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かみかみ  作者: 明日駆
24/102

第22話 “想い芽生えて”

 磐境寮の屋上に、一つの人影があった。


 守哉と似通った顔立ちをしているが、髪が肩に少しかかるくらいまで伸びているなど、微妙に違う。見た目から推測される年齢は小学生6年生ほどだろうか。見た目に反して比較的大きめな胸の前で両手を組み、じっと寮の前の坂で繰り広げられている戦闘を静観している。

 この少女は人間ではない。その正体は、かつて初代神和ぎに騙されてこの島に封印された神様―――天照大神である。

 不敵な笑みを浮かべて、神様は言った。


「神和ぎと、神和ぎもどきの戦い……それ自体は珍しくはないが、いきなり魔刃剣を出すとはね。本気で殺し合いをするつもりなのかな?九十九代目は」


 坂では、トヨが魔刃剣を振り回し雷撃を辺りに散らせている。守哉は必死に電撃から逃げ回っていた。

 くくく、と神様はおかしそうに笑った。


「なんだ、百代目はまったく魔刃剣を使いこなせていないじゃないか。地面に突き刺す事しか知らないのか、あの小僧」


 守哉は隙を見て地面に魔刃剣を突き刺そうとしては、トヨの雷撃に阻まれて逃げている。ひたすらそれの繰り返しだった。

 まだ戦闘が始まって大した時間は経っていないが、このままでは守哉の負けは確実だろう。

 神様的には、守哉に加勢してやりたいところなのだが……


「百代目にばかり入れ込んでいたら、また九十九代目に小言を言われそうだしなぁ」


 嫌そうな顔でトヨを見つめる。トヨは、いつものしかめっ面で魔刃剣を振り回している。


「九十九代目も、相変わらず魔刃剣の扱いが粗いな。まぁ、間違ってはいないがな」


 呆れ顔でそう言うと、神様の姿が光に包まれた。輪郭をなぞるように光り輝き、次第にその存在が薄くなっていく。


「さて、百代目。歴史上、神和ぎと神和ぎもどきの対決で、神和ぎもどきに勝てた神和ぎはいない。果たして、お前はどうかな?」


 去り際に、神様は必死な顔で戦う守哉を見つめながら言った。



 ☆ ☆ ☆



 飛び散る雷撃が守哉を襲う。


 守哉はそれを右に飛び退いて避けた。すぐに飛び退いた先にも雷撃が襲い掛かってくる。

 避けきれない。そう悟った守哉は、魔刃剣を盾にした。真っ直ぐに構えた刀身に、雷撃が吸い込まれる。ほっとしたのもつかの間、すぐに新たな雷撃が来て守哉は飛び退いた。


(くそっ……!攻撃しようにも、こう連続で攻撃されちゃあ……!)


 戦闘開始からずっとこの調子だった。トヨはひたすらに長刀を振り回してその刀身から雷撃を周囲に飛び散らせている。守哉はそれを必死に避けるばかりだった。

 薄々気づいていたが、どうやらあれがトヨの魔刃剣らしい。どう見てもそれは剣ではなかったが、どうも形は関係ないようだ。その能力は、自分のそれを上回っている……ように見える。

 守哉の魔刃剣―――氷鮫にできる事といえば、地面に突き刺して凍結した地面から刃を出現させる事だけだ。確かにあれは強力だが、さすがにトヨに対して使うわけにはいかないだろう。殺傷力が高すぎるのがその理由だが、それ以前に通用しない可能性の方が高い。

 トヨの雷撃から逃げながら後ろを覗き見る。坂の上部に、不安げにこちらを見つめる七美の姿があった。

 今の七美にできる事はない。ただ、守哉の勝利と七瀬の無事を祈るだけだ。しかし、このままでは前者の願いは叶いそうになかった。

 守哉の目が逸れた際に生まれた一瞬の隙をトヨは見逃さなかった。長刀を自分の周囲で円を描くように振り回す。刀身から発した雷撃が守哉を囲むように動き回り、一斉に襲い掛かった。


