優しい暗殺
ダン家族が王都から姿を消したその日の朝は、曇天模様だった。ただでさえ薄暗がりが多い裏通りは、今は一層その影を濃くしている。
そんな、王都に幾つかある裏通りのその一角に、そこには似つかわしくない綺羅びやかな格好をした小太りの男が居た。
「『ダガァ』はようやく動いてくれたようだな」
男が居る場所は見窄らしい小屋だ。小屋の中は、ガラクタばかりと思われる雑多な物で溢れていた。何かの店らしい、というのは中に入れば、一応の応接用テーブルとソファが用意されている辺りで分かるが、もし乱雑に置かれたガラクタが商品だとすると、誰がどう見ても大事に扱っているとは思えない。しかしそれは、その店が扱う「品」が違う為だ。その店が扱うモノ、それは情報だった。
「そのようですね」
その情報屋である黒髪の青年は、特に感慨もなさそうに小太りの男にそう答えた。
「死体は無かったそうだが、まあ奴の仕事なら間違いは無いのだろう?」
「仕上げ方は『ダガァ』が決めますので。その時々で、最適な方法で処分される。今回も、何か意図があることと思います」
「ならいい。……それにしても、お前が本当に奴と連絡が取れるとは思わなかった。良くやってくれたな」
下卑た笑みを隠そうともせず小太りの男はそう言って、満足そうに何度も頷く。
「お褒め頂きありがとうございます。まあ、依頼を完遂したのは『ダガァ』ですが、ね」
「……そうだな。ああ、これが報酬だ。受け取れ」
男は懐から小さな巾着を取り出して、乱暴に机の上へと投げた。見るからにパンパンに詰まっている袋は、ガチャリという金属音と共に重い音を店内に響かせる。
「……今回の依頼料は金貨十枚です。これは、どう見てもそれ以上ありますが?」
「もう一仕事、『ダガァ』に頼みたい。それは前金だと思ってくれ。依頼完了後は、その倍支払うつもりだ。もちろん、お前の分もな」
無感動に巾着を見つめていた青年は、男の言を聞き終わると徐に巾着を開けて中に入っていた金貨を机に並べ始めた。が、金貨を十枚出し終えた所で巾着の口を結ぶと、それを持って男の前に立ち、恭しく礼をしてそれを男へ差し出した。
「『ダガァ』は、同じ方からの依頼は二度と受けません。情報、私の方でしたら、何度でもお受け出来ますが。ですので、こちらはどうぞ、お引き下げください」
「堅い事を言うな。ならば、その巾着の中身はそのままお前の懐に入れてしまえ。お前が黙っていれば分からんだろう? 奴に依頼を受けさせろ」
「あれはあれで、独自に依頼者及び標的の情報を調査するようなので、私が黙っていても分かることと思います」
礼の姿勢を解くこと無く、青年は巾着を差し出したままだ。
「……そうか。それは残念だな」
青年の手から引ったくるように巾着を取り、男は再び懐へとそれを仕舞った。
「であれば、もうここには用はない」
「はい。この度はありがとうございました。お気をつけてお帰りください」
「……変な気を起こすなよ?」
「何の事か分かり兼ねます」
「ふん、そうであろうな」
そして小太りの男は出ていった。青年は、去り際の男の瞳に映った感情を見逃さなかった。
「あんたがな」
青年の呟きは、誰に聞かれることもなく虚空へと消えていった。
◆◇◆
王都を囲むように造られた城壁の、その外側。王都から半刻ほど馬を走らせた森の中に、そのあばら家は建っていた。人が生活をしているようにはとても見えない。人通りがある道からも随分離れていたし、狩場としても条件が悪いそこは、そこを知っていて尚且つ目的がある場合以外には人が訪れる事は無いだろう。
そんな荒れた小屋の前に、黒髪の青年は立っていた。手には、食料を持っている。
特に声を掛けることもなく、青年はその小屋へと入っていく。
「やあ、食料ですよ」
中に居たのは、ダンとその家族だ。青年が入ってきたのを見て、妻のアリサと娘のリルは身構えていた体を弛緩させた。だがダンはその二人を庇うようにして、青年と対峙した。
「何の真似だ……」
「? 昨晩、説明しましたよね?」
昨夜、王都が寝静まった頃。青年は雑貨屋を訪れた。鍵は掛かっていたが、特に問題にもせずに青年は店内へと侵入。様子を見にやってきたダンをあっさりと当て身で落とし、上階に居た店主の家族も、説明もそこそこに確保。三人は縛り上げられた。突然の闖入者と、伸びているダンを見た妻子の二人は、自身が置かれている状況故の恐怖でその身を震え上がらせた。そんな二人の目の前で鶏を縊り殺しその首を落とすと、吹き出す勢いに任せて血を店内にばら撒いた。妻と娘はその時点で気を失った。その後、粗方店内を荒らし回り、壁に仕上げの『ダガァ』の仕事完了の印を刻んだ後、気を失っている三人を荷車へ載せて夜中の王都を抜け出し、今三人が居るあばら家まで運んできた。
着く頃には三人共起きていた。ダンが目を覚ましたことで妻と娘は幾らか落ち着きを取り戻していた。縄を解きながら、青年は滔々と今回の顛末を説明した。
