16. あまりてなどか 人の恋しき
予想以上の盛況振りにクラスはてんてこ舞い。そういうときほど、災いはやってくる。
「うわ、男のメイドとか気持ちわりー。あ、そこの子こっちのテーブルの担当についてよ」
どこのキャバクラと間違えているのか。というより高校生でおっさん臭さの漂う上級生。
「ここは女装メイド喫茶なのでお客様のお相手はこちらのメイドが……」
あのおっさん高校生の相手をしているのは麻琴らしい。麻琴の呼び掛けにその男子は全く動じていない。
察するところ、自分のクラスの出し物に客が来ないものだから6組にケチをつけに来たか、ただのひやかしか。
悪意が少ない分、後者の方がまだマシだ。麻琴はくじけずに応対を続けているが、相手の怒りゲージを上げるだけのようだ。
ドンッ。
殺気すら感じる音に周囲の人間の動きが止まった。
柚月は持っていた包丁をまな板に突き立て、店と間仕切りのカーテンに向かって歩き出した。
出ていこうとしたところを深山が手で制した。
「先輩じゃ敵いませんよ。それにあの人が先に出たんで様子見ましょ」
深山が示したその先には麻琴の前に防壁のように現れた久瀬。
「何か御用でしょうか、お客様」
アリスの格好で凄まれると通常よりも別の意味で威圧感がある。上級生の方が圧されている。彼が苦し紛れに放った言葉は全く意味をなしていない。
そのまま久瀬は上級生を外に出してしまった。
それを合図に、深山は柚月を邪魔していた手を下ろした。そして無言で厨房に戻っていった。
客、スタッフ関係なしに起こった拍手歓声。それを意に介さずすぐに麻琴を気にする久瀬。
無事を確認したときの久瀬の表情を見てわかってしまった。それは一瞬だったけれどとても大切なものを見るような。
噂話のように他人の裏事情を知ると秘密を知ったようで楽しいものだったが、今回ばかりは気づかなければ良かったと柚月は思った。
久瀬に言われて麻琴をバックヤードに連れて行く。
あれほど嫌がっていた接客を久瀬は自分から買って出ていた。
「お言葉に甘えて麻琴はここで仕事してなさい」
すぐに表に戻ろうとする麻琴を柚月が止めた。久瀬の真意は麻琴が気付かなくてもいいことだ。
深山はお客の流れが止まった頃にスタッフから外れてもらった。
「最後までやりますよ」
深山の申し出は有難かった。
先程のようなトラブルを案じてのことだと柚月は思う。彼の表情からも読めた。
「ありがとう。でも大丈夫」
「さっきの久瀬先輩でしたっけ。この後しばらくいないんでしょ?」
「ステージの仕事は2時間ほどらしいし、さっきのことで心配してくれた柔道部の男子もシフト変えて残ってくれるって言うから大丈夫。それより楽しんできなよ、せっかくの文化祭なんだから」
深山が柚月に向かって苦い笑顔を向ける。
「俺はここにいるだけで、十分楽しかったんですけどね。先輩がそこまで言うなら戻ります。これ、ありがとうございました!」
柚月に向かって手土産のクラブサンドを少し掲げて目でお礼を伝えると人混みに消えていった。
「盛況だね」
ピークが過ぎた頃、大谷がやってきた。
「今お茶淹れてるのって委員長?」
「そうです」
「じゃあ、このオススメセットお願いね」
厨房で二杯分のダージリンの茶葉の入ったポットにお湯を入れながらゆっくりと息を整えた。
柚月がテーブルへオススメセットを運ぶと大谷が渋い顔をしていた。
「ねぇ、ここいつから魔の巣窟になったの」
とても嫌そうに柚月へクレームをつける。
「人聞き悪いこと言わないでください」
カップへゆっくりと紅茶を淹れると温かくビターな香りがテーブルに漂った。
「だって委員長のメイド姿見られるって言うから来たのに」
大谷が口を尖らせる。
この人は本当に教師だろうか。深山や久瀬と比べて幼く見える。
「先生、言葉の使い方に気をつけないと犯罪者かと疑われますよ。ただでさえいい加減なんですから。それに他のクラスと出し物が被ったんでコンセプトを変えざるを得なかったからです」
「へぇ。もしかして久瀬も?」
口を尖らせるのをやめ、おもちゃを見つけたような子どもの顔になった。
「あいつも女装してますよ。ただ今は麻琴と実行委員の仕事で抜けてます」
「なーんだ」