「いっ!?」


 新たな雷撃の動きで守哉の動きが一瞬止まった。瞬間、雷撃が守哉の身体に襲い掛かる。


「ぐぁぁあああああああっ!!!」


 守哉の絶叫が響く。雷撃は守哉の全身を這い回り、皮膚を焼き尽くしていく。激痛で意識が飛びそうになったが、守哉は持ちこたえた。

 雷撃が止む。全身から煙が立ち上り、肉が焼け焦げたような臭いが周囲に漂った。


「守哉っ!!!」


 七美の叫びが木霊する。その声に守哉は答えようとしたが、痛みで声が出なかった。

 両手両足が痙攣している。焼け焦げた皮膚が痛々しかった。


「ふん。最早戦う力は残されていまい。なんともあっけないものじゃったが、まぁようやったほうじゃと褒めてやろう」


 勝ち誇った声でトヨは言った。守哉は答えない……いや、答えられない。

 意識を集中し、治癒の言魂を発動する。全身から立ち上る煙が増し、傷がゆっくりと癒えていく。

 その様子に、ふん、とトヨは鼻を鳴らした。長刀を振り回して再び雷撃を発生させる。守哉は間一髪のところで飛び退いて雷撃をかわした。


「まだ、戦えるっつーの。舐めんな、ババア」


 不敵な笑みを浮かべる守哉。実際はほとんどやせ我慢だった。先ほどの雷撃でできた大火傷は治癒の言魂でほとんど癒えたが、全身に痺れが残っている。


「ならば、次は容赦せんぞ」


 トヨの長刀が動く。同時に守哉は魔刃剣を構え、イメージした。


「―――コンクリートォッ!!!」


 守哉の叫びに呼応して、トヨの足元の地面が膨れ上がった。咄嗟にトヨはその場から飛び退る。守哉はタイミングを見計らって魔刃剣を地面に突き刺した。刀身が突き刺さった部分から地面が凍りつき、凍てついた地面がトヨに向かって伸びていく。


「そんなもの、通用せんわっ!!」


 トヨは長刀を地面に向けて振るった。刀身から発した雷撃が凍てついた地面に襲い掛かり、その動きを止める。

 守哉は舌打ちすると、一か八か魔刃剣を腰だめに構えてトヨに突進した。トヨはそれを見て長刀を振り回す。刀身から発した雷撃が守哉に襲い掛かったが、守哉はそれを避けようとはしなかった。凄まじい雷撃が守哉の両腕を襲う。

 激痛で顔が歪む。雷撃を受けた両手の状態を確認する余裕はない。トヨの横腹目掛けて魔刃剣を突き刺そうとした時、トヨは驚くべき事に守哉の魔刃剣を左手で掴んだ。刀身を掴んだ左手が見る間に凍っていくが、構わずにトヨは刀身を引き寄せる。守哉の態勢が崩れ、トヨの前で前傾姿勢になった。


「はぁっ!!!」


 掛け声と共にトヨは鋭い蹴りを守哉の股間に叩きつけた。とんでもない事にその蹴りは言魂によって音速を超える速度で放たれている。守哉の頭に火花が散り、激痛で意識が飛び、使用者が意識を失ったために魔刃剣が砕け散った。

 守哉の身体が力を失って崩れる。トヨは容赦なく守哉の腹目掛けて凍った左拳を叩き込む。重い一撃が守哉の身体を宙に持ち上げ、その衝撃で守哉は目を覚ました。

 トヨの追い討ちが続く。守哉の身体が地面に落ちる直前に、猛烈な勢いで回し蹴りを叩き込む。吹っ飛ばされた守哉の身体はバウンドし、地面に転がった。

 激しく咳き込みながら守哉は立ち上がろうとするが、全身に力が入らない。ついでに言うと股間が猛烈に痛かった。地面に転がったまま顔を上げ、トヨを睨みつける。


「よ、よくも俺のせつない部分をっ……!!」

「ほう、まだ喋れるだけの元気が残っておったか。中々タフなヤツじゃのう」


 守哉を見下しながらトヨは言った。しかし、トヨは内心驚いていた。雷撃で全身にできた大火傷を短時間の治癒の言魂で治したのにも驚いたが、なによりも股間を蹴りつぶしたのにも関わらず守哉はまだ動ける事に驚いていた。いくら身体強化の言魂で身体能力が遥かに上昇しているとはいえ、あれほどの勢いで蹴りつぶされてはいくらなんでも悶絶する。

