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かみかみ  作者: 明日駆
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第70話 “失ったもの”

 包囲結界により封じられた日諸木学園。その第一校舎の屋上に、一人の少女が佇んでいた。


 漆黒の髪をたなびかせ、眼下の繭を見下げるその影は、島民に神と呼ばれる異質な存在。

 天照大神だ。


「醜いな……実に醜い。この世のものとは思えない醜さだ」


 その言葉に答えるように繭がうごめく。

 しかし、それが内側から破られる事はない―――それが、天照大神にはわかっていた。

 視線を繭から離す。その先には、先ほど作られた血溜りがある。

 人の体内から流れ出た血。その中心に、一本の足が沈んでいる。

 紛れもない、人の足。ぐちゃぐちゃに潰れた誰かの右足―――


「……っ」


 声が出なかった。それが何故かはわからない。自分自身の事がわからなくなったのは初めての事だった。

 不意に、その視線が足元に落ちる。そこに顕現した存在を目にし、胸を撫で下ろす。


「おや、君も見に来たのかい?あの子の残骸を」

「そういう言い方はやめろニャ。守哉は死んでいニャいんだからニャ」


 藤丸は一度天照大神を見上げ、次に神さびの繭を見下げ―――そして最後に、放置された守哉の右足を見た。

 目を細め、守哉の右足を注視する。その周囲には、小さな部品が幾つか転がっていた。右足に埋め込まれていた生体コンピュータ―――アンテナの部品だ。


「どうやら、守哉を縛っていた鎖は断たれたみたいだニャ」

「なんだ、気づいていたのか。意外だね……とても意外だ。不思議不可思議摩訶不思議だよ」

「続けて言うニャ、読み辛いだろニャ。ていうか、意外というのは心外だニャ」

「それはすまなかったね。だが、一応聞いておこう。どうして気づいたんだい?」

「俺が気づいたんじゃニャい、教えてもらったんだニャ。友達にニャ~」

「友達に、ねぇ……。その友達は、ずいぶん百代目に執着しているようだね?」

「まぁ否定はしニャいニャ。あいつの守哉への……ニャんというか、一途な気持ちは、最早執着心と言っても差し支えニャいからニャあ」

「一途な気持ち……ね」


 その言葉が心に重くのしかかったのは気のせいだろうか。

 一途。この島―――いや、この世界には、一途な人間が多すぎる。


「何故、気づかない……皆、そのひたむきさ故に傷つけ合っているという事に」

「それが人の愚かさであり、優しさニャんだニャ。いい加減気づいたらどうニャ?」


 自然、笑みが漏れた。そうだ、それは言われなくてもわかっていた事である。

 しかし、それでは終わらない事もわかっている。この島に課せられた運命を終わらせるには、誰かが諦めるしかないのだ。一途に想う、その相手を。

 そう、この島は壮大な片思いの果てに作られたものなのだ。心を知らぬ存在に恋した、ある男が作った島。


「お前もそんな顔ができるんだニャ」

「ああ……私とした事が、物思いにふけるとはね。まったく、油断ならないものだよ。今のは見なかった事にしてくれたまえ」

「別に構わニャいニャよ」

「ほう。素直じゃないか」

「ただし、条件があるけどニャ」

「ほほう……そうきたか。こういう取引は珍しいものだ……言ってみたまえ」

「俺の全てを賭けるニャ。だから、守哉を救ってくれニャ」


 目が合う。藤丸の瞳の奥には、強い意志が宿っている。対して、天照大神の瞳の奥には何もない―――今は。

 静寂が二つの存在を包む。しばらくして、天照大神は小さく笑った。


「いいだろう。人外のものと契約を交わすのは初めてだが……いずれその願い、しっかりと叶えてやろう。代償はお前の存在だ」

「恩に着るニャ」

「礼などいらん。むしろ、こちらから礼を言いたいくらいだよ。……どうしてかは、わからんがね」


 漆黒の空を見上げ、天照大神は答えた。


 その瞳の奥に、微かな優しさを秘めながら。



  ☆ ☆ ☆



 唐突に、守哉は覚醒した。


「……んぁ」


 間抜けな声を漏らし、右手で額を押さえる。曇った眼で見慣れない天井を見つめ、ここがどこかを考えた。

 覚醒したとはいうが、それは別に強くなったりしたわけではない。ただ単に、目を覚ましただけである。それも、自室以外の場所で。


「ここ、どこだ……」


 右を見ると、仏壇があった。扉を閉じてあるため、そこに誰が祀られているかはわからないが、この島で仏壇を見る事自体珍しい。そういう風習が神奈備島にはないのだ。

 では、左には何があるのか。頭を動かすと、そこにはあどけない美女の顔があった。


「………」


 無言で美女―――というか優衣子の顔を見つめる。その胸元は大胆にはだけられており、淫猥な谷間がよく見える。いや、よく見れば、谷間どころかその先端さえ見えそうなほど胸元が開いている。

 目の前に広がる大人の階段。しかし守哉は、その階段を迷う事なく蹴散らした。


「おいこら起きろ!何で一緒に寝てやがんだ!」

「……ん~……あとびーふん……」

「寝ぼけてんじゃねぇ!ビーフン食いたきゃ自分で作れ!」


 ばしばしと優衣子のほっぺたを叩くと、さすがの優衣子も目を覚ました。


「あら……守哉。おはよう」

「ああ、おはよう……って、違う!何であんたが俺と同じ布団で寝てるんだ!?」

「布団じゃなくてベッドよ。いいじゃない、たまには。あなたも私のおっぱいが見れて満足でしょう?」

「見てない……とは言い切れないけど、それはともかくあんたがここにいる理由を言えっ!」


 艶かしい仕草で身体を起こし、半目で守哉を見つめながら優衣子は答えた。


「あなた、まさか……覚えてないの?夕べの事を?」

「夕べ?何の事だよ」

「あらら……。残念だったわね、覚えてないなんて。せっかくの初体験だったのに……」


 初体験!?


