第13話 “猫の墓守”
洞窟を抜けた先に広がっていたのは、広大な青い海だった。
波打ち際まで近寄ると、潮風が二人の鼻をついた。緩やかな波が二人の靴を濡らす。
どうやら、島の反対側に抜けてしまったらしい。
「海岸に沿って歩けば帰れるんじゃないか?」
守哉がそう提案すると、忠幸は首を左右に振って答えた。
「無理だ。この島の海岸は、でかい岩で分断されてるんだよ。こっち側の海岸には来た事ないから断定はできないけどな。それよりも、森を通った方が時間はかかるけど確実だと思う」
「じゃあ、そうするか。幸い、あそこから森に入れそうだしな」
そう言って守哉は海岸の先を指差す。そこは坂になっており、守哉達が出てきた穴の上に広がる森と繋がっていた。
「よし、行こう。とりあえず、森に入って海岸沿いに進めば帰れると思う」
二人は坂を上り、森へと入った。起伏の激しい地面に四苦八苦しながら、奥へ奥へと進んでいく。
「なあ、お前さ、なんでこの森に入ったんだ?いい加減教えてくれてもいいだろ」
倒れた木を乗り越えながら守哉は言った。
「……別に、お前がしつこかったからだよ。お前を撒くために森に逃げたんだ」
「嘘だな。思いっきり目が泳いでるぞ、お前」
「どうしても、知りたいかよ」
「どうしてもじゃないけど。でも、理由があるんだろ?この森に何かあったんだ。お前が来なけりゃいけない何かがな」
忠幸は答えなかった。黙々と先へ進んでいく。
「藤丸ってやつと関係あるんだろ」
その言葉に、忠幸は驚いて振り返った。
「なんでお前が知ってるんだよ」
「お前、藤丸~、藤丸~って叫びながら森の奥に入ってたじゃないか。もしかして、そいつが森で迷子になったから探してたのか?」
忠幸は教えるべきか逡巡した後、意を決したように前を向いて、呟いた。
「藤丸は人じゃない。猫だよ」
「じゃあお前、猫探してたのか?」
「ああ」
「ふーん。どんな猫なんだ?俺も探すの手伝うよ」
「いや、いい」
「なんで?この森にいるんだろ?こんな広い森の中から猫一匹探すのは大変だぜ」
「藤丸は、俺が探す。俺が探さなきゃいけないんだ」
そう言って、忠幸は歩く速度を上げた。険しい道のりを易々と進んでいく。
「おい、ちょっと待ってくれよ。進むの速いよ、お前」
「ちんたら進んでたら日が暮れちまうよ。ただでさえ一晩帰ってこれなかったんだから、早く帰らないと赤砂御先生に叱られちまう」
「なんで赤砂御先生に?ああ、担任だからか」
「ちげーよ。俺、赤砂御先生の家に住んでるんだ」
「なんで?両親はどうしたんだよ」
守哉の問いに、忠幸は顔を曇らせて答えた。
「死んだよ」
再び進み始める忠幸。守哉は、苦々しい顔になって忠幸に謝った。
「……ごめん。気軽に聞いて」
「いいよ。もう5年になるしな。それに、お前の話だって気軽に聞いていい事じゃなかったし」
「そうでもないと思うけど」
守哉がそう言うと、忠幸は笑った。何故笑われたのか守哉は理解できず、首をかしげる。
「何が面白いんだ?」
「やっぱお前おかしいよ。普通、親に虐待されるなんて暗い過去、笑って話したりしないよ」
「そう言われても、俺にとっちゃそれが当たり前だったからな」
「お前、自分の親を怨んだりしないのか?」
「怨んでるさ。でもな、どんなに最低な親でも、自分の親だ。心の底からは憎めなかった。それに、もう死んじまったからな」
そう言って、守哉は倒れた木の上で守哉の話に聞き入っていた忠幸の横に並んだ。