 まさか、と思いトヨは悔しげに呟いた。


「貴様、女だったのか……!?」

「なんでそうなる!?」

「あれで悶絶しないのなら、金玉がないとしか思えんわい」

「失礼な事言うな!俺は男だっつーの!」


 言い返して少し自分の愚息が気になった守哉は、右手で状態を確認しようとしたが、できなかった。まったく右手が動かない。見ると、右手は親指とその周辺を除いて完全に炭化していた。動かそうとしても反応しない。痛みさえ感じなかった。

 不安になって左手を見る。左手は比較的無事だった。親指から中指にかけての皮膚が壊死して黒ずんでいるほか、手首から肘にかけて巨大なみみずばれが出来ているだけだ。少なくとも、動きはする。

 左手を地面の上でゆっくりと滑らせて、痛む股間をさすった。無事だ。つぶれてはいるが、なくなってはいない。自分は、まだ男だ。

 しばらくすると、全身に力が戻ってきた。意識を集中して治癒の言魂を発動。少しずつ傷が癒えていくが、完全には治癒しそうにない。特に右手の肘から先はまったく反応しないままだ。これはマジでヤバい。

 よろよろと立ち上がる守哉を見て、トヨは不愉快そうに顔を歪めて言った。


「まだ戦おうというのか、お前は。もう無理じゃ、やめておけい。そのような状態では治癒の言魂もまともに使えまい」


 守哉はふらふらと身体を揺らしながら立ち上がった。再び左手をかざし、歪な星型の火傷の前まで右手を動かす。左手から剣の柄が出現するが、今の右手では魔刃剣は握れない。仕方なく、守哉は魔刃剣の柄を口にくわえた。


「無理じゃと言うたろうが!これ以上やれば死んでしまうぞ!!」


 トヨが叫ぶ。守哉は無視して魔刃剣を引き抜いた。左手で口にくわえた魔刃剣を掴むと、眼前に構える。


「守哉、もういいよ!もう、いいから!守哉が死んじゃったら、私……!」


 七美が涙声になって叫ぶ。守哉は七美の方に振り向くと、にひっと笑った。


「死なねぇよ。ここで死んだら、七瀬を助けにいけないからな」

「でも!その傷じゃ……!」

「いいから、信じろって。今だけでいいからさ」


 前を向く。険しい表情でトヨが自分を見つめていた。


「次で決める。次で決めれなかったら諦める」


 宣言する。実際は諦める気など毛頭なかったが、それでもそう言った。

 次の攻撃が、勝負どころだ。


「わしとしても、これ以上お前に時間を取られるのは癪じゃ。次で紫電の錆びとしてくれるわ」


 トヨは長刀を頭上で振り回し、刀身に雷撃を纏わせた。腰だめに構えると、刀身に纏わりついた雷撃が鋭さを増していき、光る刃を作り出す。

 対して守哉は、魔刃剣を逆手に持ちなおした。右足を踏み出して左足を引き、前傾姿勢になって腰の後ろに左手を移動させる。

 坂に静寂が訪れる。両者の間に緊張が奔り―――


 瞬間、二人は同時に動いた。


 守哉が左手を振るい、手にした魔刃剣の青い刀身が地面を切り裂く。トヨは長刀を真上に振るい、刀身に纏わせた雷撃を守哉目掛けて発射した。

 守哉が切り裂いた地面は急速に凍りつき、トヨに向かって一直線に伸びていく。凍てついた地面から鮫の背びれのような刃が出現し、トヨを切り裂かんと襲い掛かる。トヨが放った雷撃は槍のように伸びて守哉の顔目掛けて突き進む。

 二つの異質な力が交差した時、守哉はトヨに向かって駆け出した。凄まじい速度でトヨに接近する。途中トヨが放った雷撃が頬をかすめたが、守哉は一顧だにせず走り抜ける。予想していなかった守哉の行動にトヨの動きが鈍り、氷の刃を避けきったところで一瞬動きが止まった。守哉は素早くトヨの懐に入り込み、強烈なアッパーを顎目掛けて叩きつけた。

 一瞬、トヨの身体が宙に浮く。守哉は魔刃剣を持った左手でトヨの腹を殴りつけた。ごほっ、とトヨは空気を吐き出し後ろへ吹っ飛ぶ。そのままトヨは地面に叩きつけられた。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……!!」


