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かみかみ  作者: 明日駆
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第26話 “英司顕現”

 土にまみれた身体で、とぼとぼと歩く。


 墓所でトヨとの戦闘に敗れた優衣子は、一人帰路についていた。墓所と磐境寮はあまり離れていない。歩いて10分程度で行き来できる。

 トヨに負けたのは初めてではなかった。以前にも何度か挑み、そして無様に敗北している。情けないとは思うし、精進せねばならないとも思うが、どうしても訓練はする気になれない。今まで怠惰な生活を送ってきた弊害だろうか。

 いや、それは違う。そもそも、訓練といっても大した事をするわけではない。その大半は言魂を使って行うため、言魂の練習と言ってもいい。言魂は使用者の想像力と集中力によるところが大きいが、神力と精神力を計算し、尚且つ戦闘中という極度のストレス化で常に適切な言魂を使用するには、事前にある程度練習しておく必要があるのだ。

 自分が神和ぎだった頃は、何度も言魂の訓練をさせられた。その度にトヨを殺そうとしたものだが、全て失敗した。それほどまでにトヨは強かったのだ。今では罪と呼ばれるデメリットを背負ったために、その力は全盛期の3割ほどまで落ち込んでいるというが、それでもあの強さは異常だ。本人曰く、幼い頃から神和ぎとなるために厳しい訓練を積んできたためだという。自分のような外の人間では及びもつかないのも頷けるというものだ。

 仇を討てない。暗い思考が優衣子の頭を支配していく。特に、今日の敗北は大きかった。よりにもよって、あの人の墓の前で無様な姿を晒すなんて――――――


「優衣子」


 唐突に聞こえたその声は、優衣子の歩みを止めさせるには十分すぎるほどの存在感があった。


 周囲を見渡すが、声の主は見当たらない。何人かの島民が優衣子を不快そうな目で見ていたが、優衣子はそれを無視した。


「優衣子、ここだよ」


 この声。忘れようもない、この声は。


「優衣子、おいで」


 3年前に死んだ、あの人の――――――


「優衣子――――――」


 唐突に、優衣子の脳内にあるイメージが浮かんだ。色は黒。洋服棚ほどの大きさで、真ん中に写真が飾ってある。写真の前に、文字の彫られた―――そう、位牌だ。


 そして優衣子は駆け出した。死者の声に導かれ、磐境寮の管理人室を目指して。



 ☆ ☆ ☆



 一方その頃、神代邸。


 ぱらぱらとテーブルに置かれた古びた書物―――神奈備島古事録を見ながら、守哉は唸っていた。


「うーむ……」

「なんなのよ、さっきからうるさいわね」


 隣に座る七美が軽く睨みつけてきた。七美は今、七瀬と呪法の勉強中である。その勉強に神奈備島古事録は使わないらしいので、暇を持て余していた守哉はそれを借りる事にしたのだ。


「……気になる事でもあるの?」


 向かい側に座る七瀬が首をかしげた。呪法の講義のためにさっきからずっと喋りっぱなしの七瀬だが、まったく疲れた様子は見えない。聞かされていた七美は少しうんざりした顔になっているのだが。


「いや、この神奈備島古事録ってさ……この島の成り立ちについては書いてあるけど、具体的にいつこの島ができたのか、いつ天照大神がこの世界に現れたのかとかは書いてないのな」

「そういえばそうよね。なんでかしら?」

「……なんでだろうね?」


 うーん、と皆で首をもたげる。


「七瀬も知らないのか?」

「……うん。一度気になっておばあちゃんに聞いてみたんだけど、おばあちゃんも知らないって言ってた」

「ふーん。つかさ、これ読んでて思ったんだけど、継承の儀とか神和ぎのノルマとかについては一切書いてないみたいなんだ。これはどういう事なんだ?」

「……どういう事って?」

「継承の儀とかノルマは誰が決めたのかって事だよ。この本はひたすら神さびを倒して神様をこの島に封印し続けなければならないとしか書いてないぜ。だったら、七瀬が前にしてくれた神和ぎのノルマとかの話はなんだったんだ?」