「死んだ人間を怨んでも空しいだけさ。それに、過去が辛かった分、未来はきっと楽しくなる。実際、親が死んだおかげで俺はこの島に来れたんだ。不謹慎かもしれないけど、今は感謝してるぐらいだよ」
にひっと忠幸に笑いかけると、守哉は木を下りて先へ進んだ。慌てて忠幸もその後を追いかける。
いつしか二人は、並んで歩いていた。
☆ ☆ ☆
険しい道のりが終わり、草木の生茂る平坦な地面を踏みしめる。
「なあ、そろそろ休まないか?俺、足が痛くてしょうがないんだけど」
汗だくの顔を手で拭いながら守哉は情けない声を上げた。
「だらしねぇな。まあ、今まで休みなしで進んできたから、そろそろ休んでもいいか」
そう言うと、忠幸は手近な木の根元に座り込んだ。守哉も忠幸と向かいあうように向かいの木の根元に座る。
呆けた顔で上を見上げる。木々の合間に綺麗な青空が見えた。
しばらくして、守哉はぽつりと呟いた。
「あのさ」
「なんだよ」
「藤丸の事、よかったら教えてくれないか?」
「え?」
「頼むよ」
守哉は真顔になって忠幸を見つめた。この状況に陥った最大の原因、忠幸にとって島のルールを破らなければならないほどの思い入れのある存在、藤丸。守哉は、その存在が気になって仕方がなかった。
しばらく黙り込んだ後、忠幸は顔をうつむかせて言った。
「……藤丸の事を語るなら、俺の母さんの事も話さなきゃいけない。だから、長くなる。それでもいいか?」
「長話は大歓迎だぜ。お前の話が長くなるほど、休めるからな」
そう言って、守哉は笑った。忠幸もつられて一瞬微笑むが、すぐに真顔になって語りだした。
「俺の母さんはさ、神和ぎだったんだ。九十五代目の神和ぎ。この島の歴史を見ても数少ない、自ら神和ぎを辞めた神和ぎだ」
「凄いじゃん。お前、神和ぎの息子だったんだな」
「凄いのは母さんであって、俺じゃないよ。とにかく、母さんは神和ぎを辞めて、島民会が選んだ人間に神和ぎとしての役目を継承させた。それで、前線から退いたんだ」
「なんで神和ぎを辞めたんだ?」
「神さびとの戦闘で、毒をもらっちまったらしい。よくはわからないけれど、まともに戦えなくなっちまったんだと。日常生活にも支障が出るくらい酷かったらしいけど、俺はそれほど困らなかった。家事は母さんと俺が分担してやってたし、母さんも言魂を使えば多少は動けたから」
守哉は、黙って忠幸の言葉に聞き入った。忠幸は、昨日の守哉のように、微笑みながら話を続ける。
「そんなある日、久しぶりに外出した母さんが一匹の野良猫を拾ってきた。母さんはずっと家にこもりっぱなしで、俺も昼間は学校があるから、母さんにとって寂しさを紛らわすには最高の相手だった。俺もそいつを可愛がったよ。人懐っこいやつだったからな」
「その野良猫が藤丸なんだな」
「ああ。でも、母さんは次第に藤丸の事ばかり構うようになってた。自分の本当の子供のように可愛がってたよ。本当の子供の俺をほったらかしにしてな」
そこで、忠幸は何かを耐えるように目を瞑った。
「父親はいなかった。理由は知らない。だから、俺にとっては母さんが唯一の家族だった。次第に母さんは俺を無視して、藤丸にしか目を向けなくなった。俺は、次第に藤丸が憎くなっちまってさ。俺の唯一の家族を奪った藤丸が、憎くて仕方が無かった」
声が震えている。目尻にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「俺は、母さんの目の届かない場所で藤丸に暴力を振るうようになった。何度も、何度も壁に叩きつけてやった。それでも藤丸は死ななかった。死ななかったのが不思議なくらいだけど……それ以上に、それだけやって逃げ出そうとしなかった事が不思議だった」