まず、自分が『ダガァ』であること。そして、ダンは誰かの知ってはいけない秘密を知った事。そのせいで『ダガァ』に依頼が来た事。出来れば穏便に事を済ませたかったが、期限も迫ってきてしまっていたので、今回のように乱暴になってしまった事。等々。
語り終え、「後の詳しいことは、また後程」と、青年が話を切り上げあばら家を離れる頃には、三人からは恐怖心は幾らか消えていたように見受けられた。
しかし青年が所用から戻ってきた今、ダンは顔を真赤にし怒りで打ち震えていた。
「ふざけるな! あんな事を知っただけで、どうして命を狙われなきゃならん!」
「それは、実際のところは当人に聞いてみなければ分かりませんが、情報というものは、それの所在によって重みが変わります。そして普通、秘密を知られた方はいつバラされるかと気が気ではありません。それが、自分の地位に影響すると本人が思うような事であれば尚更、ね」
『ダガァ』に依頼が舞い込んだ時点で、青年はダン家族の事を徹底的に調べ上げた。結果、ダンもその家族も根っからの善人だったのだ。そんなダンが、偶然とは言え、とある貴族の秘密を知ってしまった。勘付いた、と言うべきか。
「そもそも俺は! 誰かに言いふらす気も無かった! だから金も受け取らなかったんだ!」
そして、運の悪いことに、ダンが貴族の秘密を知ったことを相手に知られてしまった。ダンの言うように、当の貴族は彼を買収しようと試みたが、ダンはそのことを惚け、金を受け取る素振りも見せなかった。
「それが良くありませんでしたね。ああいう手合は、買収に乗ってこられた方が安心しますから」
そんなダンたちの命が理不尽に奪われて良いはずも無い、という結論に至ったと言う。「時には、理不尽に命を奪う事もあるんですが、ね」とも青年は自嘲気味に語った。
青年のその態度は、ダンにそれ以上の追求を許す物ではなかった。それは、青年も知らない内に漏れ出ていた僅かな殺気がそうさせていることには、ダンもその家族も気付けるはずもない。
「……失礼。さて、本当であれば、生きたまま他国へ亡命をされるのが一番だったのです。が、残念ながら、今回は期限が差し迫っていました。たとえあのまま『ダガァ』が手を引いたとしても、バダムに留まり続ければ、また違う手段で消されたでしょう。それほどに、ダンさんが知られたあの男の秘密は、奴にとっては大問題でした。ですので、バダムで生活していた貴方がたには、一度死んでもらう必要があった。書類上、ね」
「……そういう意味だったのか」
気を失わされる直前に青年がダンに向けて発した言葉は、「さようなら。サイロニアのダンさん」だったことを思い出した。
そしてそれは、暗に三人はもうバダムには戻れない事を青年は告げている。それが分かった三人は、悔しさか寂しさか、悲痛な面持ちだった。
「……これから俺たちはどうしたら良い?」
「そこまでは感知しません」
冷たく言い放たれた青年の言葉に、三人の表情は更に暗くなった。しかし、これは早とちりだ。
「と言いたいところではありますが、ハルバへの渡航は取り付けてあります」
「本当か!?」
「ですが、ハルバに渡るまで、です。その後は、ご自身で何とかして下さい」
「……すまねぇ」
「分かっているかとは思いますが、二度とバダムへは近づかない方が良い。サイロニアの国境を跨ぐ事もお勧めしません」
「ああ、分かった。……お前たちも、すまなかった。俺が、もう少し融通を利かせてりゃあ……」
元店主は、耐え兼ねたように泣き崩れてしまった。それを見る妻子の顔は穏やかなものだった。
「あなた、いいのよ。あなたは、それでいいの」
「そうだよ、お父さん」
そう言って、夫であり父である男を、二人は泣きながらも優しく抱きしめた。
「ハルバへの迎えは明日来ます。申し訳ありませんが、もう一日ここで過ごしてください。ああそれと、これは当面の生活費に充てて下さい」
そう言って青年がダンに差し出したのは、小さな巾着だった。
「これは? ……金貨か。っ! じゅ、十枚も有るじゃねぇか!?」
「それは『ダガァ』からの手向けだと思って下さい。気に入らなければ、寄付したり、或いはその辺りに捨てていけば良い。ですが、身寄りも無い土地で、何の元手も無く新しい生活を始めるのは大変でしょう? 残念ながら、家財道具を持ち出す余裕はありませんでしたので」
渋々ではあるが、ダンはそれを受け取ることを了承した。青年の言うことも尤もであったし、新たな生活を始めるのに、元手が必要なのは確かなのだ。
「それで、あんたは?」
「僕はこれでもう、貴方がたの前には現れません。向こうでの生活が、良いものになるよう祈っています。それでは――」
「まって!」
それまでは、事の推移を黙って見ていたリルがその時になって声を上げた。青年が振り返ると、リルは必死な様子で彼のことを見ていた。
「何か?」
「あ、あの……、な、なまえ、お名前を教えてください!」
青年に見つめ返され、リルは一瞬たじろいだが、意を決してそう訊ねた。思わず、彼は父親と顔を見合わせる。父親は頷いてみせた。
それを見た青年は逡巡の後、こう答えた。
「ネイム。ネイム・ノウワンです」