「は、ははは初体験って……」

「ホントに覚えてないのね。昨日のあなた、あんなに激しかったのに……。うふふ、思い出すだけで色んなところが快感だわ~」


 守哉は絶句した。まさか……自分が、優衣子と?優衣子とあんな事やこんな事もしたというのだろうか!?

 どうして俺は覚えていないんだぁぁぁぁぁぁ!!!……と心中で全力シャウト。しかし頭を抱えている最中に優衣子がくすくす笑っているのを見て、守哉はようやく嘘だと気づいた。


「冗談よ。冗談に決まってるじゃないの。早とちりしすぎよ」

「あんたが誤解するような事を言うからだろ!?ていうか、さっさとシャツのボタンをとめろ!」

「あら、どうして?この方が嬉しいでしょう?」


 ひらひらとシャツを動かす優衣子。その度に見えそうで見えない胸の全容が守哉の劣情を刺激する。


「いいから閉じろって!そのままじゃ見えちまう―――」


 全力で顔を逸らしながら優衣子の姿を両手で覆い隠したところで、守哉は気づいた。

 

 右足の感覚が、ない事に。


「守哉……」


 思考停止した守哉を気遣って、優衣子は守哉の名を呼んだ。しかし、その声は守哉には届かない。

 恐る恐る、布団をめくる。右のふとももの先に何もない事を確認し―――そこで、昨日の出来事を思い出した。

 

(そうだ、逢う魔ヶ時が過ぎた後……)


 逢う魔ヶ時が過ぎ、その恩恵を失った守哉達には、守哉の潰れた右足を治癒する事は不可能だった。

 更に、身体強化の言魂の効力が失われたために、意識が飛びそうになるほどの激痛が守哉を襲った。治癒の言魂を使うには、集中力と神力がいる。意識を必死に保つのが精一杯の守哉には、右足の治癒などできるわけがなかった。止血する事さえできなかったのだ。

 あまりにも右足の状態が酷かったためトヨにも治癒する事はできず、このままでは守哉は大量出血により死んでしまうところだった。

 そのため、トヨは状態の酷い右足を切断し、ふとももの断面だけを治癒する事にした。治癒の言魂で癒す面積を減らす事で、トヨにも対処できるようにしたのだ。

 七瀬はこれに猛反対したが、しかし他に守哉を助ける術はなかった。治癒の言魂は優衣子も使えるが、今から守哉を運んだり優衣子を呼びに行ったりしていては間に合わない。そのため、トヨは言魂で守哉のふとももから先を切断し、切断した右足から少しでも状態のよい皮膚を切り取り、断面を縫合したのである。


(その後、七瀬に背負ってもらって磐境寮に帰ってきた。そして、残りの治癒を優衣子さんが行った……)


 そしてその最中に自分は気を失ったのだ。恐らく、この部屋は優衣子の部屋なのだろう。流れ出た大量の血液を補うため、何故か血液型が同じである事を知っていた優衣子が言魂で自分の血を輸血してくれた……そこまでは覚えている。


「……どのくらいかかったんだ?」

「覚えてないわ。でも、あなた相当危ない状態だったのよ。ババアの縫合が荒かったせいで傷口が開いたりして、大変だったわ」

「そうか……。七瀬は?」

「七瀬ちゃんなら、隣の管理人室で寝てるわ。苦労したのよ、あなたから引き離すの。治癒の邪魔だから大人しく待っときなさいって言って、強引に引き離したんだから」


 立ち上がろうとしてうまくバランスを取れずによろめく。咄嗟に優衣子が支えてくれたので転倒はせずに済んだ。

 ゆっくりとベッドから降りる。守哉の意図を察したのか、優衣子は特に止めようとはしなかった。

 ふすまを開け、寝室を出る。綺麗に整頓された管理人室のソファで七瀬は眠っていた。


「凄く心配してたわよ。かみやを助けてって泣き叫んで……。あなたの容態が落ち着いたって言ったら、安心しすぎて気を失っちゃうくらい、心配してたんだから」


 それは優衣子も同じなのだろう。シャツのボタンを外してベッドに潜り込む余裕があるのだから、いまいち怪しいところではあるが。


「……かみや……」


 寝言だ。頬に涙の跡を残し、七瀬は治療の際に脱がされたであろう守哉のパーカーを握り締めていた。

 七瀬の傍に座り、その頭を優しく撫でる。心配させてしまった事をわびるように。


「ごめんな、心配させて。本当に、ごめん……」


 優しげに微笑む守哉。空気を読んだのか、優衣子は寝室へと戻った。

 

 そっと七瀬の頬に顔を寄せる。僅かな柔らかい感触の後、守哉はその寝顔を見つめ続けた。

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