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かみかみ  作者: 明日駆
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第81話 “豆腐屋にて”

 視線を感じる。


 とても冷たい視線だ―――とてもではないが、人に向けるような視線ではない。少なくとも、僅かでも他人を思いやる心を持っているのならば、こんな視線を向ける事などしないだろう。それほどまでに、その視線は凍てついていた。


「777番……まさか、この拠り代を実験台に使う事になるとはね」


 視線の主は女性だった。目が見えない以上、声で女性だと判断したのだが―――恐らく、女性で間違いないだろう。


「随分、器の輪廻も安定してきたし……まだ少し、心の輪廻がぶれてるみたいだけど、そこは時間の問題ってところかしら」


 ああ、目が見えてきた……何故、今になってかはわからないけれど。

 でも、喜ばしい事だ。一度破壊された輪廻が、再生している証拠なのだから。


「ふふふ……あんたも不運よね。ま、恨むならあんたを差し出したおばあちゃんを恨む事ね。それにね、あんたが悪いのよ?あんたが、神代の家に生まれてくるからこういう目に遭うのよ」


 なんだか、理不尽な事を言われている気がする。でも、今は気にしない。それどころではないからだ。

 視界がはっきりとしてきた。身体がふわふわしてる……重い荷物を降ろした時の、あの安心感に似ている。


「ん?……チッ、面倒な事になったわね。心の輪廻が離れかけてる……まずいわ、このままじゃ荒霊化する……!」


 身体が軽い。今なら、どこへでも行けそうな気がする。

 そうだ、どこへでも行けるというのなら、あの人に会いに行こう。おじいちゃんがご褒美にくれるって言ってた、あの人のところに。ええと、名前は何だったかな―――


 瞬間。少女の精神は、その器から解き放たれた。



  ☆ ☆ ☆



「ここか……」


 そう呟いた守哉の視線の先には、二橋豆腐店と書かれた、小さな二階建てのお店があった。

 初めて見る豆腐屋の店先には、何一つ並べられていない―――店内もだ。それらしい道具も置いておらず、豆腐などどこにも見当たらない。本当に豆腐屋か、ここ。


「いらっしゃい、お客さん」


 ふと、店の奥から声が投げかけられた。見ると、店内―――というか、店の居住部分に繋がる縁側に、一人のばあさんが腰掛けている。

 極端に細い目をしたその老婆は、ずっと微笑んでいるようにしか見えない。三つ編みにした白髪を右肩に垂らし、時折その先端を指で弄くっていた。

 守哉は店内に足を踏み入れると、店の中を見回しながら言った。


「ええっと……ここ、豆腐屋だよな……じゃない、ですよね?なんか、豆腐が見当たらないんですけど」

「ああ……うちはオーダーメイドなのさぁ。注文を受けて、後からお家に届けているんだよ。知らなかったのかい?」

「そうだったんですか……。それで、あなたが二橋文江さん?」

「そうだよ。そういうあんたは……百代目神和ぎの……何君だっけ?」

「未鏡守哉です」

「そうそう、未鏡守哉ちゃん。それで、守哉ちゃんはどんな豆腐をご所望なんだい?」

「あ、いや……俺は豆腐を買いに来たわけじゃなくて」

「冷やかしならお断りだよ」

「いえ、違います。えっと……何て言ったらいいのかな」


 優衣子にはああ言ったが、何を聞くのかまったく考えていなかった。何というか、自分が知りたい事がいまいちはっきりしていないのである。

 そんな守哉を見て、文江は何かを察したのかゆっくりと立ち上がった。


「ついといで」

「え?」

「いいから。……前にもねぇ、来たんだよ。今のあんたと同じような困った顔した女の子が。どうせ、その子の紹介で来たんだろう?」


 それは、もしかして優衣子の事だろうか。

 優衣子も、かつて自分と同じように、この島の真実を知りたくてこのおばあさんを尋ねたのだろうか。


「あたしゃあんたらが外の人間だって事は別に気にはしないよ。ただね、あんたが暴力を振るうような人間なら、話は別だ。それでも今日あんたを招き入れるのは、あたしの孫があんたの話をよくするからさ」