 荒く息を吐きながら倒れたトヨを見つめる。トヨはまったく動く気配を見せない。

 いくら身体強化の言魂で身体能力が向上しているとはいえ、トヨは老人だ。若い守哉と違って筋肉は衰えているし、骨はもろくなっている。トヨは打たれ弱いのだ。さらに、守哉は以前と比べて言魂に慣れてきているため、身体強化の言魂の効力は以前よりも増している。これで死んでもおかしくはなかった。


「……あんたにゃ悪いが、行かしてもらうぜ。七美さん、ババアを頼む」


 そう言うと、守哉は呆然とする七美を促した。トヨは死んではいないだろう。いくら打たれ弱いとはいえ、あれで死ぬほどトヨは弱くない。自信はないが、たぶん、生きているだろう。我に返ってトヨに駆け寄る七美を見て、守哉は日諸木学園に向かって駆け出した。

 


 ☆ ☆ ☆



 外れた横開きの扉の上に、荒い息を吐きながら七瀬は横たわっていた。


 神さびに押しつぶされる直前、手近な教室に飛び込んだのである。閉まっていた扉に無理やり突っ込んだため、レールが壊れて扉が外れてしまったが、今はそんな事に構っている暇はなかった。


「……っ……!あぁぁぁ……」


 左足が強烈に痛んだ。見ると、左足のふくらはぎから下の皮膚がズタズタに引き裂かれていた。どうやら神さびは後ろ向きに襲い掛かってきたらしく、飛び退く際に尻尾に左足が当たってしまったらしい。

 廊下を見ると、神さびの身体が廊下に埋もれていた。身動きがとれなくなったのか、なんとか抜け出そうとしてもがいている。

 逃げるなら今しかない。そう思い、七瀬は足に力を込めて立ち上がろうとして、失敗した。左足がとてつもなく痛い。力を込めただけで意識が飛びそうになるほどの痛みに襲われた。仕方なく床を這いずってもう一つの扉を目指す。


「……えぐっ……ひっく……」


 嗚咽をもらし、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら七瀬は教室から這い出た。窓枠を支えにして立ち上がり、よろよろと廊下を進む。

 後ろを向くと、神さびはまだ抜け出していなかった。時折おぞましいうめき声を上げながらもがいている。恐怖で身がすくみあがったが、足だけは止めなかった。激痛に耐えながら左足を引きずり、昇降口を目指して進む。窓からの脱出も考えたが、窓を開けようとしても何かに引っかかってまったく開かなかったため断念した。先ほどの衝撃で窓枠が歪んでしまったのだろうか。

 痛みで意識が何度も飛びかけた。左足の怪我も酷いが、それ以上に右腕と右足の出血が酷い。流れ出た大量の血が白いワンピースを汚し、廊下に血溜まりを作っていた。


(……はやく……はやく、逃げなきゃ……!)


 逃げたい一心で廊下を進む。後ろで大きな音がした。振り向くと、神さびが廊下から抜け出て自分の周囲をキョロキョロと見回していた。思わず恐怖で足が止まる。そのうちに、神さびの目が七瀬の姿を捉えた。


「……ひっ……!」


 恐怖で身がすくみあがる。必死に止まった足を動かそうとして、七瀬は態勢を崩して廊下に倒れこんだ。振り向くと、神さびは自分に向かってゆっくりと近づいてきている。痛みを堪えて廊下を這いずっていくと、ようやく正面玄関にたどり着いた。

 助かった。いや、まだだ。まだ、広大な校庭を歩かなければならない。今の自分に、果たしてあれだけの距離を移動できるだろうか?