 七瀬は困った風な顔になって答えた。


「……わたしはおばあちゃんから少し聞いただけだから、詳しくは知らないんだけど……継承の儀に関しては、初代神和ぎが決めた事じゃないんだって」

「どういう事だよ?」

「……元々、神和ぎは天照大神がそれに相応しい人間を無作為に選んでいたの。でも、それで選ばれたある島民が、強大な力を持て余して暴走し、本来の目的である神さびを倒す事を忘れてこの島を支配しようとしたの。それに困った他の島民達は、天照大神に契約を持ちかけたの。その結果生まれたのが継承の儀と神和ぎのノルマなの」

「でも、継承の儀が生まれた理由はわかったけど、ノルマはなんで?」

「……ノルマは天照大神が継承の儀を生み出す代わりに島民達に求めた対価なの。輪廻転生の輪に縛られた天照大神には、本来存在しなかった時間の概念が生まれていたんだと思う。だから、神奈備島という終わりのない力の増幅システムを中断させるために、神和ぎ達にノルマを課したの」

「ふーん……」


 そこで、今まで興味なさそうに話を聞いていた七美が口を開いた。


「でも、そのノルマって継承の儀を行うためのものよね。じゃあ、制限時間って何?808体の神さびを倒したら何が起こるわけ?」

「……それは……わからないの」

「わからない?」

「……うん」


 七瀬は力なく頷いた。守哉はこっそりと七瀬は困ってる顔も可愛いなぁと思った。不謹慎だが。


「……神和ぎが百代代わるまでに808体の神さびを倒せなければ、天照大神は消滅する。でも、808体倒したところで、何が起こるわけでもない。滅びを免れるだけで、何かが変わるわけじゃないの」


 その言葉で、七瀬の顔に見とれていた守哉は我に返った。


「それじゃあ、俺達の戦いに終わりはないって事なのか?」

「……そう、なるね」


 気まずい雰囲気が客室に満ちる。そんな中で、守哉は思った。そもそも、この島は現世に平穏をもたらそうとした天照大神を封印するために作られたのだ。天照大神を封印し続けるには、神さびを倒し続けて高天原に力を蓄えさせていくしかない。いや、どちらにせよ神さびが島を襲う以上、それを撃退しなければならない。神和ぎの戦いに終わりはないのだ。


 いや、そもそも――――――何故、天照大神は制限時間を設けたのだ?


「なぁ、なんで天照大神は制限時間を作ったんだ?」

「……それは……待ちきれなかったから、じゃないかな」

「808体の神さびを倒すって事は、それだけ倒せば天照大神は十分に力が溜まると思ったんだよな。ならどうして百代までって定めたんだ?時間の概念が存在したからって、そんな制約は意味がないと思うんだけど」


 守哉の言葉に、七美は顎に手を当てて考えるそぶりをしながら言った。


「それもそうよね……。それに、よく考えてみれば、神さびが現れるのが一週間に一度だけだったとしても、百代もあれば808体倒すのはそんなに難しくないわ。以前にはババア以上の力の使い手もいたんだろうし……」

「大体、神さびを倒した数がわからないのもおかしい。どうして倒した数を数えていないんだ?何体倒したかわからなかったら、いつ滅びを免れたかもわからないし、いつ滅びるかもわからないじゃないか」

「もしかしたら、もう808体倒し終えてる可能性もあるわね。……いや、それはないか……ババアが七瀬の育成に執着してたのは808体倒してないからだろうし」

「もうわけがわからねぇ。おかしい事だらけじゃないか」

「……わたしも混乱してきたよぅ……」


 うーん、唸りながらと三人で頭を抱えていると、唐突に障子が開いてトヨが現れた。


「訓練の時間じゃぞ……って、どうしたんじゃいお前らは……」


 入ってくるなり、トヨは三人を見渡して言った。そんなトヨを見て、三人は声を揃えて言った。


『ちょうどいいところに!』


 三人の顔には、この人なら答えてくれるだろう、という希望が満ち溢れていた。不気味なほどキラキラと目を輝かせて尊敬の眼差しで見つめてくる三人を見て、トヨは思わず後じさった。