「お孫さんが?」

「そうさ。だから、あたしの気が変わらない限り、あんたに話をするのは今日限りだよ。いいね」


 有無を言わさぬ口調。細い目の奥に言い知れない何かを感じた守哉は、無意識のうちに背筋を伸ばして答えた。


「はい」

「いい返事だよ。じゃ、あがっとくれ」


 守哉はお邪魔します、と呟いて奥へと消えた文江の後を追った。



  ☆ ☆ ☆



「ちょっとここで待ってておくれ。今、飲み物を持ってくるからね」


 そう言って、文江は守哉を客間に残して台所へ行ってしまった。

 一人残された守哉は、何気なく周囲を見回してみる。特に変わったところはない、普通の和風家屋だ。ただ一つ違和感があるとすれば、テレビがない事くらいか。まぁ、それで違和感を感じるのはこの島では守哉だけかもしれないが。


「……?」


 不意に、視線を感じた。

 不快なものではない―――だが、それだけに気になる。守哉を悪意のこもった視線で見つめない島民は、この島では極めて少ないのだ。

 視線の主を探して周囲を見回す。すぐに見つかった―――僅かに開いた扉の隙間、そこ小さな頭が見え隠れしている。


(女の子……)


 薄い水色のサイドポニーの女の子だ。大きな瞳を大きく見開いて、興味津々な様子でこちらを見つめている。

 どうやら守哉に気づかれた事には気づいていないようだ。小動物的で可愛らしいとは思うが、あんな小さな子も自分を嫌っているかと思うと、憂鬱になる。嫌われ者だという事は自覚しているし、諦めてはいるのだが……やはり、慣れきれないものである。


「おや、七妃(ななひ)……どうしたんだい?ああ、お客さんが気になるんだね?」


 文江が戻ってきたようだ。ちょうど女の子が隠れている扉から部屋に入ろうとしたのか、女の子と鉢合わせしたらしい。


「ほら、お顔を見せてあげないと、お客さんに失礼じゃないか。それに、おばあちゃんは今、両手が塞がっているんだ。扉を開けておくれよ」


 扉の隙間から見える少女の姿は、非情に慌てているように見える。しばらくおろおろした後、意を決したのかゆっくりと扉を開いた。

 

 第一印象は、七瀬に似ている―――といったところか。


「待たせたね。そうそう、この子は私の可愛い孫の一人だよ。ほら、自己紹介してごらん」


 文江に促され、少女は顔をうつむかせてしまったが、しばらくして蚊の鳴くような声で言った。


「…………神代七妃(くましろななひ)、10さい」


 途端、顔を真っ赤にして文江の後ろに隠れる七妃。随分引っ込み思案な女の子のようだ。

 守哉は優しく微笑みかけながら答えた。


「未鏡守哉、16歳だ。よろしくな」


 ぴく、と七妃の耳が動いた。目を見開いて、文江の影からこちらを覗いてくる―――と思ったら、すぐにまた隠れてしまった。

 やはり、この子も自分の事を嫌っているようだ。わかってはいた事だが、やはり傷つく。


「すまないねぇ、この子は引っ込み思案なんだ。許しとくれ」

「いえ、別に気にしてませんから。嫌われるのは慣れてるので」

「……あの子と同じ事を言うんだねぇ……。まぁいいさ。それで、何が知りたいんだい?」

「ええっと……」


 しまった。まったく考えていなかった。さっきその事に気づいたばかりだというのに、また忘れていた。

 守哉が慌てて質問を考えていると、文江は小さくため息をついた。


「何も考えていなかったんだねぇ……。そういうところもあの子そっくりさ。しょうがない、あの時とまったく同じだけど、あれを持ってくるとしますかねぇ」

「あれって?」

「あれはあれさ。ちょっと探してくるから、悪いけどまた待ってておくれ。そうそう、これ、勝手に飲んでいいからね」


 急須と湯のみの乗ったお盆をテーブルに置き、文江はまたどこかへ行ってしまった。七妃も文江についていこうとしたが、文江にここで待っているようにと言われ、途端に硬直してしまった。

