第1話 『現実的異世界転生』
起きれない朝に、眠れない夜。
物語は人に夢や希望を与えてくれるけれど、生き損なったらどうすれば良いかは教えてくれない。
物語に対して、『現実はそう上手くいかない』と冷笑するのは簡単だ。しかし、『現実は上手くいく』と簡単に信じられるほど現実は優しくないというのも事実だ。
結局は、そういう終わりのない問いも含めて人生だ。
俺はもうこれ以上何も望まないし、何かが起きるとも思えない。
だから、終わりを選ぶことにした。自ら終わりを選ぶことができるだけ、俺は恵まれていた。そういうことにしよう。そういうことにした。
ブレーキの摩擦音とクラクションで、誰かに罪を与えたことを自覚したところで、人生劇場は終わる。観客は誰一人としていないありきたりな不幸の脚本は、理想と現実を教えてくれる。そして、理想がなぜ必要なのかも教えてくれる。
「──で。君の人生はトラックに轢かれて終了ってこと?...なんか最近、同じ類の死因が多いわねえ。あなた達の世界の交通事情はどうなっているのかしら?まあ女神の私が案ずることではないのだけれど、これでも人間をちゃんと愛しているからね。」
鳥のさえずりと雑多な花々の織り成す無限の花畑、映える地平線に沈む夕陽が、この推定天国であろう空間を構成している。しかし、どこの世界でも、理想的な幻想風景に近づけばちかづくほど、異分子は目立って見える。とくに、やたら生意気で明らかにこちらを見下している慈愛の欠片も無さそうな女神とか。
あの世がこんな類の代物だって知ってたら、もう少し死なずに人生を賭したギャンブルでもやったってもんさ。あるいは、ずっと心に居座り続けるあいつら──俺を蔑ろにしてきた奴ら──に一矢報いたって良かった。泣き声を掻き消す街宣車ばりに、ペラペラとくだらないことを話し続ける女神と二人きりなんて地獄みてえなもんだ。
「で?俺はどうなるんだ?ずっとこのままか?」
「ええ。ずっとこのままよ。あなたの人生とよく似たこの楽園で、あなたの人生にはいなかった美少女とずっとずっとこのまま幸せに過ごすのよ。」
女神は白い髪を腕で靡かせ、赤くも深い瞳でじっと俺を睨みつけた。如何にも女神だと言わんばかりの金色の装飾が、チャラチャラと音を鳴らす。
生意気女神は、陽の沈む水平線に一瞬視界を逸らすと、その黄昏にだけ微笑み、俺の元へゆっくりと歩き出した。
「そういえば、自己紹介がまだだったわね。私の名前は、女神"ネヴァーマインド"、あなたの安寧と祝福そのものよ。どうしてか、こうしてか、トラックに轢かれた──それが自分の意思であったかどうかは知らないけれど──あなたはこの楽園に辿り着き、新たなる旅が始まるの。たぶん、人生と同じ類の面倒臭い旅よ。ねえ青年、いいや"ヒビヤ・ショウ"。」
名がネヴァーマインドとやらである女神──もっと天使のような人がよかった──はジリジリと詰め寄って、少し屈んで上目遣いでこちらをジロジロ見てきた。そよ風にたゆたう花のように、
身体をユラユラと揺らしながら。オノマトペがよく似合うその態度の裏には、底知れぬ好奇心が感じられた。子供が買ってもらったゲームを家へと持ち帰る道中かのように。女神は始まりを待っていたのだ。
「なにを企んでいる?ここはあの世で、お前が女神なら、もう終わりじゃないのか?」
「いやいや違うよ!女神として!それはそれは素晴らしい女神として!あなたに、新しい人生を与える!人生だけじゃないよ?優れた能力だってあげちゃうあげちゃう!強くて再起動!つまりは、異世界転生というやつだ!」
「...異世界転生?...俺は、自ら終わりを選んだんだ。また、始まるってのか?」
「ああ、誰もが始まりを選べない。もちろん、終わりも。」
「──終わりも選べない、か。」
始まりに希望を持てないのは、絶望を誰よりも知っているからだ。けれど、もし"異世界転生"とやらが、教室の隅で何度も読んだ夢と希望に溢れた物語なのだとしたら。破壊的な力を手に入れ、魔王を倒して世界を救う旅が。たくさんの女の子に出会い囲まれ、ハーレムとやらを形成できる御伽話が。
──もし、俺に与えられるのだとしたら?
俺が、主人公の座に就けるのだとしたら?
「──興味がある。とても、とてもだ。」
「君ならそう言うと思った。だから、強くてニューゲームを君に与えることにした。」
「異世界転生には、能力による無双がつきものだろう!俺には何が与えられる?何の才能が?」
「それはまだ秘密だよ!ネタバレ無しの方が感動できるもんに!それに、もし外れの能力を引いてやる気を削がれちゃ困るもんに!」
女神は首を激しく振って、ネタバレを拒否した。
それよりも引っ掛かったのは、"外れの能力"という言葉だ。
結局のところ、それではあまり俺が辿った一度目の人生と変わらないのではないか?
「外れもあるのか?外れったって普通の人間には持ち得ない能力だろう?」
「結局、自分だけの特別を他人と比べて下位互換にしてしまうのが、人なのだ。人は人なの。どの世界でもどの異世界でも。さて、そろそろ時間ね。長話をしすぎたかしら。」
「おい!結局具体的な説明が何も無いって!」
激しい風が吹き荒れ、花びらが浮かび舞い散る。
それらは俺の周囲を徐々に包んでいく。
雑多な花々の香りが混ざり合い、良い匂いと称されるには幾分か主張が激しい香りがした。絵の具をそのままぶち撒けて、虹色を作り出したかのように、それは混沌としていた。
花嵐をゆっくりと突っ切ってきた女神は、いくつかの花びらが付着した右手で頬に優しく触れた。
「...結構、美しいな。女神さん。」
「あれ?好きになっちゃった?恋って大変ね。特に叶わぬ恋ってやつ。さあ、あなたの人生はどうだった?そして、ここから始まる人生はどうなる?現実も異世界も人の営みである以上、物語みたいに上手くはいかないわ。それでも、次は、次こそ、あなたが叶える物語であることを祈っているわ。」
右手を添えたまま、女神は頬に優しく口付けをした。
完全にフリーズした俺の脳内コンピュータは、かつて妄想的な出力を繰り返してきた弊害で、この一撃でブルスクである。
仮想現実で得た偽物の感覚は瓦解し、この感覚を記憶したことによって生ずる新たな知覚による新たな世界が始まってしまう予感がした。
「じゃっ!いってらっしゃい!くれぐれも、ネヴァーマインドを崇め奉ること忘れるなっ!よっ!」
加速度的に増える花びらに身体中が包まれ、この花々の匂いのせいか、先ほどのキスの衝撃のせいか、瞼が徐々に落ちていった。
──俺は、何の世界に転生するのだろうか?
理想はハーレムだ。やっぱり、転生したならば一度はモテてみたい。最強の魔術を手に入れ、魔王を打ち滅ぼすのも良いだろう。
第一の生では叶わなかったゴミ箱の中の願望を、少しでも回収できるだろうか。生きる為に、生きる理由を捨て、満足だと自分に言い聞かせてはいたが、誰かに愛されてみたかったし、夢とやらを追いかけてみたかった。そう、まるで主人公のように。
もし、現実も異世界もあまり差異のないものだったとしたら──
俺は、変わることができるだろうか?




