第82話 “女たらし疑惑”
「旧神奈備島古事録って……これが?」
テーブルに置かれた一冊の古びた本を見つめ、守哉は呟いた。
旧神奈備島古事録に関しては、守哉も一応は知っている。優衣子との何度目かの指導の際に教えてもらったのだ。
神奈備島の歴史が記された、嘘偽りのない真実の記録書だと。
「そうさ。これが、旧神奈備島古事録だよ。一応言っておくが、無闇に触るでないよ」
「わかってますよ。でも確かに、何か凄そうではありますね」
「実際凄いのさ、この本はね。なんせ、こんなにちっぽけなのに大呪法の一種なんだからね」
「へぇ。凄いんですね」
気のない返事をする守哉に、文江は呆れて言った。
「驚かないんだねぇ。あんたまさか、大呪法を知らないんじゃあるまいね?」
「さすがに知ってますよ。それで、どんな大呪法なんです?」
「………。まぁいいさ。とにかく、まずはこれの表紙をめくってみな」
言われるがまま、守哉は旧神奈備島古事録の表紙をめくった。
が、そこには何も書かれていない。まったくの白紙だ。
「何も書かれてないですよ」
「そう見えるって事は、あんたはまだ堕ちてないっていう事さ」
「どういう事です?」
「その説明は後でするよ。もう一枚めくってみな」
もう一枚、ページをめくる。
今度は白紙ではない―――何か、文章が書かれていた。
君死にたもうことなかれ。
「文章が書いてあるはずさ。何て書いてある?」
「君死にたもうことなかれ……って、書いてある」
文江はいぶかしみながら答えた。
「おかしいね。そんなはずはないんだけどねぇ……あんた、嘘ついてないかい?」
「今嘘ついてどうすんですか。ていうか、そんなはずないなら本来は何て書いてあるんです?」
ふぅ、とため息をつき、文江は急須をテーブルに置いた。
「あんたが今開いているページには、本来なら天照大神の呪言が書かれているはずなのさ。神和ぎに対する呪言が、ね」
「呪いの言葉ってわけか……って、それって大丈夫なんですか?すっげぇ危なそうなんですけど」
「特に問題はないはずだよ。今までこれを見ておかしくなった人間はいないからねぇ……。それにしても、本当に呪言は書かれていないのかい?あたしには見えるんだがねぇ」
「書かれてないですよ。ていうか、これが呪言じゃないんですか?君死にたもうことなかれ……って、ちょっと呪いっぽいんですけど」
「それは呪言じゃないさね。あなたは死なないでくださいっていう意味さ。こいつは本来、女が愛する男のために送る言葉なんだけどねぇ……」
それはつまり、神様は自分の事が好きだという事なのだろうか?
いや、それはないだろう、と思い守哉は首を振った。いくらなんでもそれはない。確かにこの文章が自分にしか見えない以上、文江の言葉を信じるならばその可能性はあるかもしれないが、向こうは神様でこっちは人間である。自意識過剰にもほどがあるではないか。
「まぁいいさね。とにかく、本題はここからだからね、気を抜くんじゃないよ。それじゃ、次のページをめくってみな」
こくりとうなずき、ページに手をかける。
そして、ページをめくろうとしたところで―――どたばたと、慌しく誰かが客間に駆け込んできた。
「ちょっちょっちょ……ちょっと!守哉!何であんたがここにいんのよ!?」
目を大きく見開いて、驚いたようにこちらを見つめる七美に守哉は、
「えっと……お邪魔してます」
どうして七美が、と疑問に思いつつも、何となくそう答えたのだった。
☆ ☆ ☆
何故七美がここにいるのかというと、ここ―――二橋豆腐店が、七美のアルバイト先であるから、らしい。
そして、守哉の靴が置いてあるのを見て、守哉が来ている事を知り、急いで客間までやってきた……との事。
付け加えれば、七美が帰ってきたせいで、文江は夕飯の準備をするために台所へ行ってしまった。当然、旧神奈備島古事録に関しては後回し。というか、気づいたら逢う魔ヶ時前だった。天津罪の掟とかいう島の規則により、逢う魔ヶ時になったら外出してはいけなくなってしまうのだ。神和ぎである守哉には関係のない話だったのだが、何故か七美が帰してくれなかった。あと七妃も離れてくれなかった。
……お泊り確定である。
「ていうかあんた、何で今日学校来なかったのよ。心配したでしょ」
七美は、鞄からノートと教科書を取り出しながら言った。今から宿題をするつもりらしい。
「あれ、七瀬から聞いてない?七瀬には休むって言っといたんだけど」
「聞いてないわよ!ていうか、何で七瀬には言って私には言わないわけ!?」
「何で怒るんだよ……。別にいいだろ、七美は俺の保護者じゃないんだから」
「七瀬だってあんたの保護者じゃないでしょうが!とにかく、次から学校休む時はちゃんと私にも言ってよね!」
ぷんぷんと怒りながらテーブルの上にノートを広げる七美。
何で七美が怒るのかはよくわからないが、とりあえず守哉は恐る恐る近寄ってきた七妃を抱き上げて、自分のひざの上にちょこんと乗せた。
途端に、七美の不機嫌は加速する。
「……仲良さそうね。いつの間に七妃とそんなに仲良くなったわけ?」
