第20話 “戦いの予兆”
神代家の庭園に、七瀬は目を瞑って座り込んでいた。
その手には、先端に大きな輪のついた棒―――輪堂潜御が握られている。これは、普段は開闢門の開き具合を調べるための呪法・開闢知法の媒介となる道具であるが、場合によっては武器としても使用可能であった。
時刻は夕方6時、逢う魔ヶ時。そして、今日は週の始まりである日曜日。即ち、本日より一週間、新たな神さびが出現する可能性が出てきたのである。神さびが出現するかどうかは、毎回開闢知法を用いて調べられる。開闢門が大きく開けば神さびが出現する前触れとなるのだ。
七瀬は目を開いた。開闢門の開き具合はいつもと変わらない。傍で佇んでいたトヨに振り向く。トヨは目線で結果を教えるよう促してきた。七瀬が首を左右に振ると、トヨは一息つき、無言で家の中に戻っていった。
七瀬はほっと胸を撫で下ろした。次の神さびは、自分が一人で倒さなければならないからだ。それを聞いた時は絶句したが、今は運命だと思って諦めている。
トヨは昔からそうだった。自分勝手で、自分の考えを他人に押しつけるばかりで他人の話を聞こうとしない。どこまでも実直な人なのだ。
そんなトヨは島の皆から慕われている。島民会の会長をやっているのも皆から絶対の信頼を寄せられているからだ。しかしそれは、トヨの本当の姿を知らないからにすぎない。
トヨは、島の未来を考えはしても、島民の未来を考えていないのだ。神和ぎに関する事にどこまでも貪欲になるのは、島の誰もが忘れているこの島の使命を果たすためだ。神和ぎが100代代わるまでに808体の神さびを倒さなければならないという使命。
トヨはその使命を一人で背負い込んでいる。自分は、そんなトヨの力になりたいと思った。だから、今までトヨの厳しい訓練に耐えてきた。神代家の人間以外誰も知らない、過酷な訓練に。自分以外の人間を巻き込もうとしなかったのは、トヨが自分を認めてくれているからだと、わかっていたから。
だが、最近思うのだ。
本当に自分は、トヨの力になりたいから頑張ってきたのか、と。
☆ ☆ ☆
月曜日。
きっちり7時には目を覚ました守哉は、そろそろかかってくるだろうモーニングコールを無視して部屋を出た。あくびを噛み殺しながら階段を降りていき、一階の食堂へ入る。
食堂には優衣子が居た。優衣子は、備えつけてある電話の受話器を取って、誰もいない607号室にモーニングコールをかけようとしているところだった。優衣子は守哉が入ってきたのを見ると、僅かに驚いた顔をして受話器を戻した。
「あら、起きてたの。おはよう」
「おはよう。つかさ、モーニングコール、しなくていいから。自分で起きれるから」
「え~」
「なんで嫌そうな顔するんだよ」
「だって、なんか楽しいんだもん」
「いつもかけてくるあんたの声は全然楽しそうじゃなかったぞ」
カップラーメンの置いてあるテーブルにつく。いただきます、と言って割り箸を割り、食べ始める。面白くなさそうな顔で優衣子も椅子に座ると、カップラーメンを食べ始めた。
これといって会話もなく、食事終了。容器と割り箸をゴミ箱に捨てると、守哉は自室へ戻り、優衣子は管理人室へ戻っていった。
自室で学校へ行く準備をしながら守哉は思った。いつまでこの生活を続けられるのだろうか?継承の儀を行う気配はない。どういった儀式なのかはわからないが、現神和ぎである自分がいなければ儀式は行えないのではないだろうか。
大体、七美には偉そうな事を言ったものの、トヨが七瀬にした無茶苦茶な命令の内容は本当はどういったものだったのか、そもそも何故トヨが今になってそんな命令をしたのかなど、未だに謎は残っている。
なんにせよ、トヨか七瀬に接触する必要がある。今日の放課後にでも神代家を訪ねてみる事にした守哉は、時間を見計らって寮を出た。
坂を降りて校門前まで来ると、まだ早い時間であるためか登校している生徒は極めて少なかった。
校庭には部活動に勤しむ生徒達の姿がある。朝練に出くわすとは、時間を見計らって出たつもりだったのに少し早すぎたようだ。
ふと、登校している生徒の中に水色の髪の女の子を見つけた。
くせのあるぼさぼさのツインテールをした少女は、紛れもなく七瀬だった。……たぶん。
守哉は七瀬が七人姉妹である事を知ってしまったので、正直誰が七瀬なのか判別がしづらくなっていた。もしかしたら七瀬じゃない他の姉妹かもしれないし、七瀬かもしれない。とにかく話してみない事にはどうしようもないので、守哉は駆け寄って話しかけてみる事にした。
