第6話 最初の一夜
地面に簡易作業台と簡易鍛冶台が姿を現すと、それを見たクラスメイトたちが興味津々といった様子で集まってきた。
「なにあれ! 地面から出てきたよ!」
「すごい! ゲームの世界みたい!」
「あれで何ができるんだろ?」
みんなが理科の実験でも見るように、何が起こるのか楽しそうな表情で見つめている。
さっきまで張りつめていた空気が、少しずつ和らいでいくのを感じた。
この世界へ来てから初めて、心から安心できた気がする。
「じゃあみんな、今日はここで野営しようか」
アルトの一言に、周囲のみんながうなずく。
「まずは寝る場所の確保だな」
「でも、何をすればいいんだ?」
「とりあえず木があればいいんじゃない?」
「水も必要だよね?」
あちこちに意見が飛び交う。
突然異世界に放り出されたとは思えないほど、みんなは少しずつ前を向き始めていた。
「一回役割決めよう!」
結花の一言で、止まっていた空気がまた動き出す。
「木を集める人!」
「「はい!」」
「水を探す人!」
「「はい!」」
「周囲の見回りも必要だよね」
「それは俺たちに任せてくれ」
「戦えるやつらで見回るよ」
「魔物が来ても対応できるやつが行った方がいい」
「了解!」
次々と役割が決まっていく。
私はその様子を見ながら、ふとアルトの方へ視線を向けた。
「アルト、私は何か手伝えることある?」
「そうだなぁ。鉄系の素材って持ってたりしないか?」
「あると思うよ。昨日ログインしてた時、採掘もしてたし、素材も結構買い込んでたから」
そう言って腰に提げた収納袋へ手を入れる。
中を探るように手を動かすと、指先に見覚えのある金属の感触が伝わってきた。
「うん、あった。はい、これ」
鉄インゴットを数本取り出し、アルトへ差し出す。
「助かる。それじゃあ、斧から作ろうかな」
「がんばって。私は見回りついでに、ご飯を探してくるね」
アルトはすでに作業台へ向き直り、道具を手に取り始めていた。
返事をする余裕もないほど集中しているらしい。
「じゃあ行きますか!」
私は収納袋を腰に下げ直すと、みんなから少し離れて森の中へ足を踏み入れた。
「さて、ご飯を探さないと」
空を見上げると、太陽はもう木々の隙間から傾き始めている。
暗くなる前に戻らないと。
そう思いながら、周囲をゆっくり見渡した。
森の中は思っていたより静かだった。
風に揺れる木々の音。
どこからか聞こえる鳥のさえずり。
時折、草むらがかすかに揺れる音だけが耳に届く。
「サーチアイ」
小さく呟くと、視界に淡い光が広がった。
周囲の地形や生き物の反応がぼんやりと浮かび上がる。
……でも、街らしき反応は見当たらない。
やっぱり、そこまで便利な魔法じゃないみたい。
少し安心したような、少し残念なような。
そんな複雑な気持ちになりながら森の中を歩いていると、草むらの向こうに牛のような魔物が見えた。
体表には苔のようなものが生えており、その巨体は普通の牛よりもひと回り大きい。
近くで見ると、見た目以上の迫力がある。
「この大きさなら、みんなで食べても少し余るくらいかな」
サーチアイで確認すると、名前は『フォレストブル』。
便利だけど、全部が分かるわけじゃない。
あくまで基本的な情報だけだ。
普段は温厚な性格で、こちらから危害を加えない限り襲ってくることはないらしい。
それと――肉はとても美味しい。
「……そこまで分かるんだ」
思わず苦笑が漏れる。
食料が確保できるなら、これ以上ない獲物だ。
「見つかる前にやろう」
私は音を立てないよう地面を蹴り、一気にフォレストブルとの距離を詰めた。
「ふっ!」
フォレストブルの足元へ一瞬で潜り込み、そのまま剣を首へ振り抜く。
手応えはない。
だが――確かに届いた感覚はあった。
「……入った」
そんな確信だけが残る。
ステルスキルは成功したようだ。
「あっ……」
白い服に赤い染みが広がっていくのを見て、一瞬だけ手が止まった。
「……まぁ、こうなるよね」
小さく息を吐く。
「水系の魔法で洗おうかな」
魔法を発動すると、水が体の周囲に広がり、膜のように服を包み込んだ。
血はゆっくりと薄まり、やがて流れ落ちていく。
「うん、これで大丈夫」
私は一度うなずき、血の跡が消えた服を軽く見下ろした。
「さぁ、この牛さんどうしようかな。解体した方が早いのかな?」
そんなことを考えながら視線を上げると、いつの間にか結花たちがこちらへ近づいてきていた。
