第56話 “両成敗には程遠く”
「……それで、どうしてこんな事をしたんだね?未鏡守哉君」
朝の職員室。冷たい目で守哉を見据え、空貴は言った。
「男子生徒五人、女子生徒一人を半殺しか。なんとまあ、豪快な事だね。これは職員会議ものだよね?わかるかね?」
手元の資料を見ながら、事も無げに空貴は続ける。その資料は、保健室の教員が急きょ作成したものらしく、保健室送りにされた生徒達の容態が簡潔に書かれていた。
守哉の制裁を喰らったのは、主犯格の男子生徒五人と、事が終わった後にぎゃあぎゃあと守哉を罵倒して守哉の怒りを買った女子生徒一人の計六人だ。全員とも容態は似たり寄ったりで、決まって顔面が腫れ上がるほどボコボコにされている。特に慎吾の容態は酷く、頭蓋骨にヒビが入っているらしい。
ざまあみろ―――などと言えるわけもなく、守哉は素直に謝罪した。
「すみません」
「すみません、で済むような事じゃないね?これは。まったく、この怪我じゃあトヨさんを呼んで言魂で治療してもらわないといけないじゃないかね。僕苦手なんだよねぇ、あの人。いちいち嫌味ったらしくてしょうがないんだよねぇ」
ぶつくさと文句をたれる空貴。意外にも、トヨを嫌いな人間は自分や優衣子、七美以外にもいるらしい。トヨの性格を考えると、それも致し方ないのかもしれないが。
「とにかく、今回の責任は担任である僕と、未鏡君の保護者であるあなたにあるんだよね。藤原さん」
空貴の目が、守哉の隣に立つ優衣子に向けられる。
当然だが、こんな事になった以上、守哉の保護者である優衣子も巻き込まざるを得なくなった。電話で呼び出された優衣子は、簡単に事情を聞くとこれといって急ぐわけでもなく、先ほど学校に到着した。今も素知らぬ顔で明後日の方向を向いている。
「おい、聞いているのかね。あなたに言っているんだよ、藤原さん」
「……聞いてるわよ。いちいちうるさい男ね」
空貴を睨みつけ、答える優衣子。かなり不機嫌そうな顔だ。
「君が不機嫌なのはわかるね。なにせ、預かった子供が問題を起こしたのだからね。だけどね、君には―――」
「私の機嫌が悪いのは、この学校に来たからよ。正直、嫌いなのよね。この学校」
「君はここのOGだよね?なぜ、そこまで……」
「それは今関係ないわ。さっさと話を進めてちょうだい。私は早く帰りたいのよ」
空貴は尚も何か言いたそうにしていたが、さすがに脱線したと思ったのか、頭を振って話を戻した。
「何はともあれ、未鏡君が生徒達に危害を加えた以上、未鏡君には親御さんと被害者の生徒達に謝罪してもらう必要があるんだよね。わかったかい?」
謝罪。謝罪だと?
あっちが仕掛けてきたのに!?
「……先に仕掛けてきたのはむこうだ。俺はただ、仕返ししただけだ」
「嘘はいけないね。他のクラスメイトは、君が突然、高槻君達を殴ったと言っているよ」
「それこそ嘘だ!あいつらは、俺を―――」
そこで守哉は口ごもった。
いじめていた―――そう言うのは簡単だ。しかし、そんな事を威張って言えるはずもない。自分にもプライドはある。自分はいじめられてたんです、なんて情けないにもほどがあるじゃないか。
しかし、突然黙った守哉を見て、空貴は曲解したようだった。
「俺を、何だね?バカにしたのかい?少しバカにされただけで、あんな風になるまで殴ったのかね?」
「違う!あんたは見てないからそんな事が言えるんだ!」
守哉のその言葉に、空貴は軽蔑の眼差しを向けた。
「図星のようだね。それに、彼らを殴るために君は言魂を使っただろう。君の筋力じゃ、あんな状態になるまで殴ったら拳が傷つくからね。……まったく、こんな事に言魂を使うなんて、君には神和ぎだという自覚があるのかね?大体、君はそんなボロッちいパーカーなんか着てるから、バカにされたりするんだよ。そんな汚い上着、さっさと捨てたらどうなんだね?ええ?」
静かに嘲笑する空貴。怒りで守哉の頭に血が上り、思わず詰め寄ろうとして―――優衣子に手で制された。
「それ以上、うちの守哉を侮辱するのはやめてくれる?目玉くりぬいて代わりにカタツムリを突っ込むわよ」
「そういう君も、汚い言葉で僕をバカにするのはやめてもらえるかね。まるで子供のようだよ?」
「子供で結構。あんたをバカにできるなら、子供の方が都合がいいわ。このクソ教師。赤いブロッコリー野郎」
冷ややかに罵倒する優衣子に、空貴の目が細まる。
「……君は、僕の事が本当に嫌いのようだね」
「ええ、大嫌いよ。守哉と七瀬ちゃん、七美ちゃん以外は皆大嫌い。死ねばいいとさえ思っているわ」
睨み合う優衣子と空貴。しばらくして、空貴は言った。
「……どちらにせよ、未鏡君がした事に変わりはない。君と未鏡君には保護者と生徒に謝罪してもらうからね」
「イヤよ。面倒くさい」
「そんな理由で拒否はできないね。君には保護者としての自覚があるのかい?一体、君は普段どういう風に彼を育てているんだね」