守哉は黙って忠幸を見つめている。
「そして、ある日を境に母さんは動かなくなった。トヨ婆さん曰く、毒が体中に回っちまったからだって。死ぬのは時間の問題だって、言われたよ」
「ババアが……」
「俺は信じなかった。母さんが死ぬわけないってずっと思ってた。実際、母さんはすぐには死ななかった。そして、ある時突然いなくなったんだ。藤丸と共に」
そこまで言うと、忠幸は目尻の涙を拭って立ち上がった。
「俺は、藤丸が連れて行ったんだと思ってる。だから、俺は藤丸を探してる。会って、母さんを返してもらわなくちゃいけないんだ」
「……本当にそうなのか?」
「そうだ。……もういいだろ?そろそろ行こうぜ」
そう言って、忠幸は歩き始める。守哉も立ち上がって尻についた土を払い落とすと、その後に続いた。
☆ ☆ ☆
再びしばらく進んでいくと、生茂る木々が濃くなってきた。木々の合間に見えていた空は見えなくなり、森の中は薄暗くなっている。地面は湿り気を帯び、踏むとくっきりと足跡が残った。
「なんだあれ」
ふと、守哉は前方を見て言った。前方の丘になっている部分に、ぽっかりと大きな穴が空いている。奥は意外と深いようで、真っ暗で見通す事ができなかった。
その穴を見て、忠幸はうんざりとした顔になって言った。
「洞窟はもうこりごりだよ。ほら、無視して行こうぜ」
「待ってくれ。なんか落ちてるぞ」
守哉は穴の周囲を指差して言った。よく見ると、手鏡やくし等、生活用品が散らばっている。
それを見て、忠幸は警戒心を抱いた。
「もしかして、誰か住んでるのか?」
「いや、人の気配はしない。人じゃない、何かの気配がする」
守哉は意識を穴の入り口に集中させた。穴の奥から、うっすらと異質な気配を感じる。
それは、昨日寮の前で忠幸との会話の最中に感じたものと似ていた。木陰の中で感じた、小さな異質な気配。
「何かいる」
守哉が呟いた、次の瞬間―――
「タチサレ」
声が、森に響き渡った。
「なんだ!?」
驚いて忠幸は周囲を見渡す。しかし、周囲は見渡す限り木と草ばかりだった。
しかし、どこからともなく声は聞こえ続ける。
「タチサレ」
くぐもった子供の声だ。性別は判別しづらいが、恐らく男だろう。
不可解な声に臆したのか、忠幸は不安そうな顔で言った。
「お、おい……なんか、これやばいよ。早く行こうぜ」
「俺はあの穴を調べる。行くなら一人で行ってくれていい。俺も後から追いつくから」
そう答えると、守哉は穴に近づこうとする。すると、謎の声の口調が強まった。
「タチサレ!タチサレ!タチサレ!」
守哉は無視して穴に近づく。忠幸はしばらく先へ行くかどうか迷ったが、結局守哉の後を追って穴に近づいた。
「お、おい!そんな穴なんて調べたって何もねぇって!」
「よく見ろよ」
穴の入り口まで近づいた守哉は、落ちていた黒いブラジャーを手にとった。黒い、恐らくはFカップであろうブラジャー。
忠幸は何を思ったのか呆れ顔になって守哉を見つめた。
「お前……まさか、これを見つけたから調べる気になったのか?」
「間違っちゃいねぇけど、お前が考えてるような理由じゃねぇからな。……これ、たぶんうちの寮長のブラだよ。一昨日の朝、なくなったって言って探してたんだ」
「寮長って……寮はここから相当離れてるぞ。なくなったっていうか、盗まれたって事か?」
