第69話 “激戦の果て”
七美が神さびに取り込まれた。
目前の神さびを睨みつけ、守哉は歯噛みした。油断しきっていた自分と、元凶である神さびへの怒りが急激に膨れ上がってくる。
「七美を返せっ!!」
叫びは言魂となり、怒りは破壊の嵐と化す。守哉が発動した言魂は、爆炎と化して神さびへと襲い掛かる。しかし神さびは、炎に包み込まれながらも力強く飛翔した。羽ばたきが起こす暴風に吹き飛ばされそうになるが、何とか踏みとどまる。
「……おねえちゃん、おねえちゃんっ!!かみや、おねえちゃんが……!」
七瀬の悲痛な叫びが耳に痛い。そうだ、今神さびは七美を取り込んでいるのだ。下手に攻撃しては、中にいる七美にどんな影響が出るかわからない。うかつに攻撃してしまった自分の浅はかな行動を恥じつつも、守哉は作戦の練り直しをするためにトヨの方を見た。
そんな守哉の目の前で、トヨは勢いよく魔刃剣を振った。強烈な雷撃が上空へ逃げようとする神さびへ命中し、その身体が一瞬揺れる。
思わず守哉はトヨに掴みかかった。
「おい、何考えてるんだ!七美が取り込まれたんだぞ!?」
「だからなんじゃ。わしはわしのできる事をやるだけじゃ」
「ふざけんな!下手に攻撃して、敵が七美に危害を加えたらどうする気だ!」
「たわけ、落ち着かんか!やつの腹をよく見るんじゃ!」
トヨは神さびの腹部を指差して言った。見ると、神さびの腹部に満ちているゼリー状の物体の中に七美の姿があった。生死はわからないが、目をつむって安らかな顔をしている。
「い、生きてるのか……!?」
「わからん。じゃが、神さびに取り込まれている以上、危険な状態である事は確かじゃ。一刻も早く神さびから引っ張り出さんといかんじゃろう」
「どうすればいいんだ!?あいつ、空飛んでるんだぞ!?」
「わかっておる。じゃが、以前の神さびほど高くは飛べぬようじゃ。……対応を急がねばならん以上、不本意ではあるが、また呼ぶしかあるまいて」
そう言うと、トヨは魔刃剣を地面に突き刺した。同時に、トヨの周囲に不可思議な紋様が現れる。
「来たれィ、青龍!」
トヨの叫びに呼応して、紋様が強い輝きを放つ。輝きは巨大な龍の形を形成し、守哉達の目前に顕現した。
ゆっくりと目を開いた龍は、守哉を見るといきなり興奮し出した。
「おぉう、あなたは我が運命の人!ああ、再び会えるこの時をどれだけ待ち望んでいた事か……!私は世界一の幸せ者です!」
「そ、そうか……それはよかったな」
守哉は若干引きながら答えた。
トヨが呼び出したこの龍―――青龍は、トヨの精霊術なのである。優衣子の話が正しければ、属性は土。そして面倒な事に、守哉を女性と勘違いしているのであった。
なおも守哉を口説こうとする青龍。七瀬がブチ切れる前に、トヨは青龍の背へ無造作にまたがった。
「青龍、余計な話をしている暇はないんじゃ。今すぐ神さびを追え」
「なんだ、ずいぶん急いでいるようだな。女の子を口説く時間もないとは」
「これ以上無駄口を叩く暇もないぞい。七美が神さびに捕まっとるんじゃ」
「その子って、確か七瀬ちゃんのお姉さんだろ?遂にご対面できる日がくるとは、今日の俺はついてるな」
「いいから早く飛ばんか!急いでおると何度言えばわかるんじゃ!」
「わかったわかった。ま、お姫様を助けるのはいつだってナイトの仕事だからな!」
慌てて青龍の背に乗る守哉と七瀬。瞬間、青龍の身体が重力に逆らって飛び上がる。
「待ってろぉ七美ちゃん!この青龍様が今助けに行くからね~!」
間抜けな青龍の掛け声と共に、その身体は一気に加速する。
神さびは日諸木学園を目指して飛行していた。以前戦った神さびと違い、その速度は大して速くない。
「青龍、羽を狙うんじゃ。飛行能力を奪えば七美の救出も多少は楽になるはずじゃ」
「わかった。やってみよう」
爪を構え、青龍は神さびへと肉薄する。
羽を切り裂く寸前、神さびは身体を反転させた。七美を孕んだ腹部を切り裂きそうになり、青龍は慌てて身を捻る。
「七美を盾にするつもりか!じゃが、その程度で止まるわしらではないぞ!」
再度神さびへ接近する青龍。しかし、神さびは青龍へ腹部を突き出すように身体を動かしてくる。
「ならばっ!」
神さびの目前で停止した青龍は、神さびに向かって吼えた。
衝撃波を伴う咆哮が神さびの身体を吹き飛ばす。その先には―――民家が立ち並んでいる!
