第57話 “藤丸の誘い”
校門を出た守哉を待っていたのは、不機嫌そうな顔の優衣子だった。
「優衣子さん。待っててくれたのか」
守哉が声をかけると、優衣子は立ち上がって守哉に近づき、その額にデコピンをかました。
「いてっ……何するんだよ」
「いい加減、さんづけで私を呼ぶのはやめてくれない?他人行儀でイヤだわ」
「んな事言われても……年上を呼び捨てにする習慣はないって、前に言っただろ」
「だったらその習慣を身につけなさいと言ってるでしょう。学習しないわね、あなたも」
「頭の出来はあんまり良い方じゃないんでね。それより、早く帰ろうぜ。外にあまり長居したくないんだ」
守哉も優衣子も、外の人間であるためか島民のほとんどに忌み嫌われている。今でも、世間話をしているおばさん達の冷ややかな視線が向けられているくらいだ。
「同感ね。じゃ、行きましょう」
「ああ」
二人で並んで歩き出す。
こうやって、優衣子と二人で外を歩くのは久しぶりだ。優衣子は島民に嫌われている事もあって、あまり外出はしない。守哉も学校と訓練以外で外出する事はないので、普段は二人共寮に引きこもっているのだ。
そう思うと、自分としてはこの機会に色々話を聞いてみたいものなのだが、それ以前に今日の事を謝らなくてはならないだろう。
「優衣子さん、今日は……」
「次にさんづけで呼んだら、おっぱいで窒息死させるわよ」
豊満な胸を持ち上げ、優衣子が睨みつけてくる。
そんな殺され方ならむしろ大歓迎のような気もするが、そこはそれ、守哉は素直に言い直す事にした。
「すまない。えっと、優衣子」
「それでよし。で、何?」
「今日の事、本当にすまない。あと、助けてくれてありがろう。あのままだと俺、一方的に加害者扱いされるところだった」
うつむく守哉に、優衣子はどうでもよさそうな顔で答えた。
「そんなの、別に気にしないでいいわよ。でも守哉、この島だからこそ、この程度で済んだ事を忘れちゃダメよ。例え正当防衛だったとしても、外の常識じゃあれはやりすぎよ。以後気をつけなさい」
「ああ……わかってる。とにかく、助けてくれてありがとな」
「別にいいわ。どうせ、私達以外の島民は基本的に敵みたいなものだもの。助け合わなくてどうするのって話よ」
「そうだよな……。なら、今度は俺が優衣子を助けてやるよ」
「何言ってるの。私はもう、あなたに十分助けられてるわ。鈍感なあなたは気づいてないでしょうけど、ね」
微笑みながら、優衣子は守哉の頭に手を置いた。その柔らな感触に、守哉は戸惑って身体を硬直させてしまう。
「だからね、守哉。あなたは自分が思っているよりも人に好かれているって事を、いい加減自覚しなさいな。私も、七瀬ちゃんも、七美ちゃんも……みんな、あなたの事が大好きなんだから」
優しく守哉の頭を撫で、優衣子はそう言った。
「そう……なのかな」
七美は違うんじゃないかな、と思いつつ、守哉は答えた。
☆ ☆ ☆
「はぁ……まったく、守哉のやつは、もう……」
守哉と別れた後、七美は職員室の前でため息をついた。
胸の高鳴りを悟られないかと冷や冷やしたものだが、幸い守哉は鈍感だ。顔が赤くなっていた事にも気づいていたかは怪しいくらいだ。それに、守哉は自分が嫌われ者だと思っているので、こちらの気持ちにはまず気づかない……と思う。
(あのバカはどうせ、七瀬みたいに言わなきゃ気づかないだろうし、大丈夫だとは思うけど……)
別に気づかれたところで、あの男は何も言うまい。人の好意を信じられないあの男は、大好きという気持ちを行動で表している七瀬の気持ちさえ、未だに信じ切れていない節がある。まぁ、七瀬の好意に関しては、つり橋効果によるものとでも思っているのではないだろうか。実際、自分もそう思うし。
(でも、ホントにそれだけなのかしらね……。私も何で好きになったのかわからないし)
七瀬の守哉に対する好意は異常だ。3年前のあの日以来、今まで他人に関心を示さなかった七瀬が、今は誰が見てもわかるほど守哉にご執心である。命を助けられたから、というだけではないかもしれない。
ふと、少々考え事にふけりすぎたのか、3時限目の予鈴が鳴った。
「っと……今は考え事してる場合じゃなかったわね。さっさと教材もらわなきゃ」
次の授業に必要な教材を取りに来た事を思い出した七美は、職員室の扉を軽くノックした後、勢いよく扉を開けた。
「すみませーん。赤砂御先生はいらっしゃいますか?教材を取りに来たんですけど」
そう言うと、近くにいた教師が指で指し示した。見ると、空貴は自分の机に両肘を乗せ、苛立ち紛れに爪を噛むのに夢中だった。何かあったのだろうか。
恐る恐る近づく。すると、空貴は何やらぶつぶつと呟いていた。
「……あの女、僕の事を馬鹿にして……!自分に与えられた役割も果たせない無能のくせに、生意気なんだよ……!」