 すのこの上を這いずりながら、七瀬はどうやって学校の敷地から脱出するかについて考えていた。何とかして敷地から出れば神さびは追って来れない。包囲結界が自分を守ってくれる。そう確信していた。

 昇降口の扉が見えた。喜びと恐怖が入り混じった表情で七瀬は扉に這いよる。必死の形相で扉の取っ手に手をかけ、真横に開こうとした。


「……え……」


 しかし、扉は開かなかった。何度も試してみるが、扉はまったく動かない。押しても引いても動かない。揺らそうとしても扉はぴくりともしなかった。両手を振り上げて扉の窓に叩きつけてもヒビ一つ入らない。

 おかしい。神さびがぶつかった衝撃で扉のレールが歪んでしまったのかと思ったが、それにしたって窓ガラスが割れないのはおかしい。七瀬は戦闘訓練を積んでいる。僅かながら呪法の助けもある。力が足りないとは思えない。

 神さびが昇降口に近づいてくる。焦って何度も何度も扉を叩いた。しかし扉はぴくりともしない。

 そこで気づいた。まさか、とは思った。しかし、扉のガラスから見える景色がわずかに青みがかっているのを見て確信した。


「……包囲結界……」


 七瀬は絶句した。絶望で膝の力が抜け、すのこにひざまずく。日諸木学園の敷地を囲むように展開している包囲結界は、普通、人や動物の目には映らない。それは神さびも同じだ。しかし、包囲結界の密度が濃くなると、包囲結界の内部にいる人間の目には外の景色が青みがかって映るようになるのだ。そして、包囲結界の密度が濃くなるという事は、その範囲が狭まったという事である。それはつまり―――


 閉じ込められたという事だ。


「……助けて」


 自然と、言葉が口からもれた。絶望に包まれて、生きる希望を失って―――それでも、わらにすがる思いで助けを求める。


「……誰か、助けて」


 いつの間にか止まっていた涙が再び溢れ出す。ガラスを通して見える、毎日のように歩いた校庭を見つめながら、七瀬は泣き叫んだ。


「……誰か、助けて!ここから出して!」


 両手で扉を何度も叩く。自分はここにいるのだと、ここにいないあの人に知らせるために。

 

「……助けてよおばあちゃん!もう無理だよ!!もう戦えないよぉ!!」


 神さびが正面玄関にいる七瀬を捉えた。ゆっくりと、扉を叩いて泣き叫ぶ七瀬に近づいてくる。


「……助けて!!お願いだからここから出して!!このままじゃ死んじゃうよっ!!」


 異質な気配が七瀬に近寄る。恐る恐る振り返ると、神さびの無数の目が自分を見つめていた。ひっ、と声にならない悲鳴をもらす。後ろに下がろうとするが、扉に阻まれてそれも叶わない。扉に背をくっつけて、七瀬は神さびと向かい合った。


「……あ……あああ……!」


 腰が抜ける。ずるずると、七瀬はすのこの上にへたりこんだ。生暖かい液体が股からあふれ出し、太ももとワンピースを濡らしていく。


「……い……や……」


 神さびの目が見開かれ、眼球が一斉に動く。白目をむいたかと思うと、眼球の裏には口があった。口がゆっくりと笑みの形を作り、次の瞬間一斉に笑い出した。


 ギギギギギギギギギイィィィィィイィィィィィィィイィィィィィイィィッ!!!!


「……いやぁぁあああああああぁぁぁぁぁあぁあああぁああああっっっっ!!!!!!!!!!!」


 甲高い、ガラスを引っかくような笑い声が昇降口に響き渡る。恐怖のあまり七瀬は絶叫した。全身から力が抜ける。涙と血と尿が混じりあい、すのこの隙間から昇降口の床に垂れた。

 神さびの口から長い舌が這い出た。舌は七瀬を目指してゆっくりと伸びていく。


「……助けて……」


 か細い声がもれ出る。七瀬の心にある少年の顔が浮かび上がる。その少年に助けを求めて七瀬は呟いた。


「……助けて……」


 神さびの舌が目前に迫る。ねっとりした液体で濡れた長い舌からは卵が腐ったような臭いがした。


「……助けて、かみや……」


 絶望に包まれてなお、その名前は七瀬に勇気をくれた。最後の力を振り絞り、無駄だとわかっていながらも七瀬は叫んだ。


「……助けて、かみやぁっ!!!!」


 瞬間、一斉に神さびの舌が七瀬に襲い掛かり―――


 同時に、七瀬の隣の扉が外側から吹き飛んだ。



 ☆ ☆ ☆



 疾風のように昇降口に飛び込んだその少年は、振りかぶった魔刃剣で神さびを切り裂いた。


 切り裂かれた部分から一斉に凍結し、七瀬に向かって伸びていた舌が根元から千切れる。すのこの上に着地した少年は、神さびの胴体を蹴り上げた。少年よりも何倍も大きい神さびの身体が宙に浮く。追い討ちをかけるように少年の回し蹴りが炸裂し、神さびは廊下に向かって吹っ飛んだ。