「七瀬、おはよう」
その声に、水色ツインテールの少女はびくっ、と身をすくませた。しばらく立ち止まると、顔をうつむかせて立ち去ろうとする。
どうも反応が七瀬っぽいな、と考えた守哉は、追いかけてなおも話しかけてみた。
「どうしたんだよ、なぁ。七瀬なんだよな?」
少女は答えない。黙々と歩いていく。
「どうして無視するんだ。俺だよ、守哉だよ」
少女の歩く速度が速まった。さすがにむっとした守哉は、追いすがってその肩を掴んだ。
「ちょっと待ってくれよ。話がしたいんだ」
「……放してっ!!」
少女は叫んだ。その声に、守哉は驚いて身をすくませる。少女の大声に、登校していた生徒達や朝錬に勤しんでいた生徒達が立ち止まった。
「ど……どうしたんだよ、ホントに」
守哉は肩を掴んでいた手をゆっくりと放した。顔が引きつる。七瀬に拒まれた事が信じられなかった。
「……わたしに、話しかけないで」
七瀬は一瞬、守哉の方へ目を向けた。その目には、大粒の涙が光っていた。
驚く守哉を残して、七瀬は立ち去っていった。
「なんで……」
無意識のうちにもらした呟きは、誰の耳にも聞き入れられる事なく消えていく。
しばらくの間、守哉は校庭で立ち尽くしていた。
☆ ☆ ☆
放課後。神代七美は神代家の前に立っていた。
七美はこの家の敷地を二度とまたがないつもりで家を出た。なのにも関わらずこの家にやってきたのは、先日の守哉の言葉が頭から離れなかったからであった。
(七瀬があんな風になったのは、一度にたくさんの家族がいなくなったから……か)
守哉の言っていた言葉を心の中で呟く。
3年前、トヨに殺されていなくなった両親と七歌。トヨに反発して出て行ってしまった自分と、他の姉妹達。残された七瀬は、一体どういう想いでトヨの傍にいたのだろうか。
昔は、七瀬もトヨに反発していた。というか、昔から厳格だったトヨに反発していなかったのは七歌だけだったのだ。本当は皆、島のために身を粉にして働くトヨに憧れていたけれど、神和ぎになれるのは一人だけで、神和ぎになれば神さびと戦わなければならなくなる。だから、トヨに反発していたのだ。トヨの言う事を聞いていれば、いつか神さびと戦わせられる。もしかしたら死ぬかもしれない。そう思うと怖くて仕方がなかった。
今にして思えば、七歌は家族皆が抱いていた戦いへの恐怖に気づいていたからトヨに従っていたんだと思う。自分が選ばれれば、他の姉妹達が戦う必要はなくなるから。
しかし、最後に選ばれたのは七瀬だった。両親が死んで、頭がおかしくなって、言魂をかけられてトヨに従順になった七瀬。そして、七歌は過激化したトヨとの訓練中に、七瀬を庇って死亡した……そう聞いている。
守哉との会話から、七美は薄々トヨが七瀬に下した命令に気づいていた。トヨは最後の百一代目の神和ぎは、優秀な人間にしなければならないと考えている。もし守哉が戦闘中に死ねば、次の神和ぎは天照大神が無作為に選ぶ事になる。それだけは避けねばならない、と考えたのだろう。
そして、守哉は前回の神さびとの戦いでまったく役に立たなかったという。トヨはそれで焦ったに違いない。守哉は弱いと確信したトヨは、いらぬ犠牲を出さないために、そして何より最後の神和ぎを自分が育てた優秀な人間である七瀬にするために、七瀬が守哉を倒す事で天照大神にアピールし、継承の儀を早めようとしたのだ。
その考え自体は間違っていない。自分もそうした方がいいと思う。だって、守哉は弱い。いらぬ犠牲を出さないようにするにはそれしかないだろう。断じて、守哉に死んでほしくないと思っているわけではない。むしろ死んだ方がいいと思っている。でも、いくら役立たずだからといって、見殺しにするわけにはいかないだろう。うん。
しかし、そんなトヨの考えには誤算がある。そして、その誤算こそ七瀬に元気がない原因なのだ。
考えをまとめあげると、七美はインターホンを押そうとした。しかし、その直前に誰かが玄関から姿を現した。その人物と目が合い、七美は怒りをあらわにして呟いた。
「……トヨバア」
トヨバアは無言であごをしゃくると、七美に家の中へ入るよう促した。
☆ ☆ ☆
客間で二人はテーブルを挟んで向かい合った。
