怒りのわけ
剣を失い、途方に暮れる俺にザクトは棍棒を突きつけた。
「ドル!ヴェヴァクトゥデゥル!!」
何か強い口調で言葉を叩きつけてくるザクト。俺を罵倒しているのか、軽蔑しているのか、わかりかねる声音であった。そんな俺の隣に焦ったようにジェレミアが滑り込んできた。
ジェレミアは俺のことを取りなすように早口に何かを述べる。
外交官に庇われるようなことになってしまった俺を見て、騎士達がせせら笑っているのが遠目に見えていた。
やはり無様だったであろうか。
だが、他にどうしようもなかった。俺に剣技の才能がないことは士官学校からのお墨付きなのだ。
俺はため息をこぼしたくなるのをグッと堪える。
それでも、もう少し上手くやることはできたはずだった。
下手に攻勢に出たりせず、押して引いて守って時間を引き延ばせばもう少し互角の戦いを演じれたかもしれない。外に逃げながらヒット&アウェイで戦えば隙も見えたかもしれない。終わってみれば後悔ばかりが浮かぶ。
『政略結婚における最大のミス』以前の問題だった。
オーク首魁に嫌われてしまえば、また最初から外交努力で外堀を埋めていくしかない。これでは帝国の役に立つどころか足を引っ張る結果だ。自分の未熟さに自己嫌悪ばかりが巡っていた。
そんな俺にザクトとの会話を終えたジェレミアが躊躇いがちに振り返ってきた。
「あ、あのゴロニア王子」
「なんです?俺は嫌われましたかね」
俺はそう言って外交上の笑顔を見せる。
だが、なぜかジェレミアは困惑したような顔をしていた。
「え、ええ……ザクト殿は怒っておいでです……ただ……」
「ただ?」
「ただ……」
そして、ジェレミアは困ったように眉間に皺を寄せ、再びザクトの方を見上げた。そして、再び何かを問いかけた。それに対して、ザクトは怖い顔でジェレミアを睨み、大きく頷く。
ジェレミアは額の汗をぬぐいながら「ヴィ……」と返し、もう一度こちらを振り返った。
「その……ザクト殿は……『なぜ、本気で戦わないのか』と怒っております?」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
「は?」
俺はポカンと口を開けてしまった。
本気も何も俺は全力で自分の剣を振るった。途中からはザクトの身体に刃を突き立てるつもりだった。最後の方には自分の力を振り絞るようにして戦っていた。
「いや、本気も本気、全力の中の全力で戦っていたが」
「ですが、ザクト殿はそうは考えていないようで」
「え……いや……」
もしかしたらあの程度の剣はオークにとって遊び程度にしか見えないのだろうか。
それならもう俺にできることはない。自分の剣技はあの程度だと告白し諦めてもらう他ないだろう。
そんなネガティブな考えが脳裏をよぎった次の瞬間だった。
俺はジェレミアの次の言葉に心底驚くこととなった。
「その……ザクト殿は……『なぜ、自分の得意な得物を使ってこないのか』と……『仮にも決闘の場で全ての武器を使わずに手加減するなど何事か』とおっしゃっているのですが……」
「……は?」
「ゴロニア王子、何か他の武器を使えるのですか?失礼ながら私はゴロニア王子は剣も槍も弓もせいぜい中の下。魔法の才能もなしと烙印を押されたと聞いているのですが」
確かに失礼な言い方であったが、全部事実なので否定のしようもなかった。
だが、一つある。
そう、たった一つだけ。
俺にも人並みに扱える武器がある。
それは、ジェレミアはもちろん、士官学校の講師も同期の騎士連中も王族の兄達も、下手をすれば国王である父上ですらほとんど知らない可能性のある話だった。
それを、まさか……
俺は唖然としたまま、ジェレミアに答える。
「……ザクト殿は……他に何か言ってなかったか?」
「え?あ、その……『その服の下にあるものは飾りか?』と……」
俺は自分より遥かに高い位置にあるザクトの顔を見上げる。
彼は不満気な顔をしながらも、しっかりと俺を見据え、ゆっくり頷いた。
『全力で来い』
そう言われた気がした。
「……ジェレミア、オークの文化について一つ聞きたいことがある」
「こんな時に何を言っているのです。それよりも早く謝罪を」
「いいから、一つだけ教えてくれ。オークの決闘についてだ」
「え、あ、はい……」
「決闘にもルールはあるだろう。その中で持ち込む武器の制限はあるのか?それと禁じ手なんかがあるなら教えてくれ」
「えと……どんな武器を用いようと自由ですよ。大量に斧を持ち込んで遠くから投げつけるのも、棍棒一本で立ち向かうのも構いません。勝つために知恵を絞る。それもまた『強さ』と思われてますから……ただ、弓矢やクロスボウなど、最初から遠距離攻撃を行うに為に作られた武器を持ち込むことはできません。それで、それが、なにか?」
「いや……そうか……そうか」
俺はその話を聞き、スッと両腕から力を抜いた。
全身を脱力させ、そのまま空を仰ぐ。
「……くくくくく……」
そうか……いいのか……
ここでなら、使っていいのか。
馬鹿みたいに騎士道精神に則る必要はないのか。剣や槍に拘る必要なんかないのか。貴族達の暗黙のルールに縛られることなんかないのか。
そう思うと、腹の底から笑いが沸き起こってきた。
「くくくくく、ははははははははは!!」
俺は湧き上がってきた感情を止めることなく空に放つ。
こんなに笑ったのはいつ以来だろうか。いや、つい最近、帝国の友人達と飲み明かしたか。
それにしたって愉快だ。長年の友人とバカ騒ぎをやるぐらい痛快だった。
「お、王子。何を笑っているのですか」
「いや、すまない。ジェレミア」
俺は笑いすぎて目尻に浮かんだ涙をぬぐう。
「ジェレミア外交官。ザクト殿にお伝えしてくれ」
俺は自分の吐息を整え、ザクト殿を再び見据える。
ザクト殿はそんな俺に顔に何か感じるものがあったのか、ニヤリと笑って応えてくれた。
もう、わざわざ言葉にせずとも良いのかもしれないが、これが『決闘』である前に『外交』である。だったら、謝罪も約束もきちんと口に出しておくのは大事なことだった。
「ザクト殿に心よりの謝罪を。申し訳なかったと伝えてくれ。そして、少しの休憩の後、ザクト殿に再戦を申し込みたい」
俺はザクト殿に向かって深々と頭を下げた。その頭の上でジェレミアとザクト殿の会話が交わされる。そして、ザクト殿が頷いた気配を感じ、俺は顔を上げた。
ザクト殿の眉間から皺が消え、純粋な戦意が俺を貫く。
「ヴァクトゥ!ヴァクトゥ!」
ザクト殿がそう言って拳を振り上げる。
意味のわからぬ言葉。だが、それが戦う前の鼓舞の言葉であることはもうわかる。
俺はザクト殿に向け、ニヤリと笑ってみせた。
「ああ、今度は『本気』で挑ませてもらう」
隣で困惑するジェレミアがなんだか場違いな所に居合わせたような顔で額の汗を拭っていた。