「な、なんなんじゃ、まったく……」



 ☆ ☆ ☆



 荒い息を吐いて、扉の前に立つ。


 見慣れた扉だ。ネームプレートに管理人室と書かれたその扉の奥には、3年前から使い続けてきた部屋が広がっている。この部屋に住み始めて以来、一度も掃除していない散らかりきった部屋が。

 ごくりと唾を飲み込んで、ドアノブに手を伸ばす。ゆっくりと扉を開くと、そこにはいつもの管理人室の部屋が広がっていた。脱ぎ捨てられた服、食べかすが散らかるテーブル、出すのを忘れたゴミ袋……。

 部屋に入り、無造作に置かれていた雑誌を踏み潰しながら奥へ進む。ふすまを開け、寝室へと足を踏み入れた。

 寝室だけは綺麗だった。寝る前、起きた後にはこの部屋だけは掃除を欠かさずしている。理由は特にない。単純に、この部屋が何もないから掃除がしやすいためだ、と思う。

 その寝室には仏壇がある。ある一人の死者を祀るため、無理を言って作ってもらった仏壇。


 その仏壇の前に、一人の男性が立っていた。


「……っ」


 その男性を目にして、優衣子の目が大きく見開かれた。言葉が出てこない。動揺で頭が混乱し、何をしていいのかわからなくなる。ふすまにかけられた手が小刻みに震えていた。

 ゆっくりと、男性が口を開いた。


「久しぶりだね、優衣子」


 この声。耳にこびりついた、聞き間違えようもないこの声は。


 間違いない。


「……英司(えいじ)


 小さく名前を呟く。目の前に立つ、この男の存在を確認するために。死んだはずの、この男の存在を自分の頭に認めさせるために。


「覚えていてくれたんだね。ありがとう、嬉しいよ」


 そう言って、男性――――――英司は微笑んだ。その爽やかな微笑みは、世の女性を魅了する力が宿っているように思える。

 いや――――――あるいは、本当にそうなのかもしれない。


「どうして、あなたがここにいるの」


 瞳を涙で潤ませて、優衣子は問うた。喜びが心に満ちるのがわかる。嬉しくて仕方がないのに、その一方で自分の理性がこの男の存在を否定する。この男は死んだはずだと、自分の心に訴えかけている。


「君に会いにきたんだ。愛する君に」

「違う。理由を聞いているんじゃないわ」

「じゃあ、何?」


 英司は首をかしげた。本当にわからない、と言いたげな顔だ。その仕草は、全て生前の英司と瓜二つだ。だからこそ、優衣子は否定した。痛む胸を押さえつけて、この男の存在を。