 しばらくきょろきょろと隠れる場所を探した七妃は、よりにもよってテーブルの下に潜り込んだ。


「………。まあいいか」


 急須を手に取り、湯のみに中身を注ぐ。お茶にしては透明だな、などと思いながら、湯気を立てるそれを飲み干す。


「……ポカリじゃねぇか、これ……」


 なんで急須にポカリ入れてんだ。ていうか、温めるなよ、ポカリ。

 ……などと突っ込みを入れていると、不意にまた視線を感じた。今度は下から……具体的に言うと、テーブルの下から。


「えっと……何?」


 覗き込んで話しかけてみると、七妃は驚いて飛び上がった。案の定、テーブルに派手に頭をぶつけてしまう。

 痛そうに頭を抑えながらもそもそとテーブルから這い出た七妃に、守哉はそっと手を伸ばした。


「大丈夫か?少しじっとしてろ」


 怯えて身をすくませる七妃。守哉は優しく七妃の頭に手を乗せると、適当に言葉を呟いた。治癒の言魂が発動し、七妃の頭から痛みを取り除く。


「……っ!?」


 驚いて頭をさする七妃。ぽかん、とした顔で見つめてきたので、守哉は笑って答えた。


「凄いだろ?このくらい、朝飯前さ」


 守哉につられたのか、七妃もほんの少しだけ笑顔になった。


「…………あ、ありと」

「?ありと……ああ、ありがとうね。いえいえ、どう致しまして。次から気をつけろよ?」

「…………きぃ、つける。わたし、きぃ、つけるよ」


 何だか喋り方がおかしい。一種の個性だろうか……にしては、随分と違和感を感じる。


「不思議な喋り方するんだな。方言なのか?」

「…………ほう、げん?これ、するの、わたし……だけ」

「ふ~ん……変わってんのな」

「…………へ、へん?わたし……へん?」

「いや、そんな事ねぇよ。いい個性だ」


 よくわかっていないようだが、七妃はほんの少し嬉しそうにしているようだった。四つんばいになってちょこちょこと守哉に近づくと、正面に正座して見上げてくる。


「…………おなまえ、おしーて?」

「さっき言ったんだけど……まぁいいか。守哉。未鏡守哉」

「…………かみ、かみ。……かみかみ!」

「それ、あだ名か?いや、まぁ……別にいいけどさ」

「…………かみかみ、かお、きれー。おねーひゃんより、きれー」

「そりゃどうも。でも、七妃も綺麗な顔してるぜ?」

「…………ほんひょ?うそ、ちがう?」

「本当さ。きっと、数年後にはもっと綺麗になるよ。楽しみだな」


 照れているのか、顔をうつむかせてもじもじと自分のひざをくすぐる七妃。

 どうやら嫌われているわけではなさそうだ。本当に、ただ引っ込み思案なだけらしい。

 それがわかって、少しだけ守哉は安心した。


「待たせたねぇ~。いやぁ、ずいぶん奥に仕舞い込んでいたもんでさぁ……おや?いつの間に仲良くなったんだい?」


 どこからか戻ってきた文江は、守哉の前に座る七妃を見て言った。


「その子は、ちょいと事情を抱えていてねぇ……。おまけに引っ込み思案なせいで、まともに人と仲良くなる事なんて滅多にないんだよ」

「そうなんですか?可愛らしい、いい子だと思うけどな」

「……本当にそう思ってくれているのなら、あんたは優しい子なんだろうねぇ。それはともかく、持ってきてあげたよ。こいつをさ」


 テーブルの上に一冊の本を置き、文江は座布団を引っ張り出して座った。

 かなり古びた本である―――広げただけで千切れかねないほどだ。おまけにかなり分厚い。しかし、虫食いなどはないようだった。読もうと思えばまだ読めるレベルだろう。


「……これ、何?随分古い本みたいだけど……」

「こいつはね、二橋家に伝わるとっておきの本さ。昔、とある代の神和ぎから譲り受け、それ以来二橋家で代々受け継がれるようになった本……その名も」


 急須を手に取り、湯のみを使わずそのまま飲む文江。守哉は心の中で湯のみ使えよ、と突っ込みを入れた。


「その名も―――神奈備島古事録。正確に言えば……旧神奈備島古事録さ」


 不敵な笑みを浮かべ、急須を持ったまま文江はそう言った。

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