 突然現れたその少年を七瀬は呆然として見上げた。見慣れた黒髪に端整な顔立ち。左手に握った魔刃剣が青い刀身を煌めかせる。

 少年は振り向くと、七瀬に向かって優しく告げた。


「大丈夫か?」


 絶望に包まれた七瀬の心に暖かい感情が満ちる。七瀬は顔をくしゃくしゃに歪めて少年の名を呼んだ。


「……かみや……」


 少年―――守哉はこくりとうなずいて見せると、廊下に倒れた神さびを睨みつけた。七瀬の前に立ちはだかり、神さびに刃を向ける。

 七瀬は気づいた。守哉の青いパーカーはボロボロで、あちこちが焼け焦げている。だらんと下げた右手は炭化しており、魔刃剣を握っている左手も火傷だらけだ。左の頬には大きなみみず腫れがある。


「……かみや、その傷は……」

「大した事ねぇよ」


 それが強がりである事はすぐにわかった。額には脂汗が浮いており、表情が痛みで引きつっている。なおも何か言おうとした七瀬に、守哉は首を左右に振って見せた。


「大丈夫だから。それより、お前の方が重傷みたいだな。立てそうか?」


 七瀬はこくりと小さくうなずいた。扉を掴んでよろよろと立ち上がる。守哉はそれを確認すると、七瀬の元に後ずさって近づいた。


「一人で逃げれそうか?」


 七瀬はふるふると首を左右に振った。守哉が外側から昇降口の扉を破ったため、本当は地面を這いずっていけばなんとか逃げれそうだったが、今は一人になりたくなかった。


「じゃあ、すぐに決着をつけなくちゃな」


 守哉はそう言うと、肘を動かして七瀬の腰に右手を回して抱き寄せた。二人の身体が密着し、七瀬の頬が真っ赤に染まる。左足が地面を擦って猛烈に痛んだが、そんな事が気にならないくらい頭の中が真っ白になった。

 瞬間、守哉は七瀬を抱えて飛び退いた。一拍遅れて神さびが先ほどまでいた場所に突進し、轟音と共に校舎が揺れる。

 七瀬を連れて守哉はすぐに廊下に出た。昇降口の正面にある螺旋階段の前まで移動すると、七瀬を座らせて自分はその傍に膝をついた。


「ちょっと我慢しろよ」


 そう言うと、守哉は七瀬の右腕の怪我に触れた。痛みで七瀬が顔をしかめるが、おかまいなしに守哉はその怪我を撫でる。すると、ずたずたに引き裂かれていた皮膚が熱を発し始め、少しずつ癒えていった。驚く七瀬を尻目に、守哉は右足、左足の怪我も癒していく。

 ある程度傷を癒すと、守哉は七瀬の顔を見て言った。


「今の俺じゃ、これが限界だ。残りは時間をかけて治すしかないな」


 どうやら癒えているのは表面的な部分だけのようだった。それでもさっきまでに比べれば随分マシだ。床を擦って痛みが増す事もなくなったので、なんとか歩けるようになっていた。