「あなたは、死んだはずよ」


 自分で発したその言葉に、優衣子の心が強く痛む。死んだ。英司は3年前に、死んだ。死んで神さびと化したのだ。

 そして討たれた。自分の目の前で、あの老婆に。


「知っているさ。僕が死んでから何年経ったんだい?」

「3年よ」

「3年か……。変だな、全然実感がわいてこない。死んですぐのような気もするし、何年も経ったような気もする。僕の中で時間の概念が失われてしまったのかな」


 困ったように頭をかく英司。その仕草も、3年前のものと一緒だ。まったく同じ。声も、姿も、仕草も。確認するように何度も英司の姿を見回しながら、優衣子は言った。


「不思議だわ。あなたは英司じゃないはずなのに、英司のように思える」

「変な事を言うんだな。僕は英司だよ。藤原英司。もしかして、忘れてしまったのかい?」

「覚えているわ、ちゃんと。覚えているから最初に名前を呼んだんじゃないの」

「なら、どうして僕が英司じゃないなんて言ったんだい?」

「だって、あの人は死んだんだもの。私の目の前で……。だから、あなたは英司じゃないはず。英司じゃない、別の何かよ」

「そんな事はないさ。僕は英司だよ、優衣子」

「いいえ、違うわ。でも……魂は、英司なのかもね」


 英司の魅力的な笑みに誘われ、優衣子の心に変化が訪れる。否定したはずの存在を認め始める。認めなければならないような気がしてしまう。


「英司。やっぱり、あなたは英司なんだわ」


 そう呟いて、優衣子の中で英司の存在が確立した。藤原英司の存在が、優衣子の心を満たしていく。頭の冷静な部分が何度も警告を発したが、優衣子はそれを無視した。


「変な事を言ってごめんなさい。あなたは英司なのよね。藤原……英司」

「そうだよ。相変わらず変だな、君は」


 そう言って、英司は笑った。優衣子はむくれて頬を膨らませて言い返す。


「あなたは相変わらず意地悪ね」

「そうさ。僕は意地悪だよ。君だけにね」


 君だけ。その甘美な言葉は、優衣子から正確な判断力を失わせていった。目が虚ろになり、視界にもやがかかっていく。


「私だけ……」

「そう。君は特別なんだ、優衣子。僕にとってはね。だから意地悪したくなってしまう」

「酷い人」

「でも、悪い気はしないだろう?」


 その言葉を認めるのは少し癪だった。でも、優衣子は認めた方がいい気がした。その方が、英司が喜ぶような気がして。

 優衣子の中で、凍りついた心が溶け始めていた。


「……そうね。悪い気はしないわ……」

「素直だね。とても可愛いよ、優衣子」

「可愛いだなんて……そんな」

「謙そんする事はない。君は本当に可愛らしい女だよ。優衣子」


 喜びで心が満ちていく。英司に褒めてもらえるだけで、幸せな気持ちでいっぱいになる。


 ああ、これほどのしあわせが、わたしのじんせいのなかであっただろうか――――――


「えいじ、わたしは――――――」


 目の前が白く染まる。体中から力が抜けていき、優衣子は気を失った。寝室の床に膝をつき、しばらく上半身を揺らし……どさっと、床に倒れこんだ。

 英司は、倒れた優衣子を見下ろした。とても優しい表情で。とても爽やかな微笑みを浮かべたままで。


 感情のこもっていない、凍てついた瞳で。


「お休み、優衣子。僕の優衣子。これから始まる、大仕事の前にゆっくりと身体を休めておくといいさ」


 そう言って、英司は笑った。醜く歪んだその顔は、先ほどとはまったくの別人だった。


 そして、男は顕現した。一人の女の心を奪って。



 ☆ ☆ ☆



 守哉達の話を聞き終えたトヨは、吟味するように目を瞑って何度か頷き、言った。


「お前達が知る必要はない」


 これにはさすがに守哉もキレた。


「おいこら!ここまで引っ張っておいてそりゃねぇだろ!」

「そう言うな。まずは落ち着かんか」

「落ち着いてられるか!あんた、俺らの事舐めてかかるのも大概にしとけよ!」

「まぁ聞け」


 トヨは座布団を出そうとした七瀬を手で制して畳の上に座ると、手近にあった湯のみを掴んで中のお茶を飲み干した。それを見て、七美は露骨に嫌そうな顔をした。


「それ、私のなんだけど」

「どうせ七瀬が出したもんじゃろうが。ケチくさい事を言うな、小娘が」

「実の孫に小娘なんて言う?普通」

「まぁそれはどうでもいい。それよりも、先ほどの質問の答えじゃが」

「うわ、無視された。キレていい?ねぇ」

「……俺に聞くなよ。つか、キレないでね。めんどいから」

「答えじゃが!」