「だろうな。そして、その犯人がここに居る可能性があるわけだ。―――そうだろ?」
守哉は、周囲を見回しながら言った。
いつの間にか声はしなくなっていた。森の中が静まり返る。風で草木が揺れ、葉と葉が擦りあう音が聞こえた。
守哉は前方を見据えて何かを待つ。異質な気配が膨れ上がっているのを感じた。
忠幸は声がしなくなった事と守哉が真剣な顔で黙り込んでいるのを見て身の危険を感じたのか、周囲をきょろきょろと見回している。
そして、突然それは姿を現した。
「……猫?」
生茂る草の中から姿を現したのは、一匹の三毛猫だった。白・黒・茶の三色が入り混じった毛をした猫。敵意を宿した両目が守哉達を見据えている。
その猫を見て、忠幸は驚愕した。
「藤丸!」
忠幸がそう叫んで駆け寄ろうとすると、三毛猫は警戒するように鳴き声をあげた。
「フニャァァァッ!!」
「ふ、藤丸?」
驚いて立ち止まる忠幸。すると、三毛猫の気配が急激に膨れ上がる。
「危ないっ!!」
咄嗟に守哉は忠幸を押し倒した。瞬間、大量の針が地面に伏せた二人の頭上を通り過ぎる。
「星町、あれは荒霊だ!一旦退くぞ!」
そう言うと、守哉は忠幸を引っ張り起こした。わけがわからず混乱している様子の忠幸の手を引っ張り、森の中へ逃げていく。三毛猫は追ってこなかった。
その代わりに、異質な気配が森を包んでいく。
「なんかやばそうだな」
走りながら守哉が呟く。右足の後遺症が激痛を発していたが、無視して走った。
「な、何がだよ」
「何かが俺達の周囲を包み込んでる。よくはわからないけど、たぶんあの猫の仕業だ」
「藤丸が……」
「あの猫が藤丸だったんだな。よかったな、見つかったぞ」
「あ、ああ……」
忠幸は歯切れの悪い返事をした。何かを考えているようだったが、守哉は気にしない事にした。
しばらく黙って走り続ける。しかし、突然右足の痛みが強まり、守哉は顔をしかめて地面に座り込んでしまった。
「ど、どうしたんだよ」
「悪い……俺、長く走れないんだ。お前だけでも逃げろ」
「んな事できるかよ!」
忠幸は守哉を守るように前に立つと、周囲を警戒した。守哉はそんな忠幸に微笑むが、ふと前を見て驚愕する。
「……あの丘」
「どうした?なんかあったのか?」
「あの丘、さっきの穴があったところだ」
守哉がそう言って指差した先を忠幸も見る。確かに、先ほどの穴があった場所と似たような丘が前方にあった。しかも、よく見ればその周囲には生活用品が多数転がっている。
最悪の可能性を、守哉は口にした。
「もしかしたら、無限ループになってるのかもしれない」
「どういう事だよ」
「つまり、あの丘を中心とした一定範囲の空間が通常の空間から切り取られてるんだ。呪法の一つに、そういうのがあるって七瀬から聞いた事がある」
「マジかよ……でも、だったらその突破法もわかるんだよな?」
「確か、その呪法を発動させてる術者を倒すか、媒介となっている物体を破壊する事が解除の条件だったはずだ」
荒霊の特殊能力である可能性もあるけどな、と守哉は付け加えた。だとしたら、荒霊を倒さなければ脱出する事はできない。しかし守哉は、忠幸が藤丸と呼んだあの猫を倒す気にはどうしてもなれなかった。
「じゃあ、どうするんだ」
「俺は素人だから、呪法の媒介になっている物を探し当てるのは無理だ。つまり、どの可能性にせよ荒霊を倒すか、鎮めるしかない」
その言葉に、忠幸は守哉を睨みつけて言った。
「倒すって……藤丸を殺そうってのか!」
「あれは荒霊だ。もう藤丸は死んでるんだよ」
「そ、そんな……。じゃあ、母さんは……?」
