身分証も持たず、突然この街の門前に現れた三十人の集団。
普通ならば、警戒されてもおかしくない状況だった。
しかし、セドリックの視線に敵意はない。
ただ、この状況を領主として判断しようとしているように感じた。
しばらく私たちを見た後、セドリックは静かに口を開く。
「あぁ、構わない。この者たちは森を越え、魔物と遭遇しながらもここまで辿り着いたのだろう。それだけでも、話を聞く価値はある。それに、住む場所も必要だろう。しばらく滞在できる場所はこちらで用意しよう」
「ありがとうございます」
アルトが頭を下げる。
その様子を見ながら、ゼインは小さく頷いた。
「公爵自ら気に掛けるとは珍しいですね」
「ゼインがそこまで興味を持つ者たちだ。それに、彼らが何者なのかを知る必要もあるだろう」
セドリックはそう言うと、再び私たちへ視線を向けた。
その目には疑いだけではなく、私たちを理解しようとする意思が感じられた。
「門を開けろ」
セドリックの言葉に、兵士が敬礼する。
「はっ!」
重い音を響かせながら、ゆっくりと城門が開いていく。
その先に広がっていたのは、今まで見たことのない街並みだった。
石造りの建物。
行き交う人々。
聞いたことのない声が響く、不思議な光景。
不安がなくなったわけではない。
これから何が待っているのかも、まだ分からない。
それでも――。
私たちはようやく、この世界で生きていくための場所を見つけた。