「いつの間に、といわれれば、ついさっきとしか答えようがねぇな」
「それで、自分のひざの上に乗せるわけ?ちょっと密着しすぎじゃない?」
「だって、凄く乗せてほしそうな顔してたから」
「そんなの嘘よ。七妃、そんな顔してないもんね?」
その問いかけに七妃は答えなかった。
代わりに、もぞもぞと守哉のひざの上で丸くなり、守哉の身体に自分の身体を傾けて目を細めた。
どことなく、幸せそうである。
それに対し、七美は顔を引きつらせながら言った。
「七妃、離れなさい。本当は嫌なんでしょ?」
「…………やだ」
「離れなさい」
「…………や~だ。かみかみ、やしゃしーの。きれーで、やしゃしーの」
意訳すると、守哉は優しい、綺麗で優しい、と言っているのだろう。くすぐったい気分になり、守哉はぽりぽりと頬をかいた。
が、何気にそれどころではなかったりする。
「あんた、七妃に何したの」
「何って……特に何も」
「何もしてないならこの子がこんなにあんたに懐くわけないでしょーが!言いなさい、この子に何したの!?」
「だから何もしてないって!あ、いや……そういえば、七妃が頭ぶつけた時に、治癒の言魂を使って痛みを和らげてやったかな」
それだ、と言わんばかりに七美は指を守哉に向かって突きつけた。
「あ、あんた……あんたって、本当に女たらしなのね……!」
「何で!?どこをどうすればそういう結論になるんだ!」
「うるさいうるさいうるさーい!七瀬や優衣子さんだけでは飽き足らず、七妃まで……!どんだけライバル増やせば気が済むのよ!?あんたは優しすぎなのよ!」
「優しい事はいけない事なのか……!?」
「あんたは優しくする相手を選ばなきゃいけない人種なのよ!あんたはそれを自覚してないの!」
「どういう人種だ!ていうか俺、こんな責められるほどいけない事したか!?」
「あんたの優しさは犯罪なのよ!ていうか、あんたの顔が犯罪なのよ!あんたの顔が綺麗すぎて女の子の立場がないのよっ!!」
「知るか!もうわけわかんねぇよ!」
「いい加減、自覚しなさいよ!事前情報なしであんたに優しくされたら、思春期の女の子なら誰だって一目で―――」
そこで、突然客間の扉が開いた。
またかよ、と思いながら守哉が振り向くと、そこには険しい表情をした少女がいた。
「お姉ちゃん、うるさい!ちょっと静かにしてよ!」
またもや、七瀬に似ている少女だ―――いや、どちらかといえば、七美の方が雰囲気的に近い。
濃い水色のポニーテールで、七瀬や七妃よりも強気そうな顔立ちだ。美少女には変わりないが、ボーイッシュなスタイルの少女だった。
なおも七美に文句を言おうとした少女は、そこで初めて守哉に気づいたのか、こちらに目線を向けた。
途端に、ぽかん、と口を開き、少女はしばし硬直した。
「ちょっと七緒、静かにしてよね。今大事な話の最中なんだから!」
そうは思えないけどな~、ていうか宿題しろよな~……などと守哉が心の中でぼやいていると、ようやく少女は口を開いた。
「…………キレイ…………」
何だろう。嫌な予感がする。
本能的にそう感じ取った守哉は、恐る恐る七美の様子を伺った。
……案の定、七美の表情は硬直していた。
「えっと……俺、未鏡守哉。君は?」
気を紛らわすためにそう言った守哉に対し、少女は驚いたように目を大きく見開いた。
「えっ……もしかして、あなたが百代目神和ぎの……!?」
「そうだけど……君は?名前、教えてくれよ」
「あ!ご、ごめんなさい……ええと、私、神代七緒っていいます。中等部一年生です」
中学生という事は、七瀬の妹さんだろうか。
そう考えていると、ふとある事に守哉は気づいた。
(あれ……そういえば、七瀬って何年生なんだ?結構大人びてるし、もしかして高等部の生徒だったりするのか?)
その辺はまったく聞いていなかった。女性に年齢を聞くのは失礼だと思っていたし、何より気にする事がなかったのだ。
「もしかして、七瀬の妹さん?」
「はい。七瀬お姉ちゃんは私の一つ上の姉です」
「一つって……え!?七瀬って中学2年生なのか!?」
「?そうですけど……え?七瀬お姉ちゃんの事、知ってるんですよね?今まで知らなかったんですか?」
知らなかった、と守哉は辛うじて答えた。
まさか、中学2年生だったとは。年下だとはわかっていたが、それにしても中学生にしては発育がいいような気が……いや、最近の中学生はあのくらいが普通なのだろうか?それにしたってあれは柔らかすぎるだろ―――
守哉がかなり邪な考えに囚われていると、不意に突き刺すような視線が横から飛んできた。
「……あんた……今、七瀬でエッチな事考えてなかったでしょうね……」
「何でわかるんだ……ていうか、考えただけで怒るのか!?」
「うっさい!あんたみたいな大人、修正してやるっ!」
飛び火を恐れてか、守哉から離れる七妃。瞬間、ブチ切れた七美が襲い掛かってきた。
わけがわからずしばらく事態を傍観していた七緒だったが、いい感じに守哉が泡を吹き始めているのを見て、慌てて七美を止めに入った。
意識がなくなる寸前、後で優衣子に連絡しとこう、と思う守哉であった。