「わからねぇ。だが、荒霊の未練ってやつは案外単純だ。それがわかれば鎮める事も不可能じゃないはず―――」
守哉は台詞の途中で口をつぐんだ。異質な気配が近づいてくるのを感じたからだ。瞬間、殺気を感じて勢いよく地面を転がる。一瞬前に守哉が座り込んでいた空間に大量の針が突き刺さった。
「のんびりと話してる暇はなさそうだ!星町、お前は逃げろ!」
「逃げろって、どこにだよ!?」
「いいから、適当に逃げてろ!後は俺がやる!」
守哉が叫ぶと、忠幸はしばらく逡巡した後に駆け出した。守哉は立ち上がると、周囲を見回して警戒する。
瞬間、再び殺気を感じてその場を飛び退く。大量の針が守哉の肩をかすめて飛んでいった。
守哉は針が飛んできた方向を見据えると、強くイメージした。敵の姿は見えなかったが、迷わずに言魂を発動する。
「―――風よ!!」
守哉の声に呼応して、凄まじい突風が吹き荒れた。不可視の刃を伴う突風が、守哉の目の前の草木を刈り取っていく。
すると、刈り取られた草の中に地面に伏せた一匹の三毛猫が現れた。三毛猫は守哉に発見された事を悟ると、すぐに草木の深い場所へと逃げていく。
「逃がすかっ!!」
守哉は叫び、言魂を発動しようとしたが、頭痛を感じて発動に失敗した。どうやら、先ほどの言魂のイメージが強すぎて精神力を使いすぎてしまったらしい。
舌打ちして守哉は三毛猫を追いかける。すると、再び殺気を感じて身体を伏せた。守哉の頭上を大量の針が通り過ぎていく。
今度は一度だけではなかった。守哉は近くの大木目掛けて駆け出す。走る守哉の軌跡をなぞるように大量の針が宙を裂く。守哉が大木の裏に飛び込むと、大量の針がカカカカカッ、という音と共に大木に突き刺さった。
「くそ、やりづらいな」
大木を背にして立ち、守哉は呟いた。
敵の三毛猫は小さく、生茂る草木に隠れて姿が見えない。一方、こちらの姿は丸見えだ。
「敵が見えないと直接的な攻撃ができない……。さて、どうすっかな」
守哉は目を瞑って思考した。しかし、突然真横から殺気を感じて思考を中断し、その場を飛び退く。先ほどまでいた空間を大量の針が通り過ぎていった。
針の飛んできた方を見ても、三毛猫の姿は見えない。気配すら感じなかった。
(攻撃される時に殺気を感じるのが唯一の救いだな。意外と避けるのは容易いぜ)
そう思い、守哉はほくそ笑んだ。しかし、次の瞬間その考えは間違いだった事を知る。
守哉が移動しようと身体を傾けた瞬間、小さな衝撃と共に激痛が背中を襲った。うめいて体勢を崩すが、なんとか持ち堪える。
痛みに顔をしかめながら後ろを振り向くと、三毛猫が爪を振り上げて飛び掛ってきた。思わず地面を転がって避けるが、背中に刺さった針が地面を転がった際に深く食い込んだ。歯を食いしばってそれに耐え、素早く立ち上がる。瞬間、腹部に大量の針が突き刺さった。
「ぐっ……!こんのやろぉ!!」
守哉は叫び、言魂を発動した。目の前の地面が急速に持ち上がり、破裂する。そこにいた三毛猫が衝撃で宙に投げ出されるのを見て、守哉は思い切り踏み込むと空中で無防備に腹をさらけ出す三毛猫にこぶしを叩き込んだ。うめき声を上げて三毛猫は吹き飛ばされ、後ろにあった大木に叩きつけられる。重力に引かれて三毛猫は地面に落下し、動かなくなった。
三毛猫が動かなくなったのを見て、守哉は荒い息をはきながら呟いた。
「こ、これ、やっぱ動物虐待になるんかな」
