第75話 “目覚めよ纏う術”
顔面に向かって放たれた守哉の拳を、空貴は両手で受け止めた。
空貴は、衝撃を和らげるため、あえて踏ん張りはしなかった。そのまま数m後ろを滑っていく。
並んだ座席の背もたれを掴んで滑る身体を止めつつ、空貴は言った。
「……やるね。だが、君は僕の言った事を忘れているようだね」
「へえ。じゃあ、もう一度言ってくれるか?またすぐに忘れるけど」
「なら、忘れられなくしてあげるね。―――今の君がどう足掻こうと、僕には勝てない、とね!」
空貴の両手が交差する。その手には、いつの間にか知恵の輪が握られていた。
呪法だ―――と思った時には既に、守哉は動いている。大きく後ろに飛び退き、空貴から距離を取ろうとしている。
しかし、それは既に遅かった。空貴の呪法は、その瞬間には発動している。
「―――呪輪縛法!」
瞬間、守哉の足元に無数のリングが出現した。リングは、着地寸前だった守哉の身体を受け止めるかのように、その輪を広げていく。
輪に捕まってはいけない―――瞬間的にそう判断した守哉は、両足を広げた。足を両脇の座席の背もたれにかけ、その間に挟まるように守哉の身体が空中で停止する。
「いい判断だね―――しかし、甘い!」
空貴が笑い、リングが動く。リングは回転しながら飛翔し、守哉の身体を襲撃する。
「チッ……!」
その舌打ちは言魂となり、飛行するリングを砕く。同時に足首の動きだけで空貴に向かって突撃する。
右腕を振りかぶり、狙うは頭―――それを、空貴は仰け反ってかわす。
上下に交錯する二人の身体。守哉は左手で空貴の額を掴むと、空中で身体を一回転させた。
空貴に背中を見せる形で着地、と同時に空貴も体勢を立て直している。
『ふっ―――!』
軽く息を吐き、二人は互いに裏拳を放つ。と同時に、互いの拳を受け止めている。
しゃがみ、足払いをかける―――空貴は飛んでかわし、更に空中で身を捻り守哉の頭目掛けて蹴りを放つ。
「ぐっ……!」
避けきれず、空貴のかかとがこめかみに直撃する。重い衝撃が頭を揺らし、守哉の動きが一瞬鈍る。
その間に着地した空貴は、立ち上がろうとする守哉の首を掴み、引き寄せながら腹に連続で拳を叩き込んだ。守哉が何かしようとする前に守哉を蹴り飛ばし、更に追い討ちをかけようと飛びかかってくる。
両脇の背もたれを掴み、繰り出された空貴の拳を頭突きで受け止める。その勢いで体勢を立て直しつつ、空貴の拳を、蹴りを―――放たれる暴力を、全てさばき、受け止める。
「やるじゃないか、未鏡君!これだけ動けて、どうして今まで体育の授業をサボっていたんだね!?」
「とぼけんな、てめぇらが余計なモンを俺の足に仕掛けたからだろうが!」
空貴の連撃をさばきつつ、守哉は答える。答えは同時に言魂でもあり、少しずつ守哉の身体能力を上げていく。
「アンテナの事かね!ククク、僕の左肩にも埋め込まれているんだよね!そして、これからもう一度君にも埋め込んであげるよ!次は―――頭の中にでも埋め込んでやろうか!」
空貴の拳と蹴りは、少しずつ重くなっている。放たれる速度も上がっている―――見ると、その両腕には無数の不可思議な紋様が浮かび上がっている。恐らく、この空貴の体術は呪法によるものなのだろう。
攻撃に対応すべく、守哉の身体能力も上がる。ただし、こちらは言魂によるものだ。呪法で自動的に攻撃を仕掛けている空貴に比べれば、イメージする必要がある分どうしても劣ってしまう。
このままでは、さばききれなくなる。そう考えた守哉は、勝負に出た。
「そんなもん願い下げだぁっ!!」
両足に力を込め、一気に接近する。容赦なく襲い掛かってくる拳をかいくぐり、守哉は空貴の懐に潜り込み、みぞおちに強烈なひじうちをかます。
怯む空貴。しかし、空貴の身体は呪法によって極限まで鍛え上げられている。その程度では止められない。
空貴の膝蹴りが守哉の腹を打つ。更に拳が襲い掛かってくる―――その前に、守哉の肘うちを放った手は空貴のわき腹を掴んでいた。
雷撃が体内を侵食するイメージ。
「―――雷附言!!」
手の平から雷撃がほとばしり、空貴の体内を駆け巡る。70万ボルト近い電圧が空貴を襲い、その身体が幾度か跳ねた―――が、それだけだ。意識を奪うまでには至らない。
空貴は咄嗟に守哉を蹴り飛ばした。受身を取り、すぐに立ち上がる。
「く……くくく、何をするかと思えばね……。多少は効いたが、縛名を使ってこの程度では君も大した事ないねぇ?」
「そいつはどうかな。こいつが直撃した時点で、あんたは既に負けてるぜ」
「よくそんな事が言えるね!縛名が効かなかったからといって負け惜しみかね?みっともないよね、未鏡君」
「みっともないのはあんたの方だぜ、赤砂御先生」
「もういいよ、強がらなくてもね。これでわかっただろう、君は僕には勝てないとね。じゃあ、そろそろ終わりにしてあげるよ。僕の最大の近接呪法で―――!」