 聞く気がなさそうな守哉と七美の態度を見て、トヨは苛立って大声を上げた。仕方なく二人はトヨの話に聞き入る事にする。


「オホン。……お前達が知る必要がないのは確かじゃが、知る権利はある。じゃから、答えてやらん事もないわけじゃ」

「もったいぶってねぇで答えろよ」

「わかっておるわい。とにかく、お前達が抱いた疑問に関してじゃが……幾つかなら答える事ができるが、そのほとんどには答えられんぞい」


 まだもったいぶる気か、と思い七美の額に血管が浮かぶ。守哉はそれを無言で制した。とばっちりを食うような気がしたし、ここで七美がキレたら話が先に進まないからだ。


「まず、この島の成り立ちについて具体的な年代がわからない理由じゃが……これは、天照大神の能力によるものじゃ」

「能力?」

「そう。天照大神は、ある神和ぎとの契約により、その対価として記録を喰う能力を得ておる」

「記録を食べる、ね……」


 感慨深げに呟く七美。そんな七美を守哉は横目で見つめた。絶対こいつわかってない。少し目が泳いでるのがその証拠だ。


「そのために、誰が天照大神に記録喰いの能力を与えたのかはわからん。ただ一つわかっているのは、天照大神はそれを望んで手に入れたという事だけじゃ」

「神様なのに、力を求めるのか?」

「今のヤツは神であって神ではない。この世界に堕ち、人の輪廻に縛られて神さびと化した天照大神には全知全能の力はないのじゃ。正確に言えば、天照大神は最も神に近い神さびであるといったところかのう」

「でも、この島は神様から力をもらった人間が作ったんじゃなかったっけ。そんな凄い力を他人に与えられるのに、どうして神様は力を求める必要があるんだ?」

「因果律が存在しない常世では、あらゆる概念もまた、存在しない。そこで生きてきた神は、わしら人間のような思考能力を持っていなかったのじゃ。それ故に、現世に平穏をもたらそうと考えた神はその具体的な方法を思いつかなかった。そこにつけ込む隙があったわけじゃな」


 そこまで聞いて、守哉はちらっと横目で七美を見た。かなり眠そうな目をしていた。


「でも、あらゆる概念が存在しなかったっていうんなら、どうして神様は現世に平穏をもたらそうなんて考えたんだ?」

「それは、人の輪廻に縛られたからじゃ。現世に堕ちた時点で、人の輪廻に縛られた神にはある程度人に近い思考能力が与えられておった。その時に見た初めての光景が戦争じゃったために、神は現世に平穏が必要じゃと考えた……と、いわれておる」

「って事は、神が現れた時代がある程度推測できるんじゃないか?人が戦争を始めた時代はある程度限られてるだろ。特に、ここは日本だしな」

「残念ながら、それはあくまでも伝承じゃ。嘘か真か、それは誰にもわからんのじゃ。なんせ、記録を喰われておるからのう」

「じゃあ、神奈備島古事録はなんなんだよ。記録、喰われてないじゃん」

「天照大神が喰える記録は、神和ぎもしくは神和ぎに関わった者が残したものに限られるのじゃ。現存する神奈備島古事録は、神和ぎに関わった者から又聞きした阿呆が記したもの。正確さに欠けておるのじゃよ」


 それを聞いて、七瀬が目を見開いてぽかーん、としていた。神奈備島について詳しい七瀬は、そのほとんどの知識を神奈備島古事録から得た、というのを以前に聞いた事がある。説明好きな七瀬がショックを受けるのも無理もないだろう。


「んじゃ、神奈備島古事録は嘘だらけなのか?」

「一概にそうとも言えんが、正しさを証明する手段がない以上、完全に信じる事はできんじゃろうて。まあ、神奈備の事情に疎い近年の島の連中なら、それでも十分じゃろう」


 守哉は複雑な表情でトヨの話を吟味した。トヨの話が本当なら、先ほどまで抱いていた疑問のほとんどが闇に葬られた事になる。


「んじゃ、今までの疑問は全て天照大神の記録喰いで解決って事かよ」

「それは違うな。言ったじゃろう、幾つかには答えられると。……次の答えじゃが、808体の神さびは未だに倒されておらぬ」

「なんでわかるんだよ。記録喰われてんだろ?」

「その全てが喰われるわけではないからのう。じゃが、正確な倒した数がわからんのも事実じゃ。何故なら、神さびを倒した数はあくまでも神和ぎが倒した数であり、それ以外の者が倒した神さびは数に含まれないからじゃ」

「!って事は……」

「例えば、お主が倒した神さびは未だに1体じゃ。お主がこの島に来てから遭遇した2体目はわしが、3体目は七瀬が倒した事になっておるからのう。……そういえば、お主に一つ聞きたい事があった。お主、何故七瀬が魔刃剣を抜けるとわかった?」