瞬間、地面に倒れこんでいた三毛猫が跳ね上がった。空中で一回転して地面に着地すると、毛を逆立てて地面に伏せる。それと同時に三毛猫の背中が膨れ上がると、大量の針が守哉に向かって飛んできた。
驚いて守哉はその場を飛び退いた。しかし完全には避けきれず、左肩に何本か針が突き刺さる。守哉は痛みに顔をしかめながら、左腕を真横に振るいながら叫んだ。
「―――土よ!!」
先ほどと同じイメージで言魂を発動。三毛猫の周囲の地面が膨れ上がり、三毛猫がその場を飛び退くと同時に地面が破裂する。衝撃を利用してうまく地面に着地した三毛猫は、草むらの中に素早く逃げ込んだ。
守哉はその場で中腰になると、自分の左腕と腹を確認した。パーカーとシャツに小さな穴が空いていたが、何も突き刺さってはいない。よく見ると、何かがパーカーのすそについていた。掴んでみると、それは動物の毛だった。どうやら、あの三毛猫は自分の体毛を針にして飛ばしているようだ。
「毛が武器かよ……。なんだかなぁ」
周囲を警戒しながら近くの大木の根元に近づき、中腰になる。目を瞑って傷を負った部分に意識を集中し、呟く。
「―――痛いの痛いの、飛んでけ」
なんとも間抜けな守哉の声に呼応して、傷が熱を発し始めた。煙を出しながら傷がゆっくりと塞がっていく。
七歌との戦闘の後、トヨから教わった治癒の言魂だった。この言魂に関してはイメージをする必要がない上、消耗するのは神力だけで済むらしい。未だに守哉は神力というものがどういったものなのかよく理解していなかったが、ゲームでいうMPみたいなものだと思い納得していた。
しばらくして傷が癒えると、守哉は目を開けてため息をついた。しかし、誰かが近づいてくる気配を感じ、気配を感じた方向を睨みつけた。
「お、俺だよ」
現れたのは忠幸であった。ほふく前進しながら守哉に近づいてくる。
呆れ顔になって守哉は言った。
「逃げてろって言っただろ。こっちにくるなよ、危ねぇぞ」
「わかってるよ。でも、お前に話があってきたんだ」
中腰になって忠幸は言った。
「なんだよ」
「藤丸と話がしたい。なんとかして話ができる状況を作ってくれ」
真剣な顔で忠幸は守哉を見つめた。守哉は忠幸を睨みつけながら答える。
「説得する気か」
「そうだ。逃げてる間に色々考えたけど、やっぱりそうするしかないと思った」
「どうやって説得する気だ。お前、藤丸に暴力振るってたんだろ。そんなヤツの言う事を聞いてくれると思ってるのか?」
厳しい口調で言われた忠幸は、顔をうつむかせて黙り込んだ。何かを考えるように目を瞑ると、顔を上げて真っ直ぐに守哉を見つめて言った。
「わかってる。でも、だからこそ話したい。いや、謝りたいんだ。お前は辛い事から逃げてもいいって言ったけど、逃げてばかりじゃ何も解決しないよ。俺は、逃げずに向き合おうと思う」
守哉は答えなかった。ただ、黙って忠幸を見つめている。
「それに、藤丸をこの世に結びつけているものがなんなのか、俺は知りたい。あいつの未練がなんなのかを知りたいんだ。そして、出来る事なら開放してやりたいと思う」
「あいつは俺達を攻撃したんだ。敵意を向けてくる相手を説得するのは難しいぜ」
「それでも、俺は藤丸を鎮めたい。協力してくれ、百代目神和ぎ」
守哉は顔を伏せてため息をついた。すぐに顔を上げて不敵な笑みを浮かべると、忠幸に告げる。
「いいぜ、やってやる。でも、俺は不器用だからな。多少強引にいかせてもらうぜ?」
「ああ、頼んだ。信じてるぜ、未鏡」
「任せときな。……お前はしばらく隠れてろ。しつけの悪い猫にお灸をすえてやる」