「えっと、これ食べるんですか?」
「うん、その予定だよ!」
私がそう答えると、結花たちは一瞬だけ固まった。
「……そっか」
「でも、こういう状況だもんね」
少し戸惑いはあるみたいだけど、誰も否定はしなかった。
その反応に、少しだけ胸の奥が軽くなる。
「一旦、みんなのところに戻ろうか。だいぶ暗くなってきたし」
結花が周囲を見回しながらそう言うと、私はうなずいた。
「そうですね、行きましょう!」
結花と凛と一緒に野営地へと戻った。
森の中へ戻ると、すでに簡易的な野営の準備が少しずつ進み始めていた。
木を集めている者、水を探しに行った者、周囲を見回っている者。
それぞれが自分の役割をこなし始めていて、さっきまでの混乱が嘘みたいに“生活”が形になっていく。
私は結花と一緒に、その様子を見ながら野営地へ戻ってきていた。
簡単な火が起こされ、集めた木で囲いが作られ、寝るための場所もなんとか形になっていく。
倒したフォレストブルはすでに解体され、肉は焚き火のそばへ運ばれていた。
気がつけば、空はすっかり暗くなっていた。
焚き火の周りに、少しずつ人が集まり始めていた。
ぱちぱちと木が弾ける音だけが、静かな森の中に響いている。
私は結花と並んで腰を下ろし、その火をぼんやりと見つめていた。
「……今日、いろいろありすぎだね」
結花が小さくそう呟いた。
「うん。まだ一日しか経ってないのが信じられないくらい」
私は火の揺らめきを見つめながら答える。
結花は少しだけ視線を落として、膝を抱えるように座り直した。
「ねぇ、アニスはさ……怖くなかった?」
結花が少しだけ声を落としてそう聞いてきた。
「ん? なにが?」
「さっきの……あの大きい魔物とか、牛とか」
結花は焚き火の火を見つめたまま、ぽつりと言う。
「怖いよ。……でも、みんなのためにって思うと、勇気が出るから」
「そうなんだ。でも私、この世界に来てからずっと不安だらけで……怖いことばっかりだよ」
結花の声が少しだけ震えた。
「それに……一番大事な幼馴染とも、もう会えないかもしれないって……」
そう言った瞬間、結花の目に涙がにじむ。
焚き火の光が、その頬に揺れる影を落としていた。
私は一瞬だけ言葉に詰まった。
「……そっか」
小さく息を吐いてから、結花の隣にそっと近づく。
そして、少しだけ迷ってから、その肩に手を置いた。
「今は……泣いていいよ」
結花の方へ視線を向ける。
「無理に我慢しなくていい」
そう言って、そっと抱き寄せた。
それから、どれくらい時間が経ったのだろうか。
結花の呼吸は次第に落ち着き、やがて焚き火の前で静かに目を閉じていた。
泣き疲れたのか、そのまま眠ってしまったようだった。
焚き火の音だけが、静かに夜の中へ溶けていく。
私はその様子を見て、少しだけ視線を落とした。
「……寝ちゃった」
小さく呟いてから、結花の肩をそっと支える。
起こさないように気をつけながら、ゆっくりと背中に負ぶった。
「……よいしょ」
そう確認してから、テントの方へと歩き出した。
結花をテントに寝かせ、静かに布をかける。
規則正しい寝息を聞きながら、私は一度だけその顔を見た。
「……おやすみ」
小さく呟いてから、テントの外へ出る。
焚き火の方へ戻ると、まだいくつかの人影が動いていた。
その中に、アルトの姿があった。
まだ簡易作業台の前で何かを作っているらしい。
「まだ起きてたのか?」
「うん、結花とちょっとね。
何してるの?」
「これか?明日使う道具を少しな」
「そうなんだ……。
明日からどうする?今の状況とかこれからの行動方針とか決めとかない?」
「そうだな」
アルトは手を止めると、焚き火の向こうへ視線を向けた。
「食料は今日と明日くらいは何とかなりそうだ。水も最低限は確保できた」
「でも、この森にずっといるわけにはいかないよね」
「あぁ。明日は街を探す」
「サーチアイでも見つからなかったし、歩いて探すしかないね」
「危険はあるが、それしか方法はないだろう」
私も小さくうなずく。
不安はある。
でも、立ち止まっていても何も始まらない。
明日は、この森を抜けるための一歩を踏み出す日だ。
「おやすみ、アルト」
「あぁ、おやすみ」
私もテントへと戻り、静かに横になる。
焚き火の音を遠くに聞きながら、ゆっくりと瞼を閉じた。
異世界で迎える初めての夜は、こうして静かに更けていった。