空貴が再び両手を交差させる。今度はその手には何も握られていない―――しかし、代わりに両手が赤く光輝いている。
空貴の身体から熱がほとばしる。高温化した車内の空気は、次第に二人の視界を歪ませるほどまでに熱く、熱せられていく。
「さぁ、準備はいいかね未鏡君!くらえ―――近接呪法、しょうらっ……」
台詞の途中で、空貴の体内に再び雷撃が駆け巡った。
今度は先ほどの倍近い電圧だ。たとえ呪法で身体が強化されていたとしても、これにはさすがに耐え切れなかった。
「ば……か、な……」
膝をつき、崩れ落ちる空貴。
意識を失って倒れた空貴を見下ろして、守哉は呟いた。
「何が呪法のエキスパートだよ。七瀬はもっと強かったぜ」
わりとあっけないヤツだったな、などと思いつつ、空貴の頭をげしげしと蹴る。どうやらしばらくは目を覚ましそうにないようだ。
邪魔者は排除した。後はこのバスを何とかするだけだ。
そう思い、下の階に降りようとすると、
「待て、百代目」
不意に、後ろから声をかけられた。
唐突に現れた異質な存在。その正体を何となく予想しつつ、守哉は振り返った。
「なんだよ、神様。俺、今忙しいんだけど」
「そうつれない事を言うなよ。別に邪魔しに来たわけではないさ、むしろ助けに来てやったのだよ、私は」
「別に助けなんていらねぇよ。後は帰るだけなんだから……つか、もっと早く助けに来いよ。おせぇんだよ」
「ふふん、私は百代目が勝つと信じていたのでね。それに私は、現世に力で直接干渉する事ができないのだよ。助けに来たというのは、別の用件でだ。まぁ、正確にはお前を助けに来たわけではなく、お前に助けに来てほしいから呼びに来た、といったところかな」
「助けてほしいって、誰が?」
「無論、私だ。あと、その他もろもろ。……ああ、それとな、百代目。お前はこのバスで帰ろうとしているようだが、このバスでは到底間に合わんぞ?」
「間に合わない?何にだ?」
「おや、気がついていなかったのか?今はもう逢う魔ヶ時だぞ」
「なんだって!?」
周囲を見回し、天井の壁に備え付けられたデジタル時計を見つける。そこには、18時42分と表示されていた。
「どうりで身体強化の言魂の効力が切れてないわけだ……」
「おいおい、悠長にしていていいのか?忘れていないだろうな、今神奈備島には―――」
「そうか、昨日の神さびがいる!」
こうしてはいられない。急いで神奈備島に戻らなければ、逢う魔ヶ時が過ぎてしまう。
一瞬、トヨが倒してくれているかも、と考えるが、ここに神様が助けに来たと言っている以上、その可能性はないだろう。
「くそっ!おい、ここはかささぎ橋のどの辺なんだ!?走って帰ったらどの位時間がかかる!?」
「今は真ん中辺りかな。今のお前では、どうやっても神奈備島にたどり着く前に逢う魔ヶ時は過ぎる。走って帰るのは諦めるのだな」
「こんなところで諦めてたまるか!こんなところで止まってちゃ、俺のために消えたあいつらに顔向けできねぇんだよ!」
言いつつ、後ろの座席まで走る。窓ガラスを叩き割って一気に飛び降りようとする守哉を、神様は腰を掴んで止めた。
「だから待てと言っているだろう!まったく、急ぎすぎだぞ。これでは私が来た意味がない」
「放せ!俺は行かなきゃなんねぇんだよ!」
「だからさぁ、走って行くのは無理だって言ってるじゃないか」
「だったらこのバスを使うまでだ!」
「このバスはあんまりスピード出ないのだよ。言魂を発動すれば君の方が速いくらいだ」
「ならどうすりゃいいんだよ!?このままじゃどうやっても間に合わねぇよ!」
「落ち着け、そのために私が来たのだ。……百代目よ、心して聞け。これは、本来ノルマを半分以上達成した神和ぎにだけ与えられる力だ。お前はその条件を満たしていないが、今回は緊急事態なのだ」
「何を言って……」
「そう、緊急事態だから仕方がないのだ。決して、決してお前が好きだから特別に与えるわけじゃないのだ。そんな理由で与えては、他の神和ぎに示しがつかないからな。いいか、別にお前が好きだから与えるわけじゃないんだからね!そこんとこ、勘違いするなよ!」
神様の手が、守哉の手と重なる。守哉の左手と、神様の右手が。
瞬間、合わせた手と手の間から凄まじい光が溢れ出た。溢れ出る光は奔流となり、守哉の周囲を包み込んでいく。
左手の歪な星型の火傷が―――聖痕が、熱い。まるで燃えているかのように、熱く光り輝いている。
「これは……!?」
「戸惑うな―――これは最初だけだ。百代目よ、臆せず呼ぶのだ!その名を―――お前の半身の名を!」
最早、神様の声は聞こえていなかった―――それほどまでに、守哉の聖痕と、そして心は、熱く煮えたぎっている。
ドクン、ドクンと鼓動が波打つ。新たなる力の鼓動が聞こえる―――!
「―――来い、駆雀!!!」
守哉の声に呼応して、光の奔流は形を成す。
瞬間、バスの車内は光に染まった。