守哉は立ち上がり、その身を躍らせた。同時にイメージする。精神力を限界ぎりぎりまで込めた、強いイメージ。
「―――雷撃よ!!」
守哉の声に呼応して、目の前の空間に光が迸った。瞬間、強烈な稲光が草むらを駆け巡る。稲光は草にまったく影響を与えず、その中に隠れていた動物だけを襲った。一瞬、草木の中に逆立った猫の尻尾が出現する。守哉はその空間に向けて再び言魂を発動しようとしたが、次の瞬間殺気を感じてその場を飛び退いた。飛んできた大量の針が守哉の横を通り過ぎていく。
何かが草むらをかき分けて守哉に近づいてくる。ついに毛がなくなったか、と守哉は思いつつ身構える。瞬間、草むらの中から三毛猫が飛び出した。守哉はタイミングを見計らって右腕を横薙ぎに振るう。振るった右腕が三毛猫の腕に当たり、三毛猫を吹き飛ばした。同時に鋭い爪が守哉の右腕を切り裂く。
吹き飛ばされた三毛猫は空中で一回転すると地面に着地した。瞬間、守哉は叫んだ。
「―――もらったぁ!!」
三毛猫の足元の草が蠢き、素早く三毛猫の足に絡みついてその動きを封じた。三毛猫は抜け出そうとしてもがくが、草はきつく三毛猫の足を縛りつけており、次第に三毛猫は諦めたように動きを止めた。
「星町、今がチャンスだ!」
守哉が叫ぶと、大木の裏に身を隠していた忠幸が姿を現した。身動きがとれなくなった三毛猫に近づくと、地面に両手をついて頭を下げた。
「藤丸。俺の話を聞いて欲しい」
三毛猫は毛を逆立てて警戒している。忠幸は土下座したまま話を続けた。
「ずっと、お前を探してた。お前と母さんがいなくなった日からずっと」
守哉はその様子をじっと見つめていた。言魂の効力を保つために草に意識を集中する。
「どうしても、お前に謝りたかったんだ。たくさん酷い事をしてしまったと思う。ずっと後悔してたんだよ。お前がいなくなってから、ずっと」
三毛猫は何も答えない。ただ、忠幸を睨みつけるばかりだった。
「今更、許してもらおうとは思ってない。それでも、謝りたかった」
忠幸の声が震え始める。溢れ出した涙を堪えながら、忠幸は言った。
「ごめんなさい」
いつの間にか、三毛猫は警戒するのをやめていた。しばらく忠幸を見つめると、次に守哉を見た。三毛猫に見つめられた守哉は、何かを感じて言魂を解いた。草から開放された三毛猫は忠幸に向かってにゃあ、と鳴くと、丘にぽっかりと空いている穴へと向かった。穴の入り口の前で忠幸の方に振り返り、再び鳴き声を上げる。
忠幸は顔を上げて三毛猫を見つめ、呟いた。
「……ついて来いって言ってるのか」
忠幸は立ち上がると、穴へと入っていった三毛猫を追う。守哉もその後を追い、穴へと入った。
穴の奥は真っ暗だった。守哉は言魂を発動して手の平に球状の光を出現させると、二人はそれを明かりに奥へ進んでいく。
穴は思っていたよりも深くはなかった。そして、穴の奥にあったものを見つめて二人は驚愕した。
「この人を守っていたのか」
守哉は地面に横たわるそれを見て呟いた。
それは、人間の死体だった。腰まで届く長い髪に女物の服を着ているところを見ると、恐らく女性だろう。あちこちの肉が腐り落ち、白骨と化している。しかし、一部の皮膚は腐らずに残っている。特に、頭の部分はまったく無傷だった。
守哉は、この不可解な遺体の頭部が異質な何かによって保護されている事に気づいた。他にも、身体のあちこちに異質な何かが張りつき、その部分だけは腐敗してはいるが皮膚が残っている。
遺体の顔を見て、忠幸は呆然として呟いた。
「母さん」