七瀬はまだ学校にいるらしく、姿を見せない。きっと、自分がこの家を訪ねてきたと知ったら、多少なりとも喜んでくれるだろう。もっとも、七瀬が帰ってくるまで待つ気はないが。
「どの面下げて戻ってきた。この馬鹿娘が」
不快そうな顔でトヨは言った。相変わらずのその傲慢な態度に、七美は怒りに顔を歪ませる。
「別に、戻ってきたわけじゃないわ。ただ、トヨバアに忠告しにきただけ」
「お前のような小娘の忠告など、聞く耳持たぬわ」
「そういう態度だから、皆トヨバアから離れていったのよ!!少しはこっちの話も聞きなさいよ!!」
「聞いてどうなる。どうにもならん」
「だったら、なんで私を家に上げたわけ!?話をするためじゃないの!?」
「いつまでも家の前に立たれて迷惑じゃから家の中へ入れたまでじゃ。何か用かと思ったら、ただ話をするだけじゃったがな。用がないならとっとと帰れ」
トヨは廊下を指差して言った。七美は口を噛み締めながらトヨに掴みかかろうとする自分を押さえつける。
「だったら、理由を教えて。守哉と七瀬を戦わせて、七瀬を神和ぎにしようとした理由を」
「なんじゃ、百代目の小僧と知り合いじゃったのか。……まぁいい、お前はもう神代家の人間ではないのじゃからな」
「早く教えなさいよ!」
「そんなもの、百代目が役立たずじゃからに決まっておろうが。最後の神和ぎを天照大神に選ばせるわけにはいかん。ならば、多少強引でも百代目を神和ぎの座から引きずり下ろし、七瀬を神和ぎにするしかなかろうて」
やっぱりね、と七美は思った。やはり、トヨは焦っていたのだ。焦るあまり、他人の意思を無視して暴走している。
「守哉はまだノルマを達成してないはずよ。継承の儀は行えないわ」
その辺の事は調査済みだった。というか、守哉に関する事は七瀬が大体の事を教えてくれた。
それに対し、トヨはふん、と鼻を鳴らすと、得意げに言った。
「それに関しては天照大神の了解を得ておる。条件つきではあるがな」
「なんですって!?ど、どういう事よ!」
「言葉の通りじゃ。天照大神は、既に継承の儀を行う事を了承しておるのじゃよ」
「そんな……」
七美は絶句した。守哉がノルマを達成していない以上、トヨは七瀬を神和ぎにできない。その間に、何とかしてトヨを説得するつもりだったのだ。
これ以上、七瀬を戦わせないでと。
「でも、七瀬と守哉はそれを了承しているわけ!?」
「七瀬は了承しておる。百代目は知らん」
「大体、了承したって言ってもどうせ条件があるんでしょ!?その条件は満たしたわけ!?」
「まだじゃ。しかし、それもすぐ終わる。七瀬が一人で神さびを倒す事が条件なのじゃからな」
その言葉に、七美の怒りは頂点に達した。握りこぶしをテーブルに叩きつけて怒鳴る。
「ふざけないで!!七瀬を一人で戦わせるなんて、何考えてんの!?どう考えても無理よ!!」
「無理ではない!!そのために今まで育ててきたんじゃ!!」
「何が育ててきたよ!!七瀬に言魂かけて、自分の都合のいいように記憶を改ざんしたくせに!!」
「あの子を守るためには仕方なかったんじゃ!!言魂をかけるしか方法はなかった!!」
「守るためとか言って、ホントは七瀬を人形にしたかっただけじゃないの!」
「違う!!あの子は人形などではない!わしの大切な孫じゃ!!」
「嘘ばっかり!!大切だったらなんでもう少し優しくしてあげなかったの!!」
「お前に何の関係があるんじゃ!!自分が神和ぎになれないからといって、家から逃げ出したお前に!!」
「違うわ!!私がこの家を出たのは―――」
―――トヨバアが怖くなったんだろ―――
守哉の言葉が頭をよぎる。今まで自分が否定し続けてきた事実が。
突然黙りこんだ七美を軽蔑を含んだ目で見つめ、トヨは言った。
「図星か。しょせん、お前は神和ぎの力に目が眩んだ愚か者の一人にすぎん。七歌と同じでな」
「違うわ!!それに、七歌姉は神和ぎの力に目が眩んだわけじゃない!!」
「違わんわ。家から逃げ出さなかったのがいい証拠じゃ。あの娘は、七瀬に代わって自分が神和ぎになろうと画策していたのじゃからな」
「七歌姉はそんな事考えてなかった!それに、七歌姉は七瀬を庇って死んだんじゃないの!」
「あれは偶然にすぎんわ。それにな、七歌は荒霊になっておったのだぞ?神和ぎになれなかった事を悔やみ、神和ぎになる者を羨んでな」
七美は絶句した。七美も死者が荒霊になる事の意味を知っている。七歌は、それほどまでに神和ぎになりたかったというのか?