本当に残念そうにつまらなそうに。
それでもカップを手に取り一口含むと穏やかな笑顔になった。
「ん、やっぱ委員長の淹れたお茶は美味しいね」
大谷に紅茶を淹れるのはもう何十回と繰り返していることなのに。
次々と変わる表情のせいだろうか。調子が狂う。
「……ありがとうございます」
シフォンケーキをあっという間に平らげ、再び紅茶に手を伸ばした大谷の顔が真顔になった。
「……先生?」
その後は紅茶を見つめながらこちらが痛くなるような切ない顔をした。一瞬のことだったが。
「じゃ、委員長、オレもういくわ。お茶とケーキ美味しかった」
櫻井さんにも伝えておいてね。そう言い置いて大谷は6組を出ていった。
何かが大谷を急かしたのだけはわかった。
*
ゴミを出しに行く途中の廊下で、大谷に出会った。
ほとんど保健室から出ない大谷と外で会うのは珍しい。
「どうかしたんですか?」
クラスで会った時の表情が気になっていた。
ちょうど大谷の横顔に夕日が射していて、表情が見えない-。
「ちょっと思い出してただけ」
「学生の頃の淡い思い出に浸ってたとか?」
教師の学生時代の話など滅多に聞けない。
好奇心に駆られた柚月はゴミ袋を離れた場所に置いた。壁を背に立つ大谷の隣に立った。
「まぁ、そんなとこ。学生の頃じゃないけど」
茶化したつもりなのに、大谷は冗談と取らなかったようだ。大谷の沈んだような表情に柚月は続きのからかい言葉を飲み込んだ。
少しの沈黙の後、すぅっと息を吸って大谷が口を開いた。
「あんまり声に出して言えることじゃないんだけどすごく好きな人がいたのね、オレ」
胸が疼いた。
柚月は気づかれないように平然を装って次の言葉を待った。
「相手は前にいた学校の生徒。少し体の弱い子でほとんど保健室登校でさ。学校での話し相手はオレだった。委員長みたいに紅茶を淹れるのが上手い娘でさ。オレ、そのお茶が大好きで毎日淹れてもらってた」
そこまで一気に話したところで、大谷が深呼吸をした。
「でもある日飲めなくなっちゃった。彼女の患ってた病気が簡単なものではなくてね。遠く離れた病院へ治療しに行くことになって、学校を辞めた」
大谷はどんな思いで柚月の淹れた紅茶を飲んでいたのだろう。それはどんなに想像してもわからない。
「オレが学校を辞めたと知ったのは彼女がいなくなった次の日。保健室に手紙が置いてあったの。別に彼女と互いに気持ちが通じ合ってたわけじゃないし、オレもこのままでいられるならそれでもいいやって思ってたから。死ぬほど後悔したよ」
大谷の声は淡々としていた。それが柚月には辛かった。
感情は中途半端に出すよりも0か1にするしかないから。
少しでも出してしまえば溢れてしまうことを柚月も知っていたから。
「だから委員長が紅茶を飲みたいって言った時はキツかったよ。まだ時間が経ってなかったから」
大谷は柚月が2年生になってから転任してきた養護教諭だった。
「あの頃の癖で紅茶の葉だけ保健室へ持ってきてたけどずっと使うことはなかった。彼女に淹れてもらうばかりでオレは淹れ方を知らなかったし、彼女の味を忘れたくなかった」
スカートを持つ片方の手に力が入った。
「委員長の紅茶が美味しいと思えるようになって、吹っ切れてきたのかなーって思ってたけどまだダメみたいね」
話し終えると大谷は柚月に笑い掛けた。
痛々しく笑うその顔は、今まで観たどんな恋愛映画よりもせつなかった。
誰か来るかもしれないのに。
柚月は自分でもどうしてそんなことをしたのかわからなかった。
大谷の二の腕を掴んで支えにすると、背伸びをする。何事かと振り向いた大谷の顔を前に柚月はほんの一瞬だけ瞳を閉じた。そしてすぐに腕を離した。
「……今のは事故だということにしとく」
そう言って柚月の頭をクシャっと撫でた。
「せんせいっ……!」
「ゴミ捨て行くんでしょ? 早くしないとゴミ捨て場のケージ鍵かかって閉まっちゃうよ」
「はい……」
ゴミ袋を掴んで歩き出した大谷の後を少し遅れて柚月も追い掛けた。
“浅茅生の小野の篠原しのぶれど あまりてなどか人の恋しき”
――ずっとフタをしてたのにちょっとしたことであふれてしまうくらい先生のことが好きだったらしい。抑えるのは諦めるしかないか。