「私は保護者であって守哉の親ではないわ。それに、守哉は誰かに育てられなくても、もう一人前の男の子よ」
優衣子の言葉に、密かに胸を熱くする守哉。大人にこんな風に褒められるのは、初めてかもしれない。
「一人前ならこんな問題は起こさないはずだがね」
「その事なんだけど。私、職員室に来る前に高等部一年の教室を見てきたのよね。そしたら、幾つか気になる点があったの」
「……気になる点?」
「そう。守哉の席の近くに、花瓶が落ちていたのよ」
「それは、未鏡君が暴れたせいで落ちたんじゃないのかね?」
「花瓶は割れていなかったのよ。誰かが暴れて落ちたんなら、割れているはずよ。なにより、花瓶の中身が見当たらなかった。花瓶に入っているはずの、花と水がね」
そこで、優衣子は守哉を見た。守哉のパーカーのフードに手を伸ばし、中から何かを取り出す。
「それは……花?もしかして、花瓶の花かね?なぜ、そんなところに……」
「髪が濡れていて、肩に花びらが乗っているという事は、誰かに上からひっかけられたという事よ。そうでしょう、守哉」
突然振られて、守哉は戸惑ったように答えた。
「あ、ああ。高槻の隣にいたやつが、いきなり……」
「ほらね。それに、守哉のクラスメイトと言っても、その全員が守哉の事を嫌っていたみたいだわ。守哉の不利になる事なら、嘘の一つもつくんじゃないの?」
「僕のクラスに限って、そんな事は……」
「そんな事あるの。これはどう見てもいじめよ。という事は、守哉はいじめに対して応戦しただけ。いわば、正当防衛よ」
空貴は顔をしかめて答えた。
「あれはどう見ても過剰防衛だと思うがね」
「それだけ守哉は精神的に追い詰められていたって事でしょ?大体、外の人間が神和ぎなのよ、いじめられないわけがないわ。そして、それをあんたは見逃していた。つまり、こんな事になったのは、いじめっ子達を抑制できなかったあんたと、いじめっ子達をそう言う風に育てた親のせい。そうよね?」
「そうよね、と言われてもね……」
「それに、あんたは守哉の話をまともに聞いていないわ。そのくせ守哉を加害者だと決めつけている。教師のくせに、ずいぶんと子供を差別するのね」
険しい顔で押し黙る空貴。すると優衣子は、話はこれで終わりと言わんばかりに職員室から出て行こうとした。
「待て!話はまだ終わっていないね!」
「私の話は終わったわよ。それより、早く守哉を事情聴取したら?あと守哉、話が終わったら今日は早退しなさい。いいわね?」
いまいち事態についていけない守哉は、呆然として頷いた。
それを見て満足げに頷くと、優衣子は颯爽と職員室から出て行った。
☆ ☆ ☆
結局、守哉が解放されたのは11時を過ぎた頃だった。
「疲れた……帰って寝よ」
ため息をつき、職員室を出る。やはり、いじめられていた事を人に話すというのは、あまり気分の良いものではない。いつも以上に気疲れしてしまった。
「あ……守哉」
その声に顔を上げると、七美がいた。ほんのりと頬を赤くし、驚いたように目を見開いてこちらを見つめている。
「どうしたの?こんなところで。何かやらかしたわけ?」
「まぁ、な」
苦笑しつつ答える。まさか、クラスメイトを半殺しにしたとは言えまい。
「ふ~ん。まぁ、あんまり深くは聞かないけど……大丈夫なの?」
「大丈夫って、何が?」
「あんたの事よ。今、凄く苦しそうな顔してるわよ」
心配そうにこちらの顔を覗き込んでくる七美。七瀬そっくりなその仕草に、守哉は思わず笑ってしまった。
「な、なんでそこで笑うのよ。人が心配してあげてるのに!」
「いや……やっぱり、姉妹なんだなって。今の顔、七瀬にそっくりだったよ。台詞まで似てる」
七美はむっ、と不服そうに頬を膨らました。
「どうせ、私は七瀬ほど可愛くないわよ。そっくりなんて……」
「ホントだって。初めて七美を可愛いって思ったくらいだよ」
途端に顔を赤くする七美。動揺しているのか、目が泳いでいる。
「か、可愛いって……!そ、そんな、人をからかうんじゃないわよ、このバカ!」
「別にからかってないよ。思った事を口にしたまでさ」
初めて、という部分には反応しなかったらしい。七美が気づく前に退散すべく、守哉は七美に背を向けた。
「じゃあ、俺は帰るよ。また後でな」
「うん、また明日……って、あんた帰るの?今から3限目始まるのに」
「優衣子さんから今日は早退するように言われてるんだ。色々あってさ」
「そっか……。ん、じゃあ、また後で」
そそくさとその場を後にする守哉。去り際に、後ろから七美の呟きが聞こえてきた。
「まったく……可愛いだなんて。あのバカ、ホントにもう……って、ん?あいつ、さっき初めてって言ったような……」
どうやら気づかれたようだ。面倒な事態になる前に、守哉は昇降口へ向かった。