「まぁ、知らんうちに百代目が鎮めたみたいじゃがの。面倒な仕事が減ってせいせいしたわい」
七美は怒りで肩を震わせた。トヨは、自分が七歌を殺した事をまったく悔やんでいない。それどころか、死んで当然とさえ思っているのだ。
こんな人間に、七瀬は育てられたのか。
「話は終わりか?だったら帰れ。そして、二度と戻ってくるでない」
そう言うと、トヨは立ち上がって客間を出て行こうとした。その背に向かい、七美は怒りに震えた声を投げかける。
「七瀬は、戦う事を望んでいないわ。それでも、神和ぎにしようとする気?」
その言葉に、トヨは何を馬鹿な、といわんばかりの顔で答えた。
「あの子が神和ぎになる事を望まぬわけがあるまい。でたらめを言うな」
トヨは後ろ手で障子を閉めると、どこかへ行ってしまった。
残された七美は、よろよろと立ち上がると、客間を出て玄関へ向かった。
心の奥底から湧き出てくる殺意が止まらない。今から追いかけて首を絞め殺してやろうかとさえ思った。しかし、トヨは強い。幼い頃に戦闘訓練を受けた自分でも、長い間様々な修羅場をくぐってきたトヨには歯が立たないだろう。
「……そうだ。守哉に、知らせなきゃ」
呟いて、七美は走った。守哉に七瀬が一人で神さびと戦わされる事を伝えるために。
七美は自分が守哉を下の名前で呼んでいる事にも気づかずに、ただ自分の無力さを噛み締めながら寮を目指して走っていった。
☆ ☆ ☆
七美が神代家を去った後。
密かに七美とトヨの会話を聞いていた七瀬は、嗚咽をもらしながら小さく泣いていた。
いつか、必ず戻ってきてくれると信じていたのに。家族みんなが、この家に戻ってきてくれると。顔も思い出せない両親も、必ず戻ってきてくれると。
しかし、それは夢にすぎなかった。他の家族とトヨの間の溝は、思っていたよりもずっと深かったのだ。……いや、違う。一方的にトヨが他の家族を嫌っているのだ。トヨの考えが変わらない限り、家族は戻ってくる事はない。
トヨが横暴な人間である事は理解していたつもりだったが、まさかこれほどまでとは思っていなかった。これほどまで、他の家族を拒んでいるなんて。
トヨのせいだ。全部、トヨが悪い。家族がいなくなったのは、全部トヨのせいなのだ。それがわかっていながらも、七瀬はトヨに逆らう事ができなかった。何故かは、わからなかった。トヨの力になりたいと、思っているからなのだろうか。
廊下でうずくまって泣いている七瀬の足元に、何かが転がってきた。顔を上げてみると、それは輪堂潜御だった。いつの間にか、傍に両手を腰に回したトヨが立って自分を睨みつけていた。
「何を泣いておる」
低い声で、トヨは言った。その声には怒りが含まれている。思わず七瀬は後ずさり、トヨから離れようとした。
「お前に泣いている暇などないのじゃぞ。早く開闢知法を行え。逢う魔ヶ時が近いからのう」
そう言うと、トヨは庭園に降り立った。七瀬も目をこすって涙をぬぐいとり、輪堂潜御を持って庭園に降り立つ。
「早くせんか」
あごをしゃくってトヨが急かす。七瀬はこくりと頷くと、庭園の真ん中に座り込んで輪堂潜御を両手で握り締めた。シートを敷いていないので、むき出しの足に当たる砂利が痛くて仕方なかったが、七瀬は我慢する事にした。
目を瞑って意識を集中する。ぼそぼそと呪詛を呟くと、はっきりした声で言い放った。
「……開闢知法」
同時に、七瀬の頭の中に映像が浮かび上がる。輪堂潜御の輪の中心に一瞬光が灯り、消えていく。それを何度か繰り返した後、七瀬は目を開いて顔を上げた。
後ろを向いて、トヨに結果を告げる。
「……来ます」
それを聞いて、トヨは不敵な笑みを浮かべた。嬉しそうな声でぼそりと呟く。
「待ちかねたぞ、この時を」
七瀬の顔に緊張が奔る。戦いへの恐怖に身体がすくみ、目尻に涙が浮かんだ。完全に怖気づいている七瀬に気づかず、トヨは前を見据えながら言った。
「戦いの準備をしなさい。念入りにな。無様に勝つのではなく、圧倒的な力を示して勝利するのじゃ。先日の百代目を叩きのめした訓練の時のようにな」
ふぇっふぇっふぇ、と笑いながらトヨは家の中へ入っていった。
「……大丈夫、だよね」
自分に言い聞かせるように呟き、目を瞑って深呼吸する。緊張で胸の鼓動が速くなる。息も荒くなり、嫌な汗が背中を濡らしていた。
覚悟を決めて家の中へと入る。すでに戦うための準備は終えていた。後は、戦場へと向かうだけ。
悲壮な覚悟を決めて、七瀬は玄関の扉を開けた。