三毛猫は遺体の頭に近寄ると、その顔を舐めた。そして、何かを訴えるように忠幸を見上げて鳴き声をあげた。
「藤丸……母さん……」
忠幸はそう呟くと、その場に崩れ落ちて号泣した。
「う……うぁぁあああぁぁぁぁぁあ!!!」
穴の中に忠幸の鳴き声が響く。守哉は、遺体の傍に座って忠幸を見つめる三毛猫を見ながら言った。
「ずっと、ここでこの人を守ってたんだな。家から連れ出したのは、忠幸が動けなくなったこの人に暴力を振るうかもしれないって思ったからか?」
三毛猫は何も答えなかった。ただ、泣き続ける忠幸を見つめている。
それでも、不思議と守哉は三毛猫の気持ちがわかった。理由はわからない。神和ぎだからかもしれない。
「大丈夫だ。こいつは、この人にそんな事はしないよ。もちろんお前にも。心から反省してるみたいだし、お前もそれがわかったから穴の中に招き入れてくれたんだろ?」
三毛猫は守哉を見上げ、にゃあ、と鳴いた。
「飼い主の世話をするために、あちこちから物を盗んでたんだな。でも、もうお前の飼い主は死んでるよ。お前と同じように」
穴の入り口に転がっていた生活用品を思い出す。考えてみれば、全て女性が使うものだった事に気づいた。
「もう、いいんだ。守らなくても。誰も、お前を傷つけやしない。俺が言えた事じゃないかもしれないけど、約束するよ。だから、安心して眠ってくれ」
三毛猫は守哉を見つめ、次に忠幸を見つめ、最後に遺体を見つめた。すると、三毛猫の身体がぼんやりと光に包まれ始めた。それに気づいた忠幸は、顔を上げて三毛猫を見つめた。
「行っちまうのか」
三毛猫は答えない。じっ、と忠幸を見つめている。
そんな三毛猫に、忠幸は優しく微笑みかけながら言った。
「ありがとう。ずっと、母さんを守ってくれて」
三毛猫の身体を包む光が強まっていく。最後に、にゃあ、と三毛猫は鳴き―――姿を消した。
穴の中に静寂が訪れる。しばらくして、忠幸は目をこすりながら立ち上がった。
「未鏡。頼みがある」
「なんだ?」
「母さんを埋葬するのを、手伝って欲しい」
「……お安い御用だよ」
守哉はにひっと笑いながら答えた。手の平の球状の光を消し、再び言魂を発動して遺体を宙に浮かせる。
「こんな穴の中に埋葬するのはよくないだろ?さあ、外に出ようぜ」
「……そうだな」
二人は穴の入り口へ引き返した。外に出ると、空はまだ明るかった。
忠幸は穴の周囲で最も大きな木に近づくと、その根元を指差して言った。
「この辺でいいだろ。悪いけどさ……」
「へいへい。わかってますって」
そう言うと、守哉は宙に浮かせていた遺体を地面に置いた。再び言魂を発動し、忠幸の指差した地面に大穴を空ける。言魂の使いすぎで精神力が減ってきたために頭痛が守哉を襲ったが、守哉はそれを無視して再び言魂を発動し、遺体を宙へ浮かばせて大穴へと移動させ、穴の中へゆっくりと横たえた。それを見計らい、忠幸が穴の周囲の土を崩して穴を埋めていく。
しばらくして、大穴は完全に埋められた。
「……これで、よかったんだよな」
忠幸は、母親の遺体が埋められた地面を見ながら呟いた。守哉は、忠幸の横に並ぶと、上を見上げて言った。
「さあな。でも、藤丸はこれで満足したと思うぜ」
木々の合間からわずかに見える青空を見ながら、守哉は呟いた。
「だと、いいんだけどな……」
忠幸も上を見上げて答えた。
心地よい風が空を見上げる二人の頬を撫でていく。
守哉は、最初に聞こえたあの声は藤丸の声だったんだろうな、とぼんやり思いながら、空を眺め続けた。