病的なまでに爪を噛み続け、恨み言を呟く空貴の姿は、かなり異常だった。正直、話しかけるのはためらわれる。
しかし、だからといって教材を受け取らなければ、クラス全体に迷惑がかかる。仕方なく、七美は声をかける事にした。
「あの……赤砂御先生。ちょっといいですか?」
ぎょろり、と空貴の目が不気味に動く。若干怯みつつも、七美は続けた。
「高等部二年、神代七美です。次の時間に使う教材を取りに来たんですけど」
その言葉に我に返ったのか、空貴は大きく目を見開いて頭を振った。改めて七美と向き合う時には、すでにいつものひょうひょうとした表情を浮かべている。
「やあ、神代さんだね。待っていたんだよね」
「すみません、ちょっと遅れちゃって。さっき、偶然友達と会って、話し込んでしまったもので……」
「別に気にしてはいないんだけどね……ん?さっき……というと、その友達というのはもしかして、未鏡君の事かね?」
一瞬、空貴の目の色が変わった気がしたが、七美は気にしない事にした。
「ええ、そうですけど……」
「友達……そうか。そうかそうか。それはよかったねぇ」
にっこりと笑う空貴。その表情からは、何を考えているのかはわからない。
しかし、その時七美は、空貴の笑顔から得体の知れない何かを感じていた。
☆ ☆ ☆
磐境寮の自室に戻ってきた守哉は、バッグを放り投げて畳の上に寝転がった。
シミ一つない美しい天井をぼんやり見つめる。全身から力が抜け、自分がリラックスしているのを感じた。
「……疲れた」
呟き、目を閉じる。
眠りたくて仕方がなかったが、いくら待っても眠気はまったくこなかったので、仕方なく身体を起こした。
未だにクラスメイトを殴った時の感触が残る拳を見つめてぼんやりとしていると、不意に誰かがベランダの窓を開けて部屋に侵入してきた。
「藤丸か。久しぶりだな」
「そうだニャ。暇だから会いに来てやったのニャ、感謝しろニャ」
「するか。俺はしばらくぼーっとしたいんだ、放っておいてくれ」
「つれニャいヤツだニャ。せっかく来たのにニャあ」
藤丸は守哉の目の前でちょこんと座ると、しっぽをふりふりと振った。
「実は、今日は会いに来ただけじゃニャいんだニャ。お前に用があってきたのニャ」
「用?お前が?」
「そうだニャ。まぁ、正確にはお前に用があるのは俺じゃニャくて、俺のもう一人の主人ニャんだがニャ」
「主人って……お前、この前俺の使い魔になるとか言ってたじゃねぇか」
「確かに言ったニャ。だから守哉は俺の主人だニャ。でも、俺にはもう一人主人がいるんだニャ」
藤丸のもう一人の主人。守哉は最初、それが忠幸ではないかと考えた。藤丸は元々、星町家の飼い猫だからだ。しかし、藤丸が失踪した原因は忠幸の暴力だ。いくら今は忠幸を許しているとはいえ、今更忠幸を主人扱いするとは思えない。
という事は……
「その主人って……まさか」
「察しがいいニャ。そう、俺を拾ってくれた恩人、星町幸穂だニャ」
名前を聞くのは初めてだが、幸穂とは恐らく、忠幸の母親で間違いないだろう。
しかし、幸穂はすでに死んでいるはずである。以前、鎮守の森で忠幸と一緒に亡骸を埋葬したので間違いないはずだ。
「どういう事だよ、藤丸」
「お前が神奈裸備島に行っている間に、幸穂は荒霊にニャったのニャ。それで、さっきお前にどうしても会いたいって言ってきたから、こうして俺がお前を呼びに来たというわけだニャ」
「別に構わないけど、何で自分から来ないんだ?その方が手っ取り早いだろ」
「知らニャいニャ。幸穂には幸穂の考えがあるんだろうし、俺としても幸穂のお願いは断れニャいのニャ」
「荒霊の考え……ね」
以前、藤原英司が荒霊となって悪さをした事を考えると、今回も似たような事になる可能性は十分にある。しかも、幸穂は元神和ぎだ。条件も英司の時とほとんど同じである以上、その可能性は高い。
しかし、だからといって見過ごすわけにはいかない。たとえ戦う事になったとしても、自分には言魂がある。新しく編み出した縛名もあるのだし、そうそう負ける事はないはずだ。
返事を待つ藤丸に対し、守哉は小さくうなずいた。
「わかった。その幸穂って人のところに案内してくれ」
「わざわざすまニャいニャ。それじゃあ、俺についてきてくれニャ」
そう言うと、藤丸はベランダの方へ向かって歩き出した。
「おい、ちょっと待て。そこからどこへ行く気だ」
「どこって、鎮守の森に決まってるだろニャ」
「アホか、ここは6階だぞ!俺を殺す気か!?」
以前6階から突き落とされて生還している守哉だったが、さすがにもう一度落ちる気はない。
「ああ、そういえばお前は人間だったニャあ。いやぁ、すっかり忘れてたニャ」
引き返し、部屋の扉へと向かう藤丸。守哉もその後に続く。
行き先は鎮守の森。何か不吉なものを感じながらも、守哉は藤丸の案内に従った。