「おい、ババアっ!」
「騒ぐでない、よく見んか!」
瞬間、民家の屋根に神さびの巨体が直撃した。凄まじい音が周囲に響き、神さびのうめき声が木霊する。
しかし、神さびの下敷きになった民家には傷一つなかった。
「どういう事だ……!?」
「この程度の事態は想定済みという事じゃ。神奈備島の家屋は、一部を除いて逢う魔ヶ時の間だけは守護結界という呪法によって守られておる。多少の事ではビクともせんわい」
「それを先に言えよ!びびったじゃねぇか!」
「お主の事なぞ知るか。そんな事より、目の前の敵に集中せい」
眼下でうごめく神さびは、すぐに体勢を立て直して飛行した。神さびの起こす暴風で下敷きになった民家が揺れる。
「まだ飛べるようじゃな。お主達も早く攻撃せんか!」
「……で、でも、お姉ちゃんが……」
「ためらうくらいなら付いてくるでない!何のための呪法か!」
トヨの叱責を受け、七瀬はバッグから鉛筆を取り出した。しかし、七美が神さびの中にいるためか、どうしても攻撃はできないでいる。
守哉は歯噛みした。こんな時、魔刃剣があれば破邪の刃で動きを止められるのに―――
「―――そうだ!ババア、破邪の刃を使えば動きを止められるぜ!」
破邪の刃は、あらゆる不浄を浄化する魔刃剣の特殊能力だ。その力を使えば、神さびの動きを大きく阻害する事ができる。
しかしトヨは、守哉の提案に首を左右に振った。
「無理じゃな。わしは破邪の刃を使えんからのう」
「なっ……なんでだよ?神和ぎもどきになると使えなくなるのか?」
「ふん。いちいちお主に教える気なぞない。それより、攻撃せんのならお主らは邪魔じゃ!青龍、振り落とせ!」
守哉はぎょっとして身構えたが、青龍はトヨの命令に反して高度を下げてくれた。民家の屋根の上に七瀬と共に降りると、青龍はすぐに飛び上がった。
「すまないね、お嬢さん方。頑固な婆さんの命令だから仕方がないんだ」
「無駄口を叩く暇なぞないぞ、青龍!龍岩砲の準備じゃ!」
青龍は上空でとぐろを巻いた。途端にその身体が青白く発光し始める。
大呪法・龍岩砲は、巨大な岩石を弾丸として発射する極めて強力な呪法だ。直撃すれば、神さびの中にいる七美も無事ではすまないだろう。
「あのババア、何考えてんだ!?七美を殺す気か!」
「……だいじょうぶ、きっとおばあちゃんは何か考えがあるんだよ。それより、わたしたちは先に学校へ行こう。螺旋煉獄の準備をしなきゃ」
七瀬はトヨを信じているのだろう。いくら悪人のような思考回路を持つ婆さんだとしても、島の住人をそう見捨てるような事はしないはずだ。
守哉は若干不安になりながらも、トヨを信じる事にした。龍岩砲の威力はトヨが一番よく知っているはず。決して、七美ごと神さびを倒そうとはしないだろう。
「今はババアを信じるしかない……か」
呟き、守哉は七瀬と共に民家の屋根から飛び降りた。身体強化の言魂を重ねがけし、全速力で日諸木学園へと向かう。
空を見上げると、青龍は神さびの攻撃をかわしながら神力をチャージしているようだった。巧みに位置を調整する青龍は、少しずつ日諸木学園へと神さびを誘導している。
(龍岩砲で一気に羽を吹き飛ばすつもりなのか?でも、七美が取り込まれたままだから螺旋煉獄は発動できない……一体どうするつもりなんだ、あのババアは)
トヨの考えが読めない。最悪の事態を想定しつつ、守哉と七瀬は中央坂を駆け上る。