「……あ……ありが……」

「礼はいいよ。それより、問題はあれだ」


 昇降口をあごでしゃくって示しながら守哉は言った。七瀬から右手を放し、炭化した部分に左手を添える。しかし、先ほどと違いまったく右手は癒える様子を見せなかった。


「くそ、やっぱ無理か。もうどうにもなんねぇかもしれねーな、これ」


 悪態をつく守哉を見て、七瀬はふと罪悪感を感じた。助けに来てくれた事は嬉しい。でも、何故?昨日自分は守哉に酷い事を言ったのに―――


「……なんで、助けに来てくれたの」

「なんでって、そりゃ心配だったからさ」


 笑って答える守哉。その顔を見て、七瀬の抱いた罪悪感が膨れ上がる。

 守哉の目を見れなくなって、七瀬は顔をうつむかせて言った。


「……わたし、かみやに酷いこと言ったのに」

「気にすんなよ。どうせババアに言われたからなんだろ?わかってるよ」

「……でも……」


 なおも暗い顔をする七瀬の額を、守哉は指で軽く弾いた。


「……ひぅっ」

「ほら、暗い顔すんなって。そんなんじゃ幸せが逃げちまうぞ?俺が大好きな、お前の素敵な笑顔を見せてくれよ」


 守哉はにひっと笑ってそう言った。途端に七瀬の顔が真っ赤に染まる。これ以上ないほど顔が火照っているのがわかった。

 同時に、七瀬の心の中に熱い何かが生まれる。心のずっと奥底に、太陽のように光り輝く熱い感情が。

 赤い顔をうつむかせて、七瀬は気づいた。自分が今まで守哉に抱いていた感情は、友情なのではない。胸の鼓動を猛らせる、他のどの感情よりも熱いこの感情の正体は、断じて友情じゃない。


 これは、恋だ。


「大丈夫か?」


 心配そうに守哉は七瀬の顔を覗き込んだ。七瀬は、そんな守哉の顔を見上げて優しく笑った。大丈夫だと、そう語りかけるように。

 ふと、突如昇降口から轟音が響いた。神さびだ。さっきから襲ってこないと思ったら、下駄箱に動きを阻まれていたらしい。業を煮やして身体を回転させ、立ち並ぶ下駄箱を破壊しているのだ。

 七瀬の前に守哉の左手が向けられる。守哉の顔を見上げると、守哉は真剣な顔で言った。


「もう、俺の右手じゃ魔刃剣を抜けないんだ。だから、代わりに抜いてくれ」


 七瀬はこくりとうなずくと、目の前の歪な星型の火傷の前で両手を握った。瞬間、火傷の中心から剣の柄が現れ、七瀬はゆっくりとそれを引き抜いた。


「なんじゃこりゃ」


 守哉は引き抜かれた魔刃剣を見て言った。つばのない日本刀のような形は変わらないが、刀身の色が違う。刀身はルビーのように赤く輝き、炎のような熱いオーラを纏っている。

 驚くのもつかの間、神さびはこちらに気づいたようだ。足をかがめて跳躍姿勢をとっている。


「一度引くか?」


 守哉の問いに、七瀬は首を左右に振った。


「……かみやといっしょなら、あんなやついっぱつで倒せるよ」


 自信を持って言った。不思議と、七瀬には確実に神さびを倒せる自信があった。それは、魔刃剣という強大な力を手にしたから生まれたものではない。守哉を見つめていると不思議と力が涌いてきた。きっと、自信の根拠は守哉がいるからなのだろう。先ほどまで七瀬を縛りつけていた恐怖は吹き飛び、微塵も残っていなかった。


 もう、あんなやつ怖くない。


「よし、いっちょやるか!」


 そう言うと、守哉は左手を七瀬の両手に添えた。七瀬の胸の鼓動が高鳴る。顔の赤みが増していく。

 神さびが跳躍した。真っ直ぐに二人を押しつぶさんと真上から襲い掛かってくる。二人は魔刃剣を腰だめに構えると、神さびに向かって一気に突き出した。

 瞬間、凄まじい炎が刀身から噴出した。炎は瞬く間に神さびの全身を包み込み、その身を容赦なく焼き尽くしていく。神さびは甲高いうめき声を上げ、なおも二人の上に覆いかぶさろうとしたが、それよりも早く魔刃剣の炎が神さびの身体を焼き尽くした。渦を巻いた炎は台風のように回転し、神さびの身体を飲み込んでいく。数秒も時間をかけず、神さびの身体は炭と化して消えた。

 あっけない幕引きに、二人は思わず顔を見合わせた。ぷっ、と守哉が噴出すと、二人同時に笑い出す。

 二人が手を放すと、魔刃剣は炎に包まれて消えてしまった。この魔刃剣は一体なんだったのか、疑問こそ残ったものの、今はそれは気にしない事にした。

 ひとしきり笑い終えると、七瀬は満点の笑顔を浮かべて守哉に言った。


「……かみや、大好き……!」


 驚いて目を丸くした守哉に抱きつく。慌てふためく守哉の胸の中で、七瀬は意識を失った。

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