「今聞く事かよ?後でいいだろ」

「いいから答えぬか、たわけ」

「……わかったよ。つっても、理由を聞かれたところで何となく、としか答えられねぇよ」

「何となく……じゃと?何となく、誰もしなかった事をしたというのか」

「そんなもんだろ。魔刃剣っていつも腕から抜いてるからさ、普段腕の中に入ってるんだと思ってたんだよ。だから、誰にでも抜けるんじゃないかなーって思って……違うのか?」


 守哉の言葉に、トヨは腕を組んでしばらく考え込むようにうつむいた。


「わしもよくわからぬ……じゃが、誰にも抜けるわけではない事は確かじゃ」

「なんでわかるんだ?」

「試したからじゃよ、わしの聖痕でな。少なくとも、七美は抜けんかったわい」


 トヨは七美の方を向いて言った。七美はふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。


「別に、魔刃剣が抜けたって自慢するような事でもないでしょ」

「そうじゃな。しかし、不思議な事に七瀬も抜く事はできんかったのじゃ」

「!七瀬も?」


 驚いて守哉は七瀬を見た。七瀬はこくりと頷いた。どうやら本当らしい。


「……でも、あの時かみやから抜けたのは本当だよ」

「それを証明するために、後でお前が百代目から魔刃剣を抜けるかどうかを試す。よいな」


 七瀬はまだショックが抜け切れていないのか、若干呆けながら頷いた。


「それはいいけど、どうして倒した神さびの数がわからないんだ?又聞きなら記録を喰われずに済むんだろ?」

「それは、実際に神さびを倒したのが神和ぎかどうかわからんのがあるからじゃ。もしかしたら死んだ神和ぎが倒した数は含まれぬのかもしれんしな。そのへんはルールが曖昧なのじゃよ」

「そんな曖昧なルール、誰が決めたんだよ」

「伝承では、それらのルールを定めたのは二代目神和ぎだといわれておるが……実際はわからん。とにかく、わからん事だらけなのは確かじゃな」

「んじゃ、制限時間を設けたのもわからないのか?」

「そうじゃ。但し、それは独自の解釈がされておる」

「どんな?」

「百代代わるまでに神さびを808体倒せた場合、神奈備島沖合いの開闢門が完全に閉じるといわれておる」

「マジかよ」


 それが本当ならば、神和ぎ達の戦いには確実に終わりがくるという事になる。これ以上戦う必要がなくなり、神奈備島に平和が訪れるのだ。そうなると、天照大神の封印がどうなるかはわからないが。

 ……いや、今でも十分平和だが。


「どちらにせよ、滅びを免れるためには808体の神さびを倒さねばならん。どのみちわしらに選択肢はないんじゃからな」

「わかってるよ」

「ならばよいがな。……以上じゃ。他はわしにもわからん。とにかく、今は神さびとの戦いにむけて訓練に励む事じゃ。さぁ、庭に出るんじゃ!」


 そう言って、トヨはすっくと立ち上がった。見ると、もう6時を過ぎている。逢う魔ヶ時だ。守哉は身体強化のイメージを孕ませて言った。


「んじゃ、いっちょやるか!」

「……うん。がんばろうね」


 今回から七瀬も訓練に参戦する。守哉は七瀬と目を合わせると、互いに頷きあって庭園に出た。隣の七瀬が不思議と頼もしく思える。いつの間にか守哉の心に芽生えた七瀬を守りたいという想いが、無意識の内に守哉を奮い立たせていた。

 そんな二人の様子を見て、七美は不満げに呟いた。


「……ふん。楽しそうにしちゃってさ。私だって、きっと……」

「なんか言ったか?」

「な、なんでもないわよ!さっさと頑張りなさいよ!ばか!」

「へいへい……」


 肩をすくませて、守哉は行く。真っ先に庭園に降り立ったトヨを真っ直ぐに見据えて、未来の戦いに備えるために。


 なんだかんだ言って、今日の訓練が始まった。

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