身体能力が大幅に向上しているため、日諸木学園にはすぐに到着した。
「七瀬、俺はどうすればいい?」
「……並べた鳥居の真ん中に行って。呪法の起動は鳥居を倒すだけですむから、後はいつもわたしがしてるみたいにすればいい」
「わかった」
うなずき、円状に並べられた鳥居の真ん中まで移動し、並べられた鳥居を倒した。倒れた鳥居は次の鳥居を倒し、それは連鎖的に続いていく。要するにドミノ倒しだ。
全ての鳥居が倒れると、倒れた鳥居が発光し始めた。呪法の起動が完了したのだろう。後は螺旋煉獄と叫ぶだけ。
瞬間、凄まじい爆音が耳を打った。青龍が龍岩砲を撃ったのだ。
凄まじい速度で放たれた弾丸は、神さびが腹部の七美を盾にするよりも早く右の羽を貫いていた。片方の羽を失った神さびは、バランスを崩しふらふらと飛びながらグラウンドへ落ちてくる。
今なら螺旋煉獄が当たる。しかし、まだ七美がいる。このままでは七美ごと―――
「今じゃ、大呪法を放て!」
守哉が逡巡していると、焦れたトヨが大声で急かしてきた。
「ふざけんな!このままじゃ七美が―――」
「七美は螺旋煉獄の最中に青龍が助け出す!大呪法の炎でも青龍ならば耐えられるはずじゃ!」
青龍はかなり嫌そうな顔をしていたが、トヨの言う事ならば従うはずだ。トヨも巻き添えを恐れてか、青龍の背から飛び降りている。
「……かみや……!」
七瀬の不安そうな声が聞こえる。しかし、守哉を止めようとする気配はない―――どうやら守哉に全てを任せたようだ。
今はトヨと青龍を信じるしかない。守哉は覚悟を決めた。
「―――螺旋煉獄!」
守哉の叫びに呼応して、螺旋煉獄が発動した。大量に並べられた鳥居から大量の炎が噴出し、斜め上から落ちてきた神さびの身体を燃やしつくさんと燃え上がる。
「くっ……」
炎の中心にいる守哉を避けながら炎は噴出しているが、それでも凄まじい量の熱量が発生している。高温の炎に大量の汗をかきながらも、守哉は呪法に神力を送り続けた。
燃える神さびのうめき声が響く。神さびは炎から逃げようとしてグラウンドに落下するが、一度螺旋煉獄の対象となれば、その炎から逃れる事はできない。炎は正確に神さびの身体へと降り注いでいる。片方の羽を失った神さびは空へ逃げる事もできない。
「今じゃ、青龍!」
「ああ、わかってる!気は進まないが……!」
青龍が神さびの腹部へと突進する。爪を構え、腹部のゼリー状の物体を狙う。
それを悟ったのか、神さびは身体をダンゴムシのように丸めて転がった。七美のいる腹部が隠れてしまい、このままでは七美を救出できない。
青龍は炎の中で必死に神さびの身体を開こうとするが、うまくいかない。神さびの力が予想以上に強いのだ。
「何をしておる青龍!早くせんか!」
「そんな事を言われても、こいつの外殻が堅すぎて……!」
青龍がもたついていると、神さびは器用に足を動かして守哉の方へ転がった。それに気づいた青龍は慌てて神さびを押さえつけようとするが、間に合わない。
炎に包まれた神さびが守哉に接近する。しかし、今逃げようとすれば螺旋煉獄を切らなければならなくなる。神さびを倒すなら逃げるわけにはいかない。だが、逃げなければ神さびに押し潰される。自分が死ねば神さび化してしまう……!
「……かみや!敵の狙いはあなたじゃない!」
七瀬の焦り声に、守哉も神さびの意図に気づいた。神さびは守哉の目前で方向転換している。大呪法の仕掛けである鳥居を破壊するつもりだ!
