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あのカフェの時に「どうして勉強なんてしなければいけないのだろう」と嘆いていた人だ。
本当に同一人物?
そう思えないほど、私の目の前にいる男性は大人びて見えた。余裕と落ち着きがあって、テスト勉強に頭を抱えていたとは思えない。
「えっと……」
清一は宮川さんたちの方へと視線を向けた。
私は彼女たちに合わす顔がない。それを察したのか、清一は「ごめん、ちょっと落ち着かせるね」と言ってくれた。
救われた、と思った。今日初めて遊んだけれど、彼らとは軋轢を生じさせたくなかった。……もう遅いけど。
「まつりんをお願いします」
宮川さんはそう言って頭を下げた。
宮川さんを知れば知るほど、人望があり、律儀で良い人だということが分かる。
「莉子、行くよ」
そう言った彼女の声はどこか棘があった。宮川さんがこの場を離れたのと同時に、莉子も彼女についていく。
谷沢くんと目が合った。悲しそうな目で私を見ていた。
……私は、そんな目を向けられたくなかった。
それなら軽蔑の視線の方が良かった。私は可哀想な女の子なんかじゃない。運命がどれだけ私に残酷であっても、他人から哀れまれるような人生は歩むまいと思って生きてきた。
「とりあえず、コーラでも飲む?」
私が谷沢くんの背中を見ていると、横から清一がコーラをもう一杯入れて渡してくれた。私は、それを受け取り、炭酸が効いているコーラを喉に流す。
シュワ~っと体にコーラがしみ込んでいく。
「高校生?」
「はい」
「さっきのは?」
「事情聴取ですか?」
私は口角を少し上げて、清一の方を見た。綺麗な横顔だ。大学で女の子から人気なのだろう。
「聞かない方が良かった?」
私はその質問に少し間を置いて、「いえ」と答えた。懺悔のつもりで話そうと思った。今まで自分のことを誰かに話してきたことがなかった。
加奈子も私の中学生時代を知らない。荒んでいたことは知っているけれど、詳しくは何も知らない。
「私、中学生の頃、レイプされたんです」
「うん」
「自業自得なんですけど」
「それはない。強姦は百パーセント相手が悪いから」
清一は強い口調でそう言った。相手が悪いと言って貰えたことで少しだけ安心した自分がいる。
それでも、あれは自己責任だと思っている。
「相手を信じた私が馬鹿だったんです。空っぽになった心を埋めたくて……」
カラオケのドリンクバーの場所でなんていう話をしているんだと思いながら、私は話を続けた。
「私を嘘でも愛してくれるって言ってくれる人に騙されただけです。襲われて、叫んで、そのまま全てが終わって……。もう既に心はボロボロだったから、特に悲しくもなくて……、よく分からないけど、大切なものを完全に失ってしまった喪失感みたいなものだけは覚えてる」
自分で話していて、気持ち悪くなってきた。胸がギュッと何かに締め付けられたような感覚。……この痛みから解放されることはこれからもないのだと思う。
自分で自分を傷つけたのだから、これぐらいの痛みは耐えていかなければならない。
「小さな優しさに縋った。私を利用していたとしても良かった。馬鹿だと思う。……けど、自分を大切にする方法なんて分からなかった」
私を必要としてくれる人を失ったから……。姉はそれぐらい私にとって大切な人だった。シスコンなんて陳腐な言葉では表せないぐらい私にとっては絶対的な存在だったのだ。
「人として廃れてしまった、って思ってきた。だって、そう言い訳していないと自分を保てなかったから……」
私はそう言い切って、身体の力を抜いた。自分の感情を誰かにぶつけたことなどなかった。感情を出すって、意外とスッキリするかもしれない。少しだけ心が軽くなった。
加奈子のことが頭によぎる。彼女は今どこで何をしているのだろう。
今度会ったら、少しだけ、ほんの少しだけ良い道を進めそうな気がするって伝えたい。
「頑張ったよ、充分」
清一の優しい声に胸が熱くなった。涙が出そうになったけど、絶対に泣くまいと堪える。
頑張れ、よりも、頑張っていることを認めてくれる言葉が欲しかった。
必死に生きてきた。毎日、死に物狂いで生きてきたあの日々が報われたような気がする。
「……清一くんは?」
私がそう聞くと、「ん?」と彼は首を傾げた。
「何か吐き出したいこととかないの?」
「吐き出したいことかぁ……」
「この際、全部言っちゃおうよ。初対面だからこそ言えたりしない? もう会うことはないだろうし」
「一理ある」
彼は私の言葉に納得する。彼は暫く考えて、「俺さ」と口を開いた。
「むちゃくちゃ好きな女がいたんだ」
「うん」
「後にも先にもその子しかいないってぐらい」
うん、と相槌を打ちながら、その人が羨ましかった。
「その子の記憶から俺を消したんだ」
私はその言葉に思考が停止した。
……記憶を消す?
またその言葉。加奈子も言っていた。どうして不可能なことをさらっと言うのだろう。
「ってこんな話、意味わからな」
「カエル味の飴玉って本当に存在すると思いますか?」
私は清一の言葉に被せてそう聞いた。