「お嬢さん、逃げろ!もう螺旋煉獄は持たないぞ!」
神さびは守哉の周囲を転がりまわり、配置してあった鳥居を押し潰している。鳥居が潰される度に炎は弱まっていき、気づいたら守哉の足元にしか鳥居は残されていなかった。
「くそっ!」
仕方なく守哉はその場から飛び退いた。途端に神力の注入が途絶え、螺旋煉獄が停止する。瞬間、一瞬前までいた場所を神さびが押し潰した。
もう自分が神さびを倒す手段はなくなった。後は全てトヨに任せるしかない。
「何をしておる、たわけが!こうなれば仕方がない、後は全てわしがやる!」
青龍を消し、トヨは魔刃剣を抜いた。長刀状の魔刃剣―――紫電を振り回し、神さびに向かって雷撃を放つ。
しかし、神さびの動きは素早い。地面を転がりながらトヨの雷撃を避けている。
「面倒な……!ならば、これでどうじゃ!」
トヨは頭上で魔刃剣を振り回すと、神さびの周囲に大量の雷撃を放った。さすがにこれは避けきれなかったのか、神さびの身体が地面に倒れる。
それを見計らい、七瀬はバッグから鎖を取り出し、地面に円を描きながら置いた。
「……蛇連縛法!」
地面から巨大な鎖が伸び出て神さびを襲う。しかし、神さびはそれを大きく跳ねてかわした。
「……それじゃよけたうちには入らない……!」
七瀬が呪法に神力を注ぎ、鎖が伸びて神さびの足に絡みついた。地面に縛り付けられた神さびだが、縛られた足を切り離してすぐに開放される。
守哉も言魂で攻撃するが、神さびの動きは素早くなかなか当たらない。飛行中とは大違いだ。
神さびもやられてばかりではない。地面を凄まじい速度で転がりながら守哉達に襲い掛かってくる。
「ふん、そんな直線的な動きではのうっ!」
トヨがその場を飛び退く。その瞬間、神さびが跳ねた。走っていた方向に対して直角に跳ねた神さびは、そのままトヨを押し潰そうとしている。トヨは回避直後で体勢を崩している。避けられない!
「危ねぇっ!」
叫び、守哉は跳躍した。ぎりぎりでトヨの身体を突き飛ばし、自身も神さびの真下から抜け出そうとする。
しかし、抜け出る瞬間に神さびの足が守哉の右足に絡みついた。そのまま守哉の身体を引っ張った神さびは、身体の下に守哉を引きずり込もうとする。
一瞬の判断。守哉は左足の脚力を強化して神さびの身体を蹴り飛ばすが、神さびは守哉の右足を手放さない。
次の瞬間、守哉の右足は神さびの下敷きになった。
「―――っぐああああぁぁぁぁあああぁあっっ!!!!!!」
激痛が守哉の右足を襲う。見ると、右足のひざから下が完全に押し潰されていた。
更に守哉の上へ倒れこもうとする神さびを、トヨの雷撃が弾いた。動けない守哉に慌てて七瀬が駆け寄ってくる。
「……かみやぁ!!だいじょうぶ!?」
「うっ……ぐ……あ、足がっ……!」
七瀬は守哉の右足を見て戦慄した。神さびに押し潰されたひざから下が、見るも無残な事になってしまっている。
「たわけめ、その程度でうめくなど根性のない男よ。戦えんのなら引っ込んでおれ!」
トヨは魔刃剣を構えて神さびへと突進していった。自分が囮になるつもりなのだろうか。
泣きながらおろおろする七瀬をなだめつつ、守哉は潰れた右足に手を伸ばした。治癒の言魂が発動し、少しずつ右足を癒していく。
神さびの攻撃を避けながら、トヨは守哉の傍で泣く七瀬に向かって叫んだ。
「七瀬、何をしておる!神さびに攻撃せぬか!」
「……で、でも、かみやが!」
「小僧は放っておけ!それよりも七美を助け出すのが最優先じゃろうが!」
七瀬は守哉を放っておけないのか、すぐには動こうとしない。
「俺の事はいい……。早く行けよ」
「……で、でも……」
「死にはしねぇし、七美を助ける方が先だ。早く!」
守哉に促され、七瀬は唇を引き締めて涙を拭くと、駆け足でトヨの元へ向かった。
トヨの雷撃と七瀬の呪法が神さびに襲い掛かるが、神さびは倒れない。次第に疲労が二人に蓄積されていき、動きが鈍くなってくる。
(まずい……このままじゃやられる。俺も戦わなきゃ……)
激痛に耐えながら起き上がる。右足の治癒を中断し、言魂を発動しようとしたところで―――
不意に、全身の力が抜けた。
「なっ―――」
思わず目を見開いた。全身に行き渡っていた力が全て抜けていく。
それはトヨも同様のようだった。手にした魔刃剣が消えた事に驚き、地面に膝をついている。
まさか、と思い守哉は昇降口にかけられていた時計を見た。その文字盤は、時刻が午後7時になった事を指している。
「逢う魔ヶ時が……過ぎた……」
守哉は力なく呟くと、神さびの方を見た。神さびは動きを止めているが、その身体から大量の糸のようなものが噴出している。
呆然と見守る守哉達の目の前で、神さびの身体は自らが放出する糸に包まれていく。その身体が糸によって隠れされるのに大して時間はかからなかった。
グラウンドに形成された巨大な繭。逢う魔ヶ時の恩恵を失った守哉達に、為す